わたしのみなもと
私は羽織っていたカーディガンを車に残して外へ出た。
こつこつ。
背伸びしたくて履いたブーツが弾む。
秋の深まりとは裏腹に。
気を張ったこころをほぐすような、ぽかぽかとした陽気。
久しぶりに訪れた坂手の街。
山のてっぺんの方は、おめかしして色づいている。
柔らかな風が連れてくる潮の香り。
馴染んだはずの島の空気なのに、どこか懐かしさを覚える。
かつて駄菓子屋のあった建物のひだまりで、三毛猫がおっとりと丸くなっていた。
道端に咲くたんぽぽ。
宙を舞うモンシロチョウ。
惑わせるような光景が季節を錯覚させる。
私は樹くんと高台の公園にいる。
地面に木漏れ日が揺れて、葉が陽射しを跳ね返す。
ブランコは変わらない景色の一部として残っている。
「久しぶりに来たね」
つないだ手をぎゅっと握って大きく振る。
「そうだね」
樹くんはその動きに合わせながら、高い空を見上げた。
ふんわりとした雲が気持ち良さそうにゆっくりと流れていた。
「ねえ、ここって何処だか分かる?」
「ん?」
私を見つめた樹くん。
何を言ってるの?
というように首を傾げて苦笑いひとつ。
「私と樹くんが初めて会った場所でしょ? 忘れたの?」
「ああ……」
少し語尾が沈んで。
すっと、片手が胸に。
でも、はにかむ頬にえくぼを浮かべた。
そうだよね。
シンくんと重ねちゃうよね。
奇しくも同じ場所だから。
「行こ」
私はつないだ手を引っ張るように神社へと続く道を進む。
ぴぴっ、ぴぴっ。
久しぶり。
カサカサ。
よく来たね。
そんな音色に包まれながら歩いて行く。
苔だらけの石段を上り、同じく苔だらけになった小さな鳥居をくぐる。
ちりん、ちりん。
いらっしゃい。
社殿の軒先に吊るされたままの季節外れの風鈴が出迎えてくれた。
木々に囲まれた空間は少しだけひんやりとひっそりとしている。
そして、今も変わらずたくさんの願いや祈りを纏った約束の木。
私と樹くんは言葉にしなくても「ひかり」ちゃんのお墓に手を合わせる。
ゆっくりと瞼をあける。
肩にかけたトートバッグの持ち手を握る手に力が入る。
頑張るよ私。
私は樹くんの顔を見る。
すぐに視線に気づいてくれて。
樹くんの瞳に私の姿が映る。
私は微笑みながら、つないだ手の力を抜いて――
離した。
何か言いかけた樹くんより先に。
「樹くん、目閉じて?」
「え? なんで?」
「いいから、お願い」
苦笑いをして鼻の下をこすりながら、肩で息をして目を閉じてくれた。
私はバッグの中からリングケースを取り出した。
ペールブルーの四角い箱の中に詰め込んだ想い。
そっと肩からバッグを地面に下ろす。
心臓がドキドキと高鳴り始めて。
樹くんからケースが見えないように、両手で覆い胸に抱える。
思わず目を閉じた瞼に裏に――
「大丈夫だよ」
まだ子供の私の声。
「梨花、大丈夫や」
シンくん?
ハッとして目を開けた。
かさかさ。
落ち着いて。
枝葉が囁き。
ぴっぴっ。
頑張れ。
遠くで鳥が鳴いている。
光の斑点が樹くんの顔に光と影を交互に運ぶ。
「いいよ、目を開けて」
ゆっくりまつ毛が上がる。
眉を上げて、少し顎を突き出して。
目が何?
って聞いている。
樹くんの瞳が優しく見つめてくれている。
私は逸らさないようにって。
足の指先に力が入って。
お腹がきゅうってなって。
肩が強張って。
口がカラカラで。
ごくり。
つばを飲み込んだ。
さわさわ。
大丈夫。
背中を押すように風が抜けた。
「樹くん。私と結婚してください」
普通に言えた。
微笑みながら、両手でリングケースを樹くんの胸の前に差し出した。
少し顎を引き、息を呑むように目を見開く樹くん。
伸ばした指が震えて。
呼吸が浅くなって。
全身が鼓動している私。
ちりん、ちりん。
ほら、答えなくちゃ。
樹くんの目尻にゆっくり皺が寄って、薄っすら瞳は潤んできている。
そっと大きな手が私の手ごとリングケースを包み込む。
「ありがとう、僕から言わなきゃいけないのに……」
あったかい、あったかい、こころを添えた声と手の温もり。
ああ――
答えなんだって分かったら。
全身から力が抜けていくようで。
樹くんが手を掴まえていてくれなかったら、しゃがみこんでいたかもしれない。
ざわざわ――
約束の木がその枝葉を震わせ拍手する。
大きく深呼吸を一つ。
土の匂いと木の香りを、胸いっぱいに取り込む。
「ううん、私が言いたかったの。たくさん愛してくれてる樹くんと、これからも一緒に幸せになりたいって、寄り添っていきたいって想ってるから」
唇を噛みしめ、手が僅かに震えている樹くん。
「梨花、愛してる、愛してるんだ」
吐き出すような強い力のこもった声。
「うん、知ってるよ。私をいつも大切に、愛してくれて、ありがとう。私も愛してるよ。樹くん」
一滴、樹くんの頬を伝った涙。
次の瞬間――
樹くんの腕が私をぎゅっと包み込む。
きつく、きつく。
痛いくらいに。
息苦しいほどに。
抱き締められた感触はむしろ想いの証。
樹くんの胸から伝わる鼓動が私の中に入って来て、同じ時を刻む。
心地よくて、安心する。
息を吸い込めば、洗剤とお日様の匂い。
樹くんの匂い。
体温を感じて。
息遣いを感じて。
このままでいたいなって思わせてくれる抱擁。
小刻みに震えている樹くん。
解いて欲しくないけど。
まだ。することがあるから、ここは我慢。
「ねえねえ、指輪つけてあげる」
「え? ああ」
手の甲で目元を拭う樹くんは泣いていたみたい。
「ほら、手、出して」
「あ、うん」
手の甲に想いの跡が。
そっと撫でてみる。
私を掴まえていてくれる手。
患者さんに差し伸べられる手。
その薬指にそっとエンゲージリングを通す。
あたかも前からそこにあったようにぴったりとはまる。
見上げる私に微笑みが落ちてくる。
「私にもつけて」
「ああ」
苦笑いしながら、樹くんは震える指先で指輪をそっと持つ。
私の顔を見てえくぼを浮かべて――
薬指にゆっくりと。
スッと、ひやりとした感触が根元におさまる。
こころからもうすでに溢れ出した想いが頬を緩ませ過ぎて。
顔の前で手をクルクルさせた。
指輪に当たる光がちらちらと跳ねる。
「これって、波? それとも山? いや風かな?」
樹くんは手にはめたままの指輪をくるくる顔の前で回している。
「すごい! 分かるの?」
「あっ、いや、なんとなくだけど、縁も滑らかに波打ってるし、指輪全体も。彫られてる曲線が風にも雲にも山にもっていうか、指輪全体が――瀬戸内海みたい」
「ピンポーン! すごい。分かってくれたんだ。うれしい」
咄嗟に樹くんの両手を掴んでいた。
「あっ、もしかして梨花がデザインしたの? この指輪?」
私は大きく深く頷いた。
樹くんは唇を噛みしめて、左手を胸に添えた。
そして、泣きそうな笑いそうな顔で天を仰いだ。
私は気がついてくれたことが。
とてもとても。
すごくすごく。
嬉しかった。
やっぱりおばあちゃんの言った通りだった。
こころを込めたら想いは伝わるって。
ほんのりと優しい波のような。
私の中に今生まれたばかりの新しい感情を噛みしめた。
一緒に生きていけるっていう。
初めて告白した時のような。
幸せの波紋が体の隅々まで行きわたって。
喜びになって微笑みとして浮かび上がる。
ずっと笑っている私。
からからと。
よかったね。
絵馬が拍手をする。
かさかさ。
おめでとう。
枝葉も一緒に。
髪がそよいで落ち葉をこしょこしょとくすぐっていく。
「そうだ、樹くん、絵馬書こう」
バッグの中から絵馬とペンを取り出す。
「じゃあ、僕から書くよ」
絵馬を手にした樹くんは角ばった文字を綴っていく。
『生涯、梨花を愛します。幸せに過ごせますように 秋倉 樹』
私は寄り添うように文字を並べる。
『樹くん愛しています。とこしえに幸せでいようね 倉科 梨花』
私の手のひらの上の小さな絵馬を一緒に見つめる。
「じゃあ、僕が着けるから」
樹くんは一番高いところにある縄に絵馬を結び付けてくれた。
私が首を傾げて樹くんを見上げると、ふいに樹くんの唇が重なった。
やわらかくて温かい。
私は目を閉じる。
樹くんの腕が優しく私を包む。
それは、いつもより長いキスだった――
――そっと唇が離れると、潤ませた瞳のまま白い歯を見せる樹くん。
「僕は今最高に幸せな気分だよ、島一番の幸せ者だ」
「島なの?」
「ああ、いや宇宙で一番かな」
クスッて笑うと、とても温かな眼差しが見つめ返してくる。
「私もだよ、特別なんてこと全然わからないけど……樹くんの隣にいると、ただ、息をしているだけで幸せなんだ。この気持ちが、もし『最高』って言うんなら、それはきっと、私が選んだ人が、最高に優しいってことだね」
唇が震え、樹くんの目から涙が溢れた。
私は慌ててハンドタオルで頬を伝う涙を掬う。
それでも追いつかないほど溢れ出す涙。
「梨花、ありがとう」
あったかい響き。
「樹くん、ありがとう」
真似をして語尾を柔らかく跳ねさせる。
ちりん、ちりん。
お幸せに。
風に戸惑う光が樹くんの顔を揺らしている。
かさかさ。
からから。
絵馬と梢がさえずって、季節外れの生暖かい風が私と樹くんを包んで消えた。
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