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夢買屋 ー夢喰い獏の商い事情 アナタの夢という未練、高値で買い取りますー  作者: 霞花怜(Ray)
夢ノ二

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夢ノ二 消えない想い《ト》

 次の日の朝。


 宗介は、普段よりすっきりと目が覚めた。


「……」


 夢は一片もみなかった。 


 只々、深く深く眠っただけだ。


 布団から出て庭に面した障子を開ける。


 暑さを孕んだ夏の風が通り過ぎた。


「もう、夏か」


 いつの間にか季節は巡って、あっという間に冬は終わっていた。


 思いっきり背伸びをしたら、昨日より体が軽く感じた。


 朝日の元に、くっきりと映える木々の緑を眺める。


 自分でも不思議なほどに心が凪いだ。


 久方ぶりに清々しい気持ちで、宗介は部屋の襖を開き、外へ出た。




 夢を売って数日が過ぎた。


 佳世の夢は、まだ一度もみていない。


(儂の夢は、本当に買い取られたのだな)


 正直な所、夢買屋など懐疑が大きかった。


 だが、目の当りにした光景と夢をみない現実が、宗介にそう思わせた。


 段々と、佳代の姿を思い返す時も減っていった。


 そのせいか、いつの間にか佳世への気持ちも、整理がついた。


 宗介は、すっきりとした心持で前向きに仕事に励んだ。


「清水様、これをお願いします」


 部下が書面を持ってくる。


「わかった」


 書面に目を落とす。


 隣の席の進之助が、こっそりと声を掛けてきた。


「おい、宗介。ここの所、随分とすっきりした顔をしておるぞ。さては、何かあったな」


「特に何もない。最近は、よく眠れてな。その為か、体が軽い」


「それは良いな。では今夜あたり、どうだ」


 くい、と杯を傾ける仕草をする進之助に笑い返す。


 するとそこへ、奥右筆組頭の三上平右衛門が突然、姿を見せた。


 仕事部屋の空気が、瞬時に張り詰める。


 三上平右衛門は奥右筆筆頭組頭で、大名旗本も恐れる人格者だ。


 老中・田沼意次もその人柄には一目置いており、藩政の一翼を担っていると言って過言でない人物である。


 皆が居住いを正して礼をする。


「ああ、良い。仕事を続けてくれ」


 にこやかに周囲に気を配りながら、平右衛門は真っ直ぐ宗介の前にやってきた。


「変わりないか、清水殿」


 びくり、と肩を震わせながら、宗介は平伏した。


「はい、万事滞りなく務めております」


「そうか、そうか」と、平右衛門は頷いた。


「時に清水殿。今度、ゆっくりと話がしたいのだが、如何だろうか」


 宗介は目を丸くして、平右衛門を見上げた。


「そう悪い話ではない故、硬くならずに」


 微笑む平右衛門に、宗介は体を硬くして深々と頭を下げた。


 平右衛門が去って行くと、部屋の中は俄かに騒々しくなった。


「宗介、やったな」


 進之助が嬉々として宗介の背中をばん、と叩く。


「いや、何の話か、まだわからぬ」


「話など他にあるまい。お主は奥右筆に出世だ」


 興奮気味な進之助に、宗介は胸の高鳴りを抑えられずにいた。


「いや、まさか」


 とは言うものの、進之助の言う通り、他の話など思い当たらない。


 宗介は逸る胸を抑えて、ごくりと唾を飲み込んだ。




 それから数日後、宗介は浅草山谷の八百善に呼ばれた。


 案内された離れの一室には既に三上平右衛門が来ていた。


 一人、料理と酒を楽しんでいる。


「遅くなりまして、申し訳ござりませぬ」


 がちがちに緊張した宗介は、ぎこちなく部屋へ入り深々と頭を下げる。


 平右衛門は「良い良い」と笑った。


「儂が勝手に先に来ておったにすぎぬ。其方は約束の刻限より早く着いておるではないか」


 徳利を傾け酒を勧められる。


 宗介は慌てて杯を持った。


「有り難う存じます」


 平右衛門の酒を受けて、宗介も酒を注ぎ返す。


 震える手を抑えるのに必死だった。


「では」


 と、互いに杯を傾ける。


 緊張から、宗介はその杯を一気に煽った。


「良い飲みっぷりだ」


 平右衛門が豪快に笑う。


「申し訳ござりませぬ。不躾な振舞いを致しました」


 慌てて頭を下げる宗介に、平右衛門は、うんうんと頷いた。


「其方のその、素直で実直な質は気に入っておる」


 平右衛門は一つ咳払いすると、真面目な顔で宗介を見詰めた。


「実はこの度、奥右筆の設樂要殿が隠居されてな。急な申し出であった。ついてはこの空席を、清水殿に埋めてもらいたい。如何であろうか」


 予想していた話だったが、実際に言われると、どきりと心臓が下がる。


 じわじわと早まっていく鼓動をじっくり感じながら宗介は、先程より深く頭を下げる。


 それこそ畳に額が付きそうな程に平伏した。


「奥右筆という大役、若輩ながら謹んでお引き受け致します」


 平右衛門は満足そうな笑みをして頷いた。


「そうか、そうか。引き受けてくれるか。若年寄様には儂から上申致す故、案ずることなく努めてくれ」


「勿体無い御計らい、有難う存じます」


「まぁ、飲め」


 平右衛門が酒を注ぐ。


 宗介は注がれるままに、どんどんと飲んだ。


 飲んだが全く酔える気分ではない。


 良い酒が、まるで水のように胃の腑に流れる。


 そんな宗介を察してか、平右衛門は砕けた笑顔で宗介に寄った。


「ここからは互いに腹を割って話をしようではないか。其方、決まった女子は、もうあるのか」


 咄嗟に何を問われているのかよくわからず、曖昧な表情になる。


 つまりは許嫁はいるのか、ということだとわかったのは少し間を置いてからだ。


 心の奥の方に小さく佳世の顔が浮かぶ。


 だが、それは影のまま、すぐに消えた。


(久しぶりに、思い出したな)


 などと考えながら、俯いた。


「恥ずかしながら、おりませぬ」


 俯き加減に答えると、平右衛門は大層嬉しそうにこう言った。


「そうか。ならば、うちの末娘など、どうだ」


 思わず顔を上げて呆けた。


 平右衛門が、嬉しそうに続ける。


「いや、何。娘の美代というのがな、縁談が嫌いで何度勧めても、はいと言わぬ。想い人がおるのかと問い質した所、一目惚れだと言うではないか。儂も驚いた」


「はぁ」


 気の抜けた返事をする宗介に、平右衛門がその呆けた顔を扇子でさした。


「その一目惚れの相手が、其方なのだ」


 宗介は目を剥いた。


 取り立てて褒める所もない顔の自分の、一体どこに一目で惚れたのか。


 突然、降って湧いた話に、言葉に詰まる。


 事体を飲み込めない宗介を他所に、平右衛門は続ける。


「父親の儂が言うのも何だが、美代は気立ての良い娘だ。多少気の強い所もあるが、女はそうでなければいかん。それが家に安泰を招くのだ」


「はぁ、そうでございますか」


「兎に角、一度、会うてみてはくれぬか」


 頼む、と平右衛門が頭を下げる。


 宗介は、やっと事の次第を理解した。


 慌てて頭を下げて、言葉を探す。


「手前こそ、宜しくお願い申し上げまする」


 上擦った声で答える。


 平右衛門が、嬉しそうに顔を上げた。


「そうか、受けてくれるか。儂としても、清水殿なら安心して娘を嫁に出せる」


 平右衛門は上機嫌で酒を煽った。


 宗介は呆気にとられたまま、その光景を只々眺めていた。




 それから話は、とんとん拍子に進んでいった。


 父親である平右衛門の言葉通り、美代は器量も気立てもよく、確かに気の強い一面もあった。


 元々温厚な性格の宗介には、それがよく合っていた。


 何より自分を慕ってくれる美代を、とても愛おしく思った。


 出逢って早々に、宗介は美代と夫婦になることを、すんなりと決めた。


 美代の輿入れの日取りが決まった頃、宗介は奥右筆へと取り立てられた。


 仕事も順調で、無事に婚礼も終わり、宗介は一家の主となった。


 月日は、あっという間に流れ、美代の腹が大きくなり始めたのは、次の皐月の頃。


 宗介は今年もまた一人、亀戸の藤棚を眺めていた。


 去年の今頃は悲しい色に映った藤の花も、今年は希望に満ちた力強い色味に感じる。


 心なしか去年より美しく見えるのは、自分の心が晴れやかなせいだろうか。


(今度は美代と、来年は我が子と三人で、共に見に来よう)


 宗介は清々しい笑顔で仕事へと戻る道を歩き始めた。




〇●〇●〇




 その姿を凜と優太は葛餅を食べながら眺めていた。


 去年と同じ光景は、全く別の人間のように映った。


「あのお侍様、今年は笑っていますね」


 優太が、ほっとした笑顔で宗介を見守る。


 凜は藤を見上げながら、煙管を咥えると、ゆっくり煙を吐き出した。


「捨てる気概、ってやつかねぇ。良い運を招くも弾くも手前次第だ。この先、何度迷っても、もう憂慮はないだろうさ」


 背筋の伸びた後姿を見送る、


 凜と優太は反対の道を歩き出した。

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