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後編: 秘密は大団円で覆い隠して

「ふふっ、流石に他の方には言いませんよ」

 

 そうやってアルベリクの注意を軽く流すと、彼はますます不服そうに顔を顰めた。


「あのさ。いくら女性関係に明るくないからって、僕のことを何だと思って――」

「――私のことを見ようとしてくれた、唯一の人だと思っていますよ」


 想像だにしない素直な言葉に、アルベリクは微かに息を詰め。

 自分の役割とばかりに、一気に核心を突いた。


「――攫われたくなきゃ黙って」


 現実味のない台詞とは裏腹に真剣味を帯びた口調で紡がれた言葉が、セレスティーヌの口を閉じさせる。

 期待さえしていなかった反撃に、彼女の目は見開かれた。


 あまりにも甘い誘惑に、ほんの一瞬、全てを捨ててしまいたくになる。

 だが軽率に動くには責任を背負い過ぎているセレスティーヌは、深呼吸で衝動を抑え込んだ。


「……お戯れを」


 小声の、しかしはっきりとした拒絶を示す彼女に、アルベリクは切なげに目を細める。


「どうしてもバルデュールの領地から離れるつもりはないんだね」

「……マクシム様の行為が知れ渡るのと、口止め料を払い続けること。どちらかを選べと言われても、すぐには決められません。ですが、例え前者を選んだとしても、マクシム様の評判の悪化を少しでも抑えられるのは被害者である私だけでしょう。やっぱり私はあそこにいるべきです」


 セレスティーヌの決意を聞いたアルベリクがここで、不服そうな顔をする。


「冷静に検討されちゃったら、僕がすごい意地悪してるみたいじゃん」

「違うのですか?」

「……そんな当たり前みたいな顔されると、流石の僕も心抉られるんだけど。セルが絶対に動かないっていうなら、僕だって協力するよ」

「協力?」

「僕からマクシムに、浮気に勘付いたことを伝えるよ。それで口止め料は貰わない代わりに、次に浮気したら僕が全部バラすって脅しておいてあげる。名目は……そうだな、同じ公爵家として面子を保って欲しいとか、そんなので十分でしょ。これ以降の浮気が無くなれば、セルたちの負うリスクはかなり減るんじゃない?」

「それは……」


 面白くなさそうな顔をした彼から受けた申し出は、しかしセレスティーヌにとっては願ってもないものだった。

 セレスティーヌに浮気がバレたのは、当時のマクシムがスリルを求めて彼女がいる部屋の隣で浮気相手とまぐわう、凄まじい愚を犯したからだ。

 一方でアルベリクには、セレスティーヌの協力の受けた上で細心の注意を払っていたにも関わらずバレたことになる。マクシムの抱く警戒の度合いは段違いとなるだろう。


「年に一回程度、マクシムにも分かるくらいにあからさまな探りを入れておけば、流石の女たらしも身動き取れなくなるでしょ」

「その、それは凄くありがたいですけど。あなたにメリットがないような……」


 恐る恐る指摘すると、アルベリクは心底呆れた様子でわざとらしくため息をついた。


「本気で言ってる?」

「……い、言ってないです」

 

 今度こそ彼の真意をはっきりと理解し、照れと苦しさと申し訳なさとでとうとう耳まで熱くなる。

 ……それはきっと、この暗がりでも誤魔化せない。


「……ふっ」


 公爵家の娘として自らのどんな些細な仕草をも制御して見せるセレスティーヌが動揺で目を白黒させるさまに、肩の力が抜けたらしいアルベリクがくすくすと笑う。

 細められた目からは彼の、目に見えない仮面が外れていた。


 いたたまれない気持ちになったセレスティーヌは思わず彼から視線を外し、誤魔化すように庭園を見下ろす。

 

 ――結果から言えば、その行動にはただの誤魔化しを遥かに上回る意味があった。


 そこにはマクシムでもヴァイオレットでもない、新たな青年の姿があったのだ。

 セレスティーヌがアルベリクとの会話にかまけている間に、マクシムたちの浮気の目撃者が出てしまっていたのである。

 

 真っ赤になっていた彼女の顔から血の気が引くのに、時間はかからなかった。

 彼女に釣られて柵の外を見たアルベリクも顔を引き攣らせる。


「エレメイ様ですね」

「国王陛下の側近か。考えうる限りほぼ最悪の目撃者だね」


 とんでもない光景を目の当たりにして血相を変えたエレメイが、王宮内に走りこむ。

 国王に情報が行くのは時間の問題だ。


「よりによって……」

「とりあえず僕たちも下に降りよう。僕たちが許す姿勢を見せれば、陛下だって穏便に済ませてくれるはずだから」



 セレスティーヌとアルベリクの到着は、国王とエレメイのそれとほぼ同時だった。


「大事にすることで貴殿らの耳にまで入ってショックを受けさせるのを防ぐために、ワシは最低限の護衛しか連れてこないという配慮をしたのだが」

「……恐れ入ります、陛下」


 不自然なまでにタイミングよく現れてしまった二人に、国王は眉をひそめる。

 混乱を隠せない国王に、アルベリクはとりあえず曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

 

 一方で彼ら以上に状況が飲み込めていないマクシムとヴァイオレットは、繋がれた手を解くのも忘れて呆然としていた。

 一瞬の沈黙を破ったのは国王だった。

 

「ワシの記憶では、マクシムとセレスティーヌ、そしてアルベリクとヴァイオレットが婚約者同士だったはずだが」

「間違いありません」


 エレメイが返事をする。


「そうか。じゃあマクシムとヴァイオレットが浮気を働いていたということでいいな?」

「決定的といえる瞬間を目撃しました。そちらもほぼ間違いないかと」


 改めて受けた報告に国王は、重いため息をつく。

 当然ながら彼は、年若い男女の痴情のもつれ如きにいちいち首を突っ込んでいられるほど暇ではない。

 

 しかしこの場にいる四人の身分が持つ影響力は、国として決して無視できるものではなかった。

 失望と呆れの入り混じった表情の持つ異様な圧力に、ほとんど過失のないセレスティーヌですら背筋に震えが走った。


 国王が、セレスティーヌとアルベリクの方に向き直る。


「で、貴殿らは何故ここにいる。このことを知っていたのか?」

「そうですね。僕は元々疑っていて、念のためあちらのベランダから様子を見てみたら懸念が当たったという形です。セレスティーヌとはそこに偶然居合わせました。彼女の方は寝耳に水だったそうです」


 アルベリクの代弁した内容は、真っ赤な嘘だった。

 バルデュール家の繁栄のためとはいえ、本来は浮気の協力も倫理的には間違った行為だ。浮気相手が婚約者持ちともなれば尚更である。


 アルベリクはセレスティーヌにとって不利となる内容を言う必要はないと判断したのだ。

 彼の言葉が嘘であることをこの場で唯一知るマクシムにも、告げ口は出来ない。

 浮気の協力をした罪よりも、婚約者に浮気の協力をさせた罪の方が重いに決まっているからだ。


「……分かった。とりあえず国政に響くのは、バルデュール家の評判に他国籍であるヴァイオレット譲の処遇、そしてヴィオネ・フォートリエ両家の要求する賠償の内容だな……はぁ、頭が痛い……」


 弱音を吐く国王の傍らで、ようやく事態が現実として実感できたマクシムの顔色がみるみる悪化する。


「へ、陛下。どうかこのことは内密に……」

「……アベルといい、貴様ら兄弟に公爵家の人間――いや、知性ある人類としての責任感というものはないのか?」


 通るはずのない懇願を始めたマクシムが国王にギロリと睨まれたところで、しかし思わぬ援護が入る。


「――陛下、内密にしておくのには私も賛成です」


 正気を疑うセレスティーヌの言葉に、国王は目を剥いた。

 

「……自分が何を言っているのか分かっているのか? 確かに国としては願ったり叶ったりだが、それではマクシムと離縁ができないぞ?」

「ええ、それで構いません」

「彼女がそう言うのであれば、僕としても異論はありません」


 アルベリクが即座に乗ったことで、国王は一瞬口を閉ざす。

 国王とて彼には一目置いている。

 ……より端的に言えば、内心で彼を敵に回したくないと考えている。


「まあ、貴殿らがそういうのであればワシに否やはないが……」


 思いがけない進行の仕方に、マクシムの表情はあからさまに晴れる。

 それを見たセレスティーヌは、婚約者の情けない姿に眉を顰めそうになるのを堪えた。

 国王の気が変わらないうちに話を終えるのが先だ。


「それでは――」

「――ちょ、ちょっと待ってください!」


 セレスティーヌの言葉を遮ったのは、この場で唯一現状維持を望んでいない人物――ヴァイオレットだった。

 彼女はマクシムの腕に抱き着き、うるんだ碧い瞳で彼を見上げる。


「ねぇ、お願い! 私から離れないで!」

「……っ、それは」


 保身を優先したいマクシムは、狼狽えた様子で彼女から距離を取ろうとする。

 しかしここでヴァイオレットが、最後の爆弾を投下した。


「――お腹にあなたとの子がいるのよ!」

「――え、えぇ!?」

 

 マクシムが驚愕に目を見開き、他の全員が顔を引き攣らせる。


「あ、アルベリク様の御子という可能性は……」

「ないね。なにせやったことがない」


 あまりに赤裸々な補足をセレスティーヌが咎める間もなく、ヴァイオレットが訴えるような口調で話し始めた。


「月のものが来ていないのに気付いて、こっそり医者に罹ってみたら妊娠してるって言われたの。マクシム様の最初の子は私が生むのだから、私を妻に……!」


 想定内な彼女の要求を、しかしセレスティーヌは却下せざるを得ない。

 

「ヴァイオレット様。立場をお譲りしたいのは山々ですが、流石にそれでは対外的に問題があります」

「あなたは子供を産めない体だったことにすればいいじゃない!」

「え……」

「おい、ヴァイオレット……」


 あまりの発言に、流石にマクシムが窘めようとする。

 しかしもはや後のないヴァイオレットは止まらない。


「じゃああなたは初めての子を見捨てるの!?」

「……っ、それは」


 マクシムが言葉に詰まったところで、セレスティーヌが一瞬のショックから立ち直る。

  

「……ヴァイオレット様。例えあなたの仰る通りにしたとしても、状況的にどうしても不自然になってしまいます。まず子供を産めない体だったという説明を、屋敷の人間が信じません。彼らは私たちにまだ子供を作る気が無かったことを良く知っているからです」

「そんなのは箝口令で!」

「……仮に上手く箝口令が敷けたとしても、まだ時期的に辻褄が合いません。あなたが妊娠するのは、少なくとも私とマクシム様が離縁を発表してからでなければならないのです。これから正式な離縁を済ませて、マクシム様とあなたの結婚式を挙げるまで待っていたら、妊娠期間は最長でも五か月程度ということになってしまうでしょう。それでは結局不貞を疑われてしまいます」

「……っ!」


 マクシムは板挟みで、ヴァイオレットは絶望で、セレスティーヌは……ある提案を口にするのを躊躇って。

 三人は口を閉ざした。

 誰からともなく、場の視線がアルベリクに集まる。

 その意味を察した彼は、苦笑いを浮かべた。


「……もしかして、僕に何とかしろって言ってる?」

 

 否定する者はいない。

 

「この件に関しては一番関係が薄いので、客観的視点からの意見が聞けるのではないかと」


 セレスティーヌが代表して尤もらしい理屈を述べたが、これは完全な後付けだ。

 実際はただみんなが、反射的に彼を頼ってしまっただけである。


「僕だって全知全能ではないんだけどなぁ……」


 そう自信なさげに頭をかいた後、彼はセレスティーヌの方を向いた。


「――セルはどう思う?」


 首を傾ける彼に、セレスティーヌは思わず息を呑む。

 アルベリクは、彼女には言いたいことがあると気づいていたのだ。

 ……全知全能ではないと言いながら、人の心は読んでくれる。


 八年前には答えられなかった質問だが、今度こそはちゃんと答える。


「……ヴァイオレット様のお腹の子は、私の子だということにすべきだと思います」

「うん、そうだね」


 彼女の回答に、アルベリクは満足そうに微笑む。


 何の因果かセレスティーヌもヴァイオレットも、髪と眼の色がだいたい同じだ。

 顔立ちの雰囲気も、似ていると言えなくもない。

 ……この程度の差異であれば、マクシムの遺伝子も混ざってしまえば誤魔化しきれる。


「……え、私から子供を奪うつもり?」

「……」


 ヴァイオレットの震える声が、セレスティーヌの心を鋭く刺す。

 彼女から我が子を取り上げる結果になるからこそ、セレスティーヌはこの提案を出来ずにいたのだ。


 しかし、アルベリクの方に動じた様子は無かった。


「違うよ、ヴァイオレット。君がバルデュール公爵家で『セレスティーヌの子』を育てるんだ」

「……どういうことです?」

 

 意味の分かっていない様子のヴァイオレットににこりと微笑みかけたアルベリクは、計画を語り出す。


「セレスティーヌはこれから妊娠して、休養のため屋敷に籠る。そして十か月後に無事マクシムとの子を産むんだけど、出産時の負担で彼女自身は命を落としてしまうんだ。そこで、愛しの妖精姫を失って失意に沈むマクシムを元気づけるのがヴァイオレット。二人はめでたく結ばれ、心優しいヴァイオレットは夫の前妻の子にも我が子同然の愛情を注ぐ。めでたしめでたし」

「……私、死んでるんですけど」

「戸籍上死んでおけばいいだけだよ」

「まあ現在の生き地獄よりはマシかもしれませんね。でも、ヴァイオレット様があなたの婚約者であるという問題も残っています」

「それは心配いらないと思うよ。元々ヴァイオレットを貴族たちにお披露目するのは今夜の予定だったんだけど、ほら、ヴァイオレットは体調が悪かったでしょ?」


 これにはヴァイオレットもバツの悪そうな顔をした。

 彼女は今日、体調が悪いから遅れると言って馬車の時間をずらすことで、自然にマクシムとの逢瀬を果たしていた。

 当然仮病だ。しかも肝心のアルベリクに、そのことを知られてしまった。


 しかし彼女の心情とは裏腹に、その行動は今回ばかりは非常に都合の良い物だった。

 この作戦を採ったおかげで彼女は、アルベリクの婚約者としてほとんど知られていない状態を保てているのだ。

 これからマクシムの伴侶に収まっても不思議には思われないことだろう。


 何とも間一髪の救いである。

 この作戦は元々アルベリクとヴァイオレットの出会いをなぞりたいという、マクシムの非常に悪趣味な考えにセレスティーヌが調整を加えたものだ。

 実行が決まったときには嫌悪感を覚えたものだが、今になってそれに救われた……


「……ん?」


 しかしここで、彼女の脳裏にある可能性が浮かんだ。

 ほとんど反射的に、自分と同じ金髪を持った女の人の方を向く。


「あの、ヴァイオレット様」

「……はい」

「あなたとアルベリク様が出会った時ってどんな状況でした?」

「……それでしたらお父様から、アルベリク様に王宮を案内して回るように言われていましたけど……何か関係があるのでしょうか?」


 案の定アルベリクの話とはかすりもしない馴れ初め話に、マクシムとセレスティーヌは絶句する。

 アルベリクの方に目を向けてみると、彼は悪びれもせずに舌を出した。


 彼は帰国の直後、マクシムとセレスティーヌに会いに来た時に初めてセレスティーヌの立場を知ったと言っていた。

 つまりその時の機転だけで、マクシムたちの浮気を仕向けるために煽るような態度を取るだけでは終わらず、最終的にヴァイオレットをマクシムに渡すことになる可能性まで考慮して、彼女の顔が知られないようさりげなく配慮したのだ。

 途方もない準備の良さに戦慄を覚える。


 どことなく弛緩した空気の中、口を開いたのはアルベリクだった。


「ちなみに僕は、隣国の料理の味が忘れられなくて『婚約者』とともに出国することになるかな。婚約者が突然消えたことを説明できないから、早めに国を出なきゃね」

「え、それは……」


 ――アルベリクの被る犠牲が大きすぎないか。

 そう言いたくなりながらも代案が思いつかず、セレスティーヌは口ごもる。

 しかし彼女の懸念とは裏腹に、当人の表情は明るかった。


「隣国も良いところだったし、僕の心配はいらないよ」


 本当に気にしていない様子で笑みを浮かべたところで、彼は一旦言葉を切る。

 そして軽い笑みの裏に真剣味を滲ませると、何故かセレスティーヌの方に向き直った。


「――どうせ戸籍上は死んじゃうんだから、僕と一緒に来る?」

「……へ?」

「僕さ、女の子が求めているものが全然分からないんだよね。でも僕が求めているものはよく分かるんだ。だから僕の方に合わせてくれないかな」


 どこまでも横暴な要求に、しかしセレスティーヌは呆気に取られて凡庸な質問を返してしまう。


「あ、あなたの求めているものって?」


 アルベリクはそれには答えず、代わりに夢を語った。


「そうだなぁ……じゃあこれから、異国の地で君の推理小説を売ろうよ。出版社なら僕が作ってあげるから」


 ――導くように差し出された手を、気づいたら握っていた。


「いや、ちょっと待て」


 最初に混乱を口に出したのは、ここまでどう介入すれば良いか分からず口を挟めないでいた国王だった。


「あー、留学費ですか? ご心配なさらずとも全額お返ししますよ。もうこの国のお役には立てそうにないので」

「は、はぁ……」


 そんなことを聞きたかったのではないであろう国王は、しかしアルベリクの爽やかな笑みを前に、何も言えなくなってしまった。


 ○


「……あれから一年かぁ」


 新居のソファに、セレスティーヌとアルベリクは並んで座っていた。

 手に持っているのはセレスティーヌのお気に入りである、苺風味の紅茶だ。


「時の流れは早いですね」

「うん。あまりに無計画な駆け落ちだったから、もうちょっとギリギリのスリルを楽しめるかと思ってたけど……僕が天才すぎて困っちゃうね」

「……」


 たいそう満足げな笑みを浮かべるアルベリクに、一切の否定が出来ないセレスティーヌにはじとりした目を向けるのが精一杯だ。


 まず彼には、留学時に自国の文化を紹介するという形で稼いだお金が残っていた。留学費を返済したことでずいぶん減ったが、それでも雑誌を一冊刷るには十分だった。

 売ったのは、庶民向けのファッション雑誌。貴族の間で流行しているものを、安く真似る方法まで添えて掲載した。

 これが大成功を収めたことで、十全な生活費とセレスティーヌの執筆活動の基盤が作れたのだ。


 初めて出した推理小説も、反応は悪くなかった。

 評価されるようになるかは今後の努力次第といったところだ。


 改めて考えてみても文句のつけようがない結果に、セレスティーヌは照れている場合でないと思い直す。


「……あなたには、心から感謝しています」

「珍しく素直だね。今日は雪でも降るのかな」


 隙あらば揶揄ってくるところは一年経っても変わらないが、そんなところでさえ……

 セレスティーヌは目を伏せ、アルベリクの肩に身を預けた。


「……大好き」

「ん、もう一回言って?」

「嫌です」

「即答しても説得力ないよ? ……はぁ、サディウス閣下にセルを紹介する気失せてきた」

「サディウス閣下?」


 首を傾げるセレスティーヌの()()()()を、アルベリクが気だるげにいじる。


「セルの小説がいたく気に入ったから、ぜひ作者に会いたいんだと」

「そんなことを言ってくださったのですか……う、うーん……」

「あれ、気乗りしない?」

「いえ、その、我儘かもしれないんですけど。やっぱり最初は小説の内容だけで勝負してみたいというか……」


 心の内を話すと、アルベリクはにやにやと笑った。


「身元を隠すために自慢の髪をウィッグで隠さざるをえない今でさえ、私は十分に可愛くて、それだけで小説が売れちゃうかもって?」

「ええ、その通りですけど」

「ふふっ、何があってもその自信だけは小揺るぎもしないよね、そんなところも可愛いけど。まあ実際今のバルデュール公爵家にとって最も頭の痛い問題となってるのも、妖精姫の影響力を失ったことらしいしね」

「情報を仕入れられたのですか!? ……彼らは上手くやれていますか?」


 勢いよく顔を上げたセレスティーヌに、アルベリクは不満げな表情を浮かべた。


「前の婚約者の話なのに、食いつき良すぎ」

「ちがっ……!」

「しょうがないなぁ。せっかく経験豊富なんだから、浮気はちゃんとバレないようにしてよ?」

「う、浮気なんかしませんからっ!」


 セレスティーヌが必死の形相で首を振る一方で、アルベリクは朗らかに笑う。

 もちろんセレスティーヌがバルデュール家の行く末に多少の責任を感じてしまっているからこその食いつきであることも、彼はちゃんと理解していた。


「貴族社会では完璧な夫婦としてのマクシムとセルの姿が強く印象に残ってしまってるらしくてね。妖精姫が神格化されていたこともあって相対的に、現在の夫婦は評判がぱっとしないものになってるんだって。これの何がまずいって、セルと比較してヴァイオレットがナメられていることなんだ」

「でも夫人が多少侮られている程度であれば、公爵家としてはそこまでの問題にはならないのでは?」

「いや、あの家の社会的地位の問題ではなくて。マクシムの浮気相手はヴァイオレットだけではなかったでしょ?」

「あー……」


 アルベリクの言いたいことを察したセレスティーヌは、苦い顔をする。


 恐らく歴代の浮気相手たちが、私にも愛していると言ったじゃないか、甲斐性を見せろ、とでも言ってきているのだろう。

 マクシムは王国の公爵家の次期当主という立場。その伴侶の座は誰だって狙っている。


 これまで彼女らが何の要求もしてこなかったのは、マクシムの婚約者があの妖精姫だったからだ。

 セレスティーヌに対して無意識下で劣等感を抱いていたからこそ、誰もが欲をかくことを躊躇っていた。

 しかし王国ではほとんど知られてもいないヴァイオレットが選ばれたとなると話は変わる。自分だって、と思ってしまうのは当然のことだ。


 そして厄介なことに彼女らは皆、「マクシムが浮気を繰り返していた」という重大な秘密を握っている。

 それをネタに強請られたら、マクシムたちの立場は非常に危ういものになる。


「口止め料が相当嵩んでるんだってね。結局、僕がその手を使うまでも無かったわけだ」

「……あの方々でしたら、アル様よりは容赦していると思いますけどね」

「じゃあセルが気にすることはないね?」

「それは、まあ……」


 ハメられたような形ではあるが、セレスティーヌは躊躇いがちに頷く。

 流石に彼女が全てを捨ててしゃしゃり出るほどの問題ではないし、そんな義理もないだろう。

 マクシムには今度こそ問題を起こさない後継さえ育ててくれれば、それで……


「……んっ!?」


 どうにか自分を納得させていると、急に唇を奪われた。


「――僕の前で、他の男について考えるの禁止」

「……っ」


 そのまま首元に顔を(うず)められたと思ったら、首筋にちくりとした痛みが走る。


「跡に気付かれないように、ちゃんとここまで隠せる服を着なきゃね」


 鮮やかな碧い瞳に潜む圧に、セレスティーヌは思わず怯んだ。


 茶髪のウィッグを脱がされ、白みがかった金髪が姿を見せる。

 アルベリクがはそれを一房掬うと、見せつけるように口付けを落とした。


「ウィッグも勝手に被ってくれるから、この綺麗な絹糸を見られるのはもう僕だけだね」


 どこまでも愉快そうに喉を鳴らす彼に、セレスティーヌは堪らず目を逸らしながらも口を尖らせる。


「……可愛いのは顔と口調()()じゃないですか」

「不満なの?」

「……ずるい」

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