あわせて
澄んだ青空に鳶が旋回して、風が冷え込みを連れてくる中、陽射しが温もりを運んでくれる。
チュン、チュン。
雀の軽やかな会話。
サー、ササー。
梢の歌声。
そんな空間の中にシンくんはいる。
山の緩やかな斜面に庵治石の墓石が輝いている。
柄杓で水を掛けると、鼻の下をこすって笑った顔のように、眩しいくらいキラキラしていた。
私は白と黄色の菊と、日日草を供える。
美瑠が線香の束に火を灯すと、匂いと共に立ち上った煙が、スーッと天へと昇っていく。
「美瑠。紹介するね、シンくんだよ」
落ち葉が風に乗って舞い上がり、はらりと髪が唇に残る。
「初めまして、シンくん。香坂美瑠です。梨花の心の友達、心友です。シンくんのことは聞いていましたよ、梨花の初恋の人だって」
私を見て肩をすくめ微笑むと、美瑠は手を合わせた。
私も、口元の髪を払って手を合わせる――
シンくん、また来たよ。
今日は心友の美瑠を連れてきた。
きれいな子でしょ?
でもだめだよ、ちゃんと彼氏いるからね。
フフフ。
私は見ての通り元気にしてるよ。
それに――
来年から島で働くんだよ。
驚いた?
どうしてかって?
夕凪島が好きなんだ。
シンくんにこだわってるわけではないよ。
この先、誰かを好きになって、結婚もするかもしれない。
でもね、あの5日間の想い出と愛をくれたシンくんのことは忘れないよ。
ちゃんと私の中で一緒にいるから。
シンくんに出逢えて良かったよ。
本当だよ。
だから見守っててね……
ずっと、ずっと。
サー、サー。
風が優しく木々を撫でる音。
菊と線香の匂いを宙にかき交ぜた。
目を開けると、私の影が墓石と重なっていた。
トン、トンと地面を踏む音が近づいてきて背後に人の気配。
振り返ると、ピーコートを羽織った制服姿の女の子が花束を抱えて立っていた。
「おはようございます」
軽く会釈をする女の子。
寒さで紅潮した頬にあどけなさを残す顔立ち。
私たちが挨拶をして、どうぞと促すと、
「ありがとうございます」
女の子は花を丁寧に供えて、しゃがんで手を合わせた。
その指先が小刻みに震え、微かに口から零れた音は聞き取れなかった。
うしろで一つにまとめた黒髪が、滑らかに朝の光を受けている。
――長い弔い。
何かを語りかけているのか、会話しているのか。
そっと顔を上げた女の子の長いまつ毛が揺れる。
真っ直ぐ墓石を見上げる眼差しは、冬のせいだろうか哀しく見えた。
女の子はゆっくり立ち上がると、私たちに交互に視線おくる。
「あの、ご家族の方ですか?」
少しおどおどしたような声。
「いいえ、違いますよ」
「あっ、失礼しました」
女の子はペコリとお辞儀をすると、くるりと身を翻し早足で去って行った。
「かわいい子だね」
「もしかして、彼女だったり?」
「え? ああ、そうかもね」
私が肘で小突くと、美瑠は舌を出しておどける。
「でも今日、平日なのにあの子、学校休みなのかな?」
「そっか……」
たしかに今日は金曜日。
「あれかな、試験休みか何かの振り替え休日とかかもね」
「そうだね」
私は何故か気になって、女の子の姿はもう見えないのに、その方角を見つめていた。
それから、お墓の前で三人でティータイム。
ラムネがなかったから、サイダーだけど。
ベビースターとうまい棒。
私と美瑠の笑い声が潤う空間。
シンくん以外のご先祖様には賑やかかなって思ったけど。
供えた花たちは、朝の低い太陽の光を受けて、ひときわ色鮮やかに花びらを震わせて笑っていた。
「じゃあ、シンくんまたね」
帰り際、私は小さく手を振る。
「シンくん、梨花のことよろしくお願いします。見守っててあげてね、私の分まで」
もう一度、手を合わせる美瑠。
「ありがとう、美瑠」
美瑠は鼻に皺を寄せてイーッと笑って見せた。
次の目的地は約束の木。
美瑠は免許を持っていないから、運転は私の役目。
免許は大学一年の時に取得していたけど、東京にいたら車とか全然必要ない。
あれば便利だけど、なくても不便じゃない。
だから、島への移住が決まってから、お父さんのセダンで早朝とかに必死で練習。
心配したお父さんが慣れるまで付き添ってくれた。
移住の話を両親に相談した時、意外にもお父さんは反対しなかった。
三神さんという知り合いがいるというのも大きかったかもしれない。
でも、ある日、運転の練習中に。
「梨花、お前、恋人が向こうにいるのか?」
そう聞かれた時は慌ててブレーキを踏みそうになった。
もう、シンくんは亡くなっていたけど。
私が夕凪島に関心があるのは部屋の本棚を見ればわかるし。
小さい頃行きたいってせがんでもいたし。
年頃の女の子が彼氏の一人も家に連れてこないで、一人旅が夕凪島だもんね。
「……違うよ」
「そうか。……まあ、いつでも連絡しろ。何でもいいから」
そう微笑むお父さんの笑顔が優しくも、寂しそうでもあった。
車は真っ直ぐ伸びた道を進む。
醤油工場が建ち並ぶこの辺り、窓を閉めていてもあの匂いが車の中にまで漂っている気がしてくる。
「なんかさ、上手く言えないけど、梨花がこの島に住みたいって理由が分かった気がするよ」
美瑠は片腕を抱いて、人差し指を顎に当てている。
考える人みたいに。
「ふーん、どんなこと?」
「なんか、梨花が話してくれたまんまのキラキラした世界だったから、夏じゃなくてもさ、純粋にいいとこだなって感じたよ」
「そっか」
そう思ってくれたことが素直に嬉しい。
「あっ、ごめん思い出しちゃった?」
「ううん、大丈夫だよ全然」
私の笑みを見た美瑠は、うんうんと頷く。
「いい顔してる、あの時と一緒だ」
「うん?」
「なんか決意した時の顔」
「そう?」
「最初に聞いた時はさ、彼が亡くなったこととか、想いに縛られてるかなって、梨花はそんなことないっていってたけど、正直不安だった。彼との想い出が詰まった場所で暮らすって聞いて」
「ううん、嬉しいよ気にかけてくれて」
「フフン。でも、梨花をずっとこの二年間見てて、彼の死をちゃんと受け止めて自分の道を歩こうとしているのが分かったし、大好きだった彼をさ忘れないでいたいって、純粋にそう思ってるんだなって、この島に来てさ感じたよ」
「うん、ちゃんと前向いてるよ」
「彼のことを心の中で寄り添いながらか、梨花さ強くなったね」
「そう? 変わらないよ私は」
「そっか。たしかにブレないとこはまんまか」
「もう!」
笑い声が重なる車内にまだ傾いている朝の陽射しが差し込んできた。
ハンドルを握る私の手に温もりをもたらして。
坂手港の駐車場に車を止めて、高台の公園を目指す。
色が抜け落ちてすっぴんのような山。
それもきれいに思えるって、自然は凄い。
商店街は年々店仕舞いされ、今は小さな商店と電気屋さんが開いているだけ。
ガラガラガラッ。
ちょうど開店の準備のシャッターが上げられていた。
「ほんとにさ、空気いいよね。ヒヤッとするけどスーッとする」
「なにそれ?」
「分かんないの? 20年近く一緒にいるのに? 空気にさ、養分が詰まってる感じ」
「ふーん。珍しく文学的」
「梨花の影響かな」
「私、そんな、ひゃっとかスーッとか言わないよ」
「言わなくても、書いてる」
「ああ……」
美瑠は大手を振って公園へと続く坂道に足を踏み入れた。
いつの頃からか日記の代わりに、エッセイや詩のようなものを紡ぎだして、それが乗じて小説を書くようになっていた。
内容は人の心情にフォーカスしたものが多い。
美瑠にだけは、そんな作品たちを見せている。
「ほら、梨花行くよ!」
最初は威勢の良かった美瑠も、坂道を半分くらい過ぎた所で、息を切らしていた。
熱いのか、いつまにかマフラーを解いている。
「よくさ、ここ10歳で上ってたね」
「大丈夫? 美瑠?」
「うん、運動不足かな……」
引きつった笑顔を浮かべながらも。
「ちゃんと絵馬書きたいから頑張るよ」
坂道といっても標高は100mもなかったと思う。
勾配もきつい訳でないし、あの頃はそんなことさえも気になっていなかった。
公園に着くと、まだあったブランコに美瑠は駆け寄り、ちょこんと腰掛ける。「梨花、おいで」
何だかんだ元気な美瑠は手招きをする。
私は隣のブランコに腰を下ろす。
シンくんが座っていた方の。
それから、二人でブランコを漕ぎだす。
きぃ、きぃっと交互に金属音が鳴り響き、年甲斐もなくはしゃぐ私たちの声に重なる。
季節は違うけど、私が作った風の中には淡い潮の香りがする。
「汗かいたー」
空気は冷たいのに体の中はほかほかしていて。
美瑠に至っては着ていたコートを脱いでいた。
「美瑠こっち」
言った途端、私がシンくんになったみたいで、美瑠をその場所に案内するのにワクワクしていた。
もしかしたら、あの時のシンくんも同じ気持ちだったのかも。
見せたい、連れて行きたいって。
すっかり苔に覆われた石段を上り、やはり苔に包まれた鳥居をくぐる。
ちりん、ちりん。
季節外れの音が出向かえる。
「なんで風鈴?」
「つけっぱなしみたいよ」
「へー。でも冬に聞く風鈴の音って透き通ってる」
「すごい美瑠。いいねその言い方」
「ふふん、伊達に梨花の薫陶は受けてないからね」
「それは、風がようこそと声に出した音」
「うわ、きれいだな何それ」
「ありがとう」
語尾を跳ねさせてみる。
「ああ、いいよねその言い方」
笑い声が、風を誘う。
草や落ち葉を踊らせて。
ちりん、ちりん。
透き通る声が歌う。
「わー大きいね」
約束の木を目にした美瑠は両手を広げた。
相変わらず、たくさんの色とりどりの願いや想いが幹に寄り添っている。
私はまず、ひかりちゃんのお墓に手を合わせる。
所以を知っている美瑠も一緒にしてくれる。
そして、私たちは一つの絵馬に願いを記す。
「おばあちゃんになっても、天国でも来世でも美瑠とずっと心友 倉科梨花」
「梨花と離れていても、天国でも生まれ変わってもずっと心友だよ 香坂美瑠」
二人で絵馬を持ちながら、文字を見つめる。
似たような似てないような華奢な文字たち。
名前を書いていなかったら、私達以外は区別がつかないと思う。
――それは願いというより誓いの様なものだった。
私が縄に絵馬を結び付けると、すっと陽が差し込んでスポットライトのように浮かび上がらせた。
「約束の木さんも大変だね」
美瑠が幹をポンポンと叩く。
私が笑うと、美瑠もくすくすと笑い出す。
クスノキのツンとした匂いを風がさらい、絵馬もからからと笑う。
さらさらと梢さえも応える。
「ちゃんと聞いてるみたいだよ、約束の木も」
見上げたクスノキは濃い緑の葉を変わらずにまとい、大らかに枝葉をゆりかごのように揺らせている。
その揺れが光と影を不規則に運ぶ。
「そうだね」
美瑠はちょんと手を合わせていた。
お日様がもたらす温もりの中で、私も手を合わせる。
理由はなくて、なんかそうしたい気分にさせる空気感がこの島にはあるんだ。
そんなことが胸をかすめた。
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