同居人は魔神でした
「我が名はエイナ・アン=デュ・トロワース。貴様の精気を奪いにきた」
ある朝。マンションの玄関の扉を開けた先に、少女がいた。
角を二本生やし、紫のビキニっぽいドレスに身を包み、なんか悪魔のフォークみたいなやつ持ってる子。分類上、ちっちゃくて可愛い『ロリ系』とされる容姿である。
「勘違いするでないぞ。あくまで我は貴様の生気を奪い、この世の全ての支配を目論んでおるのだ! 貴様はただ利用するだけの駒でしかないのだ!」
「……あの」
「ふふはは、我を止めようとしても無駄じゃぞ! さあ、我に身を預けるがよい――」
「あのー」
眼鏡の位置をくいっと正す。目を擦ってみる。
しかし、目の前の少女は消えない。幻覚を見ているわけでもなさそうだ。
「僕、早く学校に行きたいんですけど」
「……なぬ?」
僕、弦敬太はこう見えて高校生。誰ともつるまない(別に友達いないわけじゃないぞ!)至極平和な高校生活を、こんな所で邪魔されるわけにはいかない。無遅刻無欠席を貫いてきた僕のプライドが許さないのだ。
「なので、エイナさん、そこを退いてくれると助かるんですが」
「な、なぬうううっ!? この我を、な、名前で呼んだ、じゃとっ……!? 恐れ知らずの人間め!」
「あれ、ダメでしたか」
「ふぬっ、だ、ダメなどではない。貴様に名前を呼ばれるのが、その、ええっと……懐かし――じゃないっ! 新鮮だっただけじゃっ!!」
あからさまに顔を赤らめながら、ぶんぶんと首を振っている。
「とにかく、そこをお退きになってください」
「い、嫌じゃ! 貴様ごときに指図されるような生ぬるい存在では――」
「退かないとその長い耳つねりますよ」
「ひゃい」
秒で退いた。
十 十 十
それからというもの、何故か、エイナという子は僕の部屋に棲みついている。
その理由を訊くなり「我は魔神じゃ!」「貴様……いやお主は、我を守る資格がある!」とやら、変なことをボヤいている。そこでふと思った。
「もしかして、無職なんですか?」
「ギクッ」
休みの日、そのことをエイナに訊ねてみたら、彼女の全身が固まる。
「そ、そんなわけないじゃろう! 我は魔人じゃ!」
「魔人と書いて『むしょく』と読むのでは?」
「うぐっ(図星)」
「働いてください」
「よ、余計なお世話じゃ!」
「いや、ずっとここにいてもらわれると困ります。迷惑です」
他に行くところがないのだろうか。魔人も色々と大変だ。
「……貴様、今、失礼なことを思ったじゃろ」
「そんなことありませんよ」
「嘘を吐くな! 我のような魔人は耳がよい方でな、例えどんな轟音が鳴り響いたとしても、貴様の心の声が透けて聞こえるのじゃ!」
それは心を読む能力のようなものだろうか。読心術っていうんだっけ。
エイナは低いテーブルの前に座り、黙々とスイカバーを舐めたり、テレビを観たりしている。折角の休日、この同居人がいるせいでゆっくり過ごせない。もはや邪魔者でしかない。
「じゃあいい加減、魔界とかに帰っていただけませんか?」
「……帰れんのじゃ」
「はい?」
「とにかく! しばらくは貴様の住処で過ごさせてもらう! 魔王の孫娘を招き入れられること、光栄に思うがよい!」
「勘弁してくださいよ……」
頭を抑える。どうかこれが夢であってほしい。
――ピーンポーン。
すると突然、部屋のチャイムが鳴る。
その時、僕の心臓が飛び跳ねた。昼間の休日にやってくるのは、恐らくあの子しかいない。
「敬太くん? 今いる?」
やっぱりだ。
扉越しに聞こえる優しい鈴のような声の正体は、隣の部屋に住んでいる幼馴染、金野睦美。
定期的に作った料理をおすそ分けしてくれるのだが、実は僕が長年の間、片思いしている相手でもある。自分でもよくここまで隠し通せたなと思う。
「はーい、今出ま――」
ドアノブに手をかけた時、ここで気付いた。
今この扉を開けてしまったら、怠惰魔族エイナが室内にいることがバレてしまう。そうすれば「その子誰?」と疑われ、最悪、女児誘拐罪やらで通報されるかもしれない。
「ちょっと待って!!!!!」
僕はエイナを、布団と共に押し入れに突っ込んだ。「何するんじゃっ!!」とか「どこ触るんじゃ!!」とか言われたような気がするが、無視無視。
ひと段落ついて、玄関の扉を開けると、ノースリーブのワンピース姿の睦美が、数箱のタッパーを持って立っていた。
「これ、おすそ分け。麻婆茄子と、あとささみのサラダね」
「あ、ありがと、いつも……」
「ううん、今日は暇だったから。ちょっと入っていい?」
「え、今はだめ――」
返事を待たず、睦美が部屋の中へ入ってくる。
「うわ、やっぱり。敬太くん、あんまりお掃除してないでしょ」
「う、うん……」
「だめだよ、定期的に掃除しなくちゃ。道具借りていい?」
部屋を見渡しながら、むすっとした顔で訊ねてくる。「いいよ」と返したが、彼女が向かった先は――エイナのいる押し入れだった。
「ああああああああ待って!!!!!!」
マンション中に響き渡りそうな声が出てきた。
その甲斐あってか、睦美が押し入れの引手に触れる直前でピタリと止まる。危なかった。
「……そこにはないから」
「そう? 分かったけど、急に大声出さなくてもいいじゃん」
「えっと、ごめん……そ、掃除機はあっちだよ」
押し入れとは反対方向の棚に立てかけられてある掃除機を指差すと、睦美は掃除機の中をいじり始めた。
「ふぅ……」ひとまず安堵の息を吐き、引き戸を開けて押し入れを確認。
中はもぬけの殻だった。
ハッとして、振り返る。
「因縁の者よ、我が呪いを受けるがいい!!」
「え? ……きゃあああああああ!?」
いつの間に、睦美の背後にエイナがいた。
その魔人の手にかかった憐れな少女は、たちまち煙に覆われ、そして。
「にゃ~ん」
「…………」
猫と化した。
つくづく、トラブルメーカーのロリっ娘である。
十 十 十
あれから一週間経ち、僕の学校も夏休みに突入したが、未だにエイナは僕の部屋に同居……というか居候している。
ちゃんと食料品は一人分消費するし、エアコン代だって馬鹿にならない。
因みにあの後、どうにか説得して睦美を元の姿に戻させ、一部始終を説明したら、おとなしく帰っていった。
帰り際に同情のような眼差しを向けられ、「……まあ、しっかりやりなさい」と言われたが、一旦そのことは忘れたい。
「あのー、もうそろそろ説明してくれてもいいと思うんですけど」
「……んむ? 何がだ?」
テレビゲームのコントローラーをいじりながら、ぼそっと何食わぬ顔で返事するエイナ。
「どうして僕の部屋に居候してるか。もう一週間も経ちますけど、何の説明もないじゃないですか。これって不法侵入とか成立するんじゃないですか。というか、親とかいないんですか? いるなら早く届けないと――」
「父上と母上は、今はまだ結婚しておらん」
「え……ど、どういうことですか!?」
魔人の結婚事情は色々と訳アリなのだろうか。
「して貴様、夏休み最終日まであと何日じゃ?」
「え? あと二ヵ月くらいですけど……」
「なら、時間は十分にあるな」
何を言っているのかよく分からない。大事な日でもあるのだろうか。
とはいえ、ゲームに没頭したままの姿を見ていると、何てことない質問のように思えた。
「よし、貴様の代わりにゲームコンプしてやったぞい。我を崇拝するがよい」
「は、はぁ。それはありがとうございます」
「因みに前のデータは全消ししといたぞい」
「えええええええええええええ」
十 十 十
エイナが家に来てから一ヵ月余りが経った頃。
「あのさ……今夜、近くでちょっとした花火大会があるらしいんだよね」
いつものように睦美からタッパーを受け取った後、そんな話題を持ちかけられた。
突然の話題にドギマギしながらも、なるべく平静を装って「そ、そうだね」と返す。
「それでさ、もしよかったら……今日の花火、一緒に見に行かない?」
「えっ? い、いいの?」
「うん。もちろん、暇だったらだけど」
「全然暇だよ!!」
自分でも驚くほどの即答だった。
とは言ったものの、今この部屋にエイナがいる状況では、やや面倒なことになる気がする。
「我も行く!!!! 絶対!!!!!」
やっぱりだった。
夕方が訪れ、エイナを引き連れて花火大会の会場にやってくる。
折角の二人きりだったはずの時間が、この居候娘のせいでおじゃんになってしまった。
「というか、エイナさんって、浴衣とか持ってたんですね」
「うむ。我の力を侮るでない。この世界の衣服に関しては全てリサーチ済みじゃ。そしていつでも服装を切り替えられる魔法を持っておる」
「なるほど……」
「もちろん普段は、貴様の童貞欲を刺激する衣服を選りすぐり――」
「敬太くーん! こっちこっち!」
そんな時、待ち合わせ場所にいた睦美が手を振ってくる。エイナは無視。
一足早く先に着いていた睦美は、黄色の無地に赤い花の装飾が施された浴衣を着ていて、柔らかい笑顔はとんでもなく可愛かった。
「敬太くんって、いつも素朴な格好だよね。服とか買わないの?」
「そ、そうかな」
「もったいないよ。絶対、色々似合うのに」
顎に手を当てながら、見回すように僕の服装を見つめる睦美。
顔が紅潮してきたのを誤魔化そうと、「い、行こうか」と先を促す。覚束ない足取りで下駄を使う姿もちょっと可愛い。
「貴様、我にも『可愛い』という感想はないのか?」
心が読めるらしい魔人の意見は無視し、僕は千円札を数枚渡す。
「エイナさん。このお金で好きな屋台に行っといてください。迷子と間違われそうになったら、思い切り逃げてください」
前にも、迷子と間違われて、スーパーで警備員に保護されかけたことがある。連れ戻そうとした時、訝しげな目で見られたあの感覚はしばらく忘れない。
「……貴様、この我を適当にあしらおうとしておるな?」
「折角、睦美と二人きりで過ごせる機会なんです。余計な邪魔者はいらないんですよ」
「ほう? やはり貴様は、あの女が大切なのじゃな」
「な、なんですかそれは!」
変な誤解をされてしまった。いや、誤解じゃないけど。
エイナが満足げにうむうむと頷いている。これ以上変なことを言われまいと、さっさと遠ざけて睦美の元へ戻る。
「ごめん、ちょっと手こずっちゃって」
「ふふ、別にあの子と三人でもいいのに」
「そ、そういうわけには……」
そうこうしている内に、段々と混み合ってきた。屋台が売り切れる前に、辺り一帯を見て回る。
睦美が真っ先にりんご飴を手に取り、僕はやきそばとフランクフルトを買った。そうこうしている内に、花火の時間が訪れる。
『只今より、花火の打ち上げが始まります』
場内のアナウンスと共に、睦美と肩を合わせながら、暗くなった空を見上げる。
こんな日が訪れると思わなかった。片思いの幼馴染と、夢のデートのような時間を過ごせるだなんて。
やがて、一発目の花火が上がる。
パーン、という巨大な音と共に、赤い光が反射する。僕は花火じゃなくて、睦美の横顔を見つめていた。
「……なに?」
その視線に気付いたのか、睦美がこちらを見やって話しかけてくる。
――やっぱり僕、睦美が好きだ。
何を思ったのか、僕はそう囁いてしまう。
しかし、花火の轟音で掻き消され、その声が届くことはなかった。幼馴染という関係性を壊してしまうくらいなら、届くべきではないのかもしれない……。
エイナが忽然と姿を消したのは、その翌日のことである。
十 十 十
夏休みが明け、学校に通い始める時期になった。
「エイナが失踪してから、もう一ヵ月経つのか……」
蒸し暑い通学路を歩きながら、ふと呟く。
嵐のように訪れて、すぐに去っていった魔人。あれは一体、何だったのだろうか。
教室に入ると、僕はすぐ、その違和感に気付いた。
睦美がいない。
そのことを先生に訊ねると、予想外の答えが返ってくる。
「ああ……ひどい話だよ。飲酒運転のトラックに轢かれそうになったのを、変な格好をした女の子に庇われたんだって。金野さんの命に別状はないみたいだけど、その庇った子は――」
僕は、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
その後、先生にお見舞いを頼まれ、僕は睦美のいる病院に着く。
病室の扉を開けた先、そこにいた彼女の姿を見て驚いた。
「……敬太くん」
右手と右脚は包帯でぐるぐる巻きにされていて、ベッドの上に吊るされている。悲惨な事故だったということが、一目で分かる。
「ごめんね……エイナちゃんのこと、守るべきだったのに。私の方が守られていたみたい」
睦美は悲しそうに泣いている。
「……どういうこと?」
「ずっと言わなきゃならなかったことがあって……私、実は魔人なの」
「え……?」
「それでね。あのエイナちゃんって子、もしかして私たちの――」
十 十 十
あれから数十年の月日が経った。
僕は大学で勉強した後、研究職に就き、睦美に婿入りする形で結婚した。
高校時代の、あの奇妙な一ヵ月間を忘れることは、一瞬もなかった。
今はタイムマシンの開発を進めており、完成すれば、きっとあの時のエイナを救うことができるはずだ。
僕と睦美は夜空を見上げていた。睦美の抱えている、小さな赤子と共に。
その名前は――。




