07 応酬
「そろそろだぞ、覚悟はよいか」
「はい。――兄上、上首尾にゆくことを祈っております」
「そなたに兄と呼ばれるのも久しぶりだ」」
一人はいかにも楽しそうに、もう一人は呆れと若干の憂慮を含んで、王城の執務室で嵐の到来を待ち受けていた。
近衛が謁見を申し出た人物の到着を告げ、侍従長が扉を開ける。その向こうには団長を後ろに従えた侯爵が、厳しい顔つきで立っている。
全身から発する気に、それまでのいくらか浮ついていた空気は霧散した。
「失礼いたします。急な謁見の申し入れを受諾していただき、ありがたく存じます」
「堅苦しいことは抜きだ。入るがよい」
一礼して執務室に歩を進めた侯爵は、壁際に控える副団長を一瞥した。長椅子に国王と宰相が、反対側に侯爵と団長が座り、副団長は国王の斜め後ろに立っている。
侍従長が人数分のお茶を出した後で退出し、男性ばかりが顔を付き合わせることになった。
「陛下、閣下。此度の件について、恐れながらうかがいたいことがございます」
「申してみよ」
刺すような侯爵の視線にも怯むことなく、国王は発言を赦す。
侯爵は団長をちらりと見やって、話しはじめた。
「祭典で伝説の娘を召喚した件です。息子に王冠を載せて、わざわざ召喚した真意をお聞かせ願えませんか」
「余はな、婚儀を挙げたいと思ったのだ」
「では、あの方はやはり陛下の……」
「最後まで聞け。内々に婚約を取り付けたはいいが、相手の令嬢の望みが自分の兄が先に落ち着くことでな。なんでも、兄とやらには想い人がいて現在は離れ離れになっている。
その娘以外に兄は考えられない。つまり放っておくと、兄は一生独身どころか世を儚むかもしれない。兄が片付かなければ、妹である令嬢も余との婚姻に頷いてはくれぬ、という訳だ」
いきなり持ち出された『秘密の婚約者である令嬢とその兄』に、侯爵は面食らう。
国王陛下としては婚約を交わした令嬢の憂いをなくすべく動いたようだが、それがなぜ馬鹿息子に戴冠なのだろうか。
話が繋がらない侯爵は、辛抱強く国王の話の続きを待つ。
「ならば兄の想い人を連れてきて、兄と連れ添ってもらおうではないかと考えたわけだ。連れて来る手段として、先日の祭典を利用したという次第だ」
「……陛下」
「幸いにも兄の想い人は召喚に応じてくれたばかりか、兄の側にとどまると断言してくれてな。肩の荷がおりたのだ」
「――陛下」
「あとは余の婚約を公にして、婚儀を挙げる。やっとここまで事態が進んだのだ。そなたも安心しただろう?」
傍らの宰相に同意を求めれば、元王弟殿下で現宰相閣下がにこやかに応じる。
す、と一枚の書面を侯爵に差し出した。
「全く兄妹とも揃って頑固というか、信念がかたいというか。まあ、でもあとは父君の承諾をとって、婚約および婚姻の書に署名してもらえればよいところまで来ましたからね。今から婚儀が楽しみです」
侯爵は書面を手に持ち、書かれている内容を目で追う。
半信半疑だったのだろうが、おそらく国王の名の次に記されてある名が目に入ったのか、愕然とした様子で国王と宰相を交互に見やる。書面は力がこめられたのか、わずかにたわんだ。
国王と宰相、団長も辛抱強く侯爵の反応を待った。
副団長もさすがに緊張した様子で、普段は微動だにしない立ち姿が、微妙に両足に交互に重心をかけている。
ぱさり、と書面を卓の上に置いた侯爵は静穏ですらあった。その空気の変化を感じ取って、団長と副団長はすばやく目と目を見交わした。侯爵――前の団長がこの雰囲気でいるのは戦も大詰めの時だ。どうとでも動けるように、感情を抑制し感覚を研ぎ澄ませる。
言うなれば嵐の前の静けさで、大抵はその後で平穏無事に終わったためしがない。
かなうものなら、逃げ出したい。危険を察して肌がちりちりとする団長と、侯爵の前に控える副団長は同じ思いを抱いた。
「――陛下。ここに我が娘の名が記してありますが」
「そうだな、そなたの娘だ」
「戯言、ではないのですな」
「無論本気だ。余はそなたの娘を王妃に迎えるつもりでいる」
比較的長い沈黙の後での侯爵の声は低く、口調は平坦でそれがかえって身を竦ませる迫力を伴っている。
まさか、この場で剣を抜くことはあるまいとは思うが、はなはだ心もとない希望的観測だと団長は横目で父親をうかがう。
一時の衝撃から立ち直り、じわじわと別の感情が取って代わっているのが分かる。
「話になりませぬ」
「不服か? 側室にするわけではない。王妃だぞ」
「娘にとてもそのような大役はつとまりませぬ」
「苦労させたくない親心は分かるが、余も引くつもりは毛頭ない」
対する国王の声音も地を這うようなものだ。一歩も譲らないと伝えている。
宰相は口を挟むことなく静観している。団長と副団長も、静かなる応酬を見守るしかなかった。
「娘と身分に遜色はなく、見目良い令嬢は沢山おります。近隣の姫君もいらっしゃるではありませんか。なにとぞご再考のほど……」
「余はそなたの息子に伴侶となるべき存在を奪われた」
侯爵の言葉にかぶせるように国王が発言し、場は水を打ったようにしん、とした。
団長はわずかに肩を揺らし、宰相は感情のこもらない眼差しを団長に向ける。
「奪われたというのは語弊があるな。余が至らなかったのだから仕方ない。だが、此度は譲らぬ。余はそなたの娘ならともに手を取り歩んでいける、と確信したからこそ求婚した」
力みもなく紡がれる国王の言葉に、侯爵は膝の上のこぶしを握りしめた。
宰相へと向けた視線は受け流され、次に息子の団長を睨む。
「お前は知っていたのか」
「召喚が終わった後で、父上のもとに赴く前に教えていただきました」」
「なぜ領地に来た時に知らせぬか」
「秘密にするのは陛下のご意向でした。ご自身の口から父上に伝えたいとのことでしたので」
ぐっと言葉を飲み込んだ侯爵は、今は少なからず非難をこめた表情を見せている。
用意周到に張り巡らされた計画の是非は自分にかかっている。崖っぷちに立たされたことを侯爵は悟った。
署名しなければ不敬であり、署名すれば恐れ多くも自分の娘を国王に添わせることになってしまう。
ここで拒否すれば、王位簒奪を含めた息子の不祥事を追及されるは必至。召喚された娘を帰すとしても次は秋の祭典になってしまうし、帰還させるためには馬鹿息子を再び一時的とはいえ国王に据えなければならない。
知らないうちになされた召喚は今更どうしようもないが、知ってしまったからには二度目の戴冠など容認できるはずもない。
自分の意向で娘と息子の二人ともが涙を飲むことになる。加えて陛下と伝説の娘にも影響を及ぼす、となれば。不安そうな黒い瞳が脳裏をよぎる。
「ここに参上した時点で、私になす術はなかったのですか」
「そなたが相手だ。めぐらせる策は多いに越したことはない」
決定的な弱みを握られてしまった以上、侯爵にできるのは仰々しい書面に自分の名を書き加えることだけだった。
手に持ったペンを忌々しげに、しかし流麗に動かして侯爵は署名を終えた。
「これで婚約を公にできる。これよりそなたは余の義理の父、舅になるのだな。よろしく頼む」
「陛下。もったいないお言葉にございます。我が娘こそ至らぬことが多いでしょうから、どうぞ、よろしくお願いいたします」
あからさまにほっとした様子の国王は、書面を宰相に渡し顔をほころばせた。宰相は書面を大事に仕舞うと、おおまかな今後の流れについての打ち合わせへと移った。
婚姻の準備には公爵家も協力すること、団長と娘の婚儀については国王の婚儀がかなり先のことになるだろうから、早く行って構わないこと。娘は公爵家の養女身分で嫁ぐことなどが確認された。
「落としどころとしては理想的です。侯爵殿が縁戚となってくれれば、この上なく心強いですから」
宰相はにこやかに言うが、目は皮肉げにすがめられている。
心強い――実際は今まで以上に励めとの無言の圧力が感じられる。
もとより忠誠を尽くすのに疑問を持ったことはないが、これまで以上の働きを求められるとなると、と侯爵は嘆息する思いだった。
今後、気が休まることはないだろう。そんな予感がする。
「でもすんなりと事が運んで安心しました。成り行きによっては、伝説の娘を侯爵殿の養女にするか、いっそ侯爵殿にめあわせようかとも思っていたものですから」
宰相の発言に、侯爵と団長がそろってぎょっとする。宰相自身は澄ました顔だ。
「侯爵殿なら養女にすればけっして悪いようにはしないでしょうし、父親としても夫としても守り抜いてくれるでしょうからね」
何かごねればそちらの策を取る――侯爵の養女にすれば、義理とはいえ兄妹になる団長とは娘は婚儀を挙げられない。万が一王命で侯爵との婚姻がなされれば、さらに禁忌の意味合いの濃い義理の親子の関係になる。
これも国王と宰相が侯爵家に売りつける恩の一つだ。
未来永劫、頭が上がらない。上げるつもりもないが。
話が済んで侯爵は団長と、国王に請うて赦されたために副団長も伴って別室へと落ち着いた。どかりと無言で長椅子に座る侯爵の前で、騎士団の頂点にある二人が神妙な顔をしている。
しばらくして侯爵が口を開いた。
「私が今、どんな気持ちか分かるか?」
怒っている。それ以外にはない。たまらなく恐ろしく、居たたまれない。隠しもしないから、団長も副団長もかつての上司に声がかけられない。
侯爵はなおも二人を見据えたまま、続ける。
「この感情と、どう折り合いをつければよいのだろうな」
瞬間、そろってごくりと唾を飲み込む音を聞いた。
侯爵は何もしていない。ただ座っているだけだ。それでも二人は侯爵から剣を突きつけられている気がした。
「馬鹿息子の首を落とすこともかなわない。娘はよりによって国王陛下と。指導して育てたはずのお前達は、陛下を止めもせずに大罪に加担する。
なあ、私は今の思いをどこにぶつければいいのだ?」
どこにもなにも。
ぶつけるところなど決まりきっている。
恐る恐る侯爵をうかがえば、微笑すら浮かべて二人の方に若干身を乗り出していた。
「なに、命は取らぬ。顔も形を変えることはないだろう。ただ――私の気が済むまで付き合ってくれれば、それでいい」
団長時代の侯爵は厳しく、それでいて辛抱強く団員に付き合うことでも有名だった。こと鍛錬においては気は長いほうで、じっくりしっかり指導するのを旨としていた。
侯爵の長所は、そのまま二人の苦難が長く続くことを意味する。
久々に肉体的に鍛えられそうな予感、いや、確定的な未来は二人を明るくは照らしてはくれそうになかった。
後日盛大に国王の婚約が発表され、少し遅れて侯爵家でも跡継ぎとなる騎士団長の婚約が発表された。二重のおめでたに侯爵は至るところで祝福を受け、その度に口の端を少しあげた。
団長と副団長は、一時揃って体調を崩し大いに心配されたが、職務に復帰した後は一層の働きを見せる。
国王と団長の婚約者達は仲良く婚儀の準備をすすめ、公爵夫人は大いにそれを楽しんだ。