35 一娘はその正体をあらわすのこと
肝油は、納屋で寝込んでいる金玉のもとへ、法師を連れていった。
金玉の顔色は土気色になっており、その横で兎児が心配そうによりそっている。
「ううむ、これはいかん。妖魔にとりつかれておるぞ!」
「なんだと!」
肝油は内心「あれっ、おれが飲ませた薬のせいじゃないのか?」と拍子抜けした。
「この者は美しい。きっと妖魔が見初めたのであろう。
女妖は、夢の世界で男の精をしぼりつくし、我が糧とするのだ!
このままでは、少年の命は果ててしまうであろう」
「そんな、金玉が……なんとか助けてやってくれよ」
「無論のことだ。では行くぞ!」
法師は裂帛の気魄を込めて「喝」と叫んだ。
*
やがて、灯かりに火をともす時刻になった。
金玉は劉ばあさんに寝所に案内されて、あやぎぬの帳が垂れた寝台の上で、一娘を待っていた。
ああ……ぼくは今日、童貞を失うのだな。
金玉は、お姉さまにご指名されたことの恍惚と不安を味わいながら、これまでのことを走馬灯のように思い出すのであった。
朱帰兄さんは「私が胸を貸してやる」と言ってたけど、そんなことにならなくて本当に良かった。
ただ、ぼくは一娘さんにご奉仕すればいいのだ。
そうすればぼくは自由になって、ふつうの男性として生きられる。
――たびたびくり返して申し訳ないが、それは母親香月の単なる思いつきである。
そりゃ肝油はかっこいいけど……でも! 男の人と結婚だなんて。
そりゃ申陽さんはやさしいけど……でも! ぼくはもっとふつうの結婚をしたほうがいいんじゃないの?
少年は、童貞と非童貞の間、ノーマルとアブノーマル、人間と妖怪の間でひきさかれるのであった。
「金玉さま、お待たせしましたわ」
一娘が寝室に入ってきた。
彼女は髪をとき、生まれたままの体のうえに、天女の羽衣のような着物をはおっていた。
一応、布は足先までおおっているが、大事なところは全部見えていた。
「さあ、二人でおしゃべりしましょうか」
一娘は硬直した金玉の横に座って、手慣れた様子で彼の帯をときはじめた。
「金玉さまは、まだご結婚なさってないのよね? ご自分の指だけが恋人なのかしら?」
「その、それが……ぼくはそういうことには不慣れでして……」
「あら! じゃあ、まだ出してもいないの?」
「正直いってそうです……」
「なら、金玉さまは聖童ですのね」
「なんですか、それ?」
「清らかで、心正しい男子という意味ですわ。
その方がはじめて出すものには、不老長寿、昇天得度のご利益があるとされてますのよ」
金玉は「一度も侵入を許していない砦は頼もしいだろうけど、一度も侵入に成功したことがない兵士に、価値があるのかな?」と不思議がった。
人の好みはそれぞれである。
万人がスパダリを求めているわけではない!
スパダリとは、スーパーダーリンの略称である。容姿端麗、高身長、高学歴、高収入なハイスペック男性を指す!
そうこうしているうちに、金玉はすっぽんぽんにされてしまった。
「ふふふ、お元気ですのね」
「いや……見ないで……」
金玉は己の欲望のしるしをつきつけられて、布団にもぐりこみたい気分であった。
「お願い……灯かりを消して……」
一娘は「かわいいお方ね」といって、側の灯かりをフッと消した。
「さあ、目を閉じて横たわって……私にぜんぶお任せくださいな」
一娘の手が、金玉の脇腹をなでる。
金玉は、己の如意棒に一娘の吐息がかかるのを感じた。
――だが、その時!
「な、何者じゃ! どうやってここへ……」
「ええい、小妖怪はどけっ!」
部屋の外で、荒々しい物音がした。
「妖魔め! 己の悪業もここまでだ。覚悟せよ!」
いきなり扉が押し開かれ、月の光が差し込んできた。
「ああっ」
金玉は、己の上に覆いかぶさっているものを見た。
それは女人ではなかった。人ですらなかった。
大きな甲羅を背負い、三角にとがった口を持っている。
……亀?
「――正体見たり! その柔らかい甲羅、そのとがった口の形、きさまはすっぽんの妖魔であろう!」
乱入してきた法師が、親切に説明してくれた。
大きなすっぽんが、今まさに、自分の如意棒に噛みつこうとしている。
金玉は恐ろしさのあまり、ふうっと気を失ってしまった。
「ええい、何奴! よくも邪魔してくれたな!」
巨大すっぽんは、寝台からのそのそと下りてきた。
「きさまが世の男子を惑わしていると聞きつけて、退治しにきたのだ。
ここで会ったが百年目! 成敗してくれるわ!」
そして法師はおもむろに、てらてらと光る黒鉄の錫杖をつきつけた。
「こしゃくな! これでどうだ!」
すっぽんは、その黒光りする錫杖に噛みついた。
夜行性で知られるすっぽん!
食いついたら離さないすっぽん!
だが、法師は微動だにしなかった。
「ふはは。蚊が止まったほどにも感じんわ」
「な、なにっ……」
「童貞とは違うのだよ、童貞とは!」
そしておもむろにすっぽんをひっくり返し、錫杖をずぶりと突き立てた。
豊かな中国の大地で育った、とても大きく逞しいすっぽんです!
「おおーっ! な……なんのこれしき! おまえの精をしぼりとってやるわ!」
「房中術の極意とは、接して漏らさず! 我が法術をうけてみよ!」
スタミナ食として有名なすっぽん!
一億年以上、種を保存し続けている逞しい生命力!
「ぬうっ、花電車で鍛えた技を見せてやる!」
「ははは、太平洋にのまれる儂ではないわ!」
最古の薬物学の書「神農本草経」にもすっぽんが登場!
元気と自信にすっぽん始皇帝!
法師とすっぽんは、熾烈な争いをくり広げるのであった。
肝油は彼らを完全に無視して、金玉のもとにかけよった。
「金玉! おい、しっかり――」
全裸の美少年が、寝台の上で力なく横たわっている。
嚙みちぎられるという恐怖で、失神したのだろう。
名を呼んでも、軽く頬を叩いても反応しない。
「……これはこれで、オツな眺めじゃねえか」
肝油は、金玉の美しい肌に、そっと指をすべらせるのであった。
この回は「すっぽんパワーで生涯現役! すっぽん本舗」の提供でお送りしました。
以下、次号!