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夢買屋 ー夢喰い獏の商い事情 アナタの夢という未練、高値で買い取りますー  作者: 霞花怜(Ray)
夢ノ五

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夢ノ五 火事場の迷子《ト》

 火が燃え盛る中を、辰吉は啓太の名を叫びながら歩き回った。

 小さな足で歩ける範囲はそう広くない。

 長屋から火事場までの道を探して回るも、一向に見付からない。

 人々が逃げ惑い、火に巻かれた混乱の最中で、あの小さな体を探すのも容易ではない。


「くそっ、どこに行っちまったんだ」


 思わず溢した時、目の前を人魂のような白い炎が、ふわりと通り過ぎた。

 人魂が、ふわりふわりと辰吉の周りを浮遊すると、道の先を飛んでいった。


「なんだ、ありゃ」


 気になって、人魂の後を追う。

 人魂は、まるで辰吉を先導するように先へ先へと進んでゆく。

 その後をついて行くと、町の外れの小さな稲荷神社に行きついた。

 火の粉が飛んできたのか、社の屋根と鳥居が燃えている。

 社の前に、蹲る小さな影を見つけて、辰吉は走った。


「啓太!」


 燃える鳥居を潜り抜け、社の短い階段に座り込む啓太を抱き締めた。


「馬鹿野郎! こんなところで、何していやがる!」


 辰吉の怒号に小さな肩をびくりと震わせる。

 啓太は辰吉の姿を見るや、堰を切ったように泣き出した。


「う……、うっく」


 辰吉の胸にしがみ付いて、しゃくり上げて泣いている。

 その手は小刻みに震えていた。


「怒鳴って、すまねぇ。怖かったな。もう、大丈夫だ」


 啓太を胸に抱いて背中を擦ってやる。

 それでも啓太は泣き止まず、辰吉の火事装束を掴む手に力を籠める。

 この小さな手に、こんなに力があるのかと驚くほど強い力でしがみ付いて離れなかった。


(俺が出掛けに、あんなこと考たから、不安になったのか)


 啓太は口がきけないせいか、他人の表情や言葉の抑揚をよく捉える。

 辰吉の思いを感じ取って、子供ながらに不安になったのかもしれない。


「ごめんな」


 辰吉は、啓太を強く抱きしめた。

 突然、頭上で、ぱちぱちと木が爆ぜる音が大きくなった。

 社が燃えて、目の前に炎にまかれた注連縄が落ちてきた。


「とにかく、ここから離れねぇと」


 顔を上げると、目の前の鳥居が先程より大きな音を立てて燃えいる。

 辰吉たちの周りは、あっという間に火に囲まれた。

 火の粉が舞い落ちてきて、着物を焦がす。


 辰吉は体全体で啓太を覆い庇う。

 火事装束の前を開けて、その中に啓太を包み抱いた。


「くっそ。火が回って、身動きがとれねぇ」


 社の梁が勢いよく燃えて、今にも落ちてきそうだ。

 これ以上待つのは危険だ。

 辰吉は啓太を抱え無理矢理に立ち上がる。


 その瞬間、燃えていた梁が二人を目掛けて落ちてきた。


「危ねぇっ!……」


 咄嗟に背中を丸めて、啓太を懐に庇う。


「!……」


 強い衝撃を覚悟していた背中には、なんの痛みもない。

 不思議に思って顔を上げると、目の前を人魂がふわりと飛んだ。


「こいつぁ……」


 よく見ると、落ちてきた梁が思わぬ場所に弾かれている。

 辰吉たちを囲んでいた火が、二人を避けるように炎の先を外に向けていた。


「いってぇ、どうなってんだ」


 驚いて眺める辰吉の目の前に、人魂がふわりと舞い降りる。

 白い人魂は丸い形から徐々に人の形を成してゆく。

 やがてその顔は、忘れられない、大切な人になった。


「啓太……」


 目の前に、火事で死なせてしまった弟の啓太が立っていた。


『兄ちゃん』


 啓太が、きれいな笑みを辰吉に向けた。


『兄ちゃん、もうあの火事も俺も、忘れておくれよ。俺は兄ちゃんを恨んじゃいないよ。助けようと、駆け付けてくれたじゃねぇか』


「なに、言いやがんだ。俺はお前ぇを、一時だって忘れちゃいねぇ!」


 啓太が静かに首を横に振った。


『いつまでもあの時の火事を、引き摺っちゃなんねぇ。兄ちゃんは、お江戸の花形、格好良い火消しだろ。俺の自慢の兄ちゃんなんだぜ』


「啓太……」


 辰吉の視界が涙で歪む。


『今は、その子を助けてやっておくれよ』


 啓太の体が、人の形から人魂に戻っていく。

 二人を誘って、ふわふわと揺れた。


 辰吉は涙を拭って懐の啓太をしっかり抱抱え直した。

 火の輪を潜り抜け、一心に走った。


 ふわりふわりと進む人魂だけを見詰めて、只ひたすらに走り抜けた。

 いつの間にか赤い火は見えなくなり、気が付けば静かな場所に着いていた。


「ここは……」


 そこは辰吉の両親と弟が眠る墓だ。

 辰吉は体を引きずるように弟の墓標に近づくと、膝をついた。


「啓太、啓太」


 涙が堪えきれずに、どんどん溢れてくる。


「ありがとうよ……ごめんな、ありがとう……」


 辰吉は両手をついて、その場に泣き崩れた。

 懐の中で辰吉の胸にしがみ付いていた啓太の頬に、辰吉の零した涙が流れていた。




 その夜の火事は大きかったが、火消したちの懸命な消火活動が功を奏し、大きな被害は出なかった。

 辰吉たちの長屋も、ぎりぎりのところで火を免れてた。

 次の日の朝、井戸に顔を洗いに出て行くと、男衆が井戸端会議をしていた。


「やっぱり辰吉さんたち火消しは、頼りになるねぇ」

「本当だぜ。火消し様様だな」


 口々に褒められて、なんだか気恥ずかしくなる。


「いやぁ、俺ぁ、昨日はあんまり……」


 口籠っているところに、お春が部屋から顔を出した。

 ふと目が合う。

 お春の頬が赤く染まって、辰吉まで熱が昇る。

 目を逸らしながらも、お春がいそいそと辰吉に近づき、大きく頭を下げた。


「き、昨日は、ごめんなさい。啓太ちゃん、ちゃんと見られなくて」


 赤い顔で俯くお春を直視できず、辰吉の目が泳ぐ。


「あ、あれは……、その、あれだ。お前ぇのせいじゃあ、ねぇよ。気に、すんな」


 ぎこちない言葉に、お春が黙ったまま頷く。

 そんな二人の様子を見て、周りの男たちが、ぴんときた。


「なんでぇ、二人とも。火事の夜に何か、あったのかぃ?」


 揶揄うように言われて、辰吉の顔が真っ赤になった。


「な、何もねぇよ!」


 思わず大きな声を出してしまい、はっとする。

 周りの皆が、にやにやと笑いながら、顔を赤くしている辰吉とお春をまざまざと見比べた。


「いい加減、一緒になっちまいな! ったく、まどろっこしいったらねぇよ」

「ちょっと大助さん、何、言ってるの!」


 増々頬を赤くしてお春が声を荒げる。

 その間にも辰吉は、ほれほれと突かれて、観念したような顔をした。


「そう、だな。お春、一緒になるか」


 耳まで真っ赤にして、辰吉はお春の目をじっと見詰めた。

 お春が、ぽかんとして辰吉を見上げる。

 突然、目に涙を滲ませた。


「な、なんで泣くんだよ。俺じゃぁ不満か」


 ぎょっとして慌てふためく。

 困り果てる辰吉の周りで、皆が笑い飛ばした。


「そりゃぁ、嬉しいからに決まっているだろうよ」

「良かったねぇ、お春ちゃん」


 いつの間にか出てきた女たちに囲まれたお春が口元を手で覆う。

 泣きながら辰吉に笑い返した。

 その顔を見て、辰吉はようやく胸を撫で下ろした。

 後ろに立つ大助が何気なく辰吉の足元を見て、首を捻った。


「んじゃぁ、啓太はどうするんだい?」


 皆の眼の先が啓太に集まる。

 啓太が辰吉の足に隠れた。

 辰吉は、不安顔の啓太を躊躇いなく、ひょいと抱きあげる。

 啓太をまっすぐに見て、にっと笑った。


「もう、親探しは止めだ。俺が啓太を育てる。お春、いいか?」


 真剣な顔でお春を見詰める。


 お春もまた真面目な顔で、辰吉を見つめ返した。


「良いも悪いも、啓太ちゃんはもう私たちの子よ!」


 周りが「おお!」と、どよめいた。

 お春の顔が先ほどより赤く染まる。

 辰吉は驚いた顔をしながら、ははっと笑った。


「啓太、お前ぇの母ちゃんは、とんだ肝っ玉だな!」

「もう、辰さんの馬鹿ぁ」


 辰吉の腕をお春が、ぽかっと叩く。

 それを摑まえて、辰吉がお春の肩を抱いた。

 お春は照れながらも嬉しそうに逞しい腕に収まっていた。

 皆の笑い声が長屋中に響く。

 啓太もまた、今までにない程の満面の笑みを浮かべていた。

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