表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/21

05  手にしたぬくもり

 腕の中にして存在を確かめても消えてしまいそうで、なかなか抱擁を解けなかった。

 離れていたのは二年半。ただもう会えないと覚悟していただけに、長かったような過ぎてしまえば短かったようなと団長は不思議な感覚を抱いた。

 どれくらい長く口付けたか、かくんと膝の力が抜けたような娘を慌てて支えなおす。


「もう、会えないと思ってた」


 おずおずと背中に回された手に服を握られる感触は、甘やかな束縛になって情けないが動けなくなってしまう。

 胸に頬をよせられて、そのまま上目遣いで見つめてくるのは反則だと思う。黒い瞳は間抜けな自分の表情がよく映る。興奮と欲望をはりつかせた自分の顔を見せつけられて、どうしていいか分からなくなる。

 いや、すぐにでも――。

 浮かぶ浅ましい欲望をどうにか自制して、ようやく団長は少し冷静さを取り戻した。


「これから、父に報告する」

「――はい。私も一緒の方がいいなら」


 いや、と団長は首を横に振る。最悪流血沙汰になるかもしれない事態を目撃させるわけにはいかない。少なくとも殴られるだろうし、第一、領地まで連れて行くのも色々な意味で差しさわりがあるだろう。


「王都で待っていてくれ」

「でも、もう、あんな思いはしたくない」


 待っていてくれと約束して、結局果たされなかったことを思い出したのだろう。娘の顔が曇る。

 なだめるために背中に手を当てながら、深く傷をつけたのをすまないと思う。


「あの時とは状況が異なる。説得の必要があるのは父一人だ」


 国王陛下と宰相閣下、その二人に赦されたというよりはお目こぼしをされたような状況は、今もって信じがたい。

 一時とはいえ頭上に王冠を戴いたのだから、その点だけでも父が逆上してもおかしくない。国王の伴侶を掠め取った以上の不敬を犯したのだから。

 それでも失う恐怖は去らないのか、娘はなかなか首を縦には振らない。ようやく、叔母の公爵夫人のところで身を寄せている妹と待ってもらうように説得がすんだ。

 諸々を神殿にいるはずの神官長と詰めようと探している最中に、娘がぽつりと呟いた。


「手紙を書きたいです」

「手紙?」

「あっちの、従姉妹に。今日のうちなら品物は届くはずだから。急に消えたし、あの、帰らないって伝えないと」


 決意を滲ませた内容に胸が詰まる。こちらで生きていくことを決めてくれたのは、裏返せば元いた世界には戻らないと覚悟して

くれたことになる。この事実は、重い。

 ――絶対に死ねない。一人残すようなことにはさせられない。

 今度こそ、守り抜く。

 その決意をこめて、団長は再度娘とつないだ手に力をこめた。



 神官長の部屋を訪れると、にこりと笑って部屋に通される。

 歴代の神官長の部屋は、以前に入った時と様子が異なっている。内装はそのままだが、贅沢な調度が姿を消している。代わりにおびただしい本が棚を埋めていた。


「今後の方針は定まりましたか?」


 親戚筋の公爵夫人のところに預けること、自身は領地の父親の所に話をしに行くことを伝える。娘が手紙を書いてそれをあちらに届けて欲しいと頼むと、神官長は頷いて承諾した。


「ではさっそく、手紙を書いていただきましょうか。公爵夫人のところにも使いを出しましょう」


 娘が言葉を選びながら手紙を書いている様子を、神官長は興味深げに眺める。その文字に関心があるようだ。召喚の日には解読のできるそれらも、過ぎれば不思議な模様になる。

 やがて書き上げた手紙を、神官長は大事そうに受け取った。


「確かにお預かりいたしました。道ができているので届けるのは容易と思います。すぐに始めましょうか」

「従姉妹が心配していると思いますので、よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げる娘に微笑みかけて、神官長は召喚の間へといざなう。

 神官長の後ろをついて歩きながら最後の儀式になるはずのそれを、神官長はどのような思いで行うのだろうと団長はふと関心をよせた。

 神殿の重要な存在意義であったはずのそれが、今後は失われる。これまでの経緯を考えればやむをえないとはいえ、知識や伝統、自尊心やよりどころを失うに等しい行為だけに心中はさぞ複雑だろう。そういえば、と団長は娘に顔をよせた。


「あなたの帰還の呪についてだが」

「消します」


 迷いなく言い切られて、それ以上何も言えなくなる。


「俺が領地から戻ってからでもいいのだが」

「――いいえ」


 呪を記録した物が入っている手提げのようなものをそっと撫でて、なんでもないことのように微笑まれる。

 手紙を届ければ召喚の間は閉じられる。誰にも手出しをさせないとされれば、陣そのものも削られてしまうかもしれない。そうなれば、この地に、この世界に否応なくとどめおくことになる。

 もう戻れない。――戻さない。

 浅ましい歪んだ独占欲が首をもたげる。全く神聖な神殿での考えにそぐわない。

 今は、側にいてくれる彼女を悲しませないことだけを考えればいい。華奢な手を握り、必ず父の説得を果たそうと心に決めて団長は荘厳な廊下を歩いていく。



 帰還の陣の中心においた小さな白い封筒は、神官長の呪と続いて起こった白い光の消滅と共に姿を消した。

 なおも集中しているのか、珍しく眉間に皺をよせてきつく目を閉じていた神官長は、ほうっと息をはいていつもの穏やかな雰囲気に戻った。緊張した面持ちの娘に一つ、頷く。


「先方に届いたようです」

「ありがとうございます」


 封筒の中に手紙と異物を同封したので、どうだろうかと心配していた娘は安堵する。

 都合をまるで考えない再びの召喚を思い返し、不本意ながら依頼主となった団長を盗み見る。

 これから最大の障害になるはずの、父親の侯爵と対峙しようとする自分の――。


「では、こちらの部屋で迎えをお待ちください」


 小さな部屋に通されて神官長は姿を消した。春の祭典のさなか、神官長のやるべきことは山ほどある。そんな中で召喚の間に気を満たす儀も行わなければならなかったのだ。しかも秘密裏に。

 多忙な中での変則的な再召喚を執り行ってくれた神官長には、いくら感謝してもしたりない。神官長は気持ちを汲んでくれたのか穏やかに目を細めた。握手を交わし、神官長が去った後で二人きりになる。

 娘は座った後で小さな平べったいものを取り出した。以前見たものとは大きさや色が異なっているが、どうやら帰還の呪を記録したもののようだ。

 あちこちに指先を置いて、最後まで迷うような様子もなく操作を終えた。

 もう一つ、更に小さなものにも操作を施して、ふわりと笑う。


「これで、もう帰れません」


 横で見守っていた間中、息を詰めていたことに気付く。

 土壇場で呪を残すのではないか、消すのをためらうのではないかとどこかで疑っていた自分を恥じる。

 こんなに真っ直ぐな気持ちを、自分などに寄せてくれていることに泣きそうな心持ちだ。


「……必ず、あなたを」


 こちらに残ったことを後悔させない。できうる限り幸せにする。

 決意をこめて娘を抱きしめる。大人しくおさまる体。鼻をくすぐる香り。

 頬から耳にさまよう手が小さな硬い感触を捉えた。耳にあるそれはこちらの言語を伝える神殿特製の耳飾だ。耳たぶごと指で挟んで弄ぶ。


「――」


 自分しか知らない名を呼べば、耳たぶが赤く色づく。少々恨みがましい眼差しを向けられて。きっと口元はだらしなく笑み崩れているに違いない。

 そろりとよこされた指先が、自分の頬の輪郭をたどる。


「ほんもの」


 同じような恐れを抱いていたのだと、いまだに現実なのか判じかねていると、そのみじかい言葉は伝える。


「ああ、現実だ。それから、これも」


 唇をおしつけ何度も柔らかな感触を味わう。舌先で唇をなぞって口腔内まで深く繋がる。ずっとこうしてみたかった。

 必死にすがってくるのがいじらしくて、さらに追い詰めたくなって、膨れ上がる欲望はとどまることを知らない。

 

「……ん、ぁ……っ」


 息が苦しいのか性急すぎるのか、ぎゅっと服を握り締めている手が震えている。くぐもるような声も残らず取り込んで、ようやく唇を離すと潤んだ瞳が揺れていた。

 首に腕をまわして抱きしめられる。


 やっとこの手にしたと、満ち足りた喜びがじわじわと沸き起こる。

 唇を首筋にすべらせたところで公爵夫人の使いが扉を叩いたのが、なんとも興ざめだと団長は溜息をついた。



 そして領地に赴いて、父親から渾身の一撃を受ける羽目になる。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ