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02  国王と侍女

 宰相――王弟は机の上に三つに書類を分けている。左のものは歯牙にもかけない。真ん中は左に置くかで束の間迷う。

 右に置くのはごく少数。最後の書類になって、宰相は冷ややかな視線を落とす。

 一度は真ん中に置いたものの、結局右に置きなおす。

 真ん中の書類の上に右側の書類をまとめて、とんとんと端をそろえる。書類をもう一度見つめて、そのあとは宰相の顔つきになって国王の執務室へと向かった。


「こちらが私のまとめたものです」

「ふむ。基準はやや厳しめか?」

「情けない話ですが足をすくわれるわけにも、足元を見られるわけにもまいりませんから」


 国王は書類を眺めて感想を漏らす。お世辞にも国内基盤はしっかりしているとは言いがたい。弟に続いて叔父の反乱。貴族と神殿の腐敗に手を入れ勢力を削げたのは収穫といえばそうだが、身内から裏切られたのはそれを上回る痛手だ。

 召喚制度の撤廃とともに、伝説の娘との婚約も白紙に戻した。

 世界は再び伝説の娘を非公式に召喚した。ただし、国王本人の伴侶としてではなく、だ。

 ようやくあえて後回しにしていた問題に向き合う覚悟をして、宰相としての王弟の意見の集約がこの書類だ。

 下からぱらぱらとめくっていた国王は一番上まで来たところで、今や宰相となった王弟に目をやった。


「賛成か? 反対か?」

「陛下のお心のままに」

「団長の方は難航しているのか?」


 その名前に宰相がいやにゆっくりと口の端を緩めた。


「……そのように漏れ聞いております」

「そうであろうな。取り戻したのはいいが、というところか」

「多少は、いいえ盛大に苦労すべきでしょう」


 そちらはもういい。気にはなるがもう関わりになることではない。

 問題はこの書類だ。賛成とも反対とも言いはしないが、一番上に出してきたのは意見は決まっているのだろう。私情をねじ伏せたか、浮かれる自分に呆れたか。

 全く素直ではないと思いながらも、国王は機嫌よさげに書類を眺めた。




 娘が帰還した後で、国王は王城から遠ざけていた侍女――団長の妹を呼び出した。叔母である公爵夫人と登城した彼女は貴族の令嬢の装いだった。

 ただその顔つきは固い。無理もないだろう。娘は帰還し、兄は東にいるのだ。

 兄の罪は家の罪。どんな処罰を課されても文句を言えるはずもない。

 公爵夫人は微力ながら盾代わりを買って出ているようだ。その威圧感に国王は苦笑した。


「そんなに怖い空気をかもし出さないでくれ。今日呼び出したのは、また侍女として仕える気があるか確かめたいからだ」

「私に、私達に処罰はないのでしょうか」

「表ざたになるような罪状が何かあっただろうか?」


 おもむろに王弟を振り返ると、公爵夫人の目線に気おされることもなく含みのある言い方でかえした。


「表面的には何も。ただ、無かったことと知らぬ振りを決めこまれても困りますが」


 しっかりと釘をさして口もつぐむようにと言外に匂わせて、王弟は笑った。

 別人のようなしたたかさを前面に出す王弟に、公爵夫人もどう対応していいかしばし迷ったようだった。神経質に扇が鳴らされる。

 国王は返答を待った。


「私としては――王城に戻れるのであれば」

「そうか。以後は余の侍女だ」


 元々が国王陛下付きで伝説の娘が召喚された折にそちらに異動した口だから、ある意味元の職場に復帰の形になる。

 ただ状況はまるきり違っているので、国王陛下の真意を図りかねた。

 兄が陛下に、王家に対して決して顔向けできない罪を犯した。表ざたにならないのは政治的な配慮と、陛下の娘への想いゆえにすぎない。

 このことは兄だけでなく父も承知している。侯爵である父が少しでも報いようと、神経をすり減らしているのも知っている。兄の領地のみならず侯爵家の所領からの収益を内々に返上し、東との緊張の反動で手薄になるだろう北の砦へと赴いている。


 そんな罪人の妹である自分を側近くに置こうとする国王陛下。

 ――人質。

 女の身であれば妥当な立場と納得する。侍女でいれば結婚話もおこりにくい。

 国王陛下も殿下も今、侯爵家と他家に縁戚関係が生じるのは避けたいだろう。何より後で兄が処断されれば、婚家にも火の粉が及ぶかもしれない。

 そこまで考えてもう一度陛下付きの侍女として戻ることを承諾した。



「陛下、お茶が入りました」

「分かった。――いい香りだな」


 大公殿下の乱の後、貴族も入れ替わりようやく国は新たな一歩を踏み出した。国王陛下と王弟殿下――宰相閣下は目の回るような忙しさだ。

 二人のもとに待ったなしで様々な案件が舞い込んでくる。執務に追われて国内外の要人と面会し、再建途上の国内を視察する。

 手分けしてこなしているとはいえ、連日寝る間も惜しんでのことに疲労は蓄積されている。少しでも疲れがほぐれればいいのだけれどと案じつつ、環境を整えたりこうしてお茶を淹れるくらいしかできない。


 お茶を飲んだ国王は、眉間をもみほぐしながら外を眺めた。夢中で執務をしているうちにいつしか季節は変わっている。

 東はいよいよ本格的な戦端が開かれようとしていた。

 気の休まる時がない。

 そんな中で控えめながら気遣う様子を見せる侍女は、強張った体や心にひどく優しい。


「団長は元気そうだ。じきに実戦となるやもしれぬ」


 何気なく情報を伝える国王に、侍女ははっとする。東で戦。兄は勿論だが、それにおそらく父も何らかの形で関与するに違いない。最悪、もう顔を合わせることができないかもしれない。

 覚悟はしていてもどうしても多少は動揺してしまう。お茶のお代わりをと持ち上げたポットが手の震えで静止できない。

 国王はその様子に気付き、ポットを取り上げた。


「ここに」


 自分の側に座らせて手を握る。その温かさと力強さに震えは次第に落ち着いてきた。もう大丈夫だと判断して、手を取られたままなのに気付いて今度は顔が赤らむ。


「陛下、お見苦しいところを……申し訳ございません」

「謝ることではない。そなたの兄と、父のことだ。心配になって当然だ」

「陛下もお出ましになられるのでしょうか」

「そうなるだろうな」


 大公殿下の乱をおさめに赴いた時でさえ心配だったのに、今度は東の国との戦になる。勝敗がどちらに転ぶかは分からない上に、危険ははるかに大きいだろう。

 侍女は思わず国王の服を握ってしまっていた。

 普段は控えめでこちらを和ませるようなこと以外では私情を表すことが少ない侍女の行為に、国王は目を見開いた。


「落ち着け。そなたがそんな顔をしていれば、情報が漏れてしまうやもしれぬ。余はそなたの兄の顔を見に行くだけだ、心配することは無い」


 兄に続いて陛下も戦場に、とそれだけにとらわれていた侍女は、国王の穏やかな言い方に体の力を抜いてこくんと頷いた。顔を上げて国王に微笑む。


「そうですね、今から気を揉んでも仕方がありませんし。兄をこき使ってやってください」

「そうだ、そなたも茶を飲め。顔色が悪い」


 予備のカップに注いだお茶は国王の気遣いとともに、体と心を温めてくれた。

 そうだ、と気を取り直す。陛下は自分だからこの情報を教えてくれたのだ。無様に動揺していてはいけない。できることをしっかりやって、少なくとも王城まわりでの心配を減らすのが自分の役目だ。

 陛下を心配させてはかえって申し訳ない。

 ぐっと体の中心に力を入れて、侍女は立ち上がった。


「ではこれで失礼いたします」


 茶器をまとめて退出する侍女を国王は目の端で追った。久しぶりに見る素の様子は、屈託なく遊んだ幼い日のことを思い出させる。

 乱暴な遊びをしようと走り出せば、必死についてくる。こけて涙ぐんだ姿を仕方ないと思いながら手を出せば、ぎゅっと握って涙の残る顔で笑う。さて、遊びに戻ろうとすると今度は服の裾を握る。

 加減して遊びに加えていると、父親である侯爵がやってくる。その時は団長を務めていたからその服装は格好よくて、肩車をされたり剣を教えてもらうのが楽しくて、弟ともどもまとわりついた覚えがある。


 服を握られたのも随分久しぶりだ。


 国王は少しの間、昔のことに思いを馳せて執務に戻った。



 国王の情報通りに、東との戦端がひらかれた。先の一件で割譲されていた砦を拠点にという形だ。川の支配権もこちら側にあったのが幸いして、戦局は有利なように思えた。頻繁に王都と東の間で早馬が走る。

 国王や宰相が状況を教えてくれるたびに一喜一憂し、侍女は気疲れを感じるほどだった。兄は幸いに無事らしい。父は後方支援をしていると聞いた。そしていよいよ国王自らが赴くことになった。

 留守居役の宰相が見送る中、軍勢とともに馬に乗って国王が王城を出て行く。

 威風堂々。馬の毛並みがつややかに日差しをうけて、それに負けないほどに甲冑が輝く。窓越しに見つめていた侍女はその姿が小さくなって、見えなくなるまでじっとたたずんでいた。


「元気がないわね」

「叔母様。東でのことを思うと……」

「そうね。心配ね」


 自分を元気付けるためにか休日に屋敷に招いてくれた公爵夫人と、たわいない会話をする。最中もすぐに心ここにあらずの状態になってしまう。

 公爵夫人はそんな姪をじっと観察している。


「誰が心配なのかしら?」

「それは勿論……」


 兄と言い切るはずが侍女は言葉を失った。勿論兄も心配なのだが。

 叔母がくすくすと笑うのにつられて、何故か顔が赤くなる。


「やっと自覚したの?」

「叔母様」

「ずっと長い間、側で見続けていたでしょう?」


 失うかもしれないと思うと動揺した? 叔母からたたみかけられて気持ちを整理する間もなく、想いに名前を付けられて突きつけられる。

 まさか、そんな、自分がと同じ単語が頭をぐるぐるとよぎる。

 しかし厳然たる事実に上がりかけた体温は急降下した。


「私は……兄の、妹です」


 陛下の想い人を奪った兄の、妹。つみびとの、いもうと。

 想いを自覚してもどうにもならない。人質として王城にいるのに、想いをよせるなんて図々しい。


 侍女は想いを自覚した日に、諦めた。




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