04 国王の想い
国王がなぜか視界に侍女が入ってくるようになったのに気付いたのは、しばらく後のことだった。身支度を手伝う際にふと手が触れたり、食事の時にお茶を供する手や伏し目がちな表情など、ふとした折におやと思う。気付けば侍女を目で追っていた。
侍女は特に何をするでもない。礼儀正しく、折り目をつけて接している。踏み込んだ話をするでもなく、感情を表にも出さない。ただ何となく雰囲気が変わったように思えて、国王は引っかかりを覚えた。
「なにか気になることでもあるのか? 団長のことなら……」
「兄は覚悟ができているはずですから」
一番の気がかりだろう兄のことを話題にすると、侍女は達観したように応じた。
覚悟とは死ぬことだろうと、東での団長の様子を思い浮かべながら国王は頑固者めと腹立たしくなる。死んで事態を収められるはずがないのに。何故死に急ごうとするのか。
「そなたもただでは済まないと承知の上か?」
「父も、私ももとよりそのつもりです」
あまりにも静かに言われたために、国王はとっさに反応できなかった。
侍女がとっくに覚悟を決めていると、ようやく気付いた。公にすればまず侯爵と妹である侍女も無事ではすまない。団長は責を自分一人にと願い出てはいるが、妹は咎が及ぶのも折込済みか。だが、この間話していたではないかと国王は侍女に問いただす。
「そなたには好いた相手がいるのだろう? 覚悟が実現すれば、想いも散るのだぞ」
「かなわぬ相手で、私の気持ちも知るはずもありませんので」
伝えるつもりもなく、団長に殉じるつもりなのだ。
侯爵と団長の身辺整理の様子は、宰相の王弟から聞き及んでいる。一家揃って頑固者か。石のような忠義は得がたい。が、穏便に収めようとしている努力を無にする気かと、国王は次第に苛立ちを覚えた。
「そなたの好いた相手とは誰だ。せめて想いを告げるくらいはしてもよいのではないか?」
かなわぬと知っていながらそれでも想いをぶつけた経験なら、自分にもあると国王は振り返る。ひざまずいて全身で相手を請うた、あの胸がきしむような切ない想いを侍女は封印したまま諦めようとしている。
珍しい恋の話題に侍女は戸惑いながらも、ゆるゆると首を横に振った。
告げられるはずはない。そんなことはできはしない。
「――できません」
それだけを呟いて侍女は国王の前から退出した。うつむいた顔に涙があったように見え、国王は泣かせてしまったかと後味が悪かった。
あれほど想いながら告げないとはどういうわけだろう。
侍女の泣きそうな顔が頭にちらついて、国王は落ち着かない。執務の休憩時に、何の気なしに宰相に話を振った。宰相は国王からの話を聞いて、顎に手をやって考え込む。
「断罪を待つ心情であれば、告白してもどうにもならず相手に迷惑なばかりでしょう」
侯爵令嬢であれば身分のつりあう許婚がいてもおかしくないが、侍女にその気がなかったことは以前団長から聞かされていた。侍女本人に咎があるわけではないのに、と溜息が出そうになる。
「彼女の想い人とは誰だろう」
「さて、本人が諦めているのですから相手を追及するのは無意味でしょう。それより、団長の件はいかがされるおつもりなのですか?」
至極真面目に問われて、国王はぐっと詰まる。
断罪するか否か。赦すか赦さないか。
「私は陛下の判断に従います」
個人的には含むところが多々ある、とにおわせながら宰相はそれでも国王に全てをゆだねた。国王の判断で、宰相は淡々と対処するだろう。処罰対象が一族郎党に及ぶことになってもだ。
脳裏には様々な顔と出来事が浮かんでくる。団長、娘、侯爵、侍女。大公の手記もだ。
――物事の裏を読め。
「――褒章は与えぬ代わりに処罰もない。不問に付す」
「……御意」
短い中に色々なものを含んで宰相が応えた。国王は決断した。正しい選択かどうかは分からない。後悔することがあるかもしれない。
ただ今後得るものと失うものを天秤にかけたなら、不問に付すことで得られるだろうものの方が大きいと判断を下した。
それだけのこと。
「これで安心してくれるだろうか」
呟きは国王にしか聞こえない。
侍女はふう、と溜息をつく。感情の制御がうまくいかないのを自覚している。ふいに泣きたくなって、そんな自分に嫌気がさす。陛下から兄のことが持ち出されていよいよだと覚悟を決めた。
いつ、投獄されても処刑されても受け入れようと思っていたのに、聞かされたのは思いもよらない沙汰だった。
「不問、ですか」
「罪の自覚だけあればよい」
寛大な、寛大すぎる裁定にその場に崩れそうになる。これがどれだけ非常識な判断か。過去にはさらし者になりながら、悲惨な最後をとげた例もあることは知っている。係累も罪に問われ、全てを失ったのもだ。
ある種の見せしめでもあり、同様の愚挙を犯さないための抑止力になっていることも。
それを不問に付すとは。
「本当に、よろしいのですか」
「決めたことだ。覆しはしない」
部屋着に着替えてくつろぐ国王は、ずっと頭を悩ませていた重荷をおろしたせいかすがすがしく見える。侍女は国王の前でひざまずいて手を額に押し頂く。感謝と、想いをこめて手の甲に接吻した。
「陛下の寛大なお心遣いに、必ずお応えいたします」
両手で包み込んだ国王の手は温かく大きい。本来なら剣を持って兄を斬っていて当然の手を、侍女は抱きしめた。
国王は侍女の感きわまった様子をやや戸惑いながら見下ろす。
顔を上げた侍女は目に涙が光っていた。
「そなたに罪のあることではない。今後も仕えてくれればありがたい」
「私は、私の家は必ずや陛下に心からお仕えいたします」
――陛下がどなたを娶ろうと、慈しまれようと。
言葉にできない想いの代わりに涙を流しながら、侍女はぎゅっと手を握り締めた。
国王は侍女を立たせて涙を拭う。泣き笑いの表情を見せた侍女に、どきりとした。
先ほどよせられた唇の感触も思い出されてなんとも落ち着かない。深々と礼をして部屋を出た侍女の後姿を眺めながら、穏やかならざるものを感じていた。
これで侯爵家には憂いはなくなった。侍女も、はばかることなく想い人とやらに想いを告げられるのだろう。傍目からは現国王への忠誠心に厚く、王家からの信頼も得ている一家の娘で気立てもよければ器量もよい。引く手あまただろう。
幸福な婚姻をするのは、国内の安定のためにも望ましいことではないか。きっと幸福な家庭を築くだろう。
そう思いながら、何故かそれが面白くない。小さい頃から知っている妹のような存在が遠くにいきそうだからか。想う相手がいると大人びた佇まいを見せたからか。
諦めを宿しながらも、抑えきれない熱を孕んだ瞳を見たせいか。
「なぜ、気にかかる?」
ひとりごちても答えはない。
侍女は叔母に簡単に報告をした。身の振り方を真剣に考える時が来たと思ったからだ。
罪を問われないとはいえ、兄はとても婚姻を考えるような状況ではないだろう。自害は国王から禁じられてはいても、彼女以外の人を考えられようはずもない。
なら侯爵家を継ぐのは、自分の子供ということになるだろう。
「以前に婚約のお話があった方とやり直す?」
「いいえ、こちらの勝手でなくした話ですから」
公爵夫人は扇子の影で溜息を漏らす。若い者の恋は呆れるほどにじれったい。
複雑な要素がからんで、元々慎重派の姪の足を見事なまでに止めている。最初から諦めているくせに、滲み出る想いは見るものを切なくさせるのだから始末が悪い。
目を見て笑うか泣くかすれば、気持ちは届くだろうに。夫人は可愛い姪の行く末を案じた。
「陛下、東の姫君をどういたしますか? こちらに迎えるのであれば準備が必要です」
宰相が国王の私室に朝から押しかけて確認を取ろうとしたが、後ろで派手な音がしたために中断して国王ともども騒音の元を眺めた。侍女が慌てた様子で床に落ちた盆と、茶器を片付けている。
「申し訳ございません、粗相をいたしました」
「やけどはしていないか?」
「はい、大丈夫です。すぐに代わりをお持ちいたします」
そそくさと盆を手に部屋を出て行く侍女を自覚のないまま目で追っている国王に、宰相は鋭い視線をあてる。一難去ったと思えばまたか。よくよく侯爵家の人間は……と忌々しいと思う気持ちを飲み込む。
「陛下。先ほどの件ですが」
「あ、ああ。迎えるもなにも東の姫は幼いではないか。年が離れすぎてどうこうしようとする気も起こらぬ」
「それでも長ずれば東の国王の血を次代に伝えるのです。今のうちに災いの芽はつんでおきませんと」
処分しないのであれば囲い込め。暗示される内容に国王は表情を消した。
ここで飼い殺しにすれば、危険は減る。今は幼くともいずれは成人し、子供が産めるのだ。
「余にその気はないから、そなたが引き受けるか?」
「私に押し付けないで下さい」
宰相は嫌な顔をする。面倒ごとしか呼び込まないだろうと早々に判断できる、厄介な案件なのだ。関わらないにこしたことはない。
そこに侍女が入ってくる。卓に今度は落とさずに茶器を置いて、お茶の支度を整える。
「下級の貴族かそこそこ羽振りのよい商人あたりにあてがうか」
「神殿に預けるというのも手ですが旗印にされても困りますから、その辺りが妥当ですか」
要は血が高貴でなくなればよい。女系の庶子に近い子なら持ち上げようとする動きも鈍るだろう。
厳重な監視のもとで時期がくれば婚姻させればよいか。
いささか消極的ながらの結論に落ち着きそうで、国王はほっと息をはいた。現金なものでその途端にお茶を美味しく感じる。
「美味いな」
「ありがとうございます」
侍女はお茶を淹れ終ると壁際に控えた。しばらく応酬があって宰相は退出した。
やれやれと国王は肩をもみほぐした。
「いくら余でもああ幼くては無理だ。待つにしても限度がある。第一、東の国王の血を入れたくはないからな」
一度虜囚として王城に軟禁された国王のことは侍女も知っている。年若い側室と一緒にやってきたが、自分も含めて女を見る目つきに怖気をふるったのを思い出した。ねっとりと、値踏みするような視線は鳥肌ものだった。
「でも陛下の婚姻は国の重大事です」
伝説の娘以外から選ばなければならない。圧力は東との戦が終わってからこちら、一層強まっている。貴族達の目の色も変わり、国王の縁戚になる機会を逃すまいと熾烈な争いが始まろうとしていた。
「分かっておる。余は余の長所も欠点も知っていて、受け入れてくれてなおかつ流されないそんな令嬢がいればと……」
できれば側にいてもうるささを感じない、気立てがよければなお結構。つらつらと条件を挙げていた国王は、誰なら理想かと考えた。
条件にあわせて候補者と目される令嬢達をはずしていくうちに、はたと気付いた。
「そなたは、余の長所も欠点も知っているな」
「はい」
「芯は強い、な」
「気が強いと言われますが」
「気立てはいいな」
「本人には分かりません、どうでしょう」
質問のたびに国王が壁際に近づいてくるのを、侍女はいぶかしく思いながら律儀に返答した。
とうとう、ごく近くまで来て国王は止まった。
「そなたは誰とも婚約はしていないな」
「……はい」
「想い人とは何か進展があったか?」
「いいえ」
うつむきながら侍女は唇を引き結ぶ。今、顔を見れば何を言ってしまうか分からない。
きっと表情に出てしまうだろう。つくろうのは下手だろうから。
「想い人とやらに告げる気はあるか?」
「いいえ。その方には……」
「ふむ。妻帯者か、それとも婚約者がいるのか?」
侍女はかぶりを振る。
「それなのに、想いを告げないのか。解せぬ」
「私の話はどうでもいいです。大事なのは陛下のほうでございましょう」
うつむいたまま一気に言って侍女はその場を逃れようとした。
想う相手の前で色々詮索されるのなど真っ平だ。だが、国王が侍女の両横に手をついて逃げようとするのを塞いだ。
「余はどうもそなたが気になっている。想い人がいると知ってから面白くない、というより不快なのだ」
「不快……」
侍女は国王に両脇を囲われているのも忘れて、国王を見上げた。
自分の所有物が他に目を向けているのが不快なのだろうか。それとも仕えると誓っていながら浮ついているのが不快なのだろうか。
「ご心配なさらずとも、陛下にお仕えいたしますので」
「いや。侍女として云々ではなく、そなたが誰とも知れぬ男を想っているのが嫌なのだ」
まるで嫉妬しているように聞こえる。まさかと笑おうとした侍女は、国王の不機嫌な様子に口の端を引きつらせた。
誰とも知れぬ男は、今目の前にいるなんて冗談にしか取られないだろう。
「小さい頃から知っているそなたなのに、おかしいのだ。女性と意識してしまったようだ。そなたの目が他にいくのがしゃくなのだ。――どこにもやりたくない」
「陛下」
国王は困惑しているが、侍女の混乱はそれ以上だった。
まさか、ありえない。女性として意識されただなんて。
「そなたの想い人とは誰だ」
「――言えません」
「余よりいい男か」
身分は自分以上の者などいない。人格や容姿で負けているのかと国王は内心ざらついた思いを抱く。人格については、仕方ない。失恋の傷も完全には癒えてはいない。この段階で独占欲を覚えるのはどうだろうかと自分でも思う。
ひどい人間であった自覚は十二分にある。容姿も好みでなければ仕方がない。
侍女は今や首筋まで赤くして、国王の包囲から身をすくめるようにして距離をとろうとしている。うっすら涙も浮かんでいるように見えて、よほどその男がいいのだろうかと国王はますます不機嫌になる。
「応えよ」
「陛下と同じくらい、いいえ、陛下の方が……いいです」
そこまで言うと侍女は手で顔を覆ってずるずると座り込んだ。
手をどかそうとすると、いやいやと子供のように首を振る。随分と可愛らしいと思い、国王はやや強引に手首を掴んだ。
「――陛下、です」
「なんと申した?」
「私の、想う人は――陛下です」
手首を取られたままうなだれて侍女が小声で囁いた。
「は?」
聞き返すと侍女はますますうなだれた。
「かなわない相手と言っていなかったか?」
「その通りです。私は兄の妹で……」
そこで合点がいく。罪に問われると覚悟していて、それ以上にかつての想い人をさらった団長の妹だからと……。ようやくここ最近の視線や行動の謎も解けた。
「顔を上げてくれ」
何度か頼むとようやく侍女は顔を見せた。
茶色の瞳が涙で潤んでいる。
「泣くな」
この顔を他のものに見せたくないと思った時、国王は自覚した。
そして、顔を侍女によせて行動で示した。
春の祭典が間近に迫った頃、国王は宰相と神官長に計画を持ちかけた。
渋る宰相と頭を下げて賛同の意を表した神官長を前に、国王は言い切る。
「今回は目標がはっきりしている。まず間違えないだろう」
「陛下、悪ふざけがすぎます。第一、外に漏れたらどういたしますか」
宰相の反対はもっともなことだが、これ以外の方法を思いつかない。
ここが上手くいかないと、こちらに支障があるからと国王は考えていた。
「早急に団長を呼び寄せろ。あと副団長にも話を通す。あれを殴り倒せるのは侯爵か副団長だろうからな」
神官長は気を満たす作業に取り掛かると同時に、変則的な戴冠を行う手はずを整えた。
宰相は最後まで気乗りしないながらも余人を介さずに、必要な物品を用意する。
副団長は話を聞かされて一も二もなく賛同し、実際一撃で団長の意識を失わせた。
椅子にくくりつけ、意識が戻ったところで絶対に表に出せない儀式を執り行う。
「今の間は余は国王ではないのか。妙な感じだな」
「すぐに国王に戻りますので、束の間の自由を味わっていてください」
痛烈な宰相の皮肉も、団長の抵抗も受け流して国王は詠唱を始めた神官長を見守る。
召喚陣が白く発光しだす。空気が動き出した。
鼓動が早まる。
どうか、来て欲しい。国王の伴侶たる伝説の娘。
そうでなければ、自分の想い人は遠慮して自分の手を取ろうとしてくれない。
春の祭典が終わったなら、いよいよ王妃選びが具体化する。宰相はうすうす察してはいるが、一応の段取りが必要らしい。
何の憂いもなく、選出するために。
国王は召喚陣の中に出現した、ぼんやりとした影に目をこらした。