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06  壁

「父上、聞いていただきたいことがあります」

「久しぶりだが、元気だったのか。東は落ち着いたのか」

「はい」


 緊張をみなぎらせて父に臨む団長の前で、侯爵で前の騎士団長でもある父親は端然と座っている。自身も東から慌ただしく移動した北の砦より戻って、領地の民の嘆願書などに目を通しているようだ。

 ずっと越えたくて、越えられなかった存在を目の前にして、団長はおそらく生涯最大の対決に身を置く覚悟だった。


 髪に白いものが混じり、額に皺が刻まれていてもその眼光の鋭さは変わらない。

 大きく強く畏怖と尊敬の対象であった父親は、長じて騎士団にはいるとますますその度合いを強めた。実子であっても容赦しない、むしろ騎士や従騎士、従者の自覚を促すかのようにひときわ厳しく当たられた。

 鍛えてもらったから、今の自分がある。

 肉体的や職務上では一応めがねにかなったかもしれないが、今から述べることはそんなものが消し飛ぶほどの威力で父親の失望を買うのだろう。むしろ憤怒を買うのかもしれない。


「先日、王城にあがりました」

「陛下と閣下は」

「ご健勝です」


 短いやり取り、余計なことは言わずに本題に入れと、眼差しで促される。

 こぶしを握り、深呼吸して切り出す。


「伴侶をめとりたいと思います」

「誰だ」

「あの方――あの人です」


 書類をめくる手が止まり、苛烈な視線が注がれる。名を出さずとも通じる特別な存在。

 ゆっくりと書類を机に置いて、父親が椅子に座りなおした。


「冗談か」

「本気です」

「なお、悪い。第一、あの方なら戻られたはずだろう」

「先日の祭典のさなかに、こちらに召喚されました」


 どんどん声が低くなり不快を伝えてくるが、こんなところで怯むわけにもいかないと団長は父親から目をそらさない。心配しながら王都で待っていてくれている存在を思えば、なにほどのこともない。

 父親は今の会話に引っかかりを覚えたのだろう、確認をとってくる。


「では、陛下のお相手としてだろう。お前は一度ならず二度までも横恋慕を公言するか」

「あの人は陛下ではなく、私の伴侶として召喚されました」

「それは。召喚ができるのは国王陛下ただお一人の――」

「私は一時的に王冠を戴きました」


 木の擦れる音がして、椅子がいささか乱暴に後ろに引かれる。流れるように立ち上がった父親が、腰の剣を抜きかけていた。


「お前は、なんということを」

「陛下と閣下のご意向です」

 

 首筋にひたりと当てられた剣先が、父の本気を伝えてくる。

 国王の伴侶に懸想したよりなお悪い、一時的とはいえ王冠をかぶり国王になったと告白されたのだから。れっきとした反逆であり、王位の簒奪であり、僭王が目の前にいるこの馬鹿息子なのだから。


「何をお考えか。だが、お前もうかうかと乗りおって」


 ぐっと父の手に力が込められる。剣の圧力がじわりと首に食い込むのを感じた。

 こうなっても仕方ない、おそらくこうなるだろうと半ば予想していた展開だが、ここで命を差し出すわけにはいかないと団長は間近の父親を睨みつけた。


「本意ではなかったとだけ。私が死ねば、あの人は戻れなくなります」


 すばやく言葉の意味を理解して、父親は苦い顔になった。

 国王陛下と王弟である宰相閣下が絡み、実行された召喚ならば翻すことができるのもこの二人だけ。馬鹿息子を斬り捨てたくても、存在自体が伝説の娘を元の世界に帰還させる鍵となればかなわない。

 侯爵の中では主として息子への、そして高貴な二人への怒りが渦巻いているように思えた。


「そろいも揃って……。あの方は今、どちらにおられるのだ」

「妹とともに、叔母上のところです」

「――すぐに王都にあがる、お前も来い」


 執事を呼んで留守にする旨と、不在の間のあれこれをてきぱきと告げる侯爵をよそに、団長は今しがたまで剣を当てられていた首筋をなでる。ぴり、とした痛みとともに、指先に薄く血がついていた。

 国王陛下には勿論、宰相閣下――あの時は殿下であった方々にもさしだした首だが、さっきほど落ちる予感しかしなかったことはない。


 それにしても、と団長は陛下の配慮に感嘆する。

 本意がどこにあるか分からないにせよ、うかつに自分に手出しできないように条件を整えて召喚を施す。何重にも恩を売り、何重にも枷をつける。

 これで侯爵家は最後の一人になるまで、忠誠を尽くすことになる。


「何を呆けている。行くぞ」


 間近で言われて我に帰る。いかにも身軽に父親が出て行こうとしていた。

 ふと立ち止まり、相対する父親の視線は鋭い。


「この、馬鹿が」


 忌々しげに呟かれ、次に腹に衝撃を感じた。

 拳がかためられて腹部にめり込んでいる。ぐう、と肺から声が絞り出され鈍く重い痛みが腹部に集まってくる。

 かつて彼女への想いのたけを告げた時の再現のようだと思いながら、団長はよろめく体を必死で支えた。ここで膝をつくわけにも意識を失うわけにもいかない。

 今度こそ、彼女を公に手にしなければならないのだから。

 必ず帰ると約束したのだから。


 渾身の一撃を見舞っても、よろけはしても倒れなかった息子に、侯爵は感慨を抱く。

 なるほど、本気なのだと。

 ここで倒れるような無様な息子なら、死なない程度に転がすつもりだったのだが。

 成長とみるか、無謀とみるか。親馬鹿が入れば前者だが、そうも言っていられないと侯爵は表情を引き締めた。


「行くぞ」

「――はい」


 苦しげだが返事をよこし、自分の後を付いてくる馬鹿息子に構わずに侯爵は厩へと急いだ。二頭用意させてきぱきと鞍を置き、手綱をとって親子は馬に乗った。


「行ってらっしゃいませ」


 馬丁の見送りに頷いて馬首をめぐらせる。

 できるだけ早く王都へ、王城に赴いて陛下の口からこの馬鹿げた顛末をうかがわないと。事によっては、と物騒なことを考えつつ侯爵は馬を急がせた。



 娘の方は涙の侍女と、満足げに微笑む公爵夫人に迎えられていた。


「お元気そうでよかった」


 もう侍女ではないと、泣き笑いの彼女に抱きしめられながら娘は自分も背中に手を回す。公爵夫人が口元を扇子で押さえて、目を細めた。


「嬉しいこと。娘が増えたわ」


 首をかしげるとまだ正式ではないが、と前置きされて公爵家の養女になる話があるのだと聞かされる。こんな話が一朝一夕に成立するわけはない。おそらく国王が時間をかけて準備したのだろう。

 なぜ、そこまでして、ましてや団長を仮の国王にしてまで自分を喚びよせたのか。

 事情がのみこめない娘は、抱きしめられるままになっていた。


「あとで紹介するけれど、あなたにとって弟になる三人とその父親が早く会わせろとうるさいの。男ばかりで華やかさに欠けてつまらなかったけれど、可愛い姪に加えて娘もできるとなれば、楽しみでたまらないわ」


 明日から礼儀作法や貴族の奥方としての心得をおさらいするから、と上機嫌の公爵夫人に宣言されて娘はかすかに頭痛を覚えた。

 彼が、団長が戻ってこないことには無駄な授業になるかもしれない。ただ、それは口にはできなかったが。



 驚くほど早くに侯爵と団長は王城に着いた。くたびれた身なりを整え、早々に謁見の申し込みを行う。

 侯爵はその返事がくるまでの間に、亡くなった妻の妹の嫁ぎ先である公爵家へも乗り込んだ。


「どうして厄介ごとに首を突っ込むのだ」


 妻と違って積極的で華やかな義理の妹は、侯爵の迫力にも動じずに鼻をならした。

 側でははらはらと成り行きを見守るしかない、若い面々が揃っている。


「自分から首を突っ込んだわけではなくてよ。陛下から是非にとのお話をいただきましたし、宰相閣下からも、ねえ」


 ほほ、と笑いながら扇子を気だるげにあおぐ公爵夫人に侯爵はぐ、と罵倒の言葉をのみこんだ。社交界の女狐、との異名を持つ公爵夫人に正面から戦いを挑んでも無駄なことは、長いつきあいで分かっている。

 侯爵は矛先をかえることにした。


「お久しぶりです。こたびのことは本気ですか。本気でこの馬鹿息子と添うおつもりか」


 自分の娘にぎゅっと手を握られている黒髪、黒い瞳の娘に話しかける。

 言葉を交わしたのはもう数年前になる。王城で、息子の命を脅かして別れを強制したあの時以来の再会だ。

 歴代の王妃がまとう色、その瞳がまっすぐに刺し貫いてくる。


「はい」


 短い、迷いのない、肯定の言葉ははっきりと響き渡った。

 そんな娘を見やり、公爵夫人が問いかける。


「お義兄様は反対ですの?」

「当然だろう。陛下に合わせる顔がない」

「そんなことはないのだけれど。まあ、陛下とご面会なさればよろしいわ。私としては可愛い娘が二人、側にいてくれるからなにも言うことはないですし」


 着せ替えとか買い物とか女性らしい公爵夫人の楽しみに付き合わされるのだろうと、楽しげな口調が物語っている。

 やっぱり娘はいいわねえ、とはしゃぐ公爵夫人の声に頭痛さえ覚えそうになり、侯爵は説得を諦めた。


「陛下にお会いして、この茶番を終わらせてみせるから、頼む、その間だけでも大人しくしていてくれ」

「お父様」


 自分の娘によばれ侯爵は目を瞬かせる。侍女を辞めたと簡単に手紙をよこしたきり、叔母のもとに身を寄せた娘は茶色の瞳を揺らしていた。

 何か告げたいけれど告げられない。そんなもどかしさを有しているようだった。


「陛下が戯れでなさったことではないことは、お含み置きください。そして、あの、何を聞いても逆上なさらないで下さい」

「いったい、何の――」


 問い詰めようとした侯爵を夫人がさえぎった。


「そろそろ屋敷に戻っていなければ、陛下の使者と行き違ってしまうのではなくて?」


 正論だったのでしぶしぶ腰を上げた侯爵は、団長を伴って夫人の屋敷を辞去しようとした。その背中に声がかかる。

 振り返れば、黒髪の娘が不安そうに立っていた。


「私がこの世界にも、国にも、彼にも相応しくないのは分かっています。でも――」

「むしろ相応しくないのは馬鹿息子の方だ。貴女が駄目なのではなく、理を捻じ曲げようとする強引さに対して反発を覚えているから、私は反対しているのだ」


 謁見の結果次第では一人取り残されることになるかもしれない娘に哀れを覚えながら、できるだけ優しく侯爵は話しかける。

 あの時は馬鹿な夢を見そうになった。今回はそれが現実味を帯びてしまった。

 彼女が義理の娘になるかもしれない未来は、しかし厳しい道だろうと感じる侯爵は真意をただし、場合によっては全てを正常化するつもりで屋敷に戻り、王城へと登った。

 





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