かたちになった想い
灰色がかった雲が多い空。
陽射しは控えめで少し肌寒い。
一足早い木枯らしのような向かい風に、風にうつむきながら、さらわれそうになる髪を押さえる。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
宝石店のガラス張りの扉を開けると、女性スタッフが一礼をして、二階の窓際にある小さなテーブルに案内してくれた。
高松の町は風に包まれていた。
窓の外の大通り。
道路を走る風が落ち葉を巻き上げ、中央分離帯の幹の太い木々の枝葉が揺さぶられている。
行き交う人々は身を屈め抗い、または流れに乗って早足で歩いている。
窓に映る反射した自分の顔。
少しだけごわついて硬くなっているよう。
そこにぼんやりとかぶさってくる。
大好きな樹くんの笑顔が、こわばりを溶かして頬を緩める。
看護師の仕事が不規則なのは、話を聞いて知っていた。
お互いの仕事がシフト制だから、デートはなかなか出来ないけど。
樹くんと過ごす日常は、代えがたいもの。
何をしていても、何もしなくても。
ただボーっと二人で風を感じて。
空を見上げて。
潮騒を聞いて。
微笑み合う。
ただ傍にいるだけで、こころが凪の海のように穏やかになって。
水面にほとばしる光のようにときめいて。
ほんとうに、幸せで、幸せで。
何もいらないの。
それだけで十分なんだ。
たまにね、お弁当を作るんだけど。
いつもね、一言感想とお礼が返ってくるの。
失敗も包み込んでくれてね。
「ハンバーグ。香ばしくて美味しかった、意外と好き」
とかね、ちょっと真っ黒に焦げ目がついちゃったんだよね。
「にんじんシャキシャキだった。それもあり」
これは火が通ってなくてってオチ。
一緒に過ごす、僅かな時間でも。
何でもないひとときがね愛しくて。
愛しくしてくれるんだ、樹くんがね。
一緒にいたい。
離れたくない。
その想いは付き合う前からあったと思う。
私のこころが否定しなかった、シンくん以外で初めての人。
でもね、最初はシンくんの面影を追いかけた部分があったのかもしれない。
ほんとうに似てるから。
でもね、樹くんと接しているうちに、惹かれていったのは事実。
私のこころを否定しなかったから。
ちゃんと、私を見てくれていて。
私の好きを受け入れてくれて。
私の愛を受け止めとくれる。
樹くんからも、日々、優しさと好きと愛を受け取っている。
でもね、時折見せる寂しさの理由は分からない。
病気で何かあるのかなって、それとなく樹くんのお母さんやお父さんに聞いてみたけど、病気のことではなさそう。
もしかしたら、私がシンくんを樹くんに投影してるから傍にいる。
こころのどこかで、そう思っているのかなって。
もしそう思っていて、それを言葉にしてしまったら私を傷つけるんじゃないかって、感じているのかな。
それは私の想いを、私を疑うことになるから……
勝手に思ったりしたけど。
それも違うみたい。
だって、未だにシンくんのことは樹くんとおしゃべりするから。
美瑠が昔言ってくれたように相手の気持ちなんか分からない。
だから、私は日々、樹くんといられることに感謝しているよ。
そして、確かなのは、樹くんを一人の男性として好きで、愛している。
私の気持ちに嘘はない。
樹くんという存在をこころから大切に想っている。
抱きしめられて樹くんの鼓動を感じればこころが安らいで。
手をつなげば、ちゃんと私を掴まえていてくれる。
キスをした唇に残る、感触や吐息も。
私をトキメキと共に穏やかな世界に誘ってくれる。
どこにいても。
何をしていても。
樹くんを慕っているし。
これから寄り添って、生きていきたい。
そう思えてるんだ。
ずっと。
でも、最近、ふとした時に――
漠然とした不安が顔を見せる。
今までも少しはあったよ。
でも、あまり気にならなかった。
目を逸らしていたから?
そういう事はない。
ただ、幸せで。
感謝に溢れているから。
たぶん、今じゃなくて、未来を意識しちゃったからかな。
だから、もしもって――
幸せなのに。
きっと幸せ過ぎるのかもしれない。
もしかしらた、居なくなっちゃうんじゃないかって――
シンくんのように会えなくなっちゃうんじゃないかって――
すごく、すごく。
怖い。
怖いんだよ。
思わない。
考えない。
そうしていても――
大丈夫。
大丈夫だよ。
私はもう、一人じゃないから。
言い聞かせるんだ。
そうするといつも、あの頃の私が夢に出て来て。
「大丈夫」
って、微笑みかけてくれる。
「倉科様、お待たせしました」
女性スタッフがケースを持って前の椅子に腰かける。
「こちらになります」
ケースの中、照明を浴びて二つのリングが鈍やかに光る。
手に取って指にはめてみる。
ヒヤッとした感触が慣れない位置におさまる。
指の間にある違和感がくすぐったいようで。
「お似合いです」
満面の笑みで微笑むスタッフの桜井さん。
私の描いた想いが、こうして形なったのは桜井さんのおかげ。
丁寧に何度も何度も打ち合わせをしてくれて。
デザイン以上のものが出来上がった。
「ありがとう、桜井さん。ここまでの仕上がりになるなんて想っても見なかった」
「いいえ、倉科様のデザイン。かわいくて素敵で、私共の店舗で販売したいくらいなんですよ」
私より3歳年上の桜井さんは、首を傾げて少女のように笑う。
「ありがとう」
慣れない場所から光を放つ指輪をそっと外してケースに戻した。
「では、こちらでご準備させて頂いてよろしいでしょうか?」
「お願いします」
桜井さんはケースを手に一礼して、奥の部屋に入っていった。
こんな私でも受け入れてくれるかな……
やっぱり不安にはなるよ。
違和感のなくなった薬指をそっと撫でる。
シンくん?
美瑠?
窓の外に目をやると、風が弱まったのか。
束の間の休暇なのか。
スーッと差し込んできた陽射しに街路樹が照らされ。
光の葉が揺らめいていた。
このあいだ、シンくんに私の想いを報告をしに行った。
いつものようにラムネとうまい棒を持って。
それと、改めて感謝を伝えに。
私の今があるのは、シンくんと出逢えたから、見つけられたものばかりだから。
そう、私の人生にあるもののほとんどが。
シンくんは、虫や植物たちと一緒にお日様のようにキラキラと眩しかった。
私が吐き出した言葉を黙って聞いてくれていた。
シンくん。
私はもう失いたくない。
ごめんね。
生きたっかたシンくんにこんな都合のいいお願いするなんて。
樹くんを守ってあげてね。
ずるい子でごめん。
はらはらと髪をくすぐりながら抜けていく風の中に――
「大丈夫」
そう。
確かにあの頃のシンくんの声が聞こえたんだ。
あの日以来。
「シンくん……」
美瑠は電話で笑ってこう言った。
「梨花がしたいならそれが一番だよ。梨花の好きは一つしかないはずでしょ?」
「梨花が不安なのは、痛いほどわかるよ。もしもって考えちゃうのも。シンくんのことがあるからなおさら。でも、相手の気持ちが分からないように。どうなる何か分からない。気休めみたいなことしか言えないけどさ」
「ちゃんと愛されてるって梨花が感じてるんでしょ? ならそれでいい。今の気持ち大切にしなきゃ」
そうだよね。
美瑠はまるで子供諭すように私の背中を押してくれた。
「美瑠……」
「ありがとう」
私は見送りしてくれた桜井さんにお辞儀をして宝石店を後にした。
紙袋の中にある二つのリングに想いを込めたつもり。
心を込めたものはちゃんと通じるって、おばあちゃんが教えてくれたから。
だからリングのデザインは私が描いたんだ。
樹くんがプレゼントしてくれた万年筆で。
瀬戸内海の風と海と空と島をイメージして。
マリッジリングとしても、使えるエンゲージリング。
空に被さっていたくは雲は、ちぎれちぎれになって。
なすがままに流れていく。
大通りの路面に広がる落ち葉がヒューッと音を立てた風に巻き上げられる。
戸惑いながら進む車たち。
高松港までの道すがら何度となく、私の髪とスカートの裾が弄ばれた。
でも、ひなたが増えてほんの少しだけ、温かさをもたらしてくれていた。
――バサバサ。
歩道脇のお堀から、白鷺が羽を震わせ、ゆっくりと高度を上げてく。
ふわふわの雲の元へ。
信号待ちで立ち止まる。
見上げた私は、息を一つ吐いて雲に向かって手を伸ばす。
あの日もあの時もそこにあった届きそうで届かなかった。
手を握って掴んでみる。
そして、胸に添えた。
こころに誓った想いに重ねる。
紙袋を持つ手が、冷たい風とは裏腹にじんわりと熱を帯びている。
来月の樹くんの22歳の誕生日。
私はこの想いをちゃんと伝える。
背筋をしゃんと伸ばす。
ピポ、ピポ。
タン、タン。
足音を弾ませ、横断歩道を渡る。
目の前に広がる高松の港。
海風に目を細める。
潮風の香を残していく。
凪の水面に迎えのフェリー。
私は、もう失くさないよ。
ちゃんと伝えるから。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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