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08  黒に囚われし者

 国王の婚儀の日取りが正式に発表され、俄然王城は慌しくなった。東の国との戦に勝利した後での慶賀であったので、王城や王都は明るい空気に彩られている。

 ただ渦中の人物は、暢気にしてはいられない。当事者の国王は勿論だが、王弟である宰相も実務を一手に引き受ける立場から、通常の執務に加えての婚儀の準備に忙殺される。

 城にも商人の出入りが増えた。


 今回は特に、伝説の娘ではない侯爵家の令嬢を迎え入れるとあって、宰相はぴりぴりしていた。

 王妃となる女性が国内貴族令嬢なので、必然的にしがらみも多くなる。侯爵家自体は、個人的に含むものがあろうとも余計な心配はしなくてもいい。ただ、侯爵家に連なる親類となるとそうはいかない。

 筆頭は公爵家であろう。侯爵家と親しいばかりか、最近養女とした因縁浅からぬ娘は侯爵家の息子と婚約中だ。しかも公爵夫人が――。


「あの人に弱みを握られるのが、こんなにわずらわしいとは」


 宰相には珍しく愚痴も出る。公爵夫人は義姉になる予定の女性の母代わりでもあるし、婚儀に付随しての様々な催しも夫人の意見を無視できない部分がある。

 あの扇子を自在に使いこなす夫人の前に出れば、未だに子供であるかのような落ち着かない気分にさせられる。


「随分と協力的ではないか。夫人の意見は参考になるだろう?」

「ええ、それは」


 社交界を牛耳る夫人だから貴族同士の事情にも明るく、国王や宰相では分からない微妙な繋がりまで把握している。

 式の招待客から夜会の規模まで、伝説の娘だけをお披露目すればよかったこれまでとは違う、故に心配の多い今回の婚儀の準備に不可欠な存在だった。

 あの獲物をいたぶるような眼差しや、思わせぶりな口調さえなければ……。

 宰相は深夜まで執務に追われ、ようやく自室に戻ることができた。

 凝り固まった肩をほぐしながら、用意されている酒に手を伸ばす。伸ばしかけた手は、すい、と常に身につけている剣を握った。


「誰だ」


 警備は厳重なはずの自室に感じる、自分以外の気配。時期も時期だけに捨ておけなかった。耳を澄ませば、兄の国王のいる場所で騒ぎが起きている様子はない。

 必要以上に力まないように、ただし油断はしないようにと剣を握って気配を探る。

 いやにのんびりした口調で、侵入者があいさつをした。


「こんばんは、かつら屋です」


 かつら屋だと? 予想外の人を食った台詞に一瞬動きが止まる。そんな商人に心当たりはなく、呼んだ覚えもない。第一時間帯と場所が非常識だ。

 大声で近衛を呼ばわろうとして、宰相はそれを止めた。

 声の主が、忌々しい記憶とともによみがえる。人を食ったようなふわふわとした金髪と緑と茶色の入り混じった目を持ち、外見は弱そうにひょろりとしているくせに、見かけを裏切る――かつて自分に剣を突きつけた、傭兵。

 宰相は唇を引き結んで、ふざけた侵入者と対峙した。


「何用だ。かつらなど頼んではいない」

「ええと、国王陛下の婚姻にお祝いを述べようかと」

「お前の祝いなど不要だ」

「そう、ですか。これをと思ったんだけど」


 懐から取り出された物に、宰相の眼光が鋭くなる。この世から消し去りたいものの一つが、そこにあった。罪の証になる物が。

 この男ごと葬り去れれば――危険な雰囲気を察知したのか、男の空気が変わる。


「お祝いだと申し上げたでしょう? あんまり欲張らないほうがいいよ」

「お前の祝いなど呪いの間違いだろう」

「それはひどいなあ」


 すっと元の雰囲気に戻る。敵に回したら厄介な傭兵は、足音を立てずに近寄ってきた。

 宰相の握る剣に視線を走らせて、わざとらしく小首をかしげた。


「物騒なものは仕舞いましょう。本当にこれを届けに来ただけなんだから」


 いとも簡単に切り札になる物体を宰相の手に乗せる。

 細長く、精巧で、この世界ではおそらく二つとない品物だ。


「何故手放す気になった」

「雇い主の意向でね。僕はそれに従うだけ」

「雇い主だと?」


 傭兵と雇用契約を、あの娘は何故に結んでいるのだろうと、宰相はいぶかしく思う。

 風と二つ名を持つ傭兵は、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。


「直接の雇い主は彼女じゃない。ある人物に頼まれて彼女の意向を確認して、あとは僕の自主的な働きだ」

「その人物とは誰だ」


 この厄介極まりない傭兵を雇う人物が只者であるはずがない。依頼を受けて自分はともかく、兄に危害を加えられたらたまったものではない。

 場合によってはこの場で切り結ぼうか、と宰相は考える。

 傭兵はやれやれと大げさな溜息をつく。芝居がかった仕草が、宰相の苛立ちを誘うのを充分に計算しているようだ。


「頼まれたんだ。彼女を守り、便宜を図れと。あなたと同じように、黒に囚われた人からね」

「――叔父上、か?」

「あなたと同じ立場でしょ? 誰より近くで、指をくわえているしかなかった男だ」


 反射的に手にした品物、己の罪を記録してある証拠を傭兵に投げつけそうになって、すんでのところで思いとどまる。

 怒りと羞恥が宰相の身の内を荒れ狂う。



 傭兵は気位の高い従兄弟を、興味深く眺める。

 兄である国王しか関心がなく、国王の幸福を最優先する、国王に忠誠を捧げつくした宰相。それゆえに暴走もし、結果娘を危険にさらしもした。

 その根底にあるものは、大公と同じもの。黒に囚われ、その感情をないものとして封じ込めている。

 ――やっぱり、血なのか。


「だから雇い主が、あなた方兄弟を害する依頼をすることは永久にない。ただ、彼女に害がない限りではあるけれど」

「お前という盾を置いていったか、叔父上も死して面倒なことをなさる」

「そんな人でしょ、あの方は」


 気負うでもなく亡き大公を評する傭兵に、宰相は己を取り戻しながら違和感を覚えた。まるで個人的に、大公を知っているような物言いだ。傭兵と雇用主なだけではないのか。

 よくよく顔を見てみれば大公に似ているとは言いがたい。だが。


「ま、人のことは言えないけどね。僕だって彼女の依頼なら最優先で受けてしまうし」


 堂々とあの娘を特別だと言い放つ傭兵は、用はそれだけとばかりに入ってきた窓に向かう。

 宰相は考えるより先に、傭兵を引き止めていた。


「待て。もう少しここに」

「男とおしゃべりする趣味はないんだけどな」

「うるさい。ここまで思わせぶりで、得体の知れないお前をそのまま帰せるか」


 宰相は剣をおさめて、傭兵を長椅子へといざなった。

 



「僕が忠告するのも何なんだけど、暢気すぎない? 怪しさ満載の傭兵と差し向かいなんて」

「殺るつもりなら、とっくにだろう。それに私なら死んでもさほどに影響はない」

「それは自分の価値を知らない、馬鹿の言い草だと思う」


 ご丁寧に酒を押し付けて、宰相は傭兵と奇妙な酒盛りを始めた。

 叔父の亡霊を背負っているのを隠しもしない傭兵は、伝説の娘の――今はただの娘の利益のために動く存在と公言している。

 傭兵の意図を知りたい。ついでに素性もと宰相は思う。腕の良い傭兵なら、こちら側に引き止めておきたい。素性が分かればそれは傭兵の弱点になる。枷になる。

 そんな打算も、純粋な興味とは別に抱えていた。


「そうだな。兄上が無事に婚儀を挙げて、世継ぎが生まれるまでは死ねないか」

「生まれても死ねないでしょう。自分の世継ぎも作らないと」

「興味はないな」


 ちびちびと杯を舐める傭兵は、宰相の無頓着ぶりと自覚していないだろう思いにやや呆れる。

 王位への野心など皆無で、ついでに自分にも関心が薄いらしい。


『――あの兄弟は親の愛にあまり恵まれなかった』


 大公がある時漏らした言葉がよみがえる。王族の親子などそんなものでは、と知ったような口をきいた自分に大公は静かに返した。


『我らは伝説の娘に囚われ振り回されるのだ、娘本人を含めてな』


 多くは語らなかった大公の、その時ばかりは感慨に満ちた表現だったように思う。


 親に愛されなかったから愛する術を知らないのか、自己を肯定できないのか。

 ただ傭兵が口にだすことでもない。相手はいい大人で、拗ねていられるような年ではないのだから。


「神様って意地悪だと思わない?」

「どういう意味だ」

「伝説の娘を国王陛下にしか与えないやり口がね。他の人にも召喚してくれてもいいのに、と思ったことはない?」


 召喚制度への根源的な疑問を突きつけられて、宰相は息を飲んだ。

 その疑問はなぜ召喚がなされるのかという疑問と同じように、当然提議され議論も推論も散々なされて、結局は結論が出ていない。

 国王のためだけに召喚される伝説の娘。


「せめて髪色とか瞳の色でも次代に伝えられれば、その子供とって思えるけど決して引き継がれることはない。あんなに強い色なのに」


 だからこそ特別な色彩であり、憧れて焦がれる色なのかもしれない。

 宰相もそれについては随分と考えた。叔父である大公が、神殿関係者と交わした問答集も読み込んだ。

 ただ神の意思を問う術がない以上、机上の空論にすぎない。

 それに黒ではない色をいただく女性を王妃に迎え、黒をまとう娘は臣下に嫁ぐ。

 もう、考えても意味のない疑問なのかもしれない。


「でもね。僕は期待しているんだ」


 唐突に明るくなる傭兵に、宰相は胡乱な眼差しになる。

 杯を手にうんうんと頷く傭兵は、宰相の方に身を乗り出した。


「彼女が国王以外と結ばれるってことは、今までの原則が覆された、そうなるね。もしかしたら彼女の子供に黒が発現するかもしれない。

 彼女譲りの色彩の女の子だったらと思うと楽しみなんだ」

「――それは、気が早すぎないか」

「それくらいの楽しみがないと。なにせ、彼女を見守る依頼はずっと続くんだから」


 ごちそうさま、と杯を置いて傭兵は立ち上がった。


「あ、そうそう。僕の副業はかつら屋だから、机の中の黒髪でかつらを作ろうか?」

「断る。さっさと消えろ」


 振られちゃったとぼやく傭兵は、音を立てずに窓を開ける。


「もう黒の妄執からは解放されていいと思うんだ」

「――早く行け」


 顔をあげればそこには誰もいない。

 ただ手にした品物と卓の上の酒と杯が、現実だったことを示している。


 宰相は髪の毛をかきあげて、窓の鍵を閉める。

 明日も忙しい。早く休まなければ。

 ただ、やらなければならないことができた。この品物と密かに保管していたはずの黒髪を、もっと安全な場所に移さなければならない。

 どこなら良いだろうかと、宰相はかなり長い間考え込んでいた。






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