空の木の上で
「うわー、本当に街の絨毯だ」
樹くんは展望台からの景色を見て、子供のように目を輝かせている。
休みを合わせた二人だけの二泊三日の夏休み。
私は今、樹くんを連れてスカイツリーに来ている。
遠くまで見渡せる青い空は、ほんわりとした白い雲を浮かべて。
樹くんが絨毯と称した敷き詰められた人間の営み。
その数だけここにも願いや祈りが宿っているのかなって。
ふとそんなことが脳裏をかすめた。
先月――
樹くんの家で夕食を食べ終わって、ソファで「一息」ついている時。
「梨花さん、もう一個、学生時代にしたいことあったんだけど、今からでもいいよね?」
コーヒーに口をつける樹くん。
「ん? なあに?」
「一度、東京に行ってみたい」
「え? 東京に?」
私の中にとっくに芽生えている感情に気付かれたのかと思った。
「うん。スカイツリー行きたいんだ」
「スカイ、ツリー……?」
なんか、美瑠のように突然言い出す癖がついたみたいで。
美瑠に何か吹き込まれたのかな?
そう思って、あとで確認したら、何も言ってないよって怒られた。
「うん、来月にさ、平日に休み合わせて行きたいなって」
淡い期待も沸いてきて。
「もしかして?」
肩をすぼめながら首を傾げる私。
樹くんは胸に手を添えながら、スマホの画面を見せて来た。
映し出されていたのは、上野にあるシティホテルの予約確認。
「あっ……」
ちょっとおかしくて、期待は心の中にしまう。
期待はしないよ。
私は大丈夫だから、自分の気持ちに正直にするだけ。
頬が緩む私に、
「どうした?」
不安そうにのぞき込む樹くん。
私はその鼻をつまむ。
「もう、休み取れなかったらどうするの?」
にっこり笑って見せる。
「ああ、でも、希望休取るよ、連勤増えるけどね」
「うん、いいよ。そうだ……」
実家に泊まるって言い掛けて止めた。
「なに?」
「ううん、せっかくだから美瑠にも会いたいなって」
「ああ、いいね。そうしたら梨花さんのご両親にも挨拶しとこうかな」
コーヒーを口にしながら、何気ない口調の樹くん。
「へ?」
ビクッとして、樹くんを見つめる。
「あ、いや、付き合ってるわけだし、三神さん以外にも、その、そういう人が傍にいたらご両親も安心するかなって」
ぐびぐびと一気にコーヒーを流し込んでいる。
照れてる。
かわいいな。
横顔を見つめながら。
期待しないって想いは裏腹に、勝手に走り出す心臓。
組んだ両手は汗ばんで。
お腹がきゅうってなって。
頬が火照る私。
「で、どうかな?」
「はい」
「だから、どっかでご飯でも、その食べたらいいかなって」
「うん」
「手配してくれるかな、なんか、普通の感じで、会えるように」
「はい」
「急だから、あれかもしれないけど」
「ううん。大丈夫だと思う」
「そっか」
少しはにかんで宙を見つめる樹くん。
コーヒーを口につけながら樹くんを見つめる私。
大丈夫だよ。
私には樹くんの想いは全部は分からない。
でもね、こうやって一緒にいれてる幸せを感じてるから。
だって、私は愛しているから――
――それで、昨日は私の両親と夕食を共にした。
飾らないで、顔を合わせる程度でいいかなって。
恋愛先生の美瑠に相談して、堅苦しくない居酒屋さんの個室を教えてくれた。
緊張しっぱなしだった樹くん。
普段二人ともあまりお酒を飲まないんだけど。
張り切ったお父さんのお酌の相手をして。
でも、病気のこともあるし、樹くんは平気って笑ってるけど顔真っ赤だし。
ちょっとお父さんを叱ったら。
「樹くん。尻に敷かれないようにしろって」
なんだかうれしそうに言うから。
恥ずかしくなってお酒をあおって顔の赤さを誤魔化した。
どっちが子供なの?
そう、目を疑いたくなるくらい、お父さんとお母さんは、樹くんに首ったけ。
でもね、樹くんが両親と仲良くしてくれるのを見れて嬉しかったんだ。
とっても。
両親には寂しい想いも、心配もかけているのは分かってるつもりだし。
だから、その分。
私はちゃんと生きてるし。
幸せなんだよって。
少しは分かってもらいたかったから。
一緒に席を立ったトイレでお母さんは、私の隣に並んで鏡に映る私に。
「いい子じゃない。しっかりしてるし」
「うん」
「ごめんね梨花、お母さん想い出したの」
「なにが?」
「今更だけど。梨花が10歳の時、夕凪島からのフェリーで手を振ってバイバイした子なんでしょ? 彼?」
「え? あ、うん」
きゅうってこころが痛いほど痛くて。
笑うのが精一杯だった。
「梨花、幸せって顔してる。良かったね」
「お母さん……」
優しい優しい声だった。
頬が上がって微笑む、そういつも私をあやす時と一緒の笑顔だった。
お父さんは別れ際に小さな声で。
「彼は梨花にピッタリだ。まあ、うまくやれ」
「そうかな、ありがとう」
「まあ、そういうことだろうと思ってた。梨花が、幸せそうで良かった」
「うん。ありがとう」
そう言って私の頭を撫でる手は、とてもとても温かくて。
小さい頃、お風呂に一緒に入っていた時の、目じりにいっぱい皺を作る笑顔だった。
だけど、樹くんのことがあって、夕凪島に移住したんだと思ったみたい。
全然、嬉しい勘違いだから、放っておいたけど。
でもね、両親の中で出来上がってしまう物語がちょっと嫌だった。
だって。
シンくんも。
樹くんも。
違うんだよ。
ちゃんと、それぞれで私は好きになったんだから――
見上げる樹くんの横顔。
青空を瞳に宿している。
「梨花さん。すごいな。知ってた? スカイツリーって島の星ヶ城山と同じくらいの高さなんだって」
「そうなの?」
「スカイツリーが島にあったら、島の全部が丸見えだ」
「えーでも、似合わないよ」
「そっか。そうだな」
鼻の下をちょんとこする樹くん。
目尻が下がって、大きく見開かれた瞳。
「東京タワーはどこ?」
「えーとね」
次々に飛んでくる質問に答えながら指を差しては場所を教える。
その度に、うんうん。
へー。
樹くんは相槌や質問を混ぜて聞き入っていた。
そんなやり取りの最後は。
私の家のある場所だった。
小さくてもう何がなんだかって感じだったけど。
樹くんは私の言葉に耳を傾けてくれていた。
「でも意外だな」
「ん? 何が?」
「いや、もっと緑が少ないのかなって。川もたくさんあるし」
「ああ、そうなのかな」
「でも、僕は息が詰まるかも」
吐息を一つ。
――遠い目。
でも、さみしそうじゃなくて。
見ているものは、そこではない。
そう、何かを噛みしめている感じの優しい眼差し。
スッと口角を上げて、私を見つめる樹くん。
「だけど、僕は好きだなこの街」
「そうなの? 意外かも」
樹くんの少し汗ばんだ手が私の両手を握る。
ポッとする。
真っ直ぐ見据えられて。
動けなくて。
ゴクリ。
つばを飲み込んでいた。
「梨花さんが生まれた街だから……」
何か言いかけて、それを飲み込む様に息を吸う樹くん。
片手はほどかれ、逸れてしまった視線は窓の外に。
もしかしてって。
思えたけど。
そう思えただけで今は十分だった。
「ありがとう。街も喜んでるよ、きっと」
「そっか。ほんとうに来れて良かった一緒に。ありがとう。梨花さん」
いい響きが交じり合あって耳に伝わり肩をすくめる。
「どういたしまして」
「そうだ! ここなら一番星も見えるよね」
「うん。見えると思うよ」
「そっか、見たいな一番星」
綿あめのような雲が行進する空を見つめる樹くん。
「え? 島で見えてるじゃん」
「そうだけど、東京で見つけてみたい」
「ふーん」
えくぼを浮かべ、鼻の下をこする。
ホテルの窓からは見えないし。
私の家からも見れないし。
でも、どっかで――
人差し指を顎に当て目の前の景色を見つめる。
荒川の流れと河川敷が目に入る。
そうだ!
「樹くん。知ってる。一番星見えるとこ」
私はつないだ手に力を入れてぎゅっと握る。
「もう、行くの?」
「あ、まだ早いか」
「あるんだね、東京でも見えるとこ」
「うん、あったよ」
私は樹くんを見つめながら、指だけで私が生まれ育った街の方を指した。
スカイツリーに併設された商業施設で昼食を済ませて。
ウインドウショッピングをして。
なんか、東京でデートしてるのが不思議で新鮮で。
過ぎ行く幸せそうなカップルを見ていた学生時代の私が思い起こされて。
思い出し笑いが込み上げた。
つないだ手がふって持ち上がる。
「なに? 面白いものでもあったの?」
「ん? ううん。楽しいんだよ。こうして樹くんと東京でデート出来て」
「そっか」
「ねえねえ、一年に一回はさ、近くでもいいから旅行に行きたいな」
「うん、いいね。それ、乗った」
「じゃあ、一番星に招待する」
「もう?」
「美瑠のお店でお茶してちょうどいいかなって」
「なるほど。お土産はオリーブオイルと素麺で良かったの? 他にもあるのに?」
「もう、まだ分かってないの?」
「ああ、そうか。梨花さんも美瑠さんも、”一途”だからね」
「そうだよ。だから今日の夕食は二人の行きつけのファミレスだけどね」
「そうでした。彼氏さんも来るんでしょ?」
「うん。なんか、報告があるみたい」
「報告?」
「たぶん……結婚かな」
スッと樹くんの手が胸に添えられた。
私の手にぎゅっと一瞬力が伝わる。
「そうですか、お祝いしないとですね」
「そうだね、でも、まだちゃんと聞いた訳じゃないから」
エスカレーターに右足から足並みをそろえて乗る。
ゆっくりと地下へと潜っていく。
チラッと見る樹くんは――
口を真っ直ぐ結んで、何かを考えてる瞳。
フロアについて。
トン、トン。
歩幅も併せて、またエスカレーターへ。
ポロン。
薄っすら聞こえてくるピアノの旋律。
楽しそうな陽気な音色が少しずつ大きくなる。
「あっ」
思わず片手で口を押さえる。
「どうしたの?」
フロアについて、右足を揃えて踏み出す。
ピアノを弾いているのは制服姿の女の子。
曲は知らないけれど。
「前にね、土庄港で耳にしたピアノの音色、どっかで聞いたことあったって思ってたんだけど、ここで聞いたんだって思い出したの」
「へー。でもさ、音色って覚えているもんなんだね。それだけで分かるの?」
「うーん、たぶんそれは同じ曲を聞いたからだと思う」
「なるほど同じ曲ね。でも梨花さんが忘れないってことは、余程印象に残ったんだ?」
「うん。TM NETWORKの「HumanSystem」だったから。あと、昔ここで聞いたのは、TRFの「BOY MEETS GIRL」だったと思う。すごい透明で、でも力強くて、どこか哀し気な音色だった」
「ふーん、梨花さん好きだもんねニ曲とも」
でも、あの時、私が中学生の頃。
ここで弾いてた子は長野から来てた修学旅行の同い年の女の子。
「じゃあ、あれだ同じ人が弾いてたんだ。そう考えるとすごい偶然だね」
「そうだね」
じゃあ、あの子が港で弾いてたの?
幼いかわいいらしい顔立ちだったから。
若く見えたけど……
「そういう、ご縁ってあるのかもしれない。なんか僕も最近、思えるんだ」
澱みのない澄んだ、樹くんの声が私を思考から連れ戻す。
「そうなの?」
「上手く言えないけど、美瑠さんのお店のクッキー。ここでも売ってたでしょ?」
「ああ、二号店があるからね」
「あの『ビスケットの中』ってお店。思い出したんだけど、僕が子供の頃、お土産でもらって食べたことあったんだ」
「うそ。すごい」
「うん、だから、不思議なことってあるんだなって。偶然なのか必然なのか分からないけど。縁ってあるんだろうなって」
ピアノに向けられた樹くんの視線は、微かに遠くを見つめている。
何かを想い出しているのかな。
そんな気がした。
トゥルルル、トゥルルル……
小さな粒たちが弾けた音色が奏で始めた旋律は――
DREAMS COME TRUE『うれしい、たのしい、大好き』。
私を見て、これ知ってるよって、小さくうなずく樹くん。
私は樹くんの肩にそっともたれかかる。
小さな声で口ずさみながら。
背中に覆ってくる夜の帳を背負いながら佇む河川敷。
ゴー。
かすかに届いてくる荒川渡る電車の音。
対岸の高速道路を赤や白の光を纏った車が流れている。
昼間、楽しそうに空を泳いでいた雲達は遥か彼方、空の隅っこの方で遊んでいる。
追いついていく風に、はしゃぐまとめ上げた髪を片手で押さえながら。
首を傾げて樹くんの横顔を見ている。
淡く照れたような桃色に染まった頬に浮かんだえくぼ。
「梨花さん、ありがとう」
「うん。どういたしまして」
子供の頃――
シンくんと過ごしたあの夏の5日間。
その次の年、夕凪島に行きたいってせがんでいた私。
でも、それは叶わなくて。
小学6年生にもなって泣いて駄々をこねる私におかあさんが言った。
「梨花が欲しいもの買ってあげるから」
「じゃあ、一番星が見たい」
そう答えた私にお母さんが教えてくれた場所。
家から自転車で10分位。
それから、ふとした瞬間に訪れては、一人で見上げていた――
今はこうして、隣を歩いている樹くんと二人。
敷き詰められた家やビルの上の空。
黄色から藍色に段階的に濃淡を織り込んだ空。
そこに誇らしげに光を放つ一番星。
「一番星が見守ってくれている場所で、梨花さんは生きていたんだね」
「へ?」
「いや。いい街だなって思えるよ」
「そう?」
立ち止まった樹くんは白い歯を見せながら、私の口の残ったおくれ毛をそっと払う。
きゅんってして。
少し俯いて見上げる。
眉が上がって、なんか思いついたって表情の樹くん。
ごそごそと、ポケットからシンくんの形見のビー玉を取り出した。
私を見てニコって笑う。
ビー玉を目に前にかざして一番星を見ている。
ゆっくり目尻が下がって。
小さく息をついた。
満足気に頷くと、
「梨花さんも、見てみ」
私の目線の高さに、樹くんの指がつまむビー玉がやってくる。
ちょっと指先が震えてて、私が片手で樹くんの手首をつかんだ。
顔を合わせて苦笑い。
視線をビー玉に向けたら。
空の色を全部吸い込んでいて、真ん中で小さな光が弾けていた。
「わあ、きれい」
「なんか、あれだな、一番星を二人占め。だね」
こころがくしゅってなる響きだった。
「うん、樹くんと私だけのね」
嬉しそうにえくぼを浮かべる樹くん。
ビー玉を握りしめてから、そっとポケットにしまった。
「夕凪島に比べたら人は確かに多いし、山や海はないけど……」
「ん?」
「ここからの空は広くて大きい。同じだよねって、そう感じた」
「……うん」
まつ毛が揺れて。
残照が作る陰影に浮かぶ樹くんの顔。
風にのせたはしゃぎ声を連れて、駆け足の子供たちが脇をすり抜けていく。
樹くんは、いたずらっ子のように微笑んで。
その口が動いて形を作る。
声に出さなくても分かるよ。
ちゃんと、今までにも何回も言ってくれているから。
「声に出して」
口を尖らせて甘えてみる。
鼻の下をこすって、息を吸う樹くん。
「愛してるよ、梨花さん」
思ったよりも大きくて力強い声。
「うん、私も、愛してるよ。樹くん」
しゃっきとした声で返す。
ジーッと見つめ合って。
弾ける微笑み。
「きゃー!」
「愛してるよー!」
「ひゅー!」
さっきの子供たちがこっちを見て、叫びながら逃げるように走り出した。
カア、カア。
家路へと羽ばたいてる、二羽のカラス。
長く、長く伸びる二つの影。
肩をすくめる私。
首を捻る樹くん。
「帰ろっか」
ちょっとだけ、照れたようなかすんだ声。
「うん。聞かれちゃったね」
「いいよ別に。本当のことだからさ」
「……うん」
全身に広がる安心という波。
口元が緩むから、唇を嚙みしめた。
夜の入口の空。
ちらほらと瞬く星々。
家々に灯る営みの明かり。
川にかかる国道を彩る紅白の光の列。
「愛してるよ、梨花」
「ん?」
立ち止まる私。
ぎゅって、つないだ手が締め付けられて。
ゴー。
電車の音が響いて――
静まる。
ドクンっと心臓が飛びあがって。
片手を胸に添える。
ブラウスが風をはらんで、スカートの裾が足に纏わりつく。
体が勝手に動いていた。
耳に届く鼓動。
匂い。
体温。
大きな背中。
ギュッとくっついた私を樹くんが優しく包み込んでくれる。
「少しだけこのままでいい?」
「ああ」
ドクン、ドクン。
樹くんの胸の音。
少し早いかな。
でもね、安心するんだよ。
私の居場所だから――
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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