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壱・任務開始――お菓子屋「魔女の心臓」




 虹の迷い込んだ場所は、外界との唯一の入り口――海市蜃(かいししん)桜門(ろうもん)へ続く一本道だったらしい。

 老波(おいなみ)という老人が管理人をつとめるそこは、人間でも容易に入り込める迷宮だという。

 帰りたいと思う者にには出口を示し、帰りたくないと思う者には扉を閉ざし、案内人を誘う。

 虹を見つけたはしばみは、もうそのことに気付いていて彼女を試していた。

 このまま、ずっと帰りたくないと願うのか――それとも、帰りたいと少しでも思い直すのか。

 この世界には、正式な名前はないらしい。ここの住人は好き勝手に「ここ」やら「この国」やらと呼んだりしている。

『一応な、〝黄泉(よもつ)平坂(ひらさか)〟とか呼ばれてんだよ。あと、〝黄泉(よもつ)階段(かいだん)〟ってのもある。まあ、あの世の入り口に近いってんで、外界から来たヤツが勝手に名づけたんだけどな』

 〝黄泉平坂〟と〝黄泉階段〟。不気味な名前だと思ったが、この世界を作った神様の名前が「黄泉」だから、そう名付けられたらしい。

 神様なんて、本当にいるのか――虹が感じた疑問は、誰も答えてくれない。無理に聞くのもどうかと思っていたし、さり気なくその名前を出した時のはしばみとスサの顔がどうにも引っ掛かった。

 まるで、その神の話題を避けているような、感じだった。

「えっと……〝探し屋・六月(うり)一日(わり)〟?」

 渡された和紙に、達筆な文字でそれだけ書かれている。スサの神経質そうな文字は、飾り気なく無機質だ。

『ここはね、いわゆる失せ物探しとかをやってる何でも屋だよ。僕のところはよろづ屋で色んな商品を扱ってる道具屋で、こことは持ちつ持たれつの関係さ。今回は、虹ちゃんにここの所長さん宛の荷物を届けてもらうから』

 スサが差し出したものは、油紙で中身は見えないけれど、持った時の感触から書物のようだと虹はあたりをつけた。

 ずっしりと重いそれは、微かに黴臭い。ごつごつとした触り心地は、高価なものだとわかる。

『君を一人でお遣いに出すのは初めてだけれど、大丈夫だよね? はしばみは今回、別の用事に走ってもらうから、誰も助けてくれないよ?』

『だ、だいじょうぶ、です……』

 至極楽しそうに笑うスサは、心底このお遣いを愉しんでいるのだと虹には痛いほどわかった。

 スサの三日月に歪んだ唇はひどく恐ろしかったが、今更あとには退けない。

『道は……そうだね、この際これもここの道を覚えるいい機会だと思って、周りの店の店主や店員に訊きながら行っておいで。そうしたら、覚えるのも早いだろうし』

 スサは道順を教える気などまったくない様子で、それだけ言ってさっさと二階にあがってしまった。

 あとには呆然と、取り残された虹だけが居間に立ち尽くす。

 先刻、食器も片づけ終わり、一通り家事をこなしたはしばみは、スサの用事を済ませに本当に出て行ってしまった。

 残された虹には、もう味方はいない。救いもなにもあったもんじゃなかった。

 いるのは意地悪にただ笑って見守るだけのこの店の主だけ――彼には絶対、頼ってはいけないと本能が告げる。

「探し屋・六月一日に、よろづ屋・八月()一日(づみ)……変わった名前」

 己が住み込みで働く店の看板を見上げて、腹いせに呟く。

 煉瓦でできた外装とは裏腹に、店の内装は和風で統一されたこの店の第一印象は、『ヘンテコな店』だった。

 三階建ての縦に長い建物を最初に仰ぎ見た時は、どんな異国情緒溢れる内装なのかと期待に胸躍らせた虹だったが、中に入った途端にその期待は打ち砕かれた。

 薬品の瓶が所せましと並んだ場所は板敷で、絨毯さえ敷いていない。剥き出しの床はぎしぎしと踏むたびに恐ろしい音を立てる。勘定場もなく、ただ商品を雑多に並べただけの内装は、虹の知る民家の中とそっくりだった。

 ヘンテコなものが並んでいるだけ、まだ雰囲気はあるにはあるけれど――。

 つんと鼻にくるにおいや、甘いのに草っぽい匂いのする店内は、まるで主の性格をあらわしているようだった。

『どうしても片づけたそばから散らかしやがるからな、スサの野郎は……。だから、俺も店の中は整頓を諦めてんのさ』

 苦笑気味に言ったはしばみの顔が浮かんでくる。

 虹も、店の中は無闇に触るなと言われているので、箒で掃き掃除くらいしかやったことがない。埃が山となった薬品棚の上の方が気になるのだが、もしも不用意に触れて倒してしまったら……と考えると、手を出せない。

 首が痛くなるまで店の看板を眺めていた。

 虹は過去の思い出にふけりそうになる思考を無理矢理抑え込む。

 今は立ち止まっている場合ではない。

「探し屋さんに、行かなきゃ」

 店の名前だけが書かれた味気ない紙と荷物を握りしめて、虹はようやく煉瓦畳の通りへ踏み出した。



【お菓子屋・魔女(ウイッ)の(チ)心臓(ハート)



 昼も間近になった時刻、商店街は俄かに活気を見せ始める。

 早朝には既に開いているはずなのに、商店街の繁盛具合は昼からが本番になる。むっとする人いきれの中、足早に歩き去る通行人は、誰もが楽しげに行き交っていた。

 道行く人を眺めながら、虹は看板を必死に見極めようとする。

 色々な店が犇めきあう商店街は、この世界の流通の要だと、はしばみが言っていた。

 別の世界や次元からも商人が訪れ、この商店街に支店を出す。店を出す人々は老波と特殊な契約をし、自由に黄泉平坂を出入りできるらしい。そして段々と規模は広がっていき、昔の荒野は見る影もなくなった。

 ――ここが、昔は住む者もない荒れ野だったなど、誰が思うだろう。

 左右に肩を並べて窮屈そうにたつ建物は、和洋折衷甚だしい。

 毒々しい桃色の煉瓦造りの店、今にも傾いて倒れてしまいそうな木造平屋建ての店、西洋の塔のような形をした店、四角く箱のような素っ気ない建物の店――他にも色々、虹が見たことも聞いたこともない建物がたくさん立ち並ぶ様は、何度見ても圧巻だった。

 景色を見つめていると、飽きることはない。虹は首を伸ばして看板を見るついでに、建物をぐるりと見回した。ここに住んで一年は経っているはずなのに、何度見ても商店街の光景は虹の目に真新しく見えた。

 通りには、様々な匂いが立ち込めている。薬品をぶちまけたような刺激臭から、なにかの動物の生臭いにおい、摘んできたばかりの野草のにおい――。

「あれ、あなた……よろづ屋さんの新人さん?」

「へっ?」

 色んなにおいが綯交ぜになったものに酔い始めた時、背後から声をかけられ、虹は驚いて振り返った。

 新入りの噂は広まるのが早い。広く雑多に見えるようでいて、狭い情報網は瞬く間に新しい住人の噂を商店街に拡散していく。

 虹の背後、雑踏の中で立っていたのは、虹の知る人物だった。

 〝お菓子屋・魔女の心臓――黄泉平坂支店〟

 桃色煉瓦造りの個性的な店の、洒落た内装は虹の目には眩しすぎた。最初、はしばみに連れていかれた時には始終目を眇めたままだった。

 商店街唯一の甘味を扱うこの店は、別の次元にある国から来た魔女が店長をつとめているらしい。その魔女は滅多に店にあらわれないが、背が高くすらっとした、青い髪の美しい人らしいとはしばみが言っていた。

 虹の振り返った先にいたのは、そのお菓子屋の店長代理で、名前は確か――メアリー=アンといったか。

「こんにちは! 今日は一人ですか?」

 籠いっぱいに鮮やかな色をつけた飴玉を抱えて、虹ににっこりと笑いかける彼女は、とても可憐だった。

 ここの住人は、異形か美形しかいないのか……虹が疑うのも仕方ない。ここに来てから、虹の周りには容姿の整った者しかいないのだ。自分が惨めになるほど、スサもはしばみも――そして目の前の少女も美しい容貌をしている。

 蜜蝋色の髪は緩やかに肩まで流れ、同じ色の瞳は濡れた光を放っている。柔らかい笑みは見ていて心が温かくなる雰囲気を滲ませて、彼女のまわりには花が咲きそうだ。


「昨日入荷したばっかりの新作紅茶なの」

 半ば無理矢理店に引っ張りこまれるかたちで、虹は店の飲食スペースにちょこんと座っている。虹の視線の先に置かれたのは、ここに来てから知った西洋のお茶だ。

 魔女の心臓の内装は外装を裏切らない。どこを見回してもきつい桃色で統一されていて、虹の座る椅子や机も全部桃色だ。机は丸く、表面にはなにやら可愛らしい絵が描かれている。椅子はふわふわで、虹の知らない不思議な布で出来ている。座り心地はすべすべで、ずっと座っていたくなる。

 陶器の茶器――確かティーカップというらしい――に注がれた琥珀色の液体に、恐る恐る口をつけてみる。仄かに甘い液体は、渋い感覚と鼻腔いっぱいに苺と林檎の香りを残して喉を通り過ぎていった。緑茶や煎茶とは違う味に、虹は正直慣れなくて眉間に皺を寄せた。

「うーん、やっぱり渋いよねぇ……ここの人は基本的に日本茶を好むし。紅茶を普及させるのは難しいわ」

「美味しい、とは思うんですが、慣れないとちょっと……渋いですね」

「そこなのよ、問題は! 店長に紅茶を普及させろって言われてるんだけど、日本茶とは違う渋みにどう慣れてもらうかよね」

 どうやら、虹は新作紅茶の実験台にされたらしい。牛乳と砂糖をもう少し追加してもらっていくらか渋みの和らいだものを飲みながら、虹は内心溜め息をついた。

 メアリー=アンは西洋の服――エプロンドレスという服らしい――を翻して、虹の前に様々なお菓子が入った籠を置いた。

 七色に色が変わる飴玉、桃色の綿菓子、豆のような形をした色とりどりの弾力のあるお菓子、西洋の煎餅だというクッキーとビスケット、濃い茶色の砂糖の塊のようなもの――虹が見たこともないお菓子たちが輝いている。

「キャンディーはわかるよね? 豆みたいなのはジェリービーンズ、この茶色のはチョコレートよ」

 メアリー=アンが指差しながら教えてくれたお菓子は、頬張った瞬間すぐに口の中で溶けてしまった。甘く、脳髄がじんと痺れるような感覚がする。一気に体の中が熱くなったような気がして、虹は目を瞠った。

「美味しいでしょう? このお菓子には、魔法がかかってるの。店長が手ずから愛情たっぷりにかけた魔法――沈んだ気持ちや、緊張を解すのよ」

「あ……」

 商店街に並ぶ店は、なんらかの特殊な店だ。お菓子屋さえ例外ではなく、魔女の作るお菓子はすべてになにかしらの〝魔法〟がかかっている。

 がちがちに緊張していた神経が解れて、これから待つだろう苦難に沈んでいた気持ちが明るい方向へむいていく。

「わたし、そんなに暗い顔してましたか?」

「うん。こっちが緊張しちゃいそうなくらい、こわーい顔してた」

 暖かい笑みを浮かべて、メアリー=アンは悪戯っぽく言う。

 彼女が華奢な指を一振りすれば、籠の中のお菓子たちが空中にふわりと舞いあがった。

「またよろづ屋のスサさん、貴女に変な頼みごとしたんでしょう? 元気だして。これ、帰り道にでも食べてね」

「わっ……?」

 メアリー=アンがもう一度指を振る。途端、虹の着物の袂に浮かんだお菓子たちが舞い込んできた。甘い匂いが袂から虹の鼻腔にまで届く。

 虹は見送ってくれたメアリー=アンに何度も何度も頭を下げながら、幸せな気分で再び大通りの雑踏に飛び込んだ。

 ぎっしりとお菓子の入った袂が重い。虹は七色に色を変える不思議な飴玉をひとつ取り出して、口に含む。含んだ瞬間に味を段々と変えていく珍しさと甘さに、虹の口元には自然と緩んだ笑みが滲んでいた。




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