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夢ノ一 鬼に嫁いだ娘《ロ》

「事情はわかったが、それだけじゃぁねぇ。悪夢をみているのか定かでもないし、みていたとして悪夢を消し去ったところで娘が目を覚ますかも、わからない」


 不安な栄の瞳に、少しの怒りが灯る。


 優太が慌てて凜を嗜めた。


「お凜さん、そんな言い方はないですよ。第一、実際に診てみないと、わからないでしょ」


 凜は怠そうに優太に視線を向ける。


「だから、そう言ってんだ。一先ず、行くだけ行くよ」


 栄の瞳に明るい色が戻ったのを見て、凜は付け加えた。


「ただ一つだけ、先に言っておくけどね、夢は一度買い取ったら戻せない。それでも、いいんだね」


 栄は明るい表情で、こくりと頷いた。


「勿論でございます。悪夢など、なくなってくれた方が良いものですから」


 凜は天井を見て、「やれやれ」と呟いた。


「それなら、さっさと案内しておくれ」


 立ち上がろうとする凜を、栄が慌てて止めた。


「話にはまだ続きがございます。実は、佳世は」


 言葉を切って、栄はぐっと握った手に力を籠めた。


 黙って見下ろす凜に真っ直ぐに向き合う。


「佳世は、鬼に憑りつかれております」


「鬼?」


 優太の呟きに、栄がこくりと頷く。


 凜は「ふうん」と鼻を鳴らして、どっかりと座り込んだ。


「それは、あたしに何とかできる話じゃあないね。祈祷師にでも頼みな」


 帰れとばかりに、ひらひら手を振る。


 栄は焦燥して、前のめりになった。


「お待ちください。先程も申し上げたように祈祷師でもどうにもできませんでした。何卒お見捨てになられませんように」


 深々と頭を下げる。


 優太が気の毒な顔で、凜を睨んだ。


「お凜さん、診るだけ診てあげましょうよ」


「あたしぁ、憑物祓いじゃぁないからねぇ。鬼の相手なんざ、御免だよ」


 大欠伸をしながら茶を啜る。


 優太が栄の肩を擦り顔を上げさせると、その瞳は涙で濡れていた。


「どうして鬼になんか、憑かれてしまったんです?」


 優太がそっと訊ねる。


 栄は堰を切ったように、話し始めた。


「夫の山本創吾が仕事で吉備野に行ったことがありました。吉備野には鬼が出ると専らの噂で、しかし夫は、そんなものは迷信だと笑い飛ばしておりました」


 実際に吉備野で山本創吾は鬼に遭遇した。


 食われそうになったところを何とか助けてほしいと命乞いしたところ、鬼はこう条件を出した。


『己の娘を儂の嫁にくれるのなら、逃がしてやろう』


 創吾はその場限りの約束と思い、頷いた。


 難を逃れて帰ってきたが、鬼からは何の音沙汰もない。


 すっかり忘れ去った頃、鬼は何の前触れもなくやってきて、佳世を身籠らせた。


 暫くして佳世は鬼の子を産んだ。


 鬼は、赤子を連れて吉備野に帰っていったという。


「少しの間は佳世も忘れようと、静かに暮らしておりました。そんな折です。清水様が佳世を見初めてくださったのは」


 婚儀の話も順調に進んでいた矢先、再びあの鬼が現れた。 


 今度は佳世を吉備野に連れて行くという。


「それから佳世は深い眠りに就きました。ずっと何かに怯えるように譫言を言い続けております。きっと鬼の夢を見ているのです。鬼は子を抱いて佳世の枕元から離れようとしません。何卒、何卒お助け下さいまし」


 涙で震える声を懸命に絞り出して、栄はまた頭を下げる。


 優太は気の毒そうな目で見詰めていた。


 凜は煙管を咥え、ふうと大きく煙を吐き出すと、栄を横目でちらりと覗いた。


「そんなものは旦那が悪いのじゃないかぇ。約束してしまったものは仕方ないのだから、鬼に娘をくれてやりなぁよ」


 また煙管を咥え、煙を吸い込む。


 栄は勢いよく顔を上げ、怒りの籠った瞳で凜を睨みつけた。


「そんな! 佳世は大事な一人娘でございます。鬼になどくれてやる道理はありません!」


 きっぱりと言い切る栄に、凜はげんなりした顔をした。


「なら鬼にさっさと吉備野に帰ってもらうこった。そうすりゃぁ娘の悪夢も覚める、かもしれない」


「いえ、鬼は佳世が目覚めるまで動かないと頑なにその場に居座っているのです。佳世が目覚めさえすれば、何とか鬼を説得して帰らせることもできるかもしれません。ですからどうか、どうかこの通り、お願い致します」


 栄は畳に額を擦りつけて、何度も何度も繰り返した。


 凜は煙管を弄びながら、吸い込んだ紫煙をゆっくりと吐き出した。


 煙は、ふわふわと空を舞って柔らかな風に乗って消えた。


「お凜さん」


 痺れを切らした優太が声を掛ける。


 黙っていた凜は、面倒そうに頭を掻いた。


「あたしができるのは悪夢を買い取ってやるだけだ。後の始末は知らないよ。それに夢を消してやったところで娘が目覚めるとも限らない。それでも、いいんだね」


 栄は流れる涙を抑えながら顔を上げて、何度も頷いた。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 凜は諦めたようにまた一つ、大きな溜息を吐いた。


「こりゃ、面倒になりそうだ」

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