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夢買屋 ー夢喰い獏の商い事情 アナタの夢という未練、高値で買い取りますー  作者: 霞花怜(Ray)
夢ノ四

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夢ノ四 茜色の夕焼け《ホ》

「母さん、母さん」


 愛しい母を思いながら、お優は一人で泣いていた。

 隣の部屋から、母親の苦しそうな咳が聞こえる。


「部屋に入ってきては、駄目」


 母の恐ろしい形相を思い返し、身震いした

 いつも優しい母が、この頃はお優が近づいただけで酷く怒る。

 幼心に、それが恐ろしく悲しかった。

 胸を掻き毟って苦しんでいる母の力になりたいのに、自分には何も出来ない。

 傍に居ることすら、できないのだ。


 そんな自分が歯痒かった。


「母さん」


 すると突然、隣の部屋が静かになった。

 恐る恐る部屋の中を覗く。

 布団に横たわる母親は真っ白い顔で眠っているようだった。


 その隣で父親が声を殺して泣いている。

 動かない母親と、泣いている父親。

 母は死んだのだと、何となく、思った。


 お優は、襖を開けて部屋に入った。

 父親がお優を抱きかかえて、母親の姿を見せてくれた。

 久しぶりに見る、母の穏やかな顔。

 少しだけ微笑んでいるような口元には、うっすらと血が付いている。


 優は枕元の懐紙をとって、それを拭いてやった。

 母はもう、お優を叱らない。鬼のような顔もしない。

 けれど、もう永遠に名を呼んでくれない。


 これが現とは思えなくて、優は只々母親の白く透き通るような顔を眺めていた。

 そんな幼い自分の姿を、お優は遠くから見ていた。


 あの時、よくわからなかった母の死。

 家から母の姿が消えて少ししてから、じわりじわりとお優の心に痛みを与えた。

 今は、違う意味で胸が軋む。


 自分も近いうちに母と同じようになる。

 その時、平吉はどうするだろう。

 太一はどう思うのだろう。

 自分が居なくなって、やっていけるのだろうか。

 様々なことを考えたら、怖くて体が竦んだ。

 怖い、死ぬのが怖い。

 平吉や太一を残して逝くのが、怖い。


「嫌だ、死にたくない」


 口に出したら、恐ろしさが増した。


「平吉さん、太一」


 お優は声を上げて、子供のようにわんわん泣いた。

 胸が苦しくて張り裂けそうだ。


「誰か、助けて」


 叫んだ時に、どこからか声がした。


「お優さん、お優さん」


 お優は、声に導かれるように明るい方に向かって飛び上がった。

 ふわふわした感覚が全身を覆う。

 心地良い浮遊感に酔った体が浮き上がった次の瞬間、鉛のように重い何かが胸を圧迫して途端に息が苦しくなる。

 苦しさに耐えかねて、お優は目を開けた。


「目が覚めたかい」


 開いた瞳に飛び込んできたのは、凜の顔だった。

 瞬時に現状が理解できずに、混乱した。


(確か針仕事をしていて……。そうだ、血を、吐いたんだ)


 俄かに太一のことを思い出す。


「太一は……!」


 起き上ろうとするお優の体を、凜が制した。


「まだ起き上るには早いよ」


 お優の体を横にして、口元に匙を差し出す。

 お優は差し出されるがまま、その匙を口に含んだ。

 苦い汁が口の中に広がる。


「血を濃くする薬と咳止めだ。全部、飲んでおくれ」


 凜が傾ける匙を勧められるまま全部飲みきって、最後に水を含む。


「落ち着いたかい」


 お優は、こくりと頷いた。


「太一は長屋の皆が探してくれているよ。優太も一緒に探しているから、時期に見つかるさ」


 お優の胸が、じりっと焦げた。


 誰よりも真っ先に探しに行きたいのに、体が動かなくて起き上ることすらできない。 

 そんな自分が、歯痒くて情けない。


(あたしは、母親なのに)


 悔しくて、目に涙が滲んだ。


(太一……)


 焦燥で、どうにかなりそうだ。

 お優の傍らで、凜が徐に口を開いた。


「怖いかい」


 ぎゅっ、と瞑っていた目を開いて、凜を見上げる。

 涙に滲んだ目では、凜の表情を見取ることができなかった。


「……」


 先程の夢を、思い出した。

 あの夜のことは何度も夢にみる。

 幼い自分を俯瞰して改めて思った。

 このままだと、母親と同じ末路を辿るのは間違いない。

 それは想像を絶する恐ろしさだ。


 お優は両手で目を覆って、小さく囁いた。


「死ぬよりも、二人を置いて逝かなきゃならないことが、怖い」


 言葉にしたら、これが現実であることを思い知り、また胸が苦しくなった。


「私が死んだら、太一はどうなるの。二人は、どうやって生きていくの」


 涙が溢れて止まらない。


「そうなったらそうなったで、どうにかなるもんさ」


 凜の意外な言葉に、優は覆っていた手を退けた。


「人ってのは案外、強いよ。残されたらそれなりに、生き方を考える。あんたも、そうだったろ?」


 凜が少しだけ微笑んで、優の目に溜まった涙を優しく拭う。


「死んだ後よりも、今のあんたには、もっと大事なもんが、あるだろうよ」


 言葉の真意がわからなくて、呆けた顔をする。


「あたしは医者の他に、夢買屋って商いをしているんだ。うちの部屋の前に、変わった看板が掛かっているだろ」


 凜の長屋の戸を思い出して、頷く。

 確かに『夢買』という看板が揺れていた。


「夢買ってのはさ、人が寝ている間にみる夢を買い取るんだ。買い取ると、同じ夢はもう、みなくなる」


 凜の話はどこか現実味がない。

 お優は、ふわふわした心地で話を聞いていた。

 凜が優の顔を覗き込むと、額にそっと手を当てた。


「あんたの母親の夢を、あたしに買い取らせてくれないか」


 どきり、と肩が震えた。母

 親の夢を凜に話したことは一度もない。

 平吉にすら、詳しい話をしたことはなかった。


「どうして、それを」


 驚いた顔のお優に、凜が当然と返す。


「さっきも、みていただろ。労咳の母親の夢を。その夢が、あんたを苦しめている」


 ずきん、と胸に痛みが走った。


 大好きだった母。

 病が進むにつれ、いつの間にか鬼のように怖い母親になっていた。

 確かに母の夢は、優を少なからず苦しめている。

 自分も同じように子を、夫を傷付けてしまうのだろうか。


 実際にさっき、夢の中の母と同じように太一を突き飛ばしてしまった。

 あんな振舞いは、したくないのに。

 けれど、わかってしまった。


 母が、どんな思いであんな行為に至ったか。

 今だからこそ、痛い程良くわかる。

 自分を、どれだけ大事に思ってくれていたのかを。


 今のお優にとり、あの夢は不安や恐怖を煽るものでしかないのかもしれない。

 あの夢をみなくなったら、この胸の蟠りも少しは消えてくれるのだろうか。


「お凜さん」


 優は凜を見上げた。


「この夢をみなくなったら、変われるかな」

「あたしにそれは、わからない。あんた次第だよ」


 凜の微笑が、いつも通り柔らかくて、胸がじわりと熱くなる。

 お優は目を伏して、ゆっくりと思考を巡らせた。

 今のままでは同じことの繰り返しだ。

 どこかで何かを変えなければ、未来は変わらない。

 込み上げてくる思いを止められず、お優は口を開いた。


「子供の頃は悲しいだけだったけど、母さんが、あの時どうしてああしたのか、今は良くわかるんだ。だからこそ余計に、辛い。夢をみなくなったら、母さんの思い出を忘れるようで、それも怖い。けど、母さんの夢に怯えて暮らすのはもう嫌だ。自分と重ねて辛い気持ちになるのも、嫌なんだ」


 凜が静かに「うん」と頷く。

 思いを口に出したら、胸がすっきりした。


「今のままじゃ、駄目だね」


 お優はしっかりとした瞳で顔を上げた。


「お凜さん、私の夢を、買い取っておくれ」


 凜は先程と同じ微笑で、頷いた。


「わかった」


 凜の細くて長い指が、再び優の額に触れる。


「目を、瞑っておいでな」


 くるくると手を回す。額から灰色の煙がもくもくと浮かび上がった。

 凜の指がお優の額に吸い込まれる。

 怖さも痛みもなかった。

 凜が指を引き抜く。卵くらいの大きさの石が握られていた。

 種のようなごつごつした表面の部分部分に、綺麗な色の石が埋まって見えた。


「それが私の夢……なのかぃ」


 何となく、もっとフワフワした雲のようなものを想像していたから、意外だ。


「夢種といってね、お優さんの夢の元になってるもんだ。どっちかってぇと、悪夢のようだね。夢種は悪夢の方が美しいし、美味いんだ」

「美味い? 食べられるの?」

「あたしにとっては、極上の食事さ」


 とても食べられるような代物には見えないが、凜は食べるらしい。

 珍味なんだろうか。


「夢種は取り出したから同じ夢は、もうみない。囚われる夢は無くなったんだ。あんたは、あんたらしく生きなよ」


 まるで狐に化かされているような心持ちになった。

 もう夢はみない、と断言されても今はまだ実感がない。

 ただこれで、自分の中の何かが変わってくれればと、そう思った。


「お凜さん、ありがとう」


 自然に笑みが零れた。

 お優を眺める凜の表情が和らいだように見えて、何故か、ほっとした。

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