夢ノ一 鬼に嫁いだ娘《ハ》
山本家の御家人屋敷は、こじんまりとしていたが、綺麗に整えられていた。
小者を雇っている気配はなく、妻である栄が生活の総てをこなしているのだろう。
身綺麗にはしているが、よく見れば栄の着ている着物は繕いや継接ぎがあるのがわかる。
「酷い屋敷でございましょう」
案内した栄が、自嘲気味に笑う。
「いいえ。綺麗に整えられているし、お凜さんの長屋より、よっぽど住み心地がよさそうです」
優太が笑いながら見上げると、栄はふっと鼻で笑った。
「人気がないが、誰も雇っていないのかい。徒組頭なら下男くらい雇えるだろう」
徒組頭は百五十俵取りといったところだ。
親子三人なら、贅沢をしなければ雇っても充分生活はできる筈である。
「我が家には義父母がおります。鬼が来てから怖がって親戚の家に身を寄せておりますが。親子五人で生活をするには、人を雇う余裕はございません」
静かに応える栄に、凜は何も言わなかった。
二人は栄の案内で客間に通された。
暫く待っていると男が一人、入ってきて仰々しく上座にどっかりと据わる。
一つ咳払いをした。
「私は徒組頭・山本創吾と申す。宜しくお頼み申す」
創吾は下げていた頭を早々に上げ、前のめりに凜に詰め寄った。
「早速だが、早く娘の悪夢を買い取って起こしてくれ。鬼には何としても出て行ってもらわねばならん」
凜が大層大きな溜息を吐いた。
創吾は、あからさまに眉間に皺を寄せた。
凜はお構いなし、といった体でさらりと伝える。
「奥方にも話したが、悪夢を買ったからと娘が目覚めるとも限らないし、鬼が退くともわからない。あたしはあくまでも夢を買い取るだけだ。勘違いしないでおくれ」
創吾は怒りを顕わにして栄を振り返った。
栄は何も言わずに只、こくりと頷く。
創吾は、ぐっと歯ぎしりして言葉を飲んだ。
「ならば、早急に佳世の夢を買い取ってもらおう」
創吾が目で合図をする。
栄が、すっくと立ち上がって、凜を奥の座敷へと案内した。
短い廊下を歩くと、外の庭には畑が広がっていた。
種蒔を終えたばかりなのだろう。土が耕されている。
「ここに、佳世がおります」
庭に面した部屋の前で栄が足を止めた。
「加えて、鬼もおりますってね」
「お凜さん!」
優太が凜を突く。
栄は軽蔑するような眼差しを仕舞い込んで障子戸に手を添え、そっと開けた。
大きな布団の上に横たわり、眠っている娘。
枕元には小さな赤子を抱いてしゃがみ込んでいる黒い大きな塊があった。
「あれが、鬼?」
思わず優太が溢した。
黒い塊に見えていた物体は、よく目を凝らしてみれば頭に角を生やした人のような姿をしていた。
丈も人と比べれば大きいが、そこまで巨ではない。
人間の大男と、なんら変わりない程度だ。
何より驚いたのは、鬼がとても心配そうな面持ちで佳世の顔を覗きこみ、その手を大事そうに握りしめていたことだった。
佳世は穏やかな表情で寝息を立てている。
その様を見て、栄は悲鳴にも似た声を上げた。
「何をしているのです! 娘から離れなさい!」
駆け寄って、佳世の手を握る鬼の手を振り払った。
鬼は驚いた顔で、びくりと震えると、すっと手を引く。
栄が尚も迫ると、鬼は部屋の隅の方に逃れて小さくなっていた。
「これは……」
凜と優太は呆気にとられて、その光景を眺めていた。
「やはり、話とは些か事情が、違っていそうだ」
一つ、小さく息を吐くと、凜はずかずかと部屋の中に入っていった。
「うっ……許して……」
突然、佳世が魘され始めた。
苦しそうに顔を歪め、布団を掻き毟るように握りつぶしている。
「……はう、え……ち、ち……うえ……」
鬼を威嚇していた栄が、佳世に駆け寄る。
「ああ、可哀想に。恐ろしい夢をみているのね。佳世、佳世」
呼びかけの声は届かない。
佳世は苦しそうに唸り声を上げるばかりだ。
黙って見ていた凜に、栄が厳しい目を向けた。
「お願いします。この悪夢を早く消し去って」
凜は、ちらりと鬼を見やる。
鬼は赤子を大事そうに抱きかかえて、佳世を見詰めている。
その目には心配の色が溢れていた。
「……」
凜は、佳世の枕元に片膝をついた。
人差し指で額に触れる。佳代の額の奥に、石のように硬い夢種が埋まっていた。
「殻が硬くて破れなんだか。これじゃぁ、花も咲かせられやしねぇやな」
凜の指先が、佳代の額にトプリと沈む。
さりげなく凜の後ろに立った優太が、その様を栄たちから隠した。
凜の指先が硬化した夢種を摘まんで、取り出す。
夢種から黒い煙がモクモクと浮かび上がった。
浮かび上がった煙は佳代の額の中に繋がっている。
凜は煙の尻尾を摑まえると、ずるりと引き抜いた。
煙は大きな黒い雲の形になって、部屋の天井を覆い隠した。
部屋の中いっぱいに広がった黒い煙は、禍々しい気を湛えて蠢いている。
「まさかこれが、佳世の夢……」
「なんと、恐ろしい……」
創吾と栄が、茫然と煙を見詰る。
傍らで凜は、ふんと鼻を鳴らした。
「これで悪夢は娘の中から消えた。この夢は貰っていくよ」
凜は夢種を懐に仕舞い込んだ。