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夢買屋 ー夢喰い獏の商い事情 アナタの夢という未練、高値で買い取りますー  作者: 霞花怜(Ray)
夢ノ五

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夢ノ五 火事場の迷子《ヘ》

 江戸の冬は火事が多い。

 乾燥した空気が引火を誘発し、乾いた強い北風が火事を増長させる。

 規模の大小はあれど、冬の火事は日常茶飯事だ。


 この夜も、辰吉は疲れた顔をして長屋に帰ってきた。

 いつもなら寝ている啓太が、この夜は起きて辰吉の帰りを待っていた。


「啓太、起きていたのか。寝ていろと、言ったじゃねぇか」


 疲れた笑みで啓太の頭を撫でる辰吉に、啓太は首をぶんぶんと横に振る。

 立ち上がると、桶から水を一杯持ってきた。


「ああ、俺にか? ありがとうな」


 飲み干して湯呑を畳の上に置く。

 深い闇の中で、行燈の灯りが二人の顔をぼんやりと映し出す。

 辰吉は啓太の顔をじっと見詰めて押し黙った。

 啓太も辰吉を心配そうに見上げている。


 啓太の親は、一向に見付からない。

 親の方に探している気配が、まるでないのだ。

 死んだと思って諦めているのか、親が既に死んでいるのか。


 もしくは、あの火事場に捨てられたのか。


 その可能性に行きついて、辰吉の心は沈んだ。

 もし捨てられたのだとしたら、啓太の親は自分の子を探さない。

 親に捨てられた子は、どんな気持ちだろう。

 両親と弟を亡くしている辰吉でも、想像を絶するものである筈だ。

 考えただけでも、胸が痛い。


 しかし、辰吉の胸に去来する思いは、それだけではない。


(もし捨てられていたり、親が死んでいたとしたら。俺ぁこいつを、これからどうするつもりなんだ)


 軽い気持ちで面倒を見始めた。

 親も、すぐに見つかるだろうと思っていた。


 しかし、こうも手掛かりがないと、そう巧くは行かないような気がしてくる。

 仮に、このまま親が見つからなかった場合、捨て子扱いになる。

 奉行所に申し出れば『町の預かり子』として辰吉が面倒を見るのは可能だ。


(俺には、こいつを預かって育ててやる覚悟があるのか)


 神妙な面持ちで押し黙っている辰吉を、啓太は身動きもせず、じっと見詰めていた。

 小さな瞳にありありと浮かぶ不安に、今の辰吉は気付かない。


 かーん、かーん、かーん。


 そう遠くない場所で、半鐘の音が響いた。

 はっとして、顔を上げる。


「また火事か!」


 辰吉は戸口に飛び出した。

 そこで振り返り、啓太を見詰める。

 啓太が不安げな顔で、辰吉の目をじっと見ていた。


 振り切るように逸らすと、近くにあった半纏を着せて啓太を抱き上げた。

 斜向かいの、お春の長屋の戸を叩く。


「お春! すまねぇ、また火事だ。今度は近ぇから、啓太を頼む!」


 お春が飛び出して、辰吉から啓太を抱き上げた。


「気を付けて行ってきてね!」

「おう!」


 勢いよく返事して、ふと啓太を見やる。

 辰吉は苦笑気味に啓太の頭を撫でると、踵を返し走り出した。


「……」


 辰吉の後ろ姿をじっと見詰めていた啓太が、急にお春の腕から飛び出した。

 見えなくなった背中を追いかけて走り出す。


「啓太ちゃん、駄目よ!」


 お春の制止も虚しく、啓太の姿は煙の中へ消えていった。




 火元は長屋から近かった。

 辰吉は燃え盛る炎の中で、逃げ惑う人々を誘導する。


「そっちじゃねぇ! こっちだ! 急げ!」


 鍋や布団を携えた人々が避難する列を、広小路へと誘う。

 振り返ると、火はすぐそこまで迫っていた。


「ちっ、さっきのより、でけぇな」


 別れ際の啓太の様子が心配だったが、帰るわけにもいかない。

 両手で頬をぱんと叩き、気合いを入れる。

 そこに、お春が血相を変えて走ってきた。


「辰さん!」


 息を切らせて駆け寄ったお春が、前のめりに辰吉にしがみついた。


「何でぇ、いってぇ、どうした……」

「啓太ちゃんが! いなくなったの!」


 辰吉は目を見開いた。

 すぐに、近くにいた仲間に声を掛ける。


「すまねぇ、ちぃとばかし離れる」


 今度は、お春に向き合った。


「ここは危ねぇ、お前ぇは長屋の皆と避難しろ」

「私も啓太ちゃんを探す!」


 勢い込むお春の両腕を掴んで、辰吉は目を合わせた。


「火事場は危ねぇ。お前ぇは、ここから離れろ。俺がちゃんと探すから、な」


 辰吉の何時にない鬼気迫った眼差しに、お春が渋々と頷く。


「よし、良い子だ」


 頭を撫でると、お春がぽろぽろと涙を流した。


「ごめんね、辰さん。私が、目を、離したから」


 辰吉は笑顔でお春を、そっと抱きしめた。

 吐息がかかる程に近い耳元に囁く。


「お春のせいじゃねぇよ。大丈夫だ。啓太は、きっと無事だ」


 すっと体を離し、またぽんと頭を撫でた。


「ちゃんと、戻るんだぜ」


 辰吉は荒れ狂う火の中に向かい走った。

 お春が茫然と、辰吉の後姿を見送る。

 頬がやたらと熱いのは、炎のせいだろうかなどと考えながら、ぼんやりと長屋の方へ向かい歩き出した。

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