12 貴婦人の優雅な心得
「このへんにフリルかレースが欲しいところね」
「でも叔母様、そうするとごてごてしませんか?」
真剣な面持ちで会話を交わす叔母と姪、その前で仮縫いの衣装に身を包みあっちをつままれたり、こっちをたくし上げられたりと見世物よろしい扱いを受けている娘は、人知れず溜息をついた。
どうしても兄と『夫妻』として婚儀に参列してほしい。未来の王妃たる元侍女、侯爵令嬢の願いにより、現在公爵夫人が陣頭指揮をとって団長と娘の婚儀の準備が大急ぎで進められている。ただ、急ぐのと適当は夫人の中では相容れるはずもなく、最高の質のままで最速をと優雅に言い放たれて、結果本人達はもとより周囲も大わらわとなっている。
それでも団長の方は職務が第一、衣装だって騎士団の制服で事足りる。
「あとは髪型とひげだけ気をつけて、顔に傷を作らなければそれでいいわ」
と、夫人に一蹴されている。反対に突然手に入った『娘』への関心は非常に高い。生んだのが男子ばかりで飾る楽しみが満たされなかった夫人にとっては、ある意味お人形でありおもちゃでもあった。勿論、娘の価値は熟知した上で。
実家となる公爵家と嫁ぎ先の侯爵家の威信もかかっており、周囲も降って湧いた養女と騎士団長の婚姻には興味が隠せないこともあって、否が応でもより豪華にという方向にいきがちだ。
公爵さえ手綱を取るのがしばしば難しく、侯爵にいたってははなから諦めている。
甥の団長に至っては口出しすらほぼ赦されない。
結局侯爵令嬢の姪と娘とで、夫人の女性らしい感性に訴えかける作戦を取らざるを得なかった。
王城の神殿での婚姻は高位貴族であればそこまで珍しい話ではない。ただ、非公式とはいえ国王や宰相が参列するのは別だ。
当然のことながら公にはされないが、周囲には団長とその妻となる娘が王族から特別の配慮を得ていると取られるだろうし、次代の勢力図にも関係してくる。
公爵夫人は、この婚姻がもたらす影響を充分すぎるほど承知している。
未来の息子の妻達が、どこまで有能かは未知数だ。比べて娘は――。
「本当によいお嬢さんが娘になってくれましたこと」
「私の隠し子が出てくるよりも嬉しそうだ」
「そんな方がいらっしゃいますの?」
「あなたがいるのにそんな恐ろしい、いや、不謹慎な真似ができようか」
そんな会話を公爵と交わしている。そして夫人としては一世一代の婚儀、その主役の娘をどう引き立てるかに自身の精力を傾けている。
最高級の生地に、縫製。清楚でいて人目をひくような意匠。派手なことを望まない娘の性格をかんがみて、生地の美しさと同色の宝石を縫い付けることで妥協しつつも。
「さすがに今回はコルセットをしてもらおうかしら」
「夜会もでしょうか」
すでにずっしりと重い仮縫いの花嫁衣裳を着たまま長時間立っている娘は、さすがに情けない表情になった。
オーダーの衣装というだけでも贅沢なのに、一度しか身につけないのにこの豪華さはどうだろう。この世界ではこれが普通なのだろうかと溜息もつきたいところだ。義理の妹になる侯爵令嬢に聞けば、国王陛下との婚姻用の衣装はそれはもう恐ろしいほどの豪華さなのだと。
「嫁ぐ女性への財産分与の意味合いもありますから」
そう言われて目から鱗になったものだ。
公爵夫人に言わせればこれでもかなり抑え気味だと。婚儀自体も神殿でこじんまりということだし、晩餐会に至っては。
「国王陛下がどうしてもと仰ったらしくて、ねえ。きっとご自分が出席できないのが悔しいのだと思うわ」
さすがに侯爵邸や公爵邸で行う晩餐会に、誰よりも身分の高い国王陛下が出席すれば主役の新婚夫婦ですら席を譲らないとならない。
夫人は招待するわけないでしょう、と鼻で笑った、らしい。
それで王城で大々的に夜会を行うことにして、そこに婚儀を挙げたばかりの二人が出席するという段取りになった。貴族の催す晩餐会より格段に規模も大きくなり、お披露目としては申し分ない。
その話が王城側から打診された時に、夫人は扇子をくっと握り締めた。その美しい瞳の奥はめまぐるしく揺れ動く。
多くの計算をやり終えたに違いない。口元は隠しているが、にんまりと笑みを浮かべたのがわかった。まるでご馳走を前に舌なめずりするような猫のように、うっとりと魅惑的な声を響かせた。
「陛下の気まぐれにも困ったこと。きっと宰相閣下の入れ知恵ね。そう……では婚儀だけに集中できるということね」
そして仮縫いに次ぐ仮縫いに娘がかりだされている。
一応の方針が決まって、やっと娘は衣装を脱ぐことを赦された。
椅子に座って飲むお茶の美味しさを、娘はしみじみと味わった。侯爵令嬢は同情の眼差しを向ける。
自分も同じように、それ以上に大変な目に会っているからだ。
「でも綺麗でした。当日が楽しみです」
ちなみに団長は完全に閉め出されている。『当日のお楽しみ』と夫人ににこやかに宣告されていた。
東から届く手紙には、いつ帰るなどの動向については記されていない。無事に娘に届かない場合を警戒しているのだろう。それでも体調などを気遣う内容の最後は、いつも早く会いたいと締めくくられていて、何度も読み返しては自然に顔がほころぶ。
「それで婚儀の後はどうするの?」
「夜会の夜は王城泊まりですね。その後で王都を少し離れたところの屋敷で過ごして戻ってきます」
「そう……邪魔が入らないとよいのだけれど」
優雅に茶器を口に運びながら、夫人の口調はむしろ邪魔を歓迎しているようにも思える。思わず顔を見合わせた若い二人に、夫人は物慣れた年長者として助言をする。
「なにしろ最初が肝心ですからね。それでその後の夫婦の関係が決まると言っても過言ではなくてよ」
「夫婦の関係、ですか」
「そうよ」
大真面目に頷く夫人に、娘はではどうやって夫人は公爵を従え……やりこ……懐柔したのだろうと考える。
どう見ても公爵が夫人の意向に沿っているようだ。
家というか館の中のことだけであって、対外的には違うのだろうとはうすうす察してはいるが、それでも館の中での夫人の権力は絶大だ。
「まずは、向こうに好意を持たれることね」
「好意を持たれる……」
「で、ずっと好きでいさせればいいの」
「ずっと……」
なんだか違うと娘は思う。その好意を持たれるとか惚れさせるのに苦労するわけで、それを維持するのはもっと大変そうなのに。
さらりと流されても、あまり参考にはならないような。
「外見や立ち居振る舞い、教養で目を惹いて魅力的だと思わせる。政略結婚であればここまでで勝ったも同然かしら。
あとは適度にこちらからも好意を示して、相手からの好意を不動のものにする。その過程では相手の望むように振舞うのも一つの手管ではあるわね」
そういうものかと娘が隣をうかがえば、彼女は真剣に聞き入っている。
いずれは王妃として過酷な環境に身を置かざるをえない。そこに国王陛下の愛情があるか否かで、それが持続するかどうかで過ごしやすさは格段に変わる。
おのずと真剣になるのだろう。
「そうして少しずつ自分を出していくの。こんな私だけど大丈夫? 受け入れてくれる? のような形で相手の前だけでしか見せない自分、を増やしていくの。男性は『あなただけ』っていうのに結構弱いから。そして存外甘えん坊だから話を聞くのも大事」
なるほど、とここは納得できる。
夫人は娘と姪が食いついたのに優雅な微笑みで応じて、お茶を一口飲む。本来は実家の勢力というのも、関係の維持には大切な要素になるが、国王陛下も甥である団長もこれには頓着しないはず。娘の方は臣下ということもあって、平穏な家庭生活は送れそうでもある。
ただ姪の方は、必ず側妃といった問題が起こるだろう。動揺や傷心を最小限に抑えるためにも、地位を固めるのは大切だ。
「全面的に母親になっても駄目、あまりに生々しい女の部分だけでも駄目。その配分は時々で変わるでしょうけれど上手く混ぜ合わせてね」
もう二人は声もなく頷くばかりである。
幸いにも二人とも両親には恵まれていた。子供の前で見せる互いへの思いやりは自然なものであり、演技の必要などなかった。
お手本としては小さなころから見慣れていて、受け継がれているはず。
ただね、と夫人は釘を刺した。
「あまりにも『あなただけ』となると男性は安心して、つい他に目がいくことがあるの。だから、趣味でも交友関係でもいいから、自分だけの世界や繋がりを持って、相手の立ち入れないような時間も楽しみなさい。
魅力的な妻は夫の自慢であるとともに、どこかに行ってしまいそうな不安も掻き立てるものだから」
「そんなものでしょうか」
「そんなものよ」
疑問を口にした娘に夫人はきっぱりと即答した。
未婚のうちは純潔にはことのほかうるさい貴族社会であっても、既婚となれば恋愛は遊戯と考える層でもある。さすがに王妃に誘いをかけるのは、よほどの自信家か身の程知らずだろう。ただ娘の方は、と夫人は扇子の内で思案する。
団長職は何かと忙しい。王城詰めになることも多い。隙ができやすいのに加えて、公爵家の養女で外見はといえば、目立つ黒い髪と黒い瞳。
出自が国内ではないのは一目瞭然だから、くみし易い、騙しやすいと近づく輩は出てきそうだし、いずれは伝説の娘であったことも知れるだろう。色と欲で群がる男がでても不思議ではない。
甥との間が安定してくれないと面倒なことになりかねない。夫人はそう結論づけた。
もっとも甥がべた惚れなのは一目瞭然だから、特に手管を使う必要もないだろう。
ことに故意か偶然か、宰相閣下の命令で東と王都に離れ離れ。その前はさらに遠くにいたわけで数年越しの想いが結実するのだ。
これでよそに目がいくようなら、甥は後ろから切られても不思議じゃない。
結局娘にしても姪にしてもさほど心配することはないのだけれど、と夫人は優雅に扇子をあおいだ。
「肝心なのは、愛情といたわりと感謝を持ち続けることかしら。まあ、夫になる人にも妻がそんな感情を持ち続けられるように努力はしてもらわないと、ねえ」
心もち声を大きくして、ほほ、と笑って夫人の講義は締めくくられた。
扉の向こうでは家令が呆れ顔で立っている。扉を細めにあけた隙間から、女性三人の声を聞き漏らすまいと聞き耳を立てていたのは。
「坊ちゃま。旦那様まで」
「静かにしろ。大事なところなんだ」
「女性って……。いや、母上だからか?」
ぶつぶつと小声で呟いていた二人のささやかな無礼は、天然無邪気によって露見した。
「ねえねえ、父様、兄様、なにしているの? 僕も見る。あ、母様に姉様達だ」
「あなた、見苦しいですわ。ほら、おいでなさい。皆でお茶をいただきましょう」
「う、む。ではそうしようか。お前もおいで」
「父上、一人で怒られるのがお嫌だからって……」
「こんな場合は一蓮托生だろうが」
こうして婚儀前に一家の団欒は和やかになされる。