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約束の木の下で ―忘れない想いから生まれたもの―  作者: ぽんこつ


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10/18

とっておき

薄い膜のような雲が空を覆っている。

ぽかぽかとした陽気に誘われた色とりどりの蝶とすれ違う。

道端の緑の中で黄色のタンポポがキラッと微笑みかけてくる。

瀬田神社の裏手に連なる低い山。

その中腹にある満開の桜の木々。

はらはらと雪のように舞う花びらたちの中を。

かすかに香るほろ甘い匂いの中を。

私たちは手を繋いで歩いている。


挿絵(By みてみん)


「この間のお弁当喜んでくれたでしょ?」

「ああ、アジフライのこと?」

「うん。昨日ね、漁師の村上さんからアジいっぱい貰っちゃってさ。今日の夕食、フライにしようと思うんだけどどうかな?」

「どう? って?」

「樹くん食べれるでしょ? たくさん」

「ええ、まあ」

「良かった」

「でも、いいんですか?」

「いいよ。樹くんお魚好きでしょ? あと。美瑠がねケーキ送ってくれたんだ。新作だって」

美瑠は地元、東京の北万住のケーキ店でパティシエとして働いている。

そして新作と題した試作品を作っては、味見して感想を聞かせてと送ってくる。

ホールだから、さすがに一人で――

食べれない訳じゃないけど。

三神さんや近所の人、そして樹くんにお裾分けしている。

三神さんは、お店のケーキやお菓子を気に入ってくれたらしくて、個別に注文しているみたい。

「……そうですか」

片手を胸に添える樹くん。

「どうしたの?」

「あ、いや、その、梨花さんの家でって、ことですよね」

「そうだよ」

「本当に、いいんですか?」

「なにが?」

ぎゅっと一瞬。

握られた手に力が入った。


「いえ……その、女性の家に行くの初めてだから」

「あっ。そ、そっか」

樹くんの一言でなぜか緊張してドキドキし出す私。

つないだ手に汗がじわっとわいて。

きっと樹くんも。

でも料理だって、せっかく練習したし。

掃除もしたし。

それに――。

「私も、はじめてだよ。男の人家に上げるの。樹くんが……」

スッと息を吸う樹くん。

髪を攫う風は、まだ少しひんやりとする。

「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」

「あっ……」

「どうしました?」

「ごめん、間違えた」

「間違い?」

「うん。その……男の人を家に上げるの二人目だった。館長の畑さんが、こないだ家に来たんだった」

クスッと笑うと、アハハと笑い声が弾ける。

「畑さんがね、本を書いてるんだって。島の歴史について。それで文章の書き方とか教えて欲しいって。本当は畑さんの家でってなってたんだけど、知り合いが島に来てて、瀬田町のホテルに泊まっているからって」

「畑さんて、梨花さんの話聞いてる限り面白い方ですよね」

「うん。エネルギッシュだよ。年齢よりも全然若いって感じ。昔歴史の先生してたんだって」

「そうなんですか? でも、そんな先生なら歴史好きになってたかもしれない」

そんな他愛のない会話が、変わらずに楽しい。

ううん、樹くんと過ごせていることがすごく。


「こっちです」

「はーい」

頂上まで続く道から逸れて、山の斜面に伸びる土の上を進んで行く。

ザッ、ザッ。

足並みも自然に揃って重なる足音。

嬉しくて隣を見上げると、樹くんもこっちを見ていた。

微笑みを交換して。

ほっこりする私。

さらさら。

草や葉が気持ち良さそうに奏でる音。

それに合わせて花が踊り、虫や鳥が歌う。

つられた私も鼻歌を口ずさむ。

すると、樹くんも控えめに声を重ねてきてくれる。

『春を愛する人』。

『時間旅行』。

ニ曲とも90年代の曲。

両親の影響で私は今どきの曲はあまり知らない。

樹くんは私の影響で、耳にしてくれている。

つないだ手もリズムを取って大きく振れる。


向かっているのは、樹くん曰くとっておきの場所。

前方の木々のまにま。

木造の東屋が見えてきた。

道から、はみ出した場所にちょこんと佇んでいる。

円卓とベンチが備わっている、こじんまりとした東屋の中。

そこからは――

紺碧の瀬田湾が一望出来た。

「へー、この町にこんな所があったんだ」

「僕も最近知ったんです。なんかドラマのロケ地で昔使われたそうです」

「そうなんだ。すごくいい景色だね」

「ええ」

霞の中の島並。

凪の水面を滑る船。

港や町も見えて、淡い潮風を全身で浴びる。

そう――

島の至る所に当たり前にきれいな景色が転がっていて。

山も海も空も。

晴れの日も。

雨の日も。

こころが和む風景に出逢える。

日常の中に。

それに――

目で見るだけじゃなくて。

土や砂や木に触れて。

潮や花や醤油の匂い。

潮騒に鳶や蝉の音。

素麺や海の幸の味。

感覚全てで感応できる。

「教えてくれて、ありがとう」

「梨花さん。上手です。もうすっかり島の人間ですね」

「そう? かな?」

はにかんで、唇を嚙んだ。

すごく嬉しい。

不安もあったけど、島に来て良かったって思えてる。

樹くんや三神さん。

美瑠にお父さんやお母さん。

私に関わってくれた人みんなに感謝できるんだ。

もちろん、全てのきっかけをくれた。

シンくんにも。

さわさわ。

葉が擦れた音が、私の髪を唇に残していった。


「じゃあ、ごはんにしよ」

「楽しみにしてました」

ニコッと白い歯を見せる樹くん。

私はトートバッグの中から二つのお弁当箱と水筒を取り出す。

「おにぎりにしてみたんだ」

「いいですね」

「具はね、内緒。食べてからのお楽しみね」

「はい、わかりました」

微笑みながらベンチに腰掛ける樹くん。

そっと隣に私も腰を下ろす。

樹くんは並べた弁当箱の蓋を開ける。

おにぎり三つと卵焼きとミニトマト。

簡単な、お弁当。

「うわ、美味しそう」

片頬にえくぼが浮かんで、私を見つめる。

「じゃあ、頂きます」

手を合わせた樹くんは、おにぎりを手にして、かぶりつく。

口いっぱいに頬張って。

もぐもぐ。

私は手にしたおにぎりをそのままに、その姿に見入ってしまう。


挿絵(By みてみん)


「あっ、鮭だ。塩加減ちょうどいいです。おいしい」

口に手を当てながら喜ぶ樹くん。

「よかった。喜んでくれて嬉しい」

私もパクリ。

「やばい。何個でも食べられるかも」

「だめだよ。晩御飯あるんだから。私の分はあげないよ」

「一個だけ」

おねだりをするような子供みたいな瞳が私を襲う。

「うーん。じゃあ、じゃあ、今度、樹くんの家にも行ってみたい」

「え? じゃあ、おにぎり我慢します」

鼻の下を指でこすって。

手に持っている、おにぎりに食らいつく樹くん。

「なんで? 分かったよ。私の卵焼きも一個あげるから。いい?」

頬膨らませて、顔を近づけて下から覗き込む。

「ダメだな」

吐息交じりの声。

「どうして?」

「あ、いや。そのダメじゃなくて……」

「なに?」

なんだかわからなくて小首を傾げる私。

なんか変なこと言ったかな?

「今の梨花さん。その、めっちゃかわいかったから」

「へ?」

あわあわして、おにぎりを落としそうになって、樹くんがサッと伸ばした手で拾い上げてくれた。

「ありがとう」

肩をすくめて、髪を耳に掛け。

おにぎりを一口。

味が分からないまま、もぐもぐ。

チラッと樹くんを見ると首を傾げて覗き込んでいる。

「どうしたの?」

「いや、梨花さんこそ、大丈夫ですか?」

「うん」

目尻が下がって柔らかな眼差しの樹くんは、

「じゃあ、一個貰いますね」

私の分のおにぎりを一つ持っていく。

「あっ」

「え? ダメですか?」

私はぶんぶんと首を振る。

樹くんはそれをパクリ。

「あ、今度は焼きたらこ! おいしい!」

桜も顔負けの満開。

まっ、いいか。

焼きたらこは私も好物なんだけど。

とっておきの笑顔が見れたから。


挿絵(By みてみん)

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