宵の終わり
樹くんの運転する車は、ヘッドライトの明かりだけを頼りに山の中の坂道を上っていく。
照らし出される、アスファルトや森の木々が普段と違って。
全部が青白く見えて、冷たい印象を残す。
いつも車内で流れる私のお気に入りの音楽もなく。
エンジン音が低く垂れこめて。
運転席の鈍いぼんやりとした明かりが、樹くんの横顔を浮かび上がらせている。
前を見据える眼差しは真っ直ぐで、でもどこか楽しそう。
今から30分位前――
私がお風呂から出て一息つこうとしていた時。
ピコン。
ふいに樹くんから連絡が来た。
「今から、ドライブしましょう」
って。
21時を少し回った位。
二人とも明日休みだからオーケーしたけど。
「暖かい格好してくださいね」
そのメッセージから10分と経たないうちに、迎えに来た樹くん。
私を見るなり、なにか大切なものでも見つけたかのように。
胸手を添えて、くしゃって笑う。
百点満点の微笑みにぽっと見惚れて。
きゅんとしている私。
「さあ、行きますよ」
えくぼを浮かべながら、私の手を取ると助手席にエスコートした。
「じゃあ、行きます」
スーッと優しく走り出す車。
「どうしたの? 急に?」
「え? まあ、後でのお楽しみです」
一人で楽しそうに、ずっと、にこにこしている樹くん。
その言葉にも、きゅんてこころがそわそわする私。
だって、ちゃんと分かるから。
今、一生懸命ハンドルを握って。
アクセルを踏んで。
しっかり前を見据えて。
私のためにどこかへ連れていってくれてるということ。
だから、言われるがまま、私は車に乗っている。
どういうわけか、カーナビはスイッチを切られていて。
つけようとしたら、
「お預けです」
だって。
昼間ならまだしも、闇夜の中ではさすがにどこを走ってるか分からなかった。
今走っているのは、寒霞渓へと続く道。
さっき、標識で確認できた。
すでに標高が上がって、ただでさえ少ない町明かりが、どんどん小さくなっていく。
S字カーブを数回、切り返して――
道はさらに上っていく。
ザー。
かすかに水が落ちる音。
滝音が聞こえて。
『ようこそ銚子渓へ』という看板がライトに照らされ通り過ぎた。
銚子渓は寒霞渓と並ぶ観光地の一つ。
道路は森の中へ。
さすがに、すれ違う車いない。
「もう少しですから」
「うん」
優しい響きだけど、高揚を押さえているような含みのある声。
しっかりとした眼差しで前を見つめている。
私の視線に気がついて、うっすらえくぼを浮かべた。
唇を嚙んで、はにかんだ私は髪を耳に掛ける。
木々のトンネルの中に真っ直ぐ伸びる光線。
それは、私を樹くんの想いへと届けてくれる水先案内人のよう。
どこかの大きな駐車場。
頼りない街灯が数本あるだけ。
その明かりも届かない隅に車は止まった。
エンジンの音が消えて、静まり返る車内。
「着きました」
「どこ? 寒霞渓?」
私が降りようとすると、
「あっ、待ってて梨花さん」
両手を突き出して、私に動かないでという仕草をする。
樹くんは車から降りると、ちょこちょこと前をまわって助手席の扉を開けた。
ヒヤッとした空気が入り込んでくる。
ボアコートのフードをちょんとかぶる。
手を差し出す樹くん。
握った手は温かくて、瞳はキラキラしている。
「寒霞渓でしょ?」
「うん。あと、もうちょっとだけ」
ピピッ。
樹くんは車のロックをすると、私に背を向けてしゃがみこんだ。
「ん?」
「梨花さんどうぞ」
「え? おぶさるの?」
「はい」
「え? でも……」
「大丈夫。さあ、早く」
「うん」
私は樹くんにしがみつく。
グッと樹くんが立ち上がる。
一回、二回と持ち直される私。
腿の後ろをしっかり支える大きな手。
そんなことにも、ドキドキする私。
「じゃあ、行きます」
「うん」
この年でおんぶってちょっと恥ずかしいけど。
誰も見ていないから――
回した自分の腕をしっかりつかんで。
顔を近づけて耳元で囁いてみる。
「重いでしょ……」
「え? 何がですか?」
こころがくしゅってなる。
別に樹くんなら正直に言っても怒らないのに。
「もう、ありがとう」
「じゃあ、目を瞑ってください」
「え?」
「いいから、お願いします」
「うん、分かった」
まだ駐車場を歩いていた。
分かるのはそれだけ。
私は瞼を閉じる。
「瞑りますした?」
「はい。言う通りにしてるよ」
「じゃあ、いいって言うまで、開けないでください」
「はあい」
ザッ、ザッ。
足音と共に体が上下に揺れる。
ギュッとだきつく腕に力が入る。
ほんわりと石鹸の匂いがして。
樹くんの息づかい。
力強く私の足を掴む手。
私の鼓動は……
もうきっとバレバレ。
これみよがしに抱き着く。
ずっとこのままでいたい。
顔に当たる風は冷たいけど。
樹くんのぬくもりがあるから、溶けちゃいそうな私。
カサカサ。
落ち葉を踏む音かな。
さらさら。
枝が揺れている。
「はあ、はあ」
息遣いが荒くなる樹くん。
「大丈夫?」
「ええ、もう少しですから、目開けないで」
「はい」
ざわざわ。
森が震える声。
音が抜ける感じがして。
少し広いとことに来たような気がする。
りー、りー。
かすかに聞こえる虫の音。
「ふー」
大きく息を吐く樹くん。
「下ろしますけど、目を開けないで」
「え? うん。分かった」
グッと屈んだ樹くん。
足の裏が地面に着いた。
両手で樹くんの背中を頼りにバランスを取っていると。
すぐに、私の両手をぬくもりが捕まえる。
「梨花さん、大丈夫?」
「うん、樹くんの方こそ大丈夫なの?」
「ええ。まだ開けちゃだめから。ちょっと前に動きますよ」
「うん」
手を引かれ、二、三歩前に進んだ。
「右に行きます」
「うん」
すると右の方を向かされて、また、一歩、二歩。
「じゃあ、こっち向いてもらって」
そして左を向かされた。
「梨花さん、後ろにベンチがあるから、ゆっくり座って」
「はあい」
言われた通り、ゆっくり腰を下ろす。
ヒヤッとした感触がお尻に伝わる。
「じゃあ、ちょっと待って」
「うん」
私の頷きと共に手から温もりが消えて。
空気が一段と冷たくて。
はーっと。
両手に息を吹きかる。
樹くんが後ろに回る気配がして。
今度は、私の肩に両手が添えられた。
何かガサガサと音がして。
樹くんの息遣いが耳元で聞こえる。
耳にかかる、僅かな温かい息にも、どきどきしちゃって。
両手を胸に添えていた。
「目を開けて、梨花さん。上、見てみ」
「うん」
ゆっくりと目を開ける。
え?
見間違いかと思って、パチパチと瞬きをする。
見開いた視界。
漆黒の闇の中に――
ひかりの雨が降っている。
「わあ……」
馴染んできた目には、多くの――
ううん。
見たこともない数の星、星、星。
その中に、ひとつ、また一つ。
ひかりの雨が流れる。
見つめたまま目尻から雫が頬を伝う。
樹くんは私の肩に両手を添えたまま。
私は片手をそっと重ねた。
いつもあったかいのに冷えてしまった手。
「ありがとう」
「よかった、梨花さんに見せたかった。あの雨の日、僕に浮かんだ精一杯の景色」
覚えてるよ。
珍しく大きな声を出して。
なんか面白いこと思いついたんだって、キラキラした瞳と笑顔。
「うん。私には見えないけど樹くんには見えていたんだ、これが」
「いや、梨花さんの話がヒントだから、梨花さんが気づかせてくれたんですよ」
目の前に滲んで光る、赤、青、白、金色。
それだけじゃ足りないくらいの彩色溢れる星々。
「あっ」
一筋。
ひときわ大きなひかりが弾けて、流れた。
「うわ、すごい!」
消えてしまった余韻の空に。
手を合わせた。
ありがとう。
私は幸せです。
そう、祈りではなく。
みんなに届くように想いを馳せた。
手の甲で涙を拭って、何気に見た足元に白い花。
宵待草。
見つかっちゃったと言わんばかりに、こっちを向いて咲いていた。
私は、ごめんね。
でも、おいで。
こころの中で呼びかけて、手を伸ばして摘んだ。
「きれいな花だね、梨花さん」
「うん。押し花にしようと思って今日の記念に」
宵待草――
月見草の花言葉は、静かなる愛、無言の愛。
ねえ?
知ってる樹くん?
今ね、すっごく嬉しいんだよ私。
付き合い始めてからも、デートの誘いは私からだった。
会話の中で一緒に決めることはあっても。
――そうなんだ。
初めて樹くんから、誘ってくれたんだよ。
今日の日も。
見せてくれた流星たちも。
この月見草と一緒に大切な宝物にするよ。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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