とっておき
薄い膜のような雲が空を覆っている。
ぽかぽかとした陽気に誘われた色とりどりの蝶とすれ違う。
道端の緑の中で黄色のタンポポがキラッと微笑みかけてくる。
瀬田神社の裏手に連なる低い山。
その中腹にある満開の桜の木々。
はらはらと雪のように舞う花びらたちの中を。
かすかに香るほろ甘い匂いの中を。
私たちは手を繋いで歩いている。
「この間のお弁当喜んでくれたでしょ?」
「ああ、アジフライのこと?」
「うん。昨日ね、漁師の村上さんからアジいっぱい貰っちゃってさ。今日の夕食、フライにしようと思うんだけどどうかな?」
「どう? って?」
「樹くん食べれるでしょ? たくさん」
「ええ、まあ」
「良かった」
「でも、いいんですか?」
「いいよ。樹くんお魚好きでしょ? あと。美瑠がねケーキ送ってくれたんだ。新作だって」
美瑠は地元、東京の北万住のケーキ店でパティシエとして働いている。
そして新作と題した試作品を作っては、味見して感想を聞かせてと送ってくる。
ホールだから、さすがに一人で――
食べれない訳じゃないけど。
三神さんや近所の人、そして樹くんにお裾分けしている。
三神さんは、お店のケーキやお菓子を気に入ってくれたらしくて、個別に注文しているみたい。
「……そうですか」
片手を胸に添える樹くん。
「どうしたの?」
「あ、いや、その、梨花さんの家でって、ことですよね」
「そうだよ」
「本当に、いいんですか?」
「なにが?」
ぎゅっと一瞬。
握られた手に力が入った。
「いえ……その、女性の家に行くの初めてだから」
「あっ。そ、そっか」
樹くんの一言でなぜか緊張してドキドキし出す私。
つないだ手に汗がじわっとわいて。
きっと樹くんも。
でも料理だって、せっかく練習したし。
掃除もしたし。
それに――。
「私も、はじめてだよ。男の人家に上げるの。樹くんが……」
スッと息を吸う樹くん。
髪を攫う風は、まだ少しひんやりとする。
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」
「あっ……」
「どうしました?」
「ごめん、間違えた」
「間違い?」
「うん。その……男の人を家に上げるの二人目だった。館長の畑さんが、こないだ家に来たんだった」
クスッと笑うと、アハハと笑い声が弾ける。
「畑さんがね、本を書いてるんだって。島の歴史について。それで文章の書き方とか教えて欲しいって。本当は畑さんの家でってなってたんだけど、知り合いが島に来てて、瀬田町のホテルに泊まっているからって」
「畑さんて、梨花さんの話聞いてる限り面白い方ですよね」
「うん。エネルギッシュだよ。年齢よりも全然若いって感じ。昔歴史の先生してたんだって」
「そうなんですか? でも、そんな先生なら歴史好きになってたかもしれない」
そんな他愛のない会話が、変わらずに楽しい。
ううん、樹くんと過ごせていることがすごく。
「こっちです」
「はーい」
頂上まで続く道から逸れて、山の斜面に伸びる土の上を進んで行く。
ザッ、ザッ。
足並みも自然に揃って重なる足音。
嬉しくて隣を見上げると、樹くんもこっちを見ていた。
微笑みを交換して。
ほっこりする私。
さらさら。
草や葉が気持ち良さそうに奏でる音。
それに合わせて花が踊り、虫や鳥が歌う。
つられた私も鼻歌を口ずさむ。
すると、樹くんも控えめに声を重ねてきてくれる。
『春を愛する人』。
『時間旅行』。
ニ曲とも90年代の曲。
両親の影響で私は今どきの曲はあまり知らない。
樹くんは私の影響で、耳にしてくれている。
つないだ手もリズムを取って大きく振れる。
向かっているのは、樹くん曰くとっておきの場所。
前方の木々のまにま。
木造の東屋が見えてきた。
道から、はみ出した場所にちょこんと佇んでいる。
円卓とベンチが備わっている、こじんまりとした東屋の中。
そこからは――
紺碧の瀬田湾が一望出来た。
「へー、この町にこんな所があったんだ」
「僕も最近知ったんです。なんかドラマのロケ地で昔使われたそうです」
「そうなんだ。すごくいい景色だね」
「ええ」
霞の中の島並。
凪の水面を滑る船。
港や町も見えて、淡い潮風を全身で浴びる。
そう――
島の至る所に当たり前にきれいな景色が転がっていて。
山も海も空も。
晴れの日も。
雨の日も。
こころが和む風景に出逢える。
日常の中に。
それに――
目で見るだけじゃなくて。
土や砂や木に触れて。
潮や花や醤油の匂い。
潮騒に鳶や蝉の音。
素麺や海の幸の味。
感覚全てで感応できる。
「教えてくれて、ありがとう」
「梨花さん。上手です。もうすっかり島の人間ですね」
「そう? かな?」
はにかんで、唇を嚙んだ。
すごく嬉しい。
不安もあったけど、島に来て良かったって思えてる。
樹くんや三神さん。
美瑠にお父さんやお母さん。
私に関わってくれた人みんなに感謝できるんだ。
もちろん、全てのきっかけをくれた。
シンくんにも。
さわさわ。
葉が擦れた音が、私の髪を唇に残していった。
「じゃあ、ごはんにしよ」
「楽しみにしてました」
ニコッと白い歯を見せる樹くん。
私はトートバッグの中から二つのお弁当箱と水筒を取り出す。
「おにぎりにしてみたんだ」
「いいですね」
「具はね、内緒。食べてからのお楽しみね」
「はい、わかりました」
微笑みながらベンチに腰掛ける樹くん。
そっと隣に私も腰を下ろす。
樹くんは並べた弁当箱の蓋を開ける。
おにぎり三つと卵焼きとミニトマト。
簡単な、お弁当。
「うわ、美味しそう」
片頬にえくぼが浮かんで、私を見つめる。
「じゃあ、頂きます」
手を合わせた樹くんは、おにぎりを手にして、かぶりつく。
口いっぱいに頬張って。
もぐもぐ。
私は手にしたおにぎりをそのままに、その姿に見入ってしまう。
「あっ、鮭だ。塩加減ちょうどいいです。おいしい」
口に手を当てながら喜ぶ樹くん。
「よかった。喜んでくれて嬉しい」
私もパクリ。
「やばい。何個でも食べられるかも」
「だめだよ。晩御飯あるんだから。私の分はあげないよ」
「一個だけ」
おねだりをするような子供みたいな瞳が私を襲う。
「うーん。じゃあ、じゃあ、今度、樹くんの家にも行ってみたい」
「え? じゃあ、おにぎり我慢します」
鼻の下を指でこすって。
手に持っている、おにぎりに食らいつく樹くん。
「なんで? 分かったよ。私の卵焼きも一個あげるから。いい?」
頬膨らませて、顔を近づけて下から覗き込む。
「ダメだな」
吐息交じりの声。
「どうして?」
「あ、いや。そのダメじゃなくて……」
「なに?」
なんだかわからなくて小首を傾げる私。
なんか変なこと言ったかな?
「今の梨花さん。その、めっちゃかわいかったから」
「へ?」
あわあわして、おにぎりを落としそうになって、樹くんがサッと伸ばした手で拾い上げてくれた。
「ありがとう」
肩をすくめて、髪を耳に掛け。
おにぎりを一口。
味が分からないまま、もぐもぐ。
チラッと樹くんを見ると首を傾げて覗き込んでいる。
「どうしたの?」
「いや、梨花さんこそ、大丈夫ですか?」
「うん」
目尻が下がって柔らかな眼差しの樹くんは、
「じゃあ、一個貰いますね」
私の分のおにぎりを一つ持っていく。
「あっ」
「え? ダメですか?」
私はぶんぶんと首を振る。
樹くんはそれをパクリ。
「あ、今度は焼きたらこ! おいしい!」
桜も顔負けの満開。
まっ、いいか。
焼きたらこは私も好物なんだけど。
とっておきの笑顔が見れたから。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
感想やご意見ありましたら、お気軽にコメントしてください。
また、どこかいいなと感じて頂けたら評価をポチッと押して頂けると、励みになり幸いです。
*人物画像は作者がAIで作成したものです。
*風景写真は作者が撮影したものです。
*両方とも無断転載しないでネ!




