萌吉編1 萌吉王子は龍退治に憧れるのこと
さて、時は流れて……。
一人の若者が、馬を駆って草原を走っていた。その凛々しい風貌と、気品に満ちた振る舞いは、非凡な生まれを連想させた。
――彼の名は萌吉。
大糖帝国を統べる精帝の、正式な嫡子である。
彼は父に頼んで「諸国を巡って学びを深めたい」と言い、今は東海を臨む貿易都市に滞在し、経済学を学んでいた。
今日は休みで、体を動かそうと、供を連れて郊外に狩りに出かけたのだ。
「萌吉さま、お待ちください!」
後ろから、彼と同年配の若者が馬でやってきた。
彼はやっとのことで萌吉に追いつき、こういった。
「萌えタン、待ってよ~。お一人歩きは危ないですよぉ~、萌え萌えきゅん☆」
「その言い方はやめろ、忠徳!」
萌吉は顔を真っ赤にしていった。
忠徳は、丞相の数多い孫の一人である。
萌吉より一歳上で、生来利発で、快活な性質だった。
彼らは学友として兄弟同然に育ち、今は諸国を遍歴する萌吉に、忠徳がつき従っていた。
「……だ、だってよォ。おまえのその尻尾! ウサギが狩りをすんのか?」
忠徳は、萌吉の尻上部からのぞいた、ふわふわの白い尻尾をさして、げらげら笑った。
――そして、家族同様に遠慮がなかった。
「おばあさまのお言いつけなのだッ……!」
萌吉は、苦々しげにいった。
彼は物心ついた時、自分は他の者と違う体をしているようだ、と気づいた。
そして「恥ずかしいなあ」と、尻尾を隠したがった。
そんな萌吉に、皇太后はこう諭した。
「萌吉や。あなたのお母さまは、嫦娥さまのお恵みを受けられました。
あなたにもその尊い血が流れているのですよ。
金剛石が己が輝きを恥じて、河原の石くれになりたいなど、愚かなこと……。
さあ、そのふわふわの尻尾を見せてちょうだい。おばあちゃまのお願いよ」
――かわいいからであろう。
皇太后の鶴の一声により、精帝の子はすべて、白いふわふわの尻尾を出して暮らすことになった。
萌吉には、二十数人の弟妹がいる。双子、三つ子として生まれた者もいた。
兄妹たちは、みな美貌ぞろいであった。
妹たちを目当てに、世界各国の王子が引っ越してきて、宮殿の側に王子村をつくって、日々求婚していた。
女人国のアマゾネスの女王までが、妹の一人に毎日ラブレターを届けにきていた。
弟たちの方にも数多の縁談が降り注いでいた。
この前は、雪に閉ざされた広大な北狄の国の王が、こういってきた。
「私の息子が、そちらの国の《《王子》》に一目惚れしてしまった。
この恋が叶わないなら自害するとまでいっておる。息子の命には代えられない。
我が国は、永遠の忠誠を誓います。どうぞ寛大なご処置を……」
もはや戦わずして、全世界を統一できそうだった。
――閑話休題。
「今日はどこにも獲物がいないぞ。おかしいな」
萌吉は主人公らしく、話をキリッと元に戻した。
「鳥もいないなァ。獣たちの休日なんじゃねぇの? 飲み屋の女に、歌でもうたってもらおうぜ」
「バカもの! 王子たる私が、そんな低俗なことができるか」
萌吉は、従者の提案をあっさりしりぞけた。
「私は龍退治をするまで、都には帰らぬ!」
彼はそういって、遠い空をみやった。
「龍ったって……それは精帝さまが退治したんだろ」
萌吉の父、精帝は、結婚式の日に妻を恐ろしい龍にさらわれた。
だが苦難の果て、邪悪な悦蛇を討伐し、この国には平和が訪れた――ということになっている。
幼い頃からその話を聞いていた萌吉は「いつか自分も龍退治したい」と憧れるようになった。
「諸国を遍歴してさまざまなことを学びたい」というのは、確かにそれもあったが、その実は、退治すべき龍を探し求めていたのであった。
――だかこの国は平和で、龍どころかツチノコさえいなかった。
「じゃあ、もういっそ西の彼方の国とか? 火を吐く龍がいるって聞くぜ」
「うーむ、それも阿亜佐亜王さまが退治していそうだが……」
主従は、雲をつかむような話をしていた。
『ああ、君とこんな他愛ない話ができるのも、きっと今のうちだけだ。いずれ君は皇位にのぼり、おれの手の届かない人間になってしまう。
そして美しい王妃を迎えるのだろう……ああ、時よ止まれ! 君は美しい』
――すると。
一点にわかにかきくもり、矢のような雨が降り注いできた。
そして東の空から、真っ黒い塔のようなものが、ぬっと姿を現した。
「な、なんだ、ありゃあっ?」
その龍の体表はねばねばネトついており、体表には無数の大蛇がうぞうぞはっているようであった。
「龍だ……悦蛇だ!」
「どうして! 退治されたんだろ!」
次回作では、敵が復活したり封印が解けたり逆襲したりするのは、よくあること。
「兵を集めて迎え撃つぞ。都に近づけるな!」
「は、ははっ!」
主従は馬を駆って、豪雨のなか、いっさんに街へと駆け戻った。
以下、次号!