神舞の日。
夕凪島に住み始めて初めての夏――
一人暮らしの生活にもだいぶ慣れてきて、生活のリズムや島の地理も覚えてきて、やっと少し落ち着いてきた。
仕事は覚えなきゃいけないことがあるけれど、それはそれでやりがいにもなっている。
館長の畑さんは三神さんの知り合い。
そのおかげで図書館で働けている。
畑さんは、もう70歳近いのに嘱託社員として懇願されて館長を務めているみたい。
しかも郷土史家としての一面を持っていて、
「梨花ちゃんに任せるからね」
そう言って、すぐにいなくなる。
こんなのでいいのかなって思うけど。
周りの先輩社員は、
「いいの、いいの」
当然のように送り出す。
でも、困った時は助けてくれるし、島の歴史にはすこぶる詳しい不思議な人。
色々あるけれど、なによりも、島の空気の中で生活できている喜びの方が勝っていた。
そして、私は今――
三神さんに手伝ってもらい、久しぶりの浴衣に袖を通している。
薄い水色に藍色と赤紫の撫子の総柄。
そして、生成り色の麻の半幅帯。
帯に手を当て小さく息を吐く。
「どうした梨花さん、帯きつい?」
三神さんが鏡越しに顔を並べて話しかける。
「え? なんか久しぶりで、浴衣」
「そう? 恋してる顔だけど」
「え?」
頬を両手で押さえる。
鏡の中の三神さんの目尻が下がる。
「梨花さんの正直なとこ好きだな」
私って分かりやすいのかな。
指で頬をぽりぽり。
「あの、看護学生の彼でしょ? 引越しの手伝いに来てくれた」
「……ああ、そうなんですけど……」
「何か気になる? いい子だとは思うよ。彼も梨花さんのこと好きなんじゃないかな」
「ひぇ」
急に出てきた好きという言葉に、いい年の私はおくびもなく声が裏返る。
「だって、ずっと、見てるよお互いのこと」
「そう……ですか?」
「自信ない?」
私は首を振る。
「そういうんじゃなくて……いいのかなって、私で」
「いいんじゃない? ほら行っといで、遅れるよ」
パン。
三神さんの手が私の背中を叩く。
「はい。行ってきます」
そう――
樹くんのことが気になってる。
もうずっと、かな。
とくにこっちに来て、数少ない島の知り合いとして頼りにしてるところもあるし。
実際、会う機会が多くなって、会話をしたり、時間を過ごしたりしてみて。
樹くんに惹かれているのは間違いなくて。
一緒にいたいなって。
どうしても、シンくんの面影を重ねてしまう部分はあった。
兄弟だからなんだろうけど、そっくりな部分があまりにも多いから。
それぞれに、居心地がいいって、心が落ち着くって感じる。
でも、違いも分かってきた。
例えば――
シンくんは私と向い合せ。
樹くんは私と背中合わせ。
シンくんはスッと前を行くやさしさ。
樹くんはそっと後ろにいてくれるやさしさ。
共通しているのは、角度や視点は違うけど私を見てくれていること。
でもね。
樹くんは、私がシンくんのことを好きだったこと。
シンくんも私のことを大切に想っていたことを知っている。
そんな私が好きだって言っても、シンくんを追いかけてる、似てるからでしょって思われても仕方ないし。
なおさら、こんな私が好きになって、いいのかなって。
色んな事が巡る理由は分かってるんだよ。
だって。
私の好きは一つしかない。
樹くんが――
好き。
だから、今日のデート。
私から誘った。
急だったから、夜しか空いてなかったけど。
夕凪島の伝統行事『神舞』を樹くんと見に行く。
暮れ馴染んだ空。
町には団欒の明かりと街灯が灯り始めている。
西の空には虹の一端のような空が顔をのぞかせている。
りー、りー。
気持ち良さそうに歌う虫の音。
ぽこ、ぽこと下駄の足音とかなさる。
祭が行われてる、瀬田神社がある辺りは、ぼんやりと光っているように見える。
お祭り自体は昼間から始まっていて『神舞』は日が沈んでから催される。
徒歩5分程の道のり。
浴衣に身を包んだ人も多いみたい。
普段、歩く人の少ない道路にも人が出ている。
追い越して行く風が、うなじに触れる。
住み始めて分かった事だけど、島の朝晩は夏でも意外と涼しい。
そして、とても静か。
同じ時間のはずなのに、流れが穏やかなんだよね。
そのお陰で時間の使い方も変わってきた。
朝は少し早めに起きて散歩したり、創作をしたり。
遅くても23時には寝ている。
美瑠に話したら、うちのおばあちゃんじゃんって笑ってた。
樹くんとは、神社の楼門で待ち合わせ。
細い参道にはたこやき、焼きそば、焼きもろこし……
店と匂いが建ち並ぶ。
ちょっと煙が目にしみた。
地元の伝統のお祭りだけあって見物客も多い。
そんな人混みを苦にすることなく、楼門脇の塀の前に樹くんを見つけた。
ライトベージュのハーフパンツにオリーブ色のポロシャツ。
私は襟元に手を添えて、浴衣の裾を伸ばす。
指の間の鼻緒がくすぐったくなって。
一歩踏み出そうとした時。
樹くんに駆け寄る女性。
デニムのミニスカートにクリームイエローのTシャツ。
笑顔で応じる樹くん。
そのまま交わされる会話。
時折、樹くんは辺りを窺う視線を投げる。
くしゅってなる。
もう、分かってる。
そんなこと。
小さく息を吐いて歩き出す。
私に気付いた樹くん。
微笑みが飛んでくる。
私もはじき返す。
すると樹くんは女性に私のことを話しているのか手をこっちに指し示す。
軽く会釈を交わしたら、そのまま女性は去って行った。
「ごめんね、待った?」
「ああ、いえ。さっきの子、その同級生で」
鼻の下をこすって苦笑い。
「うん」
樹くんは何か言いかけて、胸に手を添える。
私は首をかしげる。
「あの、その浴衣かわいいですね」
視線は逸れたまま。
きゅんとして、うれしくて。
うなじがそわそわして、バレてもいいんだけど、恥ずかしくて胸の高鳴りを隠すように襟を直すふりをする。
「ありがとう」
樹くんはゆっくり片頬にえくぼを浮かべた。
「じゃあ、中行きましょう」
「はい」
私たちは並んで楼門をくぐる。
樹くんの歩き方はゆっくり。
元々なのかな。
合わせてくれてるのかな。
視線がちらちらと――
見てしまう手。
つないでみたいけど……
あの頃は、何のためらいもなくつなげた手だけど。
大人になると簡単に出来ないことってあるんだな。
クスッと笑みがわく。
初めてのデートだもんね。
まだ、気持ちも伝えてないし。
境内の中にもいくつか露店が出ている。
提灯や垂れ幕でおめかしされた華やかな空間。
正面、境内の中央に六角形のお堂があり、その奥が社殿。
そしてお堂が『神舞』の舞台。
私たちは左手へ進み手水舎でお清めをして、傍の木立の中で立ち止まる。
「この辺でも見れると思います」
「楽しみだな」
「梨花さん何か食べます? 僕、買ってきますよ」
「じゃあ、一緒に行こう」
近くの露店で、たこ焼き、天ぷら、焼きそばを買い込んだ。
ベンチは空いてなくて、さっきの木立の中に戻ってきた私たち。
「この辺、座ります?」
樹くんはハンドタオルを地面に敷いてくれた。
そっと腰を下ろす。
懐かしい土の感触と草の匂いが立ちのぼる。
抜ける風が枝葉をさらさらと揺する。
空は夜の帳の中にあって、まあるい月が煌々と微笑んでいる。
樹くんは食事をしながら『神舞』について簡単に説明してくれた。
たこ焼きを頬張り、その横顔を窺いつつ耳を傾ける私。
神舞は神の化身である二人の巫女が、人々のために舞を奉納するというもの。
島独自に伝わるは舞は巫女装束も独特で、一人は上下白。
もう一人は上が赤、下が黒という出で立ち。
さらに、音楽も際立っていて、前半はよくあるような雅やかな、ゆったりした曲調。
だけど、終盤に転調すると一気にテンポが上がり、舞というよりはダンスに近いくらい激しくなるという。
そして、神舞が終わった後に、二人の巫女から勾玉の形をした飴が観客に配られる。
「飴は神威のお裾分けってことみたいです」
焼きそばを口に運ぶ樹くん。
おいしそうに食べている。
頬が緩んでニヤついてしまう。
「ん? どうしました」
「へ? ううん、何かワクワクしてきた」
「僕もです」
少し見つめ合う感じになって――
唇やまつ毛に視線が揺れて、でも離れなくて、火照り出した顔。
まるで、頭に心臓があるみたいで。
「え、ああ、そうだ、早苗ちゃんの舞、楽しみだね」
「あ、はい、そうですね。でも、早苗ちゃんが選ばれてよかった」
樹くんは、スッと遠い目をして、焼きそばに箸を付けた。
私はペットボトルのジュースを流し込む。
液体の冷たさが鼓動をなだめてくれる。
りー、りー。
涼しさを運ぶ音色。
小さく息を吐いて、たこ焼きを一口。
舞台となる六角堂の上には烏帽子姿の奏者が楽器を手に準備をはじめているようだった。
『神舞』の舞手は地元の高校三年生の女子が務めることが慣例になっているみたい。
だけど、年々応募自体が減ってきているという。
今年の舞手の一人は、斉宮早苗ちゃん。
そう、去年のシンくんの命日。
お墓で会った――
シンくんが助けた女の子。
私は、その話を聞いてから、ずっと気になっていたんだ。
こころが過敏になっちゃった早苗ちゃんのことが。
神社の低い裏山の上。
満月が放つ青白い光が、木立の中の私たちを柔らかく包んでいた。
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