13 祝いの品
「綺麗に仕上がったこと。花婿さえそろえば完璧というところかしら」
完成した衣装とそれを着た娘をじっくりと観察しながら、公爵夫人は優雅に毒を吐いた。東に派遣された団長は、まだ戻ってきていない。
娘はちらりと顔を夫人に向けた。ベールの最終調整をしているために大きくは動かせずに、目線を流すのみ。
それでも夫人には通じたようだ。
「そんな情けない顔はするものではないわ。大丈夫、根性があれば這ってでもたどり着くでしょう」
なにせ自分の婚儀なのだからと、夫人は続く言葉を胸の内で呟く。
秋の終わりと定めた婚儀の日まで十日を切り、周囲がじわじわと落ち着かなくなってきている。贈り物や訪問客の多さもそうだが、未だ戻らない花婿への懸念がここにきて生じているからだ。
はじめは視察だけすればすぐに、だったはずがあれこれと問題が起きているうちに月単位の滞在になり、秋の初め頃にはと手紙で書いてよこした王都への帰還も過ぎてしまっていた。
南の食堂の夫婦も王都に到着している。公爵家に招待して準備を見て貰っているうちに、女将と夫人は身分差を越えて意気投合したらしい。王都に宿を取っていたのが、今は公爵家の客人扱いで一つ屋根の下だ。
「こんな綺麗な花嫁さんが待っているんだ。間に合うに決まっているよ」
女将も支度の入念さと仕上がりの見事さに素直に感心しながら、夫人に同意する。
母代わりの女性二人に励まされて、ともすれば沈みがちな気分を娘は浮上させた。
肌の色に合わせてわずかにクリームががった色目の生地は、とろりとした光沢を見せている。露出は控えめに、可憐よりも優雅にとの娘の希望と夫人の意向をあわせて仕上がった衣装はそのままでも美しかったが、着てみるといっそう人目を引く。
生地には花の模様に合わせて宝石で縫い取りがしてあり、大部分は生地と同じ色だが差し色として配された淡い色の宝石が衣装から単調さを取り去っている。
王城の神殿での厳かな空間に、負けない仕上がりになった。
「失礼いたします。お客様がお見えです」
家令がうやうやしく告げる名は、騎士団の副団長。
急いで着替える娘の時間を稼ぐために、公爵夫人は副団長を別室に招き入れた。
「このたびはおめでとうございます。僭越ですが祝いの品を持参いたしました」
「それはご丁寧に。一体どなたの助言をいれて選んだ品なのでしょうね?」
「参りましたね。もちろん私自身で選びました」
艶聞の多さをからかわれつつ、副団長はさらりとかわす。夫人も言葉遊びを楽しんでいた。団長とではこうはいかない。顔を赤くしたり青くしたりしながら、そんなことは決してないと弁明に努める様が目に浮かぶ。
忌々しい甥を思い浮かべ、茶器を片手に夫人はため息をひとつこぼした。
「それにしても、気をもませてくださること。花婿不在の婚儀など考えたくもないわ」
「さすがに、東は出立しています。今頃馬を乗りつぶしかねない勢いでこちらに向かっているでしょう」
それを見越して、副団長は主要な街に乗り換え用の馬を手配させている。
大事な大事な馬を乗りつぶすなど赦しがたいので、手配している、それだけだ。
けっして親友を思いやってのことではない、と言いたげな副団長を夫人はにんまりと笑うだけで済ませた。
遅れて娘が現れた。
「お久しぶりです。祝いの品を受け取っていただきたく」
「ありがとうございます」
中央をリボンで結んで恭しく差し出されたものに、娘は目を何度かぱちぱちとさせた。
「これは……」
「鞭です。ああ、失礼、乗馬鞭です」
丁寧に染められ優美な曲線を保ちながら丈夫な糸で縫い上げられている、まごうことなき鞭、だった。
副団長は両手で受け取った娘に、いたずらっぽい顔になる。
夫人に至っては、実に楽しそうだ。
「ありがとうございます」
「外に一式揃えてありますので、お暇な時に確認してください」
どうやら鞭だけではない馬具が贈り物らしいと、娘はようやく困惑から抜け出た。
まだ固い感触の鞭は、使い続ければ馴染んでくるのだろう。ただ、できることならあまり鞭を当てるようなことはしたくはないと、複雑な心境で手の中の鞭を見下ろした。
副団長は、夫人と娘に聞かせるように続ける。
「一応、あいつの分も用意しました」
「本人が不在なのが残念ね」
夫人の言葉に、娘の胸はつきりと痛む。
婚儀の準備に忙しいうちは気が紛れても、用意が終わってあとはとなれば、未だ戻らない団長が気がかりで仕方がない。
やっぱり離れることにトラウマがあるんだと分析めいたことをしても、どこでどうしているか、無事なのかと悪い方向に想像してしまう。
娘の顔色に気付いたのか、夫人が口調を和らげた。
「戻らなかったら赦されないことは承知しているから、なんとしてでも戻ってくるでしょう。もしもの時には代役をたてて花婿にベールをかぶせればいいわ」
思わずベールをかぶった清楚な男性、を想像してしまい笑いが漏れる。
副団長も遠慮なく笑いたいのに、夫人の前で紳士の振る舞いを崩すわけにもいかないと頬が引きつっていた。
「その時には誰にお願いしましょうか」
「そうそう、楽しいことを考えておきなさい」
「少し、ご令嬢と庭を散策しても構わないでしょうか」
副団長の誘いに、侍女を連れてならとの許可がおりた。
秋の深まった庭は、落ち着いた深い色彩が緑に映えている。
一定の距離を保って、副団長と娘は庭をそぞろ歩いた。
「あいつなら今頃、馬の上で食事をしながら王都を目指していますよ」
「消化に悪そうですね」
冗談にしていても、それだけ急いでいるのだと匂わされる。
安心させるために、悲観的にならないように。副団長の心遣いがありがたい。
庭を抜けて公爵家の厩舎へと進んで、副団長が相好を崩した。
「贈り物はこちらに収めてあります。いや、公爵家の馬も実に見応えがありました」
馬好きらしく、いきいきとしている副団長は、お気に入りを前にした子供のようだ。
騎士団で働いていた頃は、乗馬の練習をさせてもらった。馬への情熱はその頃と変わりないか、かえって高まっているんじゃないかと思える。
馬自身の、藁や土、馬糞の匂いが混然一体になった厩舎では、真新しい馬具と一頭の馬が娘を待っていた。
「大人しくて扱いやすい馬です。可愛がってやってください」
馬主かと元の世界の感覚が抜けていない娘は驚くが、乗馬もたしなみの一つとされているこちらでは不思議でもないのだろう。
濡れたかしこそうな瞳と、細かく動く耳を見ているうちに、じわじわと嬉しさがこみあげてくる。
「ありがとうございます。大切にします」
「まあ、あいつは渋い顔をするでしょうがね」
「逃げるような真似はしませんよ」
「もし逃げられるようなら、あいつは間違いなく燃え尽きるでしょう。そうではなく、あらゆる危険から遠ざけておきたいんですよ」
思いがけない真面目な返答に娘は馬へと伸ばしかけた手を止め、馬は耳を神経質に動かした。危険――落馬とか馬から蹴られるなどだろう。
馬の事故がひどい怪我や、時には命に関わることになるかもしれないのは理解できる。
「危険が怖いなら、元の世界に戻っています。あちらの方がそういった意味では、安全ですから」
「そうならやっぱり、あいつは燃え尽きるな」
結局、と娘は思う。馬が危険だから乗らないよりも、危険性を認識した上で付き合う方が建設的なのだろう。
副団長も馬を贈ってくれたからには意見は同じかもしれない。
第一こんな美しいいきものと思い切り走ったなら、どれほど気持ちがいいだろう。
「ぶつぶつ言いながら、受け入れるとは思いますがね」
娘も同意する。
馬を並べて走らせて、同じ景色を見られたら。南の海を思い出す。
厩舎から戻る途中で、式の進行の話になる。式そのものはさほど時間はかからない。
立会人がいれば一緒に、いなければ二人だけで神官からの宣誓に受け答えすれば成立する。このたびは立会人がいる。しかもはた迷惑な。
「緊張して裾を踏みそうです」
「裾を蹴上げるように歩くといい」
「……詳しいですね」
女性の敵にやや厳しめの視線を当てて、娘は軽くにらむ。
副団長はなにかという体だ。娘はこの際だからと副団長に尋ねてみることにした。
「あの、彼も……女の人とお付き合いしていたんでしょうか?」
ぴたりと小道を歩く副団長の足が止まった。
一、二歩進んで振り返れば副団長は妙に顔に力が入ったような、変な顔になっている。
口をかたく引き結んでいたのが、とうとう緩んだ。
とっさに顔を背けたが、笑いをこらえきれずに声を出さないように体を震わせていた。
「いや、失礼……。そりゃ、あの年だし侯爵家の跡取りでもあったから、全く女を知らないとはいいません。ただ心配されるような意味での、女性との付き合いはありませんでしたよ。隠し子も居ません」
「そう、ですか」
「あいつは恋愛遊戯ができる性格じゃない」
優しく細められた目が、あいつを信じてやれと訴えかけているように思えて、娘はこくんと頷いた。
「付き合うのなら本気です。――本気になったのは、あなたが初めてですよ」
「ありがとうございます」
こればかりは団長の妹にも、公爵夫人にも聞けなかった。前者は兄をかばうかもしれず、後者からはつらつらと名前を挙げられるかもしれず。
「あいつが戻ったら直接尋ねればいいですよ」
「でも」
「可愛い嫉妬じゃないですか。大喜びだと思いますが」
そこは男性の意見だから参考にしようと心に決めた。
小道から再び庭に入る。
「本当に間に合わなかったら、代役を立てればいいですよ。片方が代理人でも花嫁か花婿のどちらかがいて、宣誓すれば成立します」
「そうなんですか。お母様がいざとなったら、花婿役にベールをかぶせればなんておっしゃったんです。私、あの再召喚の時を思い出してしまって」
「ああ、頭からすっぽりでしたからね」
猿ぐつわの上、椅子に縛り付けられて仕上げとばかりに上から布で覆われ、小山と化していた団長。当時は唖然としがた、今では笑い話にできる。
あの神殿で今度は婚儀をあげるのかと思えば、神殿への複雑な感情もいくぶんかは和らぐ気がする。
ふと副団長が立ち止まり、娘の手を取る。
「あいつをよろしく頼みます。幸せに」
しっかりと副団長を見つめて、娘も決意をこめて短くはい、と呟いた。
翌々日、団長は王都に帰り着いた。
くたびれ疲れた風体で、それでも姿を認めて安堵の笑みを浮かべる団長へと娘は駆け寄って抱きついた。