第六話
宇宙暦四五一四年五月十五日 標準時間〇〇時三〇分
第二十一哨戒艦隊は予定の半分の日程を終え、ハイフォン星系行きジャンプポイントから三十光分の宙域を航行している。
引継ぎを受けた通り、ゾンファ側からの動きは全くなく、艦隊は当初の計画通り、訓練を行いながら、星系内を蛇行するように哨戒していた。
クリフォードは戦闘指揮所で当直についていた。
本来、航法長ジュディ・リーヴィス少佐が、当直長として指揮を執っているはずなのだが、突然の体調不調のため、サロメ・モーガン艦長が当直の指揮を執っている。
(艦長が指揮を執ると胃に堪える。突然、意味も無く命令を変更してきて、少しでも命令通りになっていないと、部下の前だろうと関係なく当り散らすし……それだけならいいんだが、僕のせいで副長にまで当り散らすのはやめてほしいな……)
当直が始まってまだ三十分しか経っていないが、彼に対する命令が既に二回も出されていた。
そして、モーガン艦長がクリフォードに再び作業を命じる。
「コリングウッド中尉、駆逐艦ヴェルラム6と同ヴィラーゴ32の配置を〇一〇〇に入れ替える。加速のタイミングと変更中の回避パターンを十分で計算し、報告しなさい」
クリフォードは「了解しました、艦長」と答えて、コンソールに向かうが、心の中ではこの命令の無意味さに辟易としていた。
(同じV級の駆逐艦を入れ替えても意味が無い。入れ替えるなら、最新のZ級ザンビジ20と旧式艦であるV級のどちらかを変えるべきだ。訓練の一環ということなのかもしれないけど、ヴェルラムもヴィラーゴもいい迷惑だな……)
彼はそう考えながらも、人工知能を呼び出し、諸条件を確認しながら、計算を始めた。
彼は計算に集中しており、情報士のスーザン・キンケイド少佐の行動に気付くのが遅れた。
キンケイド少佐は指揮官席の左手にある情報士席でコンソールを操作した後、ゆっくりと立ち上がり、艦長いる指揮官席に向かっていたのだ。
クリフォードが気付いたのは、「キンケイド少佐、この計画書の承認は必要か?」というモーガン艦長の問い掛ける声によってだった。
彼の席、戦術士席は指揮官席の前方にあり、艦長とキンケイド少佐を見るためには振り返らなければならない。しかし、このタイミングで振り返ると、艦長から厭味を言われるため、彼はコンソールに集中し、後ろに注意を向けなかった。
艦長の問い掛けの直後、「あぁぁぁ! な、何をするの!」という艦長の悲鳴にも似た声がCICに響き渡った。
クリフォードはすぐに振り返り、指揮官席の様子に目を疑った。
彼が見たものは、血塗られた小型のナイフのような刃物を握ったキンケイド少佐と、胸を押さえ、苦しげに指揮官卓に伏せるモーガン艦長の姿だった。
キンケイド少佐は恍惚とした表情を浮かべ、舞台女優のような大きな手振りを交えて叫んでいた。
「あなたがいけないんですよ! 私を捨てようとするから!……ああ、でも、これで二度と離れることはないわ! これでずっと一緒に……」
モーガン艦長は「な、何を今頃……なぜ……」と呟くが、それ以降は言葉にならず、その目は虚空を見つめていた。
キンケイド少佐は艦長の顔を愛しそうに撫でると、すぐに自分用の個人用情報端末を操作する。PDAの操作を終えると、艦長の体をゆっくりと押しのけ、指揮官コンソールの操作を始めていた。
クリフォードは何が起こっているのか理解できず、動くことができなかった。しかし、すぐに我に返り、立ち上がる。
そして、キンケイド少佐を拘束するため、CICの入り口で歩哨に立つ宙兵隊員に命令した。
「宙兵! 直ちにキンケイド少佐を拘束しろ!」
呆然と見つめていた宙兵隊員ボブ・ガードナー伍長は、跳ねるように背筋を伸ばし、
「了解しました、中尉!」と叫びながら、キンケイド少佐に向かった。
クリフォードとガードナー伍長を除く六名のCIC要員は、目の前の光景が信じられず、呆けたようにその様子を見つめている。
クリフォードは動けない下士官たちに目もくれず、一番近くにいた機関科のサドラー三等機関兵曹に「サドラー兵曹! 軍医に連絡しろ!」と指示を出しながら、指揮官席に飛んでいく。
その時、キンケイド少佐は既に指揮官コンソールの操作を終えていた。そして、もう一度艦長の顔を見て微笑み、静かに自らの首にナイフを突き入れた。
クリフォードの「少佐!」という叫びがCICに響く。
キンケイド少佐は彼を見ることなく、彼女の横に倒れるモーガン艦長を見つめていた。
その顔には満足げな恍惚としたような表情が浮かび、口を数回動かした後、艦長に被さるようにゆっくりと崩れていく。
クリフォードはキンケイド少佐の突然の行動が理解できず、パニックに陥りそうになる。だが、彼はそんな自分を叱咤し、副長であるグリフィス・アリンガム少佐に連絡しようと、PDAを操作し始めた。
彼のPDAから呼び出し音が鳴る中、艦内に中性的な声の一斉放送が流れていく。
『通信系故障対応訓練を開始する。ただいまより、PDAを含むすべての通信機器の使用が制限される。使用者は直ちに作業を中止し、訓練に備えよ。開始、五秒前、四、三……』
そして、その放送に被るようにもう一つの放送が流されていく。
『内部破壊者対応訓練を開始する。CICを除くすべての入出力装置は訓練終了まで使用不能となる。作業中の者は直ちに作業を中止し、システムよりログアウトせよ。訓練開始、五秒前、四、三、二、一、開始』
二つの放送が終わった瞬間、CICのハッチを機械ロックする“ガタン”という音が響いていた。
(何が起こったんだ? 訓練なんて聞いていない……)
クリフォードはCIC要員に状況を把握するよう命令する。
「各員、状況を把握せよ! 通信兵曹、艦隊の各艦に連絡。モーガン艦長が行動不能に陥った。現在、指揮はコリングウッドが執っていると!」
彼はそう叫ぶと、アリンガム副長に連絡を入れようとした。
だが、艦内の通信システムがシャットダウンし、彼のPDAから連絡ができない。他に手段がないかと、緊急用の一斉放送装置を使おうとするが、それもロックされていた。
(連絡手段がないだと……待て、内部破壊者対応訓練と言っていたな。となると、戦闘指揮所、緊急対策所、機関制御室なんかはすべてロックされるはずだ……)
彼が通信手段を考えているとき、宙兵隊のガードナー伍長が大声で艦長たちの状況を報告してきた。
「モーガン艦長及びキンケイド少佐は心肺停止! 緊急医療キットによる蘇生を試みましたが失敗! 薬物によるものと思われます! 両名の死亡を確認しました!」
クリフォードは艦長とキンケイド少佐が死亡したという報告にパニックになりそうになるが、「了解した。艦長と少佐の遺体をCICから運び……いや、CICのどこかに安置しておいてくれ」と指示を出す。
「了解しました、中尉!」とガードナーは答え、二人の遺体をCICの隅に運び始めた。
そして、通信兵曹のジャクリーン・ウォルターズ三等兵曹の甲高い叫び声がCICに響く。
「中尉! 通信不能です! ファルマスとも、他の艦とも通信が……」
僚艦である軽巡航艦ファルマス13や四隻の駆逐艦とも通信不能とヒステリックに叫ぶ。
クリフォードは「落ち着け!」と一喝し、「正確な報告を頼む。ウォルターズ兵曹」と落ち着いた声で命令した。
ウォルターズはプロである自分がパニックになったことを恥じ、「申し訳ありませんでした」と言った後、冷静な口調で報告を始めた。
「現在、すべての通信システムがダウンしています。艦内および艦外の音声、文字、信号を含むすべての情報媒体での通信が制限されております」
「共通要因故障対応系は?」
彼の問いにウォルターズ兵曹は「CCF系は情報士の権限により、ロックされております……中尉」と泣きそうな顔で答える。
クリフォードは小さく頷き、「了解した。解除の方法は?」と尋ねる。
「通常のシステムは訓練の終了で復旧するはずです。CCF系は情報士権限がないと復旧不能です……訓練の終了は指揮官と情報士の承認が必要になります」
クリフォードは「了解した」と言って、指揮官席に座った。
内部破壊者対応訓練とは、敵勢力に協力する乗組員がいるという想定の訓練である。
戦闘指揮所、緊急対策所、機関制御室、主兵装ブロック、格納デッキなどの重要施設が機械的に閉鎖される。また、CIC以外の制御装置が乗っ取られる危険を考慮し、CIC以外からの操作を受け付けないようになる。
CICで艦の運用を維持しながら、その間に内部破壊者を確保するというのが主な訓練内容である。
つまり、現状ではCICにいるクリフォード以下七名で、艦の運用を行わなければならない。
ちなみにCICが占拠された場合は、緊急対策所にあるメインシステムとは完全に独立している共通要因故障対応制御系を使用して対応する。
つまり、このCCF系により、第二戦闘指揮所であるERCから、艦の運用を行うことが出来る。なお、CCF系の使用には人工知能による戦闘指揮所機能喪失認定と、ERCでの士官個人認証による起動承認が必要であった。
通信系故障対応訓練では、通信系の故障及び工廠作業員の破壊活動を想定し、共通要因故障対応設備以外の情報通信がブロックされる。
本来ならERCにあるCCF系により代替の通信および制御が可能であるはずだが、今回は情報士のキンケイド少佐が事前にCCF系をブロックしていたため、当該設備での通信も不能となっていた。
つまり、現状ではCIC要員以外、システムへのアクセスが不可能であり、あらゆる操作がCICでしか行えず、更に他の乗組員との連絡すら取れない状況であった。
クリフォードは現状を理解するにつれ、キンケイド少佐が何をしたかったのか、余計に理解できなくなっていた。
(少佐は何をしたかったんだ? サフォークが孤立しても何も変わらないが……今はそんなことを考えている時じゃない。どうやって、この状況を脱するかを考えるべきだ)
「ウォルターズ、通信系の復旧手段を考えてくれ。サドラー、RCRでの監視ができない。君が炉の監視と制御をやってくれ」
そして、残りのCIC要員を見ていく。
彼の戦術士席の横に座る兵装制御員は、掌砲手のケリー・クロスビー一等兵曹。彼は三十代前半のがっしりとした体躯のベテラン掌砲手であり、この状況でも落ち着いているように見える。
CICの最前列にいるのは操舵員のデボラ・キャンベル二等兵曹。彼女は操舵員らしく、CIC内の状況にはあまり関心を示さず、艦の制御に集中している。そのため、その表情は見えないが、声を掛けるとやや上擦った声が返ってきたことから、この状況を不安に思っているようだ。
情報士席の横に座る索敵員のジャック・レイヴァース上等兵は、クリフォードを除けば今いるCIC要員の中で一番若く、上司であるキンケイド少佐が起こしたこの事態に大きく動揺していた。
航法員のマチルダ・ティレット三等兵曹は、未だにこの状況が理解できないと首を振っている。荒事には向かない性格のようで、艦長とキンケイド少佐の遺体が近くにあることが気になっている。
通常、CIC要員には数えないが、この他に宙兵隊の隊員、ボブ・ガードナー伍長がいる。彼は屈強な肉体を持つ兵士で、どこからか取り出してきた緊急用の防火シートを艦長らの遺体に掛けていた。
(ここにいる八人で、事態が解決するまで艦の運用をしていかなければいけないのか。というより、士官は僕しかいない。指揮を執るのは僕しかいないんだ……)
クリフォードは指揮官席に座り、コンソールを操作し始める。
彼は当直長である艦長が死亡し、次席のキンケイド少佐も死亡したため、指揮を引き継ぐため、艦の人工知能を呼び出し、指揮権委譲手続きを行う。
(艦長とキンケイド少佐の死亡はAIも認識しているな。現在、システムにアクセスできる士官で最高位は僕ということも認識している。ならば、CICの指揮権を僕にあることを認識させれば……これでよし!)
クリフォードは指揮権委譲手続きを終えると、CICにいる当直員に話し始めた。
「みんな聞いてくれ。モーガン艦長とキンケイド少佐が亡くなられた。現在、システムにアクセス可能な士官は私だけになる。今、AIに私の指揮権を認証させた。システムが回復するまで、私クリフォード・コリングウッドが艦の指揮を執る」
彼の宣言に掌砲手のクロスビー兵曹が「了解しました、指揮官殿!」と敬礼しながら、野太い声で答える。
そのあと、他のCIC要員たちも同じように声を出していく。
クリフォードはそれに頷き、各員に指示を出す。
「全員、それぞれの任務を継続。ウォルターズは通信系の復旧を最優先してくれ。レイヴァースはいつも以上に気合を入れて索敵を行ってくれ。この状況で敵が出てきたら目も当てられない……」
クリフォードの言葉にCIC要員たちに緊張が走る。皆、その可能性を考えていなかったからだが、もし、この状況下で敵と遭遇すれば、圧倒的に不利であると悟る。
(しまったな。今の言い方で変な緊張を与えてしまった)
クリフォードは少し言い方を間違えたと思い、少しおどけたような表情で航法員のティレット兵曹に話し掛ける。
「ティレット兵曹、航法は君に任せたから。僕がやると……この先は言わなくても分かるだろ?」
その言葉に最も緊張していたティレットの顔に笑みが浮かぶ。
「了解しました。お任せ下さい。サフォークを迷子にはさせません」
彼女の言葉にCICの緊張が僅かに緩む。クリフォードは自分の航法の下手さ加減を出汁に、彼らの緊張を解すことに成功した。
「クロスビー、サドラー、こっちにきてくれるか? 他の者は通常任務に戻ってくれ」
クロスビー一等兵曹と機関科のサドラー三等機関兵曹が何のようだろうと考えながら、指揮官席に向かう。
「現状について、意見を聞きたい」
クロスビーが頷き、話し始める。
「兵装については、CICからの制御は可能です。但し、戦闘中のような過負荷が掛かるような状況では保証は出来かねますが」
クリフォードは「了解した」と頷き、サドラーに視線を送る。
「パワープラントについても問題ありません。防御スクリーン及び質量-熱量変換装置についても攻撃を受けない限り、CICからでも制御は可能です」
クリフォードは小さく頷き、「戦闘中はCICからの制御は難しいということか?」と質問する。
「はい、中尉。防御スクリーン、MECが過負荷になる状況では、機関制御室での微調整が必要になります。CICでも対応できないことはないですが、安全率が著しく低下するとお考え下さい」
彼らの言葉を自分なりに整理していく。
(通常航行は問題なしと。戦闘が起こるとして、長期間は難しいが、一応可能か……まあ、敵が出てくるとしてだが……)
考えがまとまったところで二人に小さく頷き、
「了解した。副長が指揮を執れるようになるまで、私が指揮を執る。ベテランの二人にはサポートを頼みたい。何でもいい、意見があれば気にせず言ってくれ」
クリフォードは泰然としたクロスビー兵曹と、機関科のベテラン、サドラー兵曹と落ち着いて話している様子を見せることにより、他の若い下士官兵の動揺を抑えようと考えた。
(この二人は前の戦争で実戦を経験しているはずだ。だから、少々異常な事態になっても落ち着きを取り戻すのが早い。でも、他の下士官、確か操舵員のキャンベルが二十六歳で最年長だったはずだが、七年前の停戦時にはまだ十九歳だし、実戦経験はないはずだ。実際、動揺していた様子も見られたからな……)
彼の思惑通り、CIC要員たちは落ち着きを取り戻していた。
ウォルターズ通信兵曹より、徐々に現在の状況が明らかになっていく。
「……キンケイド少佐は通常の訓練承認プロセスより、上位の権限で申請を行ったようです。具体的には承認者が当該星系最上位士官、すなわち、星系防衛指揮官の権限となっているのです。更に当該星系最上級情報士官による起案となっております。つまり、ターマガント星系のすべての艦に向けて、訓練の命令が発信されています」
「つまり、サフォークだけでなく、哨戒艦隊のすべての艦と通報艦も、ここと同じような状況に陥っているということか」
「はい、中尉。訓練終了、または、通信機器停止の解除には、現時点での星系防衛指揮官の権限と最上級情報士官の権限が必要になります。防衛指揮官権限は、中尉がお持ちですが、情報士官権限は現在、空位の状態、すなわち、誰も権限を持っていない状態なのです」
「……この状況を正規の方法で終わらせる術がないということか」
クリフォードは現在の状況が非常に危険であると、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
(現状では各艦のCICのみが機能している状況だ。何もなければ、各艦の指揮官の判断で動くことになる。だが、これが謀略なら……せめて、艦内、そして、艦隊内の連絡手段を確立しなければ……)
■■■
五月十五日 〇一〇〇
艦長殺害事件から三十分が経過した。
キンケイド少佐の思惑は分からないものの、現状でも艦隊の運行に支障が出ていないため、CIC要員たちも完全に落ち着きを取り戻している。
クリフォードは部下たちを安心させるため、努めて冷静に指揮を執っていたが、内心では強い焦りを感じていた。
(あと二時間ほどで針路を変更する必要がある。当初計画に沿って動いてくれればいいが、この状況で全艦が計画通り動くか不安がある……最悪、通信手段だけでも確保しないと。あれが使えればいいんだが……)
彼の思いはそこで中断された。
索敵員のレイヴァース上等兵の叫び声がCICに響き渡ったからだ。
「ハイフォン側ジャンプポイントに、ゾンファ共和国艦隊らしき艦影あり!」
その言葉にクリフォードは、「現状分かる情報は?」と、静かに尋ねる。
「距離約三十光分。〇・二C。本艦隊との交差角十二・三度。四等級艦一、五等級艦三、六等級艦七。人工知能の解析では、四等級艦は武器級、五等級艦は鳥級の模様……」
「了解した。ゾンファ艦隊の速度、目標を推定してほしい。ウォルターズ、ゾンファ艦隊から通信らしい信号が入っているか分かるか?」
通信兵曹のウォルターズは「確認できません!」と叫ぶ。
「了解した。レイヴァース、ゾンファ艦隊から通信波らしいエネルギーは確認出来るか?」
「……確認できます! 敵四等級艦から我々に向けて、高い指向性の電波が放出されています」
「レイヴァース、まだ敵と決まったわけではない。落ち着くんだ」
「了解しました、中尉」とレイヴァースはやや不服そうな口調で答える。
クリフォードはレイヴァースの態度を気にすることなく、ゾンファ艦隊のことを考えていた。
(まだ敵ではないと言ったが、このタイミングで現れたということは攻撃の意志があってのことだろう。若しくは、こちらの落ち度を咎めるような行動を取るつもりかも……通信が送られているというのが気になるな。この状況で我々に通信を送る理由は何だ? 何の目的か……今、敵と考えて行動する方がいい。撤退できるなら、アテナ星系に戻ることも考えてもいいな)
「ティレット、ゾンファ艦隊をかわしつつ、アテナJPへ転進することは可能か。大至急計算してくれ」
航法員のティレット兵曹が「了解しました、中尉」と答えたのを確認し、ウォルターズに通信系の見込みを聞く。
「通信系の復旧見込みはまだ立たないな?」
「はい、中尉。承認者、若しくは、より上位者の取消が必要です。現在、訓練シーケンス自体の無効化を試みていますが、時間が掛かりそうです」
クリフォードが「了解した」と言ったとき、航法計算を終えたティレットが報告を始めた。
「今すぐ減速に入れば、五十五分後に約五光分の距離を保って、相対速度をゼロとすることが可能です。ですが、敵、いえ、ゾンファ側が危険を犯して加速し、〇・三Cに速度を上げれば、追いつかれます」
「了解。でも、さすがに計算が速いな。私ならあと十分は掛かると思うよ」
CICに微かに笑いが漏れるが、クリフォードはすぐに表情を引き締める。
「全員聞いてくれ! ティレットの報告にあるとおり、今すぐ減速・再加速すれば逃げ切れる可能性はある。だが、味方がついてくるとは限らない。だから、まず、通信手段を確保し、その上でゾンファの思惑をはぐらかす」
撤退出来る可能性があるのに、その判断を下さないことに全員が驚いていた。
だが、クリフォードはそれ以上時間を費やすことなく、自らのアイディアを話し始めた。
「通信手段についてだが、思いついたことがある。対宙パルスレーザーを通信機として使う……」
彼は十ギガワット級対宙パルスレーザーをレーザー通信機として使うことを提案する。
「……パルスレーザーのパルスをデジタル信号として利用する。出力を最小に抑えれば、味方を傷付けることなく通信できるはずだ。クロスビー、パルスレーザーの照射パターンは戦闘指揮所で変更可能か?」
全員が唖然とする中、クロスビーは「はい、中尉」と答え、
「CICの戦術士コンソールで変調回路の調整が出来ます。五分頂ければ、通信パターンに自動調整できるように変更できます」
「よろしい。では、直ちに作業を開始してくれ」
通信兵曹のウォルターズが疑問を呈してきた。
「ですが、他の艦が気付いてくれるのでしょうか? もし、気付かなければ、我々は全滅するかもしれません」
「そうだな。だが、味方を見棄てるわけにもいかないし、他の艦も防御スクリーンに不自然な攻撃が加えられれば、意味を考えるはずだ。それに賭けるしかない」
彼の言葉にまだ納得できないものもいたが、先任のクロスビーが間接的に支持したため、それ以上の意見は出なかった。
「艦内への通信だが、定時放送システムは使えないか?」
定時放送システムとは、食事の開始やシフトの交替の合図など、決まった時間になると音声案内が艦内に流れるシステムだ。音声案内の内容を書き換えることができるため、それを利用しようと考えたのだ。
機関科兵曹のサドラーが「可能です。ですが、一方的な通知にしか使えませんが?」と答える。
「我々が必要なのは、イエスかノーかだ。幸い各制御盤からの情報はCICに入っている。ならば、制御盤の警報試験も可能だろう。それを利用すればイエスかノーかの確認はできる」
「警報試験を情報伝達の手段に……確かにそれなら可能です。艦内放送のメッセージ案を頂ければ、すぐに定時放送システムに入力します」
「文案は艦長及び情報士が死亡したこと、通信が使えないこと、ゾンファ艦隊が接近していることを放送して欲しい。そして、各制御盤にいるものが、それを了解したら、三秒間警報を鳴動させる。了解できない場合は十秒以上鳴動させることも付け加えてくれ」
クリフォードは思い付いた連絡手段を試すよう命じた。だが、この危機的状況を打破するには、程遠い策でしかないと考えていた。