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1 香月は嫦娥によって子を授かるのこと

 南海県に住む貴婦人、香月こうげつは、ある夜こんな夢を見た。

 

 寝台に、月の光がさしこんだ。

 そして月光から、橋をわたってくるようにして、美しい女人が降りてきた。


「きっとこのお方は、月に住む女神、嫦娥じょうがさまにちがいない」

 そう思った香月は、寝台から出て、女神を伏し拝んだ。


「苦しゅうない。楽にせよ」

 嫦娥は、香月にやさしく声をかけた。


「今日は、そなたに子を授けてやろうと思う」

「まあ、なんとありがたいことでしょう」

 結婚して一年ほどの香月は、素直に喜んだ。


「うむ。子孫繁栄はうれしいことだろう――そなたの娘は満月の夜に発情して、ありとあらゆる男たちをひきつけるようになるだろう」


 なにかヘンな単語がたくさん混ざっている。


「発情、とおっしゃいましたか」

 香月は恐れ多いと思いながらも、こうたずねた。


「人間は発情期がない、不思議な生き物だな。それでは生物として非効率的だ。わたしが手を貸してやろう。そなたの娘は年頃になると、満月の夜に発情して、辛抱たまらんようになる。着床率もバッチリだ。これでおまえの血筋は、大いに栄えるようになるだろう」


「ちょっと待ってくださいよ!」

 香月は夢のなかで、バッと立ち上がった。


「私はこれでも若い頃、都で李我りが先生のアシスタントをしてたんですよ。今だって、体液の描写には自信があります。いまどき『発情』だなんて! 使い古されたモチーフじゃないですか」


 鬼才・李我の代表作は『ボクはキミに恋焦がれているんだけど、キミはすでに死んでるわけで鬼火まで出ちゃってるし、ボクってヤバイやつかな(汗) でもまあ、だから生でいいよね、いいだろ、イッちゃうおうよ?』だ。


「王道はいつも新鮮なものだ」


「だとしてもね、なんで我が子がそんな体にならなくちゃいけないんですか。娘がそんな体だなんて、危なっかしくてたまりませんよ」


 香月は、昔は斯界しかいにその名ありと知られた、ふたなりの書き手だった。

 だが、人の親としてはごくまっとうな感覚を持っていた。


「子孫繁栄のためじゃ」


「じゃあ、こういうのはどうです。満月の夜には、精力絶倫、ビンビンになる男の子です。それで何人も妻をめとって、ハッピーです。それでいいじゃないですか」


「うーん……それじゃあ、単なる幸福な絶倫男の物語だのう。面白くない」


「面白いとか面白くないとか、どうでもいいんです! 子どもには、平凡な幸せをつかんでほしいんです」


「やっぱり、発情して千人の夫と交わる娘じゃよ」


「そんな設定の話は、もう書き飽きました! ふつうに精力絶倫の男の子がいいです!」


「女の子がいいと思うがのう」

「いいえ、男の子です!」


「女の子でどうじゃ」

「男の子!」


「発情……」

「えーい、男の子だといったら、男の子です!」


 香月は叫びながら、がばっとはね起きた。


「な、なんだね」

 隣で眠っていた夫が、目をさました。


「ああ、私、怖い夢を見て……」

「よしよし、大丈夫だよ」


 夫の耐雪は、夢の中で「精力絶倫」「体液」などといっていた妻を、やさしく抱きしめた。


 その時、香月ははらのなかに、かすかな違和感を感じた。

「まさか……」

「どうしたんだね」


「あなた、わたし、赤ちゃんができたかも……」

「なに! でかしたぞ、やったな」

 夫は手放しで喜んだ。


 だが、香月の心は不安でいっぱいだった。

 

 ――ああ、もしも我が子が、官能小説の主人公にでもなったらどうしよう……。


 いえ、いえ! 母の力はなにより強いのよ。嫦娥の呪いになんか負けるものですか。

 私は何があってもこの子を守ってみせるわ。


 香月は心にかたく誓って、胎をなでた。



 やがて月満ちて、玉のような男の子が生まれた。

 

 その子は金玉きんぎょくと名づけられ、すくすくと育った。

 だが……。

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