表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢買屋 ー夢喰い獏の商い事情 アナタの夢という未練、高値で買い取りますー  作者: 霞花怜(Ray)
夢ノ五

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/43

夢ノ五 火事場の迷子《リ》

 陽が傾きかけて、青い空に茜が染みる。

 乾いた空風はいつの間にか、ふわりと暖かく感じられるようになった。

 そんな中、川沿いの土手道を三人は手を繋いで歩いていた。


「啓太、疲れたろ。抱っこしてやらぁ」


 辰吉は啓太を抱き上げた。

 優しく微笑んで、頭を撫でる。


「お前ぇ、七郎って名だったんだな」

「辰さん……」


 お春が寂しそうな顔で二人を見上げる。

 辰吉は微笑んだままの瞳で啓太を見詰めた。


「七郎の方が、いいか?」


 啓太は泣きそうな顔で、首をぶんぶんと横に振った。


「俺らに気を遣うこたぁ、ねぇんだぜ。折角、親に会えたのに、勢いで追い返しちまった。お前ぇは本当に俺らと一緒で、いいのか?」


 真っすぐな眼差しを、啓太が真正面で見詰める。

 口を、はくはくと動かした。


「ん?」


 声こそ出ないが、口の形が「け、い、た」と動いている。

 その動きを、何度も何度も繰り返した。


「啓太ちゃん」


 お春が、必死に口を動かす啓太を見て、涙を滲ませた。

 辰吉の視界も滲んで茜が染みる。


「てっ、一丁前にしやがって。そうだな、お前ぇは啓太だ。俺たちの大事な啓太だ!」


 啓太の小さな体を、滲む空に向かって高く高く抱き上げた。

 寄り添うお春の肩を抱き、啓太に頬擦りする。


「もう何にも心配すんな。俺たちは、ずっと家族だ」


 大きな陽が山間に沈む中、三人は互いを慈しみながら身を寄せ合っていた。




 その後、啓太は奉行所に捨て子として受理された。

 齢十になるまでの正式な預かり親に、辰吉が認可された。

 両国橋の欄干に張った張り紙を、べりっと剥がす。


「これで、よしっと」


 迷子の張紙を剥がしたら、胸の閊えがとれた気がした。


「後は……」


 辰吉はその足で、夢買屋の凜の元に向かった。




〇●〇●〇




 よく知った人の気配が長屋の戸を叩く。

 長い煙管を弄びながら、凜は口端を上げた。


「辰吉さん、この度はおめでとうございます」


 優太が丁寧に頭を下げる。


「なんでぇ、優太もお凜さんも、もう知ってんのかよ」


 辰吉が照れながら頭を掻いた。


「この長屋に住んでいて、知らぬほうがどうかしているさ。お春が子供の頃から辰さんに惚れているってね」

「辰吉さんがお春さんのこと、ずっと好きなのも、みんな知っていますよ」


 凜に続いた優太の言葉に、辰吉の顔が真っ赤になった。


「揶揄うなぁ、よしてくれよ。俺ぁ、そういうの、上手く捌けねぇ」


 困り顔で顔を隠す辰吉の姿に、笑みが零れる。


「迷子の坊も育てると決めたんだって?」


 凜の言葉に、辰吉が顔を上げた。


「俺が育てるって、決めた。だから、お凜さん。俺の夢を買い取ってくれ」

「おや? 決心が、ついたのかい」


 長煙管で煙草をふかす凜に、辰吉が頷く。

 清々しい眼差しは強い決意の色を帯びている。

 凜は煙管を置いて辰吉に向き合った。


「前にも増して一層、男前になったじゃぁないかぇ」


 一瞬、ぽかんとした辰吉が、吹っ切れた顔で照れ笑いした。


「夢をみなくなっても、俺はもう、弟も、あの火事も忘れねぇ。夢に足を竦ませている場合じゃぁねぇんだ。俺ぁ、これから家族を養わねぇといけねぇからよ。こういう俺のほうが、弟はきっと喜ばぁ!」


 笑んだ瞳には慈しみと寂しさが同居して見える。


「それじゃぁ、遠慮なく、買い取らせてもらおうかね」


 凜は、辰吉の前に膝立ちになった。


「ちょいと、目を瞑んな」


 目を瞑った辰吉の額に片手をあてる。

 円を描くようにくるくると手を回す。

 辰吉の額から、薄紅色の煙のようなものが、もくもくと浮かび上がった。

 形の良い額に指をあてる。

 肌の中に指が飲み込まれると、辰吉がピクリと肩を震わせた。


「おやおや、こいつぁ上物だ。少し強く、引っ張るよ」


 優太が辰吉の後ろに回って、肩を抑える。


「なんだ? 俺の夢、デカいのか? お凜さんは、どうやって取り出していんだ?」

「すぐに終わるから、黙ってじっとしてな」

「はい……」


 辰吉が素直に静かになった。

 辰吉の額から、ゆっくりと指を引き抜く。

 掌に載せてはみ出るほどの大きさの夢種が取り出せた。


「もう、目を開けていいよ」


 辰吉がゆっくりと目を開く。

 凜の手の上で七色に輝く宝石を眺めて、辰吉が呆然とした。


「これが辰さんが抱え込んでいた夢の元だ。随分と年季が入っている上、相当に悪い夢だったようだね。夢種ってのは悪夢ほど美しいんだ」


「これが、俺の夢、か」


 辰吉がぽつりと零した。


「悪い夢、だったのかな。俺にとっちゃぁ、必要な夢だったよ」


 そう言って笑う辰吉の顔は、すっきりして見えた。

 優太が長持ちから両手に載るくらいの袋を取り出した。

 辰吉の手に、どんと載せる。


「これが夢のお代です」


 袋の中には一文銭がたっぷりと、少しの一朱銀、二朱銀に、小判が数枚入っている。

 中身を確認した辰吉が、ぎょっと目をひん剥いた。


「待ってくれ、お凜さん。夢の相場は知らねぇが、こんなには……。流石に貰えねぇ」


 両手でやっと持てる程の袋に、ぱんぱんに詰まった金を見て辰吉が慌てる。

 突き返そうとする辰吉を、優太が押し返した。


「夢種は貴重品なんだ。珍品で滅多に手に入らない。丸薬程度の大きさだって一両以上で買い取るモノ好きもいんのさ。辰吉さんの夢種はそん中でも特別でかいし綺麗だ。下手すりゃ十両以上の価値がある」


「じゅっ……、そんなにすんのか? あれが? そりゃ、珍しいだろうけどよ」

「かといって、小判なんか持っていても使いづらいだけですよね。だから、小銭でお支払いしたんです」


 町人が小判など持っていたところで両替に金がかかるだけだ。

 最初から小銭のほうが使いやすい。


「十両分、入っているよ。あたしらからの御祝儀込みだと思って受け取りなよ。お春と啓太を養うなら、あって困る金じゃないだろ」


 凜の目が、にやりと微笑む。

 辰吉が、ぐっと言葉を飲み込んだ。


「貰ってください、辰吉さん。でも仕事やめちゃ、ダメですよ」


 横から優太が、にっこり笑う。


「辞めるわけがねぇが。それにしたって」


 辰吉が、ぐっと唇を噛んで、重たい袋を受け取った。


「お凜さん、優太、有難てぇ。気持ちに甘えて、いただきやす」


 深々と頭を下げる辰吉に、凜はぎょっとした。


「よしとくれよ。これがあたしの商いなんだ。夢種の銭を払っただけさ。お春は時々、夢を売りに来るから、あたしの商いも知っているはずだよ」


 くすくすと笑いながら煙管を咥える。


「そうか。また悪い夢を見たら、夫婦揃って、よろしく頼まぁ」


 辰吉が、ははっと笑う。

 何度も礼を言って、辰吉が帰って行った。


「なんだかんだで、良かったですね。お春さんも、啓太ちゃんも」


 優太が、ほっこりした顔をした。


「雨降って地固まる、ってところかねぇ」


 煙管の先に煙草を詰めて火を付ける。


「血の濃さだけが身内ってわけじゃぁ、ないからね。お春も辰さんも似たような質だ。良い家族になるだろうさ」


 小さな格子窓を開けて、外の景色を眺める。

 梅が咲き、桜が膨らむこの季節は、土の下で新芽が芽吹く時を待っている。

 吹き流れる風は徐々に温かく、仄かな梅の芳香を運んでくる。

 長屋の隙間を流れる風も、いつのまにか柔らかく心地良い香りになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ