18 姫と宰相
「厄介な親を持つと、要らぬ苦労をするものだな」
内容の辛辣さと表情の冷淡さに、東の姫は声の主を見上げた。
国王の弟という男性は立ったまま、身長差のある自分を見下ろしている。そのまま見下されている感もした。
「私には優しい父です」
できるだけ感情を込めないように注意して言葉を選ぶ。
今の自分は人質だ。父はこの国に手を伸ばして反対に打ち破られてしまった。賠償金、領地の移譲に加えて自分もとらわれの手駒に加えられてしまった。
精一杯の虚勢をはる東の姫を、宰相である王弟は無感動に見下ろしている。
「だが無能は国を滅ぼしてしまう。手にあるもので満足できず、過ぎた執着を覚える者は――不幸だ」
何も言えないで爪が食い込むほどに手を握りしめている姫を残して、宰相はきびすを返した。
隣国の王都と王城は、東の姫の目からはあまり楽しい場所ではない。きらきら光る壁もきらびやかな燭台も、楽しくなるような宴からも遠ざけられてしまっている。調度はあっさりしすぎているようだし、芸人や楽師も姿を見せない。
東では夜ごとたくさんの人が笑って食べて、歌って踊っていたのに。
たった一人だけ身の回りの世話をするのが赦された侍女と一緒に連れてこられて、王城の寂しい場所に押し込められてしまった。父も母も恋しくて塞いでしまい、あまり食が進まなくなった頃、ふいに宰相閣下とやらが訪ねてきたのだ。
自分と生国である東の国への侮蔑を隠そうとしない宰相に、姫は嫌な人だと思った。
「姫にはこちらの食事は口に合わないか?」
「東ではもっと美味しいものが、食べきれないくらいに出てきましたもの。夜も宴が華やかで……」
むきになって言いつのれば、宰相はなるほど、と大仰に頷いた。
「その美味しい食事や華やかな宴を支えるためにどれほどの金がかかり、民が重税にあえいだと思う?」
「え?」
王族、特に姫は金銭や税などについては教えられていない。
だから宰相の言わんとすることがよく分からずに、戸惑う。宰相は姫が身につけている東の衣装を眺めやった。
「とても手が込んでいる。だが民を虐げ国を傾ける価値があるのだろうか」
「私には相応しくない、とおっしゃりたいの?」
「あなたのその一着で、飢えた幾組もの家族が暮らせる。上に立つ者ほど常に頭の隅に入れておかねばならない。王族が快適な暮らしができるのはそれだけの責任を負っているか、価値があるからだ。祖先の功績だけに頼り切りでいざなにかあった時に無能では、民が寄せてきた尊敬は一瞬で失望と怨嗟に変わる」
ところどころに理解がしづらい単語があったが、要するに自分や父が贅沢をしたたために民が苦しんで国が傾いたというのか。
姫はどう言い返そうかと忙しく考える。別に望んで贅沢をしたわけではない、与えられた物も環境も生まれた時から当然のように周囲にあったのだから。
しかしこの宰相は、贅沢を贅沢と思わなかった無知を嗤っている。
姫は意地悪されるのに慣れていない。それでも気位が涙をこぼすのを押しとどめた。
「……泣かぬ強さは、あるか。言われて悔しければどうする?」
「言われないようにいたします」
宰相はほんの少し目を見開いて、今度はまじまじと姫を眺める。
学ぶ気があるなら、と教師を付けてくれることになった。
生国では蝶よ花よと育てられた姫にとって、この国は随分と風変わりに思えた。なにより不思議に思えたのが代々の王妃だ。別の世界からやってくる黒髪で黒い瞳の娘を王妃にすることで、この国は存続していたのだと教師に聞かされて目も口もまん丸くしてしまった。
「絵姿ですら確かめられない方を王妃になさるの? とんでもない容貌や性癖だったらどうなさるの」
「私は歴史書でしか読み解くことがかないませんが、代々のお方は皆、国王陛下のお心に添う方だったようですよ」
「別の世界ってどんな所なの?」
「さ、それは直系の方々と神殿の上層部しか知りませぬ」
なんておかしな王妃の選定だろうと、姫は驚きすぎて強烈な印象を覚えた。
顔もわからない、ただ髪の毛と目の色だけで王妃にするなんて。姫には理解しがたいことのように思える。姫がやいのと頼んだせいで離宮に本が届けられた。わざわざ宰相閣下が小脇に数冊を携えて。
「ずいぶんと伝説の娘について知りたいようだな」
一応の研究をまとめたらしい本と、巷で流行っている甘ったるい味付けをした王と王妃の恋物語の本を差しだして宰相は苦笑した。
まだ背の低い姫は大事そうに本を抱えて、きっと睨みあげてきた。
「だって、とてもおかしな風習なんですもの。それに別の世界があるのなら、私も行ってみたいから何か書かれてはいないかと……」
「生憎、そのあたりの記述はないな。こちらの本は当たり障りない研究結果をまとめたものだし、こちらは随分と情緒たっぷりの恋物語に仕上がっている」
「そう……ですの。でもありがとうございます」
意地悪だけれど欲しいと思った実用的な物は届けてくれる宰相に、姫は優雅に腰をかがめて礼をした。
この国独特の文字も覚えて東にいた時よりも宴などで費やす時間が減った分、読書の時間が増えていた。今はなんであれ文字を追って、新しい不思議の扉を開くのが楽しい。
素直に礼を言われて面食らったのか、宰相は押し黙りきびすを返した。
その大きな背中に姫は声をかけた。
「あの、あなたのお母様も伝説の娘だったのでしょう? どんな方だったのですか?」
「知りたければその本を読めばいい」
とりつくしまもなく、宰相は大股に去って行った。姫はぽかんと後ろ姿を見送り胸に抱いた本をそうっと見やる。
王と王妃のときめくような恋愛の本に、先代の話は載っていない。研究書の後ろのほうをぱらぱらめくると、簡単に名前と生没年が書かれている。王妃の生年は書かれていない。没年だけ、そして息子が二人と。
「なんにもわからないわ」
ぱたんと本を閉じて姫は不満をもらす。知りたいのはもっと生き生きとした情報だ。どこからどんな経緯でここに来て、国王陛下とどんな風に恋に落ちたのか。王妃になってからどんなだったのか、子供達にどんな風に接したのか。
――多分自分がここではないどこかに行きたいから、王妃のことを、伝説の娘のことを知りたいのだろうと姫は考える。
いつか、自分にもおとぎ話のような不思議が起きないか。意地悪な魔法使いのような宰相の手から逃れて、見目麗しく強く優しい騎士や王様に助けてもらえないか。そう、夢見ているから。
宰相はその後は人づてに品物をよこすようになり、姫は寂しい人数に仕えられながら時を過ごす。あんな意地悪でもぱたりと来なくなるのは、なんとなく気にかかる。
教師にそれとなく尋ねると、先代の話を誰にも言わないようにと前置きをされそっと教えてもらった。授業を終えて教師が去っても姫は椅子に腰掛けたまま、考えに没頭した。
周囲を見回して誰もいないのを確かめてから、小さな声で呟く。
「驚いた。ふしあわせな王妃様だったのね。だからあの意地悪さんの機嫌が悪くなったんだわ」
大人げないわ、と姫は最近お気に入りの言い回しを使った。
意地悪な宰相はだからあんなに偏屈なのね、と納得もした。見かけは王子様で、実際に王弟殿下でもあるというのに優しくないもの。
見ていらっしゃい、私だっていつか東の国に帰れば――そう笑おうとした姫は、ふっと真顔になった。迎えが来るのを頼みにしていても、時間は無情に過ぎていく。身につけていた東の衣装は小さくなって、この国の衣装が用意された。
食べるものも着るものも馴染んだものから離れてしまって、それなのに一向にここから出られない。
普段は姫の意地で何でも無い振りをしている。でも猛烈に心細い。
泣くものか、とぐっと拳を握り唐突に姫は気付いた。この心細さをきっと伝説の娘も感じたに違いないと、自分の中で思い込んでいた。
だから彼女たちのことを知り、不幸せでなかったのだと書物を読むことで安心したかったのだと。知らないところにやって来ても幸せになったのなら、自分だって頑張れるのではないかと勝手に重ねていたのに気付かされた。
それなのに、先代の王妃が不幸せだったなんて。
姫は夕食も喉を通らずに寝台に潜り込み、声を殺して泣いた。
泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。
まぶしい光に重い目蓋を開く。いつもならとっくに起こされている時間なのに、なぜ寝台にいるのかと頭痛を覚えながらぼんやりする。
扉の向こうが慌ただしいと思ったら、金褐色の髪の毛と茶色の瞳の宰相が入ってきた。
「失礼でしょう、女性の寝室に赦しもなく入るものではありませんわ」
「もう少し魅力的に育ってから、そんな物言いをするがいい。体調を崩したようだと聞いたのだが、元気そうだ」
「私? ああ、気分が塞いでしまっただけです」
「……なら、いい」
慌てて胸の前で寝具をかきよせた姫を見下ろし、宰相は静かに問いただす。
「何が原因で気分が塞いだ?」
「勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になって失望しただけです」
「なるほど。その最低な気分はよくわかる」
どういうことかと見上げれば、意地悪なすましやの顔には皮肉な笑みが浮かんでいた。
意地悪にはよく似合う表情、これが悪役の笑い方ねと密かに納得する姫の前で、宰相は寝台に腰をかけた。
あまりの不作法に姫の頭は真っ白になってしまう。
「な、な……なにを」
「落ち込まないでいられる秘訣は最初から期待しないことだ。手に入らないものを欲しがっても――惨めなだけだからな」
「ご忠告ありがとう。でも人に忠告する前に、礼儀作法をおさらいしてからいらしてください」
「私が恥じ入るようになってくれないと、今のは笑うところかと思ってしまう」
「なっ」
毛を逆立てるような子猫の威嚇に、宰相は珍しく素直に笑って腰を上げた。
泣いて眠った昨夜の落ち込みはどこへやら、怒りで瞳をきらめかせた幼い姫に宰相の気分はわずかに凪いだ。
ぱたん、と音を立てて閉じた扉に姫は思いきり枕を投げたが届かずに床に落ちる。
わなわなと体を震わせ、姫は侍女が入ってきたのも思考の外にやっていた。
「見ていらっしゃい、いつか……いつかあの意地悪を跪かせてやるんだから」
「姫様、なにか?」
「いいえ、なんでもないわ。食事が終わったら先生をよこしてくださる? 歴史だけじゃない、語学や国の仕組みなどを教えてくださる方を」
そして自分の内面と外面を磨いてやる。
二度と寝室で笑われないように。
幼い東の姫は決意した。あの意地悪宰相を感心させるのを至上目標と定めて。
その努力は――。