夢ノ四 茜色の夕焼け《ト》
その夜、お優は平吉に自身の病や、凜に買い取ってもらった夢を総て話した。
この咳が実は労咳であること。
助からない病であること。
自分の命も長くはないこと。
自分の母親も同じように労咳で、その夢に悩んでいたこと。
巧く纏められずに行ったり来たりするお優の話を、平吉はただ黙って最後まで聞いていた。
「……」
話し終わった後、二人はしばらく黙っていた。
重い沈黙を先に破ったのは、平吉だった。
「治す方法は、本当にねぇのか?」
お優は睫毛を伏して頷く。
だが、すぐ笑顔を作って顔を上げた。
「だけど……」
瞬間、平吉の腕が伸びて、お優の体を力いっぱいに抱きしめた。
「少し前から、様子がおかしいのには気付いてた。悪い病なんじゃねぇかと、ずっと案じて……」
平吉が抱きしめる腕に力を籠める。
「平吉さん……。言えなくて、ごめんね」
「どうしようもねぇのか、畜生」
平吉の声は震えていた。
お優は平吉の背中に手を回し、広い背中をゆっくりと擦る。
「今すぐ、どうにかなるわけじゃない。生きている間は楽しい思い出を沢山作ろう。幸せに、笑って暮らそう。そう簡単に、死んでなんかやるもんか」
明るく言い飛ばして、お優は平吉の体をすっと離した。
「でもね、この病は人にうつるんだ。私のは、もう随分と進んじまってる。今更かもしれないけれど、近くにはいないほうが、いいかもしれない」
「一軒家、借りようぜ」
お優の話に被せて、平吉がびしっと言い切った。
呆気にとられる優に、話す隙を与えない勢いで平吉が話し出す。
「お優の母ちゃんは、同じ家に住んでいたんだろ? いくつか部屋のある家ぇ借りて、部屋ぁ分けて住めば、何とかなるんじゃねぇか。元気な時は、一緒に飯とか食ってさ」
「それでも、うつるかもしれない。って、それより、いきなり何を言い出すんだい。今更一軒家なんて」
金も掛かるし探すにも時がかかる。
しかし平吉は、ぱんと胸を張った。
「忘れてんのか? 手前ぇの旦那は大工だぜ。親方に相談して良い場所を見繕ってもらわぁ。金なら心配すんな。今まで以上に働いて、いくらでも稼いでやらぁ!」
威勢よく話していた平吉の目が、少しずつ潤んでいく。
「だから、だからよ。一人で何でも、やろうとすんな。どんな時も、俺が、俺と太一が、傍に居るからよ」
お優の腕を掴んで、平吉は懇願するように俯く。
「一人で、悩むんじゃねぇよ。これからは、ちゃんと話して、一緒に考えて、一緒に楽しく暮らすんだ。約束しろよ」
震える声と手から伝わる平吉の思いに、優の目からも涙が溢れる。
平吉の肩に縋るように寄り添って、優は頷いた。
「そうだよね、家族だからね。ちゃんと約束する。平吉さん、ごめんね」
平吉は顔を上げると、優の頬を両手で大事そうに包み込んだ。
額と額を合わせると、優の目を見詰めた。
「俺がお前を、お前たちを、幸せにしてやるからな」
にっ、と笑った平吉の目からは、涙が流れている。
「うん、ありがとう。平吉さん、いっぱい、いっぱい幸せになろう」
お優の目から流れる涙も止まらない。
二人は泣きながら、これからを誓い合った。
「母ちゃん、早くー」
太一の間延びした声が響く。
河原を歩く平吉と太一が、後ろから追いかけるお優を呼んだ。
「はいよー」
返事して小走りに駆け寄る。
陽は西に傾いて、綺麗な夕陽が空を茜色に染める。
駆け寄ったお優は太一と手を繋いだ。
反対の手を伸ばすと、平吉が小さな手を握る。
平吉とお優に挟まれて、太一は楽しそうに手をぶんぶん振った。
嬉しそうな太一を眺めて、平吉とお優は顔を見合わせて微笑んだ。
三人して歌を口遊みながら、夕陽に向かって歩いてゆく。
何でもない一刻一刻を大切に胸に刻み込むように、三人は生きていた。
その後姿を、凜と優太が微笑ましく見詰めていた。
「良かったって、言えるんでしょうか」
複雑な表情で優太が三人の影を見守る。
「人の生は、あたしらにとっちゃ一瞬だ。悔いなんて、何かしら残るもんだ。だったら思ったように生きるのが、一番いいさ」
乾いた風が河原の草を、さらりと揺らす。
乱れた髪を手で抑えて、凜は優太を振り返った。
「福寿草の花の意味を知っているかぃ? 永久の幸せ、なんだとさ」
優太が伏していた目を、ぴくりと上げた。
「だから、きっと大丈夫だよ。あの家族はね」
夕陽に照らされ消えてゆく三人の影を、凜と優太は只々ずっと見守っていた。




