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夢ノ三 心無き骸《へ》

 どれくらい走っただろうか。

 いつの間にか、陽は西に傾いている。

 走り疲れて足を緩め辺りを見回すと、知らない道に入っていた。

 勤番でなくとも武士は外泊が許されていない。

 夕刻までには帰らないと、藩に迷惑をかける。


 義一郎は仕方なく裏店に入り、誰かに道を聞くことにした。

 溝板長屋をとぼとぼと歩いていると、目の前に一風変わった看板が現れた。


「夢、買……」


 立ち止まって眺めていると、中に人の気配を感じた。

 気が付いた時には、長屋の戸を叩いていた。


「はーい、どうぞ」


 声がしたので戸を開く。部屋には、いつかの童と女がいた。


「おや、あんたは」


 義一郎の姿を見て、女も気が付いたらしい。

 童が「どうぞ」と声を掛ける。

 義一郎は、勧められるままに腰を下ろした。


「その節は、ありがとうございました」


 童が律儀に頭を下げるので、つられて義一郎も小さく会釈を返した。


「こちらは、お凜さん。おいらは、優太」


 にこにこと自己紹介する優太と愛想のない顔の凜を交互に見やる。

 凜が長い煙管を弄びながら煙を燻らせている。

 呆けた顔で眺めていると、切れ長の目がじろりと義一郎に向けられた。


「で、用向きは、なんだぃ。医者か、それとも夢買か」


 当然のように問われて、義一郎は困った。

 別段、これと言った用事があって訪ねたわけではない。

 吸い寄せられるように、いつの間にか戸を叩いていたのだ。


 何より、夢買の意味がわからない。

 何も言わない義一郎に、優太が説明を始めた。


「お凜さんは、こう見えて医者なんです。それとは別に夢買屋って商いをやっていて……」


 優太が丁寧に説明してくれた。 

 詰まる所、夢買屋は夜みる夢を買い取る商いだという。

 まるで御伽草紙か戯作のような話だ。

 狐に摘ままれたような顔で話を聞いていると、それまで黙っていた凜が口を開いた。


「あんたは夢を売りたいのかぃ?」


 義一郎は戸惑った。


 毎夜みるお花の夢は、義一郎にとって悪い夢ではない。

 むしろ満たされない気持ちを慰めてくれる唯一の手段だ。

 しかし、夢のせいで本物のお花を無理やり抱きすくめるような振舞いをした。

 夢さえみなければ、あんな行為には至らなかったかもしれない。

 夢の中のお花は嬉しそうに自分に抱かれている。


 だが、本物のお花は自分を受け入れてはくれないだろう。

 それは、あの目を見れば明らかだ。

 だったらせめて、以前と同じように仲良く話せる間柄に戻りたい。


(今のまま夢をみていたら、また同じ振舞を、すっかもしれねぇ)


 正直、自分の欲を抑える自信がない。

 夢さえみなければ、きっとあんな振舞いはしない。

 今まで通りにお花と、幸せな時を過ごすことができる。

 夢の中のお花か、本物のお花か。

 天秤にかけて悩んだ。

 今までの行動と自分の気持ちを逡巡し、じっと考える。


(儂は、本物のお花が欲しいんだ)


 義一郎の中で、答えは決まった。


「儂の、夢を……。お花の夢を、買い取ってくれねぇべか」


 かん、と煙管の灰を煙草盆に落として、凜が煙管を放った。


「先に言っとくが、一度買い取った夢は戻せない。それでも後悔はしないかぃ」


 義一郎は生唾を飲み込み、こくりと頷いた。


「しねぇ。儂は、本物のお花が好きなんだ」


 しばらく押し黙った凜が、義一郎に目を向ける。


「わかった。あんたの夢を、買いとろう」


 義一郎の前に膝立ちになり額に手をかざすと、くるくると回す。

 額の真ん中から薄紅色の煙が、もくもくと浮かび上がった。

 凜の指が儀一郎の額に沈む。


「ひっ……」


 驚いて後ろに引きそうになった体を優太が支えた。


「痛くないし、怖くもないから、動かないでくださいね」


 耳元で囁かれて、動けなくなった。

 優太は儀一郎の肩に手を添えているだけなのに、力が入らない。

 ぬるん、と額から指が抜けた。

 鶏の卵より遥かに大きい塊が、凜の手に握られていた。

 紫紺に輝く石は鈍く輝いて、あまりにも美しい。

 自分の額から抜け出た宝石を、儀一郎はぼんやりと眺めた。


「これはまた随分と美しいねぇ。相当な悪夢だ」


 凜がニヤリと笑んだ。


「悪夢……? それが、儂の夢なのけ?」


「あんたの夢の元になっている種さ。夢種っていってね。普通は、夢をみればきえるんだが、こうして頭の中に残ると、同じ夢を繰り返しみる。取り出せば、もう同じ夢はみない」


 凜の説明を、やはりぼんやりと聞く。


「これで、お花の夢をみる夜は、もう無いよ」


 義一郎は、少しだけ惜しいことをしたような気持ちになった。


「もう、みねぇのか」


 しかしこれも、本物のお花と元の関係を取り戻すためだ。

 また以前のようにお花と話すためだ。

 そう考えたら、憂いた気持ちが、すっと消えた。


「夢種を買い取るのが、あたしの商いでね。夢種は珍品で貴重だから、元々が高値だが。アンタの夢種は殊更、美しい。そうさね、これくらいかな」


 凜の指示で優太が箪笥を漁る。小判五枚を儀一郎に差し出した。

 義一郎は、目を剥いた。


「五両も……。儂の夢は、こんなにすんのけ」


 小判を手にとって、まじまじと眺める。

 さっきまで頭にあったお花のことなどすっかり忘れて、目の前の小判に見入っていた。

 ごくりと唾を飲んで小判を握りしめる。

 それを懐に仕舞い込み何度も礼を述べると、義一郎は夢買屋を後にした。




〇●〇●〇


 優太が凜にむっすりした顔を向けて目の前に座り込む。

 その視線から逃げるように、凜は煙草をくゆらせた。


「ちょっと、多すぎたんじゃないですか」


 優太が不満げに凜を見やる。

 凜は、小窓から外を眺めた。

 秋の突風が悪戯に落ち葉を舞い上げて踊るように吹き流れる。

 カラカラと乾いた音を残して、落ち葉は夕の薄暗闇に吸い込まれ消えてしまった。


「まぁ、そうなんだけどさ」


「おいらは、あの御侍様に情けは要らないと思いますけど」


 優太が、ぷいと顔を背けた。

 珍しくて厳しいと思うが、凛としても優太の意見は否定できない。


「因果は巡るもんだ。咎には罰が必ず巡る。気が付けなけりゃ、あの金は束の間の餞別、気が付ければ、生き直す手付だ。どっちになるかは、手前ぇ次第さ」


 凜の言葉に、優太は眉を下げた。

 風はいよいよ荒くなり、まるで地上の何もかもを吹き上げてしまうようだった。

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