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鼠になった皇太子は悪女に拾われて恋を知る

作者: 織子
掲載日:2026/04/19


ああ。忌々しい。鼠のような灰色の髪も、冷たく吊り上がった氷のような眼も‥‥――今日で顔を合わせる事が最後になるのを願うばかりだ。


目の前に立つ、自身の婚約者を見据える。彼女を見ると、どうしても眉間に力が入ってしまう。


「公女アマルディア・コーディ。君との婚約は――」


婚約破棄を告げようとした刹那、頭の中に直接声が響いた。


《――情けない!この、馬鹿息子が!》


同時に脳を直接殴られたかのような衝撃を受け、僕の意識は途切れた。



◇◇


僕はマシェド・ルカ・ディダルカーナ。西の大帝国ディダルの皇太子だ。


婚約者のアマルディアと婚約が決まったのは5年前。四大公爵家筆頭の、コーディ公爵家の1人娘との婚約は、母の一存で唐突に決まった。


(皇太子と公女の婚姻は自然なものだ。だが、何故母上はアマルディア公女を選んだのだろうか?あんなに悪名高いというのに)


目を開くと、青々とした大きな葉が眼前に見えた。

(なんだ?どこだここは)

皇城のパーティー会場にいたはずだ。跳ね起きて周りを見渡すと、辺り一面の草むら。しかも、一つ一つの葉が大きい。

自分のいる場所が検討もつかず、茫然と立ち尽くす。


聞き覚えのある金属音が聞こえた。

騎士が歩く時に鎧がぶつかり聞こえるものだ。

(皇室騎士団の詰所?演武場の近くか?)


ふと、大きな影がマシェドを覆った。驚いて振り向くと、頭上に靴底が見える。


(踏まれる)

咄嗟に避けて上を見ると、マシェドは息を呑んだ。


(人間だ。大きい)

悪寒が走り、咄嗟に自身の確認をする。灰色の短い毛に覆われた腕、短い足。頭を触ろうとしても手が届かないが、恐らく尖った耳がある。


(これは‥‥‥鼠だ) 


人の話し声と足音が響き渡り、マシェドは必死で逃げた。


(こんな、こんな事が出来る人物は1人しかいない)

自分を鼠に変えた人物には、心当たりがある。


西大帝国ディダルの女帝。マシェドの母だ。


マシェドの母、ハジェラ・シーフ・ディダルカーナは大陸でも指折りの魔女だ。魔力を多く持つ者の寿命は長い。百年間ディダルの女帝として君臨し、16年前にマシェドを産んだ。長寿と言えど、流石に寿命が来たのか三年前に原因不明で倒れ、そのまま意識が戻らない状態が続いている。


(もう、大陸に残っている魔法使いは母上だけだ)



『――はぁ。全くお前には失望した』


頭に声が響いた。


(母上!)

『久しぶりだな。マシェド』


声も出すことが出来ず、頭の中で会話をする。


(母上、意識が戻ったのですか?起きてすぐにいきなりこのような悪戯をするなんて、何を考えているのです!)


『意識は戻っていない。悪戯ではない。マシェド、お前は過ちを犯している』


(どういう事ですか!)

鼠になっているからか?情報が多すぎて頭で処理が出来ない。

『あまり長くは話せない。いいか、マシェド。間違いに気付くまで、鼠のままだ』


頭に響いていた声が、プチッと接続が切れたように止んだ。

(母上?母上!説明してください!)


それ以降は声が返ってこなかった。



(‥‥‥‥わ、訳が分からない)

頭を抱えようにも手が届かない。

(誰か呼んで助力を‥‥いや、声も出ないのだ。どうすれば‥‥)



 ◇◇


考えた末、マシェドは母の寝ている部屋を目指す事にした。皇帝の寝室。皇城の最上階だ。短い手足を動かし、懸命に進む。途中で庭師に蹴られそうになり、メイドに箒で叩かれそうになった。


(母上ももう少しマシな生き物にしてくれれば良いものを。何故鼠なのだ)


皇城の空気孔から入り込み、ようやく入り口を過ぎて、大広間に入る頃には辺りは暗くなっていた。


(よ、ようやくここまで来たぞ。まだ先は長いが‥‥)

剣術以外でここまで息を切らすほど動いたのは初めてだ。マシェドは人気の少ない廊下を見渡し、その先の階段を見た。‥‥‥嫌な予感がした。

(あの階段を登らないといけないのか?登れるだろうか)

今の自分の手足はかなり短い。


とりあえず階段の前まで走る。目の前まで行き、そびえ立つ階段を見てマシェドは早々に諦めた。

(無理だ。一段すら登れそうにないぞ)


『はっはっは!頑張ってるなマシェド』


軽快な笑い声が頭に響き、マシェドは湧き上がる怒りを必死で抑えた。


(‥‥母上?もう良いでしょう。無様な僕を見て気が済んだのではありませんか?もう元の身体に戻してください)


マシェドが頭の中で言うと、母の軽快だった声は低くなり、重低音の様に響いた。


『何を言うか。まだ何も変わっていないぞ馬鹿者』

そのまま声はブツッと切れた。マシェドは心の中で声を荒げた。


(何なのだ?!あのくそばばぁ!)


母である女帝ハジェラは、いつもこうだった。息子であるマシェドをいつも誂う。皇太子と言えど、魔力を持たないマシェドには母は雲の上の存在だ。

西の魔女として名を馳せているので、近隣の諸外国も帝国ディダルには手を出さない。そんな女帝が倒れたのだから、帝国は大混乱だった。他国からの侵略を防ぎ、国内での内乱を止め、取り入ろうとする貴族たちに牽制をし、母が倒れてからの三年間はマシェドにとって地獄のようだった。


母の留守だった三年を必死に守ってきたというのに、この仕打ちはないんじゃないか。


(過ちと言われてもな)

間違いなど、どれを指しているのか分からない。この三年、何度間違いを起こしたことか。




「まだ皇太子殿下は見つからないの?」

「近衛騎士団が必死に探しているけれど、まだみたいよ」

「しっ、静かに。殿下が行方不明なことはまだ公表されてないのよ」

メイド達の声が聞こえた。マシェドは咄嗟に身を隠そうとしたが、身を隠す場所がない。


(まずい。今見つかったら、殺されてしまうのではないか?)

鼠は見つけたら駆除するものだ。マシェドはゾッとして振り返った。来た道を戻った方がいい。



「――あら?」

声の方を向くと、マシェドは絶句した。先程、婚約破棄を伝えそびれた自身の婚約者が立っている。


(アマルディア・コーディ。なぜここに‥‥!)


アマルディアの冷たい瞳がマシェドを――‥‥鼠を射抜く。


(こ、殺される)

アマルディアに殺されるならば、メイドの手にかかる方がマシだ。マシェドが向きを変えようとすると、ふわりと身体が宙に浮いた。


「見つかってしまいますわよ」

柔らかい声だ。アマルディアの口から発せられたとは、とても思えない。しかしマシェドはアマルディアの両手にふわりと包まれている。


アマルディアはそのまま階段を登った。


「公女様、私が処理しておきましょうか?」

後ろに控える侍女が言った。マシェドの毛が逆立つ。


(驚くと毛が総毛立つな。くそっ)

アマルディアの手にそれが伝わることが、なんだかとても恥ずかしい。


「いいのよ。可哀想でしょう。後で逃がしてあげましょう」


予想外の言葉に、マシェドは心底驚いた。

(何だ?普段と印象が随分違うな)


普段と言っても、ここ数年は馬車馬の様に忙しい日々を過ごしていて、アマルディアとの交流はほぼ皆無だった。よく考えれば普段の様子は知らないのかもしれない。


アマルディアはマシェド鼠を手にふわりと包んで隠し、また階段を登る。


(そうか。公女はここ最近皇城で過ごしているんだったな。それなのに会う暇もないとは)


マシェドはここ数日、アマルディアとの面会を希望していた。今日のパーティーまでに婚約破棄を伝えたかったが、面会を断られ続けたのだ。マシェドとて、最初から公衆の面前で言い渡すつもりはなかった。


廊下を進むと、正面に人影が見えた。男はアマルディアに気付くと大股で闊歩して近付いて来た。


「これはこれは公女様。部屋から出ないように言われませんでしたか?皇城を我が物顔で歩き回るものではありませんぞ。今や皇太子殿下が行方不明。貴方に何か嫌疑がかかるやもしれませんからな」


偉そうに言う男は、アマルディアの塞がった手に不審な視線を向けた。

「それは何ですかな?」

「リスでごさいます。怪我をしているようなので、保護致しました」

アマルディアが目を伏せて言うと、男は満足そうに言った。

「ええ。部屋で籠もって手当てするのが良いでしょう。部屋の外で余計な事をせずに」

「分かりました」

アマルディアが頭を下げると、男は足音を響かせ去って行った。マシェドはアマルディアの指の隙間から覗く。


(ラシード侯爵じゃないか。随分と嫌な言い回しだったが‥‥)

ちらりとアマルディアの顔も覗く。疲れた表情をしている。

(公女も何故何も言い返さないんだ)


指の隙間から見ていたのがバレたのか、アマルディアはマシェド鼠に向かって微笑んだ。


初めて見るアマルディアの微笑みにマシェドは固まった。


手に包まれたまま、部屋まで連れて来られた。ふわりとソファの上のクッションに降ろされる。


「あら?この子逃げないわ」

「ただの鼠ではなさそうですね。人に慣れているようですし」

「好きなだけ居ていいのよ。ねぇ、メアリーこの子は何を食べるかしら」


メアリーと呼ばれた侍女は眉を顰める。

「公女様のペットが鼠なのはいただけません。明日、外へ逃がしましょう」


「駄目かしら?」

アマルディアはしょんぼりと分かりやすく落ち込んだ。


(公女が鼠を飼いたがるなど)

驚いた。驚いたが、不快感は全く沸かない。


「だってほら、この金色の瞳、殿下に似てとても、美しいのよ」


マシェドは黒髪に金の瞳を持っている。頬が熱い。鼠だから変わらないが、人間の姿ならば頬が紅く染まっていたかもしれない。


(アマルディアは僕の瞳を美しいと思ってくれていたのか)


マシェドは素直に嬉しいと感じた。目の前にいるアマルディアは、周りから聞いていたような傲慢さもなく、侍女に辛く当たっている訳でもなさそうだ。

確かにドレスは妖艶な物を着ているが、小動物にも思いやりを持つこの女性が、他者を傷付ける姿は想像が出来ない。


(ここ数年、聞いてきた彼女に関する報告とかなり差があるな)


「メアリ。今朝のクッキーの残りはまだあるかしら」

「ございますが、珍しいですね。召し上がられますか?」

「この子にあげてちょうだい」


マシェドも、侍女のメアリも驚いた。

メアリは棚からクッキーを出してアマルディアの前にコトリと置く。アマルディアはクッキーを一つ取り、マシェドの前に置いた。実を言うと、相当力を使い疲れている。腹も減っていた。マシェドはありがたくクッキーを貰い、前歯でカリカリと食べる。

アマルディアはにこにことその様子を眺めている。


メアリがため息と共に言った。

「全く。鼠に施しを上げる貴族令嬢など、お嬢様くらいのものです。それなのに、侍女である私に日々体罰をしているだの、贅の限りを尽くしているだの、色狂いだのと‥‥」

「仕方ないわ。なんとか皇太子殿下がここまで正したとはいえ、帝国の情勢はまだ荒れているもの」


「だからってお嬢様が犠牲になるのは許せません」


(なるほど‥‥)

マシェドは目の前で微笑むアマルディアを眺めた。

(母上の言う、俺の過ちはこれか)


アマルディアの悪行はこの2年たくさん聞いて来た。婚約破棄に踏み切ったのは、彼女が国庫の財産にまで手を付け始めたと報告があったからだ。


(僕に虚偽の報告をしていたのか‥‥はぁ。情けない)

そんな嘘にまんまと嵌った自分が。

とりあえず財務担当のアイハム子爵と、側近のリディア伯爵。世話役のラシード侯爵は話を聞いて即解雇だ。



『分かったか?』


頭に響く声に、感謝の気持ちで返事をした。

(はい。母上)

危うく取り返しがつかない間違いを起こす所だった。未熟な自分が恥ずかしい。


(母上。元に戻してください。こうなれば一刻も早く対処したいのです。彼女の尊厳も回復かせたい)


三年近く、己の未熟さのせいで婚約者に辛い思いをさせていたなんて。


『ああ‥‥そうなんだが。それがちょっと難しくてな』


威厳のあった声音が、途端に萎んだ。

(えっ?どういう事です?)


『お前にかけた魔法に、思いのほか力を使ったようでな。すぐには戻せそうにない』

(なっ‥‥)

かじっていたクッキーを思わず落としてしまった。それを見たアマルディアが慌てて拾ってくれる。なんて優しい人なんだ。

(こんな女性に僕はなんてことを‥‥‥‥いや、今はそれは置いておかないと)


すぐには戻せないとなると、それはとても困る。

皇太子が何日も行方不明など。マシェドを利用しようとしている勢力はこの機会を逃さないだろう。


『とりあえず明日私の部屋まで来てくれ』

(どうやって?母上、僕は今、階段も登れないのですよ?)

『それは大丈夫だ。今日はもう‥‥‥』


頭の中の声がプツリと切れた。

マシェドはアマルディアに渡されたクッキーを持ち、立ちすくむ。


アマルディアは動かなくなったマシェド鼠の頭を人差し指で優しく撫でた。


「もうお腹いっぱいかしら?寝てもいいのよ。鼠ちゃん」

赤児に言われるような口調に、マシェドは少し憤慨した。悪い気がしないのでなんとも居心地が悪い。

アマルディアは尚も頭を撫で続けている。


「ふふ。ふわふわだわ。私と同じ、灰色の毛ね」


マシェドの心臓がズクリと痛んだ。

――鼠のような灰色の髪。自分もそう思った事もある。だが今では全くそうは思わない。


(まるで月光のような髪色だ)

部屋の中で見ても美しいシルバーグレーの髪。日の光の元で見ても、大層綺麗なことだろう。


頭を撫でられるなど、記憶している中では初めてだ。心地よさに身体が緩む。


マシェドは疲労と、心地よさに抗えず、コトンと眠りについてしまった。

 


◇◇


朝、マシェドは思考を無にしようと努めていた。


侍女達の声で目が覚め、起き上がると目の前でアマルディアの支度が行われていた。支度と言うか、着替えだ。


マシェドは寝たふりをして思考を止めた。誰も鼠に見られた所で気にしないだろう。しかし婚約者の着替えを覗くような男にはなりたくなかったし、思考は母に筒抜けなのではないかと気が気ではない。



「では失礼致します」

数人の侍女が部屋を出た。支度が終わったのだろう。マシェドは目を開けた。


「あら。起きたの?鼠ちゃん」

アマルディアが微笑む。マシェドは吸い込まれるようにアマルディアを見た。

昨日と同じ人物なはずなのに、今日のアマルディアは今までと全く違う。きらきらと輝きを放っている。

月光の様な髪がさらりと流れ、冷たく氷の様だと思っていた瞳は澄んだ空の色だ。吊り目気味の瞳が微笑みと共に細くなると、心臓に鷲掴みされたような衝撃が走った。


(な、なんだこれは)

鼠の心拍はこんなにも早いのか。苦しい程だ。


アマルディアはマシェドを持ち上げ、メアリの持つバスケットに入れた。

「大人しくしててくださいね」

妖艶な微笑みに、マシェドは何度も頷いた。




◇◇


アマルディアがやって来たのは、皇帝の寝室。母の部屋だった。

何度も来ているのか、扉の前の護衛騎士はアマルディアが来るとすぐに扉を開いた。


マシェドはバスケットから頭を出し、ベッドに横たわる母を見た。


「陛下、お加減はいかがでしょう?」

アマルディアが返事をしない女帝に声をかけ、ベッド脇の棚の花を変えるよう侍女に指示を出す。


(母上‥‥痩せているな‥‥)


最後にこの部屋に来たのは二月前だったか。マシェドの後ろめたい気持ちが胸中に広がる。


『そりゃあ三年も、寝ているならな』

母の声が頭に響く。


『アマルディアだけだ。こうも頻繁に見舞ってくれているのは。なぁ薄情な息子よ』


(う‥‥‥)

面目次第も無い。忙しかったなどと言い訳にもならない。


『まぁそれはそれとして、マシェド。私の身体に触れてみなさい』

(え?それで戻れるのですか?)

マシェドは籠からするりと抜け出て、侍女達の目を盗み布団に入り込んだ。そして母の指に触れる。


(‥‥‥‥‥?何も起こりませんが)

鼠の姿で母の身体を睨む。


『うむ‥‥駄目か。私の魔力は体内の毒を分解するのに使っているからな』

(毒?母上は毒を盛られて眠っているのですか!?)


今さらながらに驚愕する。皇帝の暗殺未遂。

(僕はこんなにも無能だったのか)

『そうだ。定期的に盛られている。お前が侮られているのもあるが、私も年を取ったからな』


母の容赦のない物言いをマシェドは無言で胸に刻む。


(母上はもう眠ったままなのですか?)

『いや。三年かかったが、ようやく完全に分解出来そうだ。私の方は自分でなんとかする。マシェド、お前、自分の力で戻れないか?』


(自分の力、とは?)

『そのままの意味だ。私の息子なのだから、少量とて魔力があるはずなんだが』


‥‥‥そうは言われても。魔力など感じた事がない。



コンコン。


『――っ?』

(母上?)

頭に響く息づかいだけで、母の警戒が扉に向けられたことを感じた。


(どうしたのです?)

『まずいな』


今、皇帝の寝室に居るのは、横たわる母とアマルディア。侍女のメアリ。それと鼠のマシェドだけだ。他の侍女は既に下がっている。


返事をしていないにもかかわらず、扉は開いた。


「ああ。やはりここでしたか。アマルディア公女」

入って来たのはラシード侯爵だった。口元に笑みを浮かべてアマルディアに言った。


『やはり侯爵か。侯爵が来る‥‥と、私の力が‥‥』

プツリと声が切れた。


(母上?)

ラシード侯爵はゆっくりアマルディアに近付く。マシェドは布団から這い出て、アマルディアに飛び乗った。


「ラシード侯?どうされました?」

アマルディアの問いに、ラシード侯爵は無言で笑みだけを浮かべている。ラシード侯爵の不審な笑みに、メアリもアマルディアの前に立った。


ラシード侯爵は口を開いた。

「もうすぐ皇室騎士団がこちらに来ます。公女の、皇太子誘拐の罪状を持って」


「誘拐?何のことです?」

アマルディアは狼狽えながら言った。


ラシード侯爵は腰の剣に手をかけた。カチャリと音が立つ。

「身に覚えがないのも仕方ありません。説明するのも面倒ですので、貴方にはここで死んでいただきます。皇帝陛下殺害の罪状も加えて」


ラシード侯爵が剣を抜く。抜き身の剣をアマルディアとメアリに向けた。構えは隙だらけだが、今の鼠の姿のマシェドではどうすることも出来ない。


アマルディアは震える手を握り、前に立つメアリを自分の後ろに引っ張った。


「ラシード侯がそう決められたのならば、私には成すすべもありません。この侍女は最近付いたばかり、見逃してはもらえませんか?」


カチカチと歯が震えながらも、アマルディアは言い切った。

マシェドは灰色の毛が総毛立つのを感じた。


驚いた訳ではない。武者震いに近いものだ。

アマルディアの肩から思い切り飛び、ラシード侯爵の腕に噛み付いた。


「うっ?!何だ?鼠?!」

驚いたラシード侯爵がマシェドを叩き落とす。既の所で、アマルディアが手を伸ばしてマシェドを受け止めた。


「くそっ!」

ラシード侯爵は剣を振り上げた。

(――近い。アマルディアに刃先が届く)

マシェドはアマルディアを押しのけようとしたが、びくともしない。それどころか、アマルディアはマシェドを庇うように握りしめた。


(鼠すら庇うのか?)


刃先がアマルディアの背に届く瞬間、マシェドの視界が白く染まった。


「うぅっ!何だ?!」

ラシード侯爵は狼狽えて一歩下がった。

視界の端にラシード侯爵が握る剣を捕らえて、思い切り蹴り上げた。


アマルディアの手を掴み、背後へ引っ張る。蹴り上げた剣を頭上で掴み、剣先をしならせてラシード侯爵の喉元に突きつけた。


「ふぅ‥‥」

短く息を吐く。視界に移る自身の腕に、安堵する。

(間一髪、人に戻れたな)


「こ、皇太子殿下‥‥?」

ラシード侯爵が後退りながら呟くように言った。


「動くな。説明は後で聞く」


マシェドが言うと、ラシード侯爵は震えるように笑った。

「ふっ‥‥ふふは。殿下、まさか私が一人で来たとでも?おい!」


ラシード侯爵の合図で、次々と扉から黒装束の男達が押し入って来る。


(5、6、7‥‥多いな)


「ははっ!誘拐ではなく、罪状を殺人にしよう。遺書も用意してある。心配するな。すぐに皇帝‥‥いや、西の魔女も後を追うことになるだろう」


ラシード侯爵は笑いながら下がった。マシェド達の周りを黒装束の男たちが取り囲む。


マシェドは額に汗が流れるのを感じた。手元に得物があるだけ幸運か。


(刺し違えてでも‥‥)


「良い心がけだが、命は大事にしないとな」


聞き覚えのある声が部屋に響いた。


「「うっ!」」

「「ぐぁっ」」

男達が次々と宙に浮き、苦しそうに呻く。異様な光景に背後のアマルディアが震えながらしがみつく。


(助かった‥‥)

剣を持っていない左手で、アマルディアをぽんぽんと撫でた。そしてベッドを向くと、上体を起こしてこちらに手を掲げている母の姿があった。


「母上‥‥」


「ぎりぎりだったな。マシェド。よくやった」


皇帝が掲げた手を下げると、男達が地面に倒れて行く。失神しているようだ。


蒼白な顔でこちらを見ているラシード侯爵は、口を縫い付けられているのか、ガクガクと震えるばかりだ。


「母上、ご無事で何よりです。身体の毒も解毒出来たのですね」

マシェドが安堵して言うと、皇帝は少し思案して答えた。


「ああ。マシェドが元に戻った際に、魔力が私に戻ってきたようだ。完全に解毒出来てはいないが、簡単な術なら仕えるほど回復出来た」


‥‥簡単な術。皇帝にとっては、複数の暗殺者を瞬時に撃退出来る術を、簡単と言うらしい。

マシェドは偉大な魔女に呆れた視線を送った。



「‥‥元に?まさか、先程の鼠ちゃんは‥‥殿下だったのですか?」

マシェドが視線を下に向けると、アマルディアはしがみつくようにマシェドにくっついている。その事実に気付かないほど動揺している。マシェドはアマルディア肩に手を回した。

「――っ?!えっ、あっ‥‥申し訳ありません殿下」

アマルディアが慌てて離れる。


離れないよう腕に力をいれたかったが、マシェドは必死に我慢した。


「へ、陛下。目が覚めて本当に良かったです。あの、えっと、これはどういう状況なのでしょう‥‥?」

真っ赤になって慌てるアマルディアに、皇帝は微笑んだ。


「うん、そうだね。とりあえず愚息よ、話せるようになり、公女に何か言うことはないのか?」


マシェドは半眼で皇帝を睨んだ。

言うべき事は分かっている。心の準備もそうだが、何より母親がいない所で言いたかった。


アマルディアを見ると、蒼白な顔でビクリと身体を震わせた。


(そんな事を言ってる場合ではないな)


マシェドはアマルディアの前に跪いた。手を取り、揺れる空色の瞳を見上げる。


「アマルディア公女。先日は貴方に大変失礼な事をした。いや、それ以前からずっと‥‥貴方の事を誤解していた。心から謝罪をしたい。本当に申し訳なかった」


アマルディアは突然の事に狼狽えている。視線を泳がし、皇帝似助けを求めるように視線を送った。

皇帝は申し訳なさそうに微笑っているだけだ。


マシェドは握った手に少しだけ力を入れた。力の加減を間違えると、壊れてしまいそうな小さな手だ。


「公女さえ良ければ、僕に挽回の機会が欲しい。出来るならば、婚約を継続してくれないか」


我ながら、女々しい事は分かっている。縋るような気分だ。 


しばらく待つと、アマルディアは小さな声で言った。

「わ、私に婚約破棄の意思はありません」

「本当か?許して貰えるのだろうか?」 

パッと顔をあげ、アマルディアの表情をのぞき込む。


アマルディアは頬を染めて顔を逸らした。

(だ、抱きしめたい‥‥!)

マシェドが手を動かすと、皇帝が声を上げた。


「待て!」

マシェドは固まる。


アマルディアも驚いて皇帝を見た。

「本当に良いのか?公女。そなたにマシェドはもったいない気がしてきた」


マシェドに衝撃が走る。

(なっ‥‥!何を言うのです母上!)


しかし皇帝はマシェドの心の声は無視した。もう聞こえていないのか、聞こえていて無視したのかは分からないが。


「すぐに結論を出さなくてもいいぞ公女。マシェドには挽回の機会を与えるだけで良い。私の目が黒いうちは、そなたの意に沿わない事はしないと誓おう」


皇帝はそう言うと、意地の悪い笑みを浮かべてマシェドを見た。


(意に沿わないって‥‥アマルディアが僕を好きにならないと婚姻は結べないと言うことか‥‥?)

自分の今までの行いを思い出し、マシェドは軽く絶望を感じた。


堪らずアマルディアを見ると、パッと目が逸らされた。

「‥‥‥!!」

これは望みが薄いんじゃないだろうか。


(は、母上は今120歳くらいだよな。いくら寿命が長いとは言え‥‥)


邪な事を考えていると、皇帝が低い声でピシャリと言った。

「私はまだまだ死なないぞ。魔女だからな。あと百年は生きる」


マシェドは言葉を失った。









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― 新着の感想 ―
アマルディア可愛いなぁ…… マシェドの目は相当節穴だったんだねw
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