夢ノ二 消えない想い《ホ》
柔らかな細雪が頬を濡らす。
冷たい筈なのに寒さを感じないのは、目の前に愛しい人がいるからだろうか。
佳世はこちらを向いて、にっこりと微笑んだ。
宗介は手を取って自分の方へと引き寄せる。
胸の中に、すっぽりと納まった佳世が、幸せそうに頬を寄せる。
「其方が居てくれて、儂は幸せだ」
見上げた顔が優しく微笑む。
自分も同じ気持ちだと伝えてくれているようで、宗介の胸が温かくなる。
(ああ、幸せだ)
そんな気持ちで、目が覚めた。
(また、いつもの夢か)
上体を、むくりと起こす。
途端に頭痛と吐気が襲ってきた。
「そうだ、昨日は進之助と飲みに行って……」
途中から、ほとんど記憶がない。
どうやって帰ってきたかも、よく覚えていなかった。
ふと顔に触れると、目が腫れている。
(泣いた、のか?)
薄らと昨晩の事が思い返された。
勤番侍と思しき男に悪態を吐いた。
進之助の腕にしがみついて泣いた。
宗介は頭を抱えた。
(何という醜態を晒したのだ)
後悔の念がどんどん湧いてきて、消えてしまいたかった。
「進之助に謝らねば……」
あの侍にも出来ることなら謝りたい。
どこの誰かもわからぬ侍に、酷い八つ当たりをした。
「本当に、らしくないな」
否、自分の本質は、こちら側なのかもしれない。
考えれば考える程に、気持ちが沈んでゆく。
現実を直視しながらも、宗介の心の隅にはいつも夢の中の佳世がいる。
日常で何があっても、毎夜決まってみる同じ夢。
夢の中の二人はとても幸せで、この時がずっと続けばいいと思う。
(そうか、あれは儂の願いか)
いつまでも隣にいてくれたらと、二人で生きられたらと、未だに願って止まない。
目が覚めて、現実に打ちひしがれる。
こんな事体が続いては、心がどうにかなってしまいそうだ。
「なんとかせねば……」
ぼそりと呟いたとき、小者の源吉が襖越しに声を掛けてきた。
「若様、お加減はいかがでございますか」
宗介は重い肢体を引きずって、布団から出た。
「ああ、只の二日酔いだ。開けて良い」
源吉が、おずおずと襖を開ける。
赤い丸薬と水を持ってきた。
「これは紫雪といって、酒の毒にあたった時に冷水で飲むと良いとされております。二日酔いにも効くと聞きますので、お含みください」
源吉は五十を過ぎているだけあって知識も広い。
清水家で最も古い奉公人だ。
宗介が子供の頃から世話になっているので、まるで家族だ。
「ありがとう、源吉」
小さな丸薬を二粒、冷水で飲み込む。
喉を通って胃に流れていく水の冷たさが心地良い。
一瞬だけ気分が晴れた気がした。
「……宗介様」
近頃は若様と呼ぶ源吉が、久しぶりに名を呼んだ。
少し驚いて振り返る。
心配そうな顔をした源吉が、躊躇いながら話を切り出した。
「宗介様、余計なお話かもしれませんが、最近夢見が悪いのでは、ありませんか」
ぎくり、とした。
佳世の夢は誰にも話していない。
悩んでいる素振りすら見せずに暮らしていたつもりだった。
「もし、悪い夢なら、その夢を買い取ってくれる夢買屋という商売人がおります。そこに相談してみるのも、良いかと思います」
源吉が一枚の紙を、宗介に差し出した。
「本所の長屋に住んでいるそうです。御入用でしたら、訪ねてみてください」
宗介の手にそれを握らせると、源吉は頭を下げて部屋から出ようとした。
「源吉……」
慌てて呼び止めて、言葉に詰まる。
宗介は、俯いたまま囁いた。
「……恩に着る」
源吉が、ほっと肩を撫で下ろす。
微笑んで、その場に腰を下ろした。
「たとえ何があろうとも、源吉は宗介様のお味方でございますよ」
深く頭を下げると、今度こそ部屋から出て行った。
潤む瞳で見送って、宗介は手の中の紙を広げた。
「夢買屋……か」
決意したように口を引き結ぶ。
手の中の紙を、ぎゅっと握り締めた。




