20 姫の野望
「陛下」
宰相の呼びかけに国王がこちらを向く。姫は礼をとった。
「東の……」
「ああ。顔を上げて」
落ち着いた低めの声に姫は下げていた頭をゆっくりと上げる。座の視線が集まっていた。国王の横には茶色の髪の優しげな女性が寄り添っている。騎士団長は一番大柄でやはり茶色の髪をしていた。
そして、こちらを見やる黒髪の女性の瞳は――黒かった。
姫は状況を飲み込めずに混乱した。この国の黒髪で黒い瞳の女性は王妃だけなのに、騎士団長の横に立っているのはどういうことだろう。
礼を失しない程度に一同の容貌を見て取り、伏し目がちになる。
「国王陛下とご婚約中の侯爵令嬢、こちらは騎士団長の夫妻です」
「はじめまして」
はじめまして、よろしく、の挨拶の応酬のあとで姫は違和感に気付く。嫌みやからかい以外で自分に敬語を使わなかった宰相に丁寧な物言いをされたことを。猫をかぶっていると姫は気付いて引き気味になった。
「離宮の生活に不自由はないだろうか」
「いえ、よくしていただいています」
外に出られないのと、宰相の嫌みくらいが不満な程度だ。さすがにそれらを口に出さないくらいの分別は身に付いた。
「お寂しくはありませんか?」
騎士団長の妻に問いかけられて姫は怯んだ。まるで寝台で目が冴えてしまうのを、本に夢中でもふと現実に立ち戻ると籠の鳥だと気付かれされるのを見透かされているようで。
ただ認めてしまうには姫には自尊心がありすぎた。微笑をうかべて返す。
「もう慣れました」
それ以上は重ねて質問されることはなかった。
宰相に踊りに誘われたからだ。玉座から離れ音楽に合わせて踊り出すと、周囲が賑やかなのをよいことにそっと宰相に声をかけた。
「どうしてあの方は目も髪も黒いの? 髪の毛はかつらでもなさそうだし染めているのかしら」
「――さあな」
「でもどうして……」
続けようとした姫をいささか強引にくるりと回して、宰相はおしゃべりを封じた。
乱暴ねと抗議しようとした姫は、冷たい宰相の眼差しに言葉を引っ込める。まるで最初に顔をあわせた頃のような侮蔑に満ちた、いやどうもそれ以外で不機嫌としか思えない眼差しと考える。なにか不用意な発言をしただろうかと思い返しても、宰相が何に引っかかったのかわからない。
宰相が黙ったままなので、姫も口をつぐんで踊りに集中する。
ふと視界の端にやはり踊っている騎士団長夫妻がとらえられた。彼らの互いに交わす眼差しや微笑み、醸し出す雰囲気は間違いなく甘い。貴族同士だから政略結婚と決めつけていたのに、意外にも想いあっているようだ。
婚約期間中に恋に落ちたのかと、胸ときめかすような展開を想像する。
そうして気付いた。自分が騎士団長夫妻のことを考えているように、宰相もさりげなく二人を観察していることに。
二人が気になるのかと聞こうとして姫はやめた。宰相がどう返してくるかわからないし、気分を害しているのならさらに事態を悪化させることもない。ただ宰相の注意が自分を素通りしているのが面白くなかった。
踊りが終わった頃には姫はとても疲れていた。宰相はもう自分に構うこともないだろうと判断する。こんな場でこそ、大勢と顔つなぎして知己や情報を得る必要があるからだ。
それに宰相と踊っただけで自分にも注意が集まったようなのも感じて、これ以上は目立ちたくなかった。
東の姫、とさげすまれるのは我慢ならない。
「私、人混みに紛れます」
「うるさくされるのが嫌なら、最高の虫除けの所にいるといい」
手を取られたまままた玉座に舞い戻る。
国王の婚約者という侯爵令嬢は、姫をたたえた。
「とてもお上手でしたわ。軽やかで」
「私も踊っていて楽でした」
また敬語と宰相を苦々しく思いながら、姫は曖昧に微笑んだ。腹黒と知っている男がうわべだけ丁寧だと、こんなにもうさんくさいのかと学習する。真っ黒な腹の底で何を考えているのかと知りたくなる。
「相手を代えて踊ったらどうだ」
「陛下」
「あれの独占欲は見ていると笑えてくるからな」
あれ、とはどうも騎士団長のことらしいと会話の流れから推測する。奥方の腰を抱いて騎士団長がなにごとか囁いていた。
宰相は国王の提案に乗り気でなかったようだが、国王に耳打ちされた侍従が騎士団長のところへ行くのを見て姫に視線を向ける。
「団長に含むものがあれば国王陛下と踊ればよいでしょう」
「お気遣い、ありがとうございます」
空々しい。が、追求すれば空気を読めないとされるのは自分だと、姫は宰相に負けず劣らず外向けの笑顔で応じた。戻ってきた夫妻とそれぞれ相手を変えて手を取り合う。奥方は姫に頭を下げた。とっさにつむじや頭皮を観察して新たな事実と謎を手に入れる。
別の曲で踊り出せば、騎士団長はどうしていいかといった表情を浮かべていた。相手が奥方ではないからか、それとも自分が東の姫だからか。追求すれば両方だと。
「普段このような場では警護に回りますから慣れていないのと、父君の軍勢と戦ったのでよい感情は抱かれていないと思うからです」
「でも今夜の主役のお一人なのですから。それにあなたを恨んでいたら、踊りながら足を何度も踏んでいると思います」
目を見開いた団長がかなわないと小声で呟いた。
意外にも団長との踊りは楽しかった。最後の方で姫は気になっていたことを団長に質問する。
「あの……奥様の髪ってあれ、染めてはいらっしゃらないですよね」
髪の毛を染めれば、どうしても頭皮まで一部染まってしまうものだ。まめに染めないと地肌にちかい髪の毛は元の髪色になる。しかし奥方の髪は根元まで黒いのに、頭皮は白い。姫はそんな優秀な染め粉を知らなかった。
団長は再び驚かされたようだった。姫は思いきって直接本人に聞いてもよいかと許可を取る、というよりせがむ。
「そう……ですね」
ちらりと視線を走らせた団長につられて姫も顔を横向ける。
宰相と奥方の間には緊張がはらんでいるようだと感じた。宰相はやや距離をつめて手を取り踊っている。時折唇が動くので奥方に何か言っているのだと判断した。奥方も短く返事をしている。心をざわつかせる空気が二人から発せられている。
自分がそう思うのだ、夫である団長ならもっと感じているだろう。
曲が終わって団長が迎えに行った際、奥方がほっとした様子が印象的だった。
「控えの部屋にいるといい」
団長がそっと奥方の背中に手を添えて大広間から出て行こうとしていたのに、姫も便乗した。
小さいが気持ちのよい部屋で長椅子に腰を下ろして、緊張を解いた。同じようにふう、と息を吐いた奥方と目があって笑い合う。
「人の中に出るのは久しぶりで疲れました」
「私もです」
姫の言葉に奥方も頷く。団長が二人分の飲み物を運んできて、邪魔にならないように部屋の隅に腰を下ろした。
姫は喉を潤してから奥方に顔をよせた。まじまじと見つめても瞳は黒いし、髪も黒だ。
「あなた、不敬とそしられたりは……」
「どうでしょう。目の色が暗い方は髪も黒くするのが流行のようですから」
「でもその髪は、染めていらっしゃるの?」
奥方は団長と見つめ合って困ったような団長に、堪えきれずに小さくふきだした。
「その質問は夫にもなさったのですね」
「ええ、あなたに直接うががう許可をいただいたの」
「どう思われます?」
まだ笑いの余韻を残している奥方が優しく尋ねる。姫は顔を近づけて奥方を観察する。
見れば見るほど……と率直に答えた。
「染めてはいないように思います。でも、それならあなたは王妃になる方なの?」
「いいえ。私は別のところの出身で、そこには黒髪で黒い瞳は大勢います。むしろここでの少なさに驚いたくらいです」
「別のところ……」
別の国、別の大陸か。もしかすると……姫は沈黙していたが表情はわかりやすい。
奥方はこの国で孤独を感じた者の連帯感を込めて、姫を見つめる。姫が自分なりの結論を得るまで待った。
頭をふるりと振って姫はきりっとした表情になる。
そっと手を伸ばし奥方の頭に触れて、思い切り髪の毛を引っ張った。
「姫様っ」
「やっぱり。乱暴な真似をしてごめんなさい。でもおかげで確信が持てたの」
一本引き抜いた髪の毛根の方をじっくりと観察して、姫はきっぱりと言い切る。
もしかしたらずるりと髪全体が手に引かれるのではないか、と危惧していたが奥方の髪はかつらではなかった。引っ張った反応から地毛なのは明らかで、しかも根元まできっちり黒となれば。
穴が開くのではないかと思うほどに手にした髪の毛へ落としていた視線を姫はあげ、まっすぐに奥方を射貫く。
「ねえ、あなたはここで幸せ?」
奥方は視線を受けてから、力強く頷いた。
「ええ、予想外でしたが幸せを得ています」
それは姫が連れてこられた時からずっと、欲しかった答えだったのかもしれない。
ここで幸せになる。予想外だったとしても幸せを掴む。
目の前に生きた見本がいたのだ。姫は奥方の両手を握った。
「私、あなたとお友達になりたいわ。きっと話が合うでしょうし、何よりあなたに興味をそそられるの」
「姫様。ええ、喜んで。障壁があるかもしれませんけどね」
「妨害があるかもね」
女同士で結託したようなやり取りに、団長はあれこれと考えを巡らせる。
人質の姫と王城に複雑な印象を抱く妻の共通項や、ほのめかされているような障壁などを。すっかり打ち解けたかのような二人に、そろそろ部屋を出ないかと声をかける。
姫はお忍びのようなものでも団長達は主役に含まれている。確かに長時間の不在はまずいだろう。団長は扉の外に待機していた騎士を姫に付け、自らは奥方の手を取って姫に挨拶を済ませた。
そっと大広間に戻った姫はさっそく人に囲まれた二人と、離れて歓談しながら密かに視線をよこす宰相を冷静に観察した。
「抗いがたく惹かれてしまう。この間読んだ恋愛の本の一節のよう」
ひそりと呟いて、ちゃっかり果実酒の杯に口をつけ姫の大人への一夜は終わった。
すっきりした気分で目覚めて本を読んで過ごしていた姫は、宰相の訪問を受けた。
「国王陛下がよろしくとのことだ。今後は制約を少し緩めて、望めば離宮からの外出も許可するとおおせだ」
「本当ですの? 嬉しい。城を高いところから見たいと思っていたの。それと街の様子も知りたい。おそらく東の国の民も暮らしているのでしょう?」
嬉しさを前面に出し、同時に冷静に興味のある点をあげる姫は、やはり変わったのかもしれないと宰相には思えた。
妙に晴れ晴れとした表情をもいぶかしむ。昨夜の夜会は途中で引き上げたのを把握しているが、接触した人間は少なかった。夜会に出たことだけで満足したのだろうか。
「それに昨夜はとても楽しかったのです。それもお礼を申し上げなければ」
「楽しかったのか」
「とっても。騎士団長の奥方とお友達になったの。赦しがあればここにも来ていただきたいわ」
わずかに眉をしかめた宰相に姫はやはりと確認するとともに、自分が宰相を動かせるようになるなんてとちょっぴり感激した。
そのことも嬉しくて自然に笑顔になる。本人は気付いていないが、まるで花がほころぶようで宰相はしばらく目を奪われた。
「――よほど、気に入ったのだな」
「私、あなたを跪かせたかったの」
「……は?」
今度は呆気にとられた宰相の前で、姫は一人力強く頷いている。
「初対面から親が駄目だから私も駄目みたいな言い方をされて、その後も何かにつけて小馬鹿にされて。絶対見返してやる、認めさせてやるって思っていたから。でもそれって私を見て欲しいと同じことなのね」
「なかなかに素晴らしい論理の飛躍だ」
姫はすくっと立ち上がって卓をまわり、宰相の座っている椅子の前までやってきた。
腰をかがめて座る宰相と同じ目線になる。
「私はあなたがどこを、誰に目が向いているか気がかりなくらいにあなたが気になっているの。いつか、私もちゃんと見て?」
姫の発言が別の意味にもとれるのを理解して、宰相には珍しく自分の調子を取り戻せない。さらにずいと詰め寄られ、たじろぎ、椅子の背もたれに背中を押しつける。
姫は宰相の顔を覗き込んできっぱりと宣言した。
「絶対に今よりも綺麗で賢くなるわ。その時には認めて、そして……」
「参りましたと跪かせたいというわけか?」
「未来はわからないもの。あなたより嫌みでなくて優しい人と出会うかもしれないし、学んだことを役立てたくてあなたなんてどうでもよくなるかもしれない。でも今はあなたに、私を意識してほしいから頑張るわ」
怖い物知らずにぐいぐいと迫る姫に、宰相は失ってしまった輝きを感じた。
別の意味で姫に『跪く』ことになるのか否か。確かに未来は不確定で先のことはわからない。
ただ、と宰相は口角をあげた。
今しばらくは姫の奮闘を間近で見守るのも楽しそうだ。
恋に恋しているかのような年頃と、経験のなさがどう変化していくのか。
思いがけず可愛らしいと思った姫の成長を、宰相は待ってみようかと心に決めた。