偽りのホムンクルス
路傍之杜鵑さんの企画「殺し愛、空」参加作品です。
よろしくお願いいたします。
確かに、いつかその日が来るかもしれない。 そう思ってはいた。
でも、そんな日はきっと来ないだろう。どこかでそう信じてもいた。 けど、とうとうその日が来てしまった様だ。
まだ心の準備がまるで出来てない。 いや、そもそも準備出来ることなんてあるのだろうか?
だから、あの手摺は修理しておかなきゃいけなかったのに。
あぁ……。
でもそうだ。 彼は修理しないと危ない。 そう言ってたんだ。
私が、そんなの大丈夫。そう言ったんだ。
とすると、やっぱり私のせいだ。
あの時、まるで時間が止まった様に感じた。
私が突き飛ばした彼は、やけにゆっくりとよろめき、手摺に手を付いた。手摺がぐらり、と向こう側に倒れ、彼の顔に驚きが浮かんだ。
なんで突き飛ばしたんだっけ? その理由なんて覚えてない。取るに足らない、どうでもいいことだったと思う。 殺してやる。そんなつもりは全然なかった。
そのはず。
だって、私は彼を助けようと手を伸ばしたもの。
咄嗟に手を伸ばしたけれど、彼が伸ばした手には届かなかった。
こちらを振り向いた彼は驚いたような表情を浮かべていた。
私だってびっくりしていた。
伸ばした手の向こうの、お互いの瞳には、お互いが映っていた。届かない手を挟んで見詰め合った時間は、ひどく長く感じたけれど、でも、本当は一瞬だったと思う。
でも、伸ばした手の向こうに見えた彼の表情は微笑みに変わっていた。
彼は、どうして微笑んでいたんだろう?
自分を突き飛ばした私を見て、どうして微笑んだりしたんだろう?
階下に本当に落下するまで、自分がどうなるのか認識がなかったのだろうか?
彼の姿が見えなくなった直後、ものすごい音が聞こえた。
そして、静かになった。
私は、こうなることを予想してたのだろうか? 望んでいたのだろうか?
そんなつもりはなかったけど。 でも、本当に違うと言い切れるだろうか?
彼の死は望んでなかったつもり。 けど、憎んではいたかもしれない。
それとも、私は自分の死を望んでいたのだろうか?
生きててもつらいことばかり。 どうする当てもない。なのに、何故か望みだけはある。
だからつらい。 そして苦しい。
夢見てしまう私と、現実の私。その違いが苦しい。
苦しみたくない。 望みたくもない。 なのに、望み、苦しんでしまう。
私は、この世界で生きるのが苦しくて仕方ない。
この苦しみから逃れたい。 そもそも、なぜこんなに苦しまなければいけないのか? どうして、私はこの世界に生まれてしまったのか?
それは、彼がこの世界に私を生み出したから。
だから、私の苦しみはの全ての彼が元凶。
この世界で一番憎かった。 彼なんか居なければ良かったのに。
なんだ、やっぱり私は彼を殺したかったんだ。 私が殺したんだ。
カタ……。
壊れた手摺の向こう側から音がした。
もしかして、生きてる?
慌てて階段を駆け下り、彼の許へと走りよった。
止めを刺すため?
そんな訳ない。
大好きな人の安否を確かめるため。
死んで欲しくなんかない。 殺したくなんてない。 たとえ絶望の苦しみの中でのたうつことになろうと、私は彼のとなりに居たい。
何を願っても、何を望んでも、叶うことなどない、そう知ってはいるけれど。
ただ一度の喜びのために、残り全ての苦しみを引き受けるから。
一瞬の希望の光のために、残り全ての時間を絶望の暗闇に落ちてもいいから。
それでいいいから。
だから、死なないで……。
でも、彼の姿を見た瞬間。 その願いが虚しいことを悟った。
かろうじて、まだ息はある様だった。
けど。 長くもつとは思えなかった。
彼の腹部からは、真っ赤に染まった何かが飛び出ていて、まるで何かのオブジェの様だった。
床に広がる真っ赤な液体が、彼が既に失った血液の量を示していた。
「死なないで!」
駆け寄り、彼の頭をかき抱いて叫んだ。
けど、そんな中。彼はあくまで冷静だった。
「…… 無理…… だ。 もう…… あと…… は…… ひと…… りで…… 行け……」
彼は苦痛に顔を歪めながらも、必死に笑おうとした。
そして、それが彼の最後の努力になってしまった。
ついさっきまで一緒に話してたのに……。
こんなに簡単に死んでしまうなんて、人間なんてあっけない。
私もそうなんだろうか?
けど、もうどうでもいい。 どうせ私は抜け殻だから。
彼を想う、その喜びに胸を震わせ、想いが叶う訳がない、そう苦しむことも。
彼が私を見て笑う、その笑顔に希望を感じ、けど、一番の笑顔は私のものではないことを知り、絶望することも。
これまで、私の気持ちの全ては彼と共にあった。
その全てを一度に失ってしまった。
気持ちなんて持ちたくなかった。 結局苦しむことにしかならない。
こんな気持ちなんて欲しくない。いらない。そう考えていたけれど、それでもとにかく、私は気持ちを持っていた。 皮肉なことに、気持ちがあるからこそ、気持ちなんかいらない、そう感じたのかもしれない。
けど、抜け殻になったはずなのに、ひどくつらかった。 つまり、まだ気持ちをなくしてないのだろうか?
自分でも訳が判らない。
けど、確かなことが一つ。 これで犯罪者だ。
いえ、犯罪者なんていいもんじゃないだろう。
そもそも、私は人間ですらないんだから。
私の身体には、顔にも、見るも無残な傷がある。
それは仕方がない。 私なんて継ぎ接ぎのでっち上げの身体なんだから。
ここで目覚める以前の記憶はない。 それは、記憶がないのではなく、それ以前は私が存在していなかったからだ。
私は彼によって創り出されたホムンクルスだから。
この身体、元が何人分の人間なのか分からないけど、おそらく一人じゃないんだと思う。だって、これだけ継ぎ接ぎの縫い目があるんだもの。
これだけの人体を集めるためには、まともな手段では出来なかったことも多かっただろう。だとすれば、彼こそが犯罪者の可能性が高い。
一体、何のためにそこまでしたのか分からないけど。
とにかく、私が警察などに捕まって、この身体を調べられたらまずい。
私が人間でないことが明るみに出てしまうかもしれない。
そうなったら、彼の罪が明るみに出てしまう。
彼が警察なんかに裁かれるのなんて、そんなの認めることは出来ない。 私を裁けるのが彼しか居ないのと同じに、彼を裁けるのもまた、私だけ。
息が詰まるほどに濃い、憎しみと愛しさだけが、私たちを裁くことが出来る。
そう。 愛しいからこそ憎い。
人間の彼にとって、ホムンクルスである私など、振り向く価値などない異質の存在。
だから、私がどんなに彼を望んでも、私は彼のものにはなれない。たとえ、彼が望んでくれたとしても、私の異質さは揺るがない。
形は似ているかもしれない。 けど、全く異なる生き物。
いえ、私は本当に生き物なんだろうか?
どうして、こんな私を創ったのか?
どうして、私にこんな望みを抱かせたのか?
どちらかさえ無ければ、こんなに苦しむことはなかった。
彼のとなりに生まれて嬉しかった。 でも、彼の人生に寄り添えないのは苦しかった。
彼のものになりたい、そう望むことは胸が躍った。 けど、その望みが虚しいと知るのは苦しかった。
そして何より、そんな気持ちを持つのが辛かった。。
こんな気持ちなんか持たせないで欲しかった。喜びと苦しみに押し潰されてしまう。
でも、彼がいなくなった今、もう全てはどうでもいい。
苦しむ理由も、何かを望む理由も、なくなってしまったのだから。もう、私には生きていく理由なんてなくなってしまった。
だったら、ここで私も一緒に果ててしまおうか?
その思い付きはひどく魅力的だった。
共に生きることは出来なくても、共に滅ぶことなら出来る。そうすれば、私と彼は永遠になれる。それが、私と彼が寄り添える唯一の可能性なら、私はためらう理由を思いつけない。
私はホムンクルスだけど、基本的に人間と同じ。彼はそう言っていた。
だから、きっと彼と同じ様にあっけなく果てることが出来ると思う。
けど……。
彼は、それを望むだろうか?
誰かと共に果てる、そんな最後を彼は望むだろうか?
それに、もし、彼が誰かと共に果てることを望むとしたら、その相手は私なのだろうか?
彼の左手、その薬指には指輪があった。 つまり、彼には奥さんがいる。
だから、彼が一番の笑顔を向ける相手は、きっと彼女。
そして、共に果てるなら、その相手には彼女を望むではないか?
私などというまがい物なんかじゃなくて。
けど、この何ヶ月か一緒にいて、彼はほとんどの時間を私と一緒に過ごしていた。この家を空けることなんてほとんどなかった。
時折どこかに電話してたけど、それは私のことについて相談する電話だった。 どう聞いても、あれは奥さんとの会話じゃなかった。
確かに、昔は奥さんが居たのかもしれない。 けど、もう今はいないんじゃ?
だって、会いに行かないし、会いにも来ない。
少なくとも、もう関係は冷え切ってるんだと思う。
だから、彼がそんな奥さんと一緒に果てようなんて考えることはないはず。
うん。 きっとそう。
さて。 どうしよう?
私の身体が残ると色々とまずいだろう。 詳しくは知らないけど、私の身体は普通の人間とは違うところがあるかもしれない。
ならば、燃やしてしまうのが一番だろうか。
家中に灯油を撒き散らし、その真ん中で、私も彼も一緒に炎に包まれるなんてどうだろう?
灯油なら、庭の物置に、去年の残りが沢山あるはず。
あ、でも、この家を燃やしたら、周辺の家も燃えてしまうだろう。
それは不味いだろうか?
私自身の存在を消し去る為とは言え、周囲の人たちの生活を脅かしてはいけない。そんなことをしたら、あの世で彼に嫌われてしまう。
それは嫌。
じゃぁ、どうしよう……。
あれ?
どうして、私は灯油が物置にあることを知ってるの?
そんなことを彼と話したことはない。 結婚指輪のことだって、聞いたことはない。
彼の考え方だって、はっきりと聞かされたことなんてなかった。
なのに、どうして知ってるんだろう?
何かがおかしい。
身体だけでなく、記憶も一緒に継ぎ接ぎになってるのだろうか?
ふと、彼の指輪が目に入る。
あの指輪。 よく見れば見覚えがある気がする。 何故かひどく懐かしい感じ。
どうしてだろう?
あの指輪のことを考えようとすると、頭痛がする。 彼の奥さんのことなんて考えたくないから。 そう思っていたけど、何か違う。
何か思い出したくないことがあるのだろうか?
思い出すも何も、私には何も無いんだから、そんなことはないはず。
でも違う……。 あの指輪。 そうだ。あの指輪を知ってる。
かつて私も同じ指輪を……。
頭が……、 頭が割れそうに痛い。
あぁ、彼の笑顔。 そう、彼はとても柔らかく微笑む。 あの笑顔を向けられたら、私なんかとろけてしまう。 最近は、あんな風に笑わなくなったけど…・・・。
え?
どうしてそんなことを知ってる?
単なる夢?
いいえ違う。 これは私の記憶だ……。
そう、だ。
今、思い出した……。
私には、ここで目覚める以前の記憶がある。
彼の妻は私だ。 そして交通事故に遭ったんだ。
かなりひどい状態だったはず。 あの時、人生は終わったと思ったもの。 けど、幸いにして、私は一命を取り留めることが出来た。
確かに私は継ぎ接ぎだけど、でも、全部私なんだ。
死なずにすんだのは本当に奇跡だった。
けど、事故のショックで、私は記憶を失ってしまった。
それを、彼は都合がいいと考えたんだ。
彼は、かなり進行した癌だったから。
もう、彼の余命は幾許も残ってなかったはず。
だから、私が記憶を失ったのを幸いに、私を悲しませない為、私との関係を秘密にした。
記憶喪失と言えない代わりに、ホムンクルス、なんて訳のわからない嘘をついた。
それを信じた私もバカだけど。
自分が動けるうちに私のリハビリを終え、どこか遠くに去るつもりだったんだろう。 彼なら、きっとそう考える。
私には真っ直ぐ向き合え、なんて言うくせに。私とのことには臆病なんだから。
けど、私が彼と一緒に居て、恋に落ちないなんて、なんでそう思ったんだろう?
そんな所はバカよね。 そう思う。
彼は死んでしまった。
でも、彼の望みを思い出してしまった。 彼は私に生きて欲しいに違いない。
忘れたままなら、楽だったのに……。
でも、彼の想いを知った上で無視するなんて、私には出来ない。
そんなことをしたら、私の中の彼と向き合えない。
辛いけど、前を向いて生きよう。
まっすぐにけじめをつけていけば、私は、私の中の彼と向き合っていけるから。
それが私の願いだから。
だから、まずは外に出よう。
きちんと向き合って生きていく。それが最愛の彼の望みなんだから。
ラストはちょっと逃げた感じもありますが、意味はお題に沿っているつもりです。とはいえ、基本の構成ががががが。