めぐるとき、とわのねいろに、つつまれて。
ザー、サラサラ。
ゆったりと時を刻む波の音。
少し雲が多い黄昏の空。
遠く島並の上に赤く煌めく夕陽。
一面に漂う潮の香り。
秋の始まりを告げるような肌寒さを残す風。
島に住み始めて気がついたことがいっぱいある。
その一つが、日によって、時によって変わる海の色。
空色、躑躅色、朽葉色、白銀色、黄金色、千変万化。
豊かな色彩を放つことを知った。
目の前には、とろけるような揺らぎの琥珀色の水面。
瀬田港近くの潮風公園。
私たちは、そこの防波堤に腰掛けている。
指をからめて繋いだ手の温もり。
樹くんの肩に頭を預けている私。
涼やかな風が髪をさらう。
こうしているだけで何も要らないって思える。
「そうだ」
やわらかい声が私を呼ぶ。
「なあに」
頭を起こして樹くんの横顔を見つめる。
まつ毛がパチパチと動いて瞬きをして。
胸に添えていた手を離し、パーカーのポケットから、リボンで綺麗に包装された箱を取り出した。
シュッと背筋が伸びる私。
「誕生日おめでとう、梨花さん」
「ありがとう!」
「喜んでもらえるかな、開けてみて」
「もう、今うれしいよ」
「中身見てないのに?」
「樹くんが私のことを想って選んでくれたんでしょ? もうそれがプレゼントのようなもんだもん」
「そっか、梨花さんのそういうとこ、いいな……というか、好きだな」
ザー、サラサラ。
ポッと夕陽に染まる私の頬。
きゅんとして。
だって、普段あまりそういうこと言わないから。
「じゃあ」
私は丁寧に細長い箱の包装紙を解いていく。
メッセージカード?
『梨花さんへ
この記念の日を一緒に過ごせて幸せです。
20☓☓年9月20日 秋倉樹』
緩んだ頬を連れて、厚紙のしっかりとした箱を開ける。
「わあ、かわいい」
中に入っていたのは――
ペールブルーの万年筆。
「R.K」の刻印。
私のイニシャルがさりげなく施されている。
「僕は器用じゃないから、何か作れないけど、梨花さんがいつまでも大切な想いを紡いでいって欲しいから」
「ありがとう、すっごく嬉しい。宝物にするね」
「梨花さんにそう言ってもらえて、僕も嬉しい」
重なる視線に微笑みが溶けあう。
ブルルル。
フェリーの低いエンジン音が風に乗って通り過ぎていく。
私は万年筆を眺めながら。
閃いたアイデアを心にしまう。
「樹くん、ありがとう」
そっと手を握る。
自然と絡む指。
隙間なくピタリと重なる手と手。
そのまま樹くんの腿を、トントンって叩いてみる。
すると、鼻の下を指でこすり、スッとえくぼが浮かぶ。
――やっぱり。
何もかもが嬉しくて、楽しくて。
私は、また樹くんに体を預ける。
「梨花さん、見てみ」
樹くんが指さした先に視線を送る。
「あっ」
桔梗色の中、雲間に光る一番星。
「東京じゃ、見つけられないんだよね、あんまり。そこにあるのは分かるのに、遮る物が多すぎて」
「そう、みたいですね」
言いながら小さく肩を揺すって笑う樹くん。
「どうしたの? ん? 樹くん、東京行ったことあるの?」
「え? あ、いや、梨花さんと、同じようなことを言っていたのを聞いたことがあって」
鼻の下をちょんとこすって苦笑い。
「おなじ……こと?」
「ええ」
スッと。
首を伸ばして星を見つめる樹くん。
目尻は下がっているけど。
ほんの僅か。
瞳の色が消えて。
でも、私を見つめる時には、紅に染まっていた。
「うろ覚えですけど。正確にはそこにあるんだけど、色んなものが邪魔をして気づきにくい。みたいなことだったと思います」
「うん。同じだね、確かに。面白いね」
「ああ、梨花さんの言う面白いって分かります。同じものを見ていても。同じことを言ったとしても、人ぞれぞれの表現の仕方があるって」
「うん。でも……」
「でも?」
「そこにあるのを知らないと思えないし、言えない言葉だね」
樹くんの眉が上がって、ゆっくり下がる。
「ああ。なるほど……」
そして、また星を眺めた。
口の端を上げながら。
私も、その後を追う。
ここだよって。
見て見てって。
ありったけの光を放つ一番星。
遮る物も、邪魔するものもないから。
誰そ彼の主役。
ザー、サラサラ。
瀬田港を出港した、パンダの絵がついたフェリーが、夕凪の水面を滑るように進んで行く。
沖合いにはたくさんの船。
遠く島の灯台の明りが点いては消える。
私は見つけられたんだ。
探していたもの。
失くしたもの。
この万年筆で最初に描くのは言葉じゃない。
私の想いを象る物にしよう。
何気に見た樹くんはハッとして胸に手を当てて、頬を緩めた。
前よりは少なくなったけど、時折見せる翳りが何の意味なのか――
何でも話してねって、伝えているよ。
私は何でも話せちゃうから。
もしかしたら、病気のことで何かあるのかな。
でも、ちゃんと言ってくれたんだから。
何かあるなら話してくれるよね。
それとも――
「大丈夫? 何か学校であった?」
「え? ないけど」
「そっか」
「……どうして?」
「たまに、寂しそうな顔をするから」
ぴくっとまつ毛が震えた……気がした。
「そうですか? 梨花さんこそ仕事は大丈夫なんですか?」
「私? 私は大丈夫だよ。樹くんがいてくれるし、島にも住めてるから、辛くても頑張れる」
「そっか……たぶん、お腹減ってるからかな」
グー。
言ったそばから樹くんのお腹が鳴る。
クスッと私が笑うと、アハハと樹くんも声に出して笑う。
「お昼はご馳走してくれたから、晩ご飯は樹くんが食べたいもの作るよ」
「え? ご馳走も何も素麺じゃないですか」
「松寿庵の素麺大好きだもん私。それに学校で忙しいのにバイトしてくれたんでしょ? 知ってるよ、プレゼントとランチのために」
「知ってたんですか?」
少し悔しそうに首を捻る樹くん。
「だって、この島って情報すぐ回るでしょ? どこそこの誰々さんがどうしたこうしたって」
「アハハ、確かに」
「隣町のコンビニで休みの日にバイトしてるって、聞かなくても耳に入ってくる」
「そうですね」
「ネットも顔負けだよね」
「たしかに。じゃあ夕食は……」
私は樹くんの唇に人差し指を当てる。
「当ててあげる。ブルスケッタでしょ?」
「バレました」
白い歯を見せ、無邪気に笑う樹くん。
「でもでも、パンにオリーブオイル塗って塩を振るだけでしょ? 他にないの食べたいの?」
「うーん。梨花さんが作ってくれるものなら何でも美味しいから」
「もう。嬉しいけど」
わざと膨れて見せる。
すると樹くんは、思いついたと言わんばかりに人差し指を立てた。
「ああ、魚がいいかな、少し前に作ってくれたマリネ美味しかったから」
「うん。じゃあ、買い物して帰ろっか」
髪を誘う風につられて目を向けた西の空。
夏の名残のわき立つような力強い雲。
縁を赤く燃やしながら、風船が膨らんでいくように形を作って。
「ねえ、あの雲ソフトクリームみたい」
「ほんとうだ。醤油ソフト食べたくなる」
グー。
お互いのお腹がなって。
目と目が合って。
笑い声が飛び跳ねる。
ザー、サラサラ。
フェリーは明かりを灯しながら、はるか沖あいに。
夕陽はもう島陰に。
東の空は群青に。
一番星が私たちをそっと見守ってくれていた。
私のこころに大切な宝物が、ひとつ増えた。
それをそっと胸に抱えて立ち上がる。
樹くんに手を差し伸べた。
「行こ」
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