萌吉編4 王子は龍退治に死力を尽くすのこと
萌吉は悦蛇と六日六晩格闘していたが、まったく彼を打ち負かすことはできなかった。
……もちろん、その合間にはペットとして、食事、睡眠、休養がきちんとはさまれていたが。
萌吉は洞窟内の豪奢な暮らしに目を見張ると共に、悦蛇の際限のないプレイ要求にはげんなりさせられてしまうのであった。
――いやいや、弱気になるな!
この化け物は、私がいたぶっていれば満足するらしい。
ここで鞭をふるっていれば、都に行って悪さをすることもないだろう。
そうは思うが、この暗い洞窟内で、パッとしない肥えた男の裸身をふみつけて日々を過ごすのは、火焔地獄に放り込まれたような苦しさだった。
その日も悦蛇は、ペットにプレイを命じた。
悦蛇は倭国から持ち帰ってきたトゲつきのばら鞭でいたぶられながら、こう思っていた。
――うーん、力が弱いな。やっぱりふつうの人間だからな~。
ぼんやりしているうちに、倭国での修行の日々を思い返した。
彼は、ある高名な老師から、SMについて教えを受けていたのだ。
老師はSMの最終階梯として、ギチギチに縛られた状態で、土のなかで生き埋めになることを選んだ。
悦蛇は土から突き出た、空気とりのための竹筒に向かって話しかけた。中からは、かすかに鈴の音が聞こえてくる……。
「老師さま、あなたがいなくなってしまったら、ボクは誰に教えを受ければいいんでしょうか?」
「自灯明じゃ。自らをよりどころとすればいいのだ」
そう言われても、悦蛇は無明のまっただなかにあった。
「そなたの国は、まだSMが広まっておらんのだろう」
「はい、そういうプレイは一般的ではないです」
「故国に帰るのじゃ。そなたが衆生を教え導き、極楽浄土への道を指し示すのだ。さあ、行け! 黄色い大地にSMの華を咲かせよ。涅槃を地上に顕現するのだ!」
「は……はいっ!」
こうして悦蛇は万巻の経典を持ち帰り、洞庭湖へと戻ってきたのであった。その感動的な別れがあったにも関わらず、こう思っていた。
――あーあ。せめてこの子が、ふたなりだったならなあ。そしたら最高なのに。
金玉ちゃん、今、どうしてるのかな。人間だから年老いたのかな。嗚呼、諸行無常だよ……。
「でえぇえいっ!」
萌吉は渾身の力を込めて、悦蛇の眉間に剣をぶっさした。
――すると、その刹那。
悦蛇は頓悟した。
これまでボクは、ふたなりのかわいい子を求めていた。だが、それがどうなるというのだろう。少年老いやすく、少女はすぐにボーイズラブに染まる。外へ求めるのは、何もかも無意味だった。ボクは聖獣だ。叶わぬことは何もないんだ。だったら……。
悦蛇の体が、白く光りはじめた。
「うわっ?」
萌吉は、あまりのまぶしさに目をつぶった。
――深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない。
©明石海人
悦蛇は、今こそ老師の言葉の意味がわかったのであった。
萌吉が再び目をあけると、そこには年の頃十八くらいだろうか、黒髪の美少女が生まれたままの姿で立っていた。
彼女はどんな絵師でも描けないような、まばゆいばかりの面立ちで、白百合のような清冽な雰囲気があった。
「おお、なんと美しい……」
萌吉は、彼女のあまりの神々しさに、自然と膝をついた。
すると、自分と同じようなでっぱりと毬が目に入った。
――ふたなり……母上と同じ……!
萌吉王子はマザコンだった!
ふたなり美人は、鈴を転がすような声でこう言った。
「私は悦姫と申します。悪い仙人の呪いのせいで、今まで豚のような姿でおりました。
七日七晩痛めつけられれば呪いは解けたのですが、私の姿を恐れて誰も近寄りませんでした。
あなたこそ真の勇者です。どうぞ私を地上にお連れ下さい」
悦蛇は、自分の理想通りそのままのふたなりに変身して、理想通りそのままの清らかな心を持つ者として生きることにした。
「も、もちろんですっ!」
萌吉は立ちあがって、悦姫の手をとった。
龍を退治して、美姫を手に入れる……彼はテンプレ通りの英雄物語に、心から満足した。
ちなみに悦姫は遺伝子レベルで完璧に化けているため、子孫にうぞうぞが出てくることはない。
田楽は「悦蛇さま、とうとう覚者となられましたな」と思い、明月鏡とコンテナの中身を嫁入り道具にたずさえ、供の者たちをひきつれ、主についていった。
天地開闢以来の、悦蛇のふたなりのカワイイ子探しの旅は終わったのであった。
――のちの時代の、精神分析家はこういう。
「これは典型的エディプスコンプレックスの話だ」と。
萌吉の父親は明君として名高く、平和主義者で、完全無欠の素晴らしい人物だった。
……ということになっている。
さらには後宮を廃するほど清廉潔白で、妻一筋で、子どもたちを目に入れても痛くないほど可愛がっているし、どこにも文句のつけようがなかった。
……その点はそうだった。
――皇太后は、孫の世話をする者たちの人選には、特に気を配っていた。帝の昔の乱行を口にするような人間は、宮中では生きておられないのだ!
萌吉はそんな父に、皇太子として過大なプレッシャーを感じていた。
いつしか彼は「龍を退治したい」と願うようになった。
精神分析家は「龍とは、父親だ。萌吉王子の龍退治とは、父親殺しの代理行動である」と語った……。
だが、誰もがみなこの結末に満足していた。
死んだと思っていた皇太子が、龍を退治して、妻を連れて戻ってきたのだ。
地上は大きな喜びに包まれた。
以下、次号!