最終話
「──ゴーレム使いタチバナ。お前を追放する」
「……え?」
数日前、僕たちは魔王を倒した。長年この国、いや世界を苦しめる魔王ウロボロスを討伐するため結成されたパーティで、僕もサポート役として懸命に勇者様へ仕えていた──はず。だった。
けれど今、朝日の降り注ぐ国一番の宿屋で、僕は一人追放を言い渡されている。
「な……何故、ですか、勇者様……」
確かに僕は元農家のゴーレム使いで、大して役に立ったこともない。みんなの荷物をゴーレムで持ったり、徹夜してみんなを守る盾役を作ったり、そういうことしか出来なかった。
けれど勇者様は、そんな僕も見捨てず、いつも剣術を見てくれていたじゃないか。
「ぼ、僕は、役に立ちませんでしたか? この旅でひとつも、成長できませんでしたか」
「タチバナさま、そんなことは……」
「マリア。余計なことを言うな」
勇者様の隣に控えた聖女様が慌てたように声を上げて、勇者様に制される。
いつも優しく輝いていた新緑のような勇者様の瞳が、何かを覚悟したかのように冷たく見据えていた。
「……でもっ! リィン、これじゃあんまりにも……」
「サーリャさん……」
「そうだぞ、タチバナはいつも頑張って、よくやっていたんだぞ」
「ウルドくん……」
魔女のサーリャさんが勇者様を責め、心優しい戦士のウルドくんが悲しそうに首を振った。
みんないつも通りの優しいみんなで、違うのは、勇者様だけ。
「……勇者様……」
天使の血が入った勇者様は麗しい。いつもはニコニコして明るくて、表情がコロコロ変わるから、わからないけれど。
日に助ける金の髪は木漏れ日を集めた薄い金。端正な顔立ち、しっかりついた筋肉に、ウルドくんほどではないけれど大きな身長。いつもは頼もしくニッと笑っている唇は硬く閉じられていた。
「……タチバナさま」
しばらく無言のまま見つめ合う。
聖女様の、柔らかな声が沈黙を破った。
神に選ばれた彼女は信心深く、敬虔で、いつも穏やかに僕たちを支えてくれている。
そんな彼女がひどく悲しそうに僕の名前を呼ぶから、ああこの決定は覆らないのか、と理解した。
「タチバナさま。いままで本当に、本当にありがとうございました」
「マリア、様……?」
「一介の村娘だったのはわたしもおんなじ。そんなわたしに、気負うことないと言ってくれましたね。わたしが癒せない分は、あなたが守ってくれると」
血が苦手でヒールひとつかけられなかった彼女に、確かそんな約束をした。致命傷すら癒す今の彼女にはもう必要のないはずの、約束。
「わたしね、あの頃からずっと、タチバナさまが好きよ」
「……は?」
「えっ」
「うふふ」
コロコロ笑う。天使みたいに、純真無垢な少女の笑顔。いつも静謐に微笑んでいる彼女とは少しだけ趣向の違った、どこかいたずらっぽい。
勇者様が目を瞬かせる。そのぱちくり、と音がつきそうな所作が愛らしく、いつもの元気な彼を想起させた。
「だからあなたを守ります。これから、この事を知って辛い思いをしたとしても──全てを知って、きちんと逃げて」
「マリア! やめろ、そんなことする必要は──」
「あなたには何もわからないわ、リィン!」
逃げる、とは。どう言うことか。
珍しく声を荒げた聖女様に、勇者様は傷付いたような顔をする。サーリャさんは魔女のお帽子を目深にかぶって、ワルドくんはただただ悲しそうにことの顛末を眺めている。
「貴方はいつも置いていく側です。貴方に置いていかれないよう、わたしたちは必死で、必死で……! 貴方に護られる屈辱が、貴方にはきっとわからない!」
「マリア……?」
僕たちパーティは、傷付いて、孤独だった頃、勇者様に救われた。
半人半魔のワルドくんは周りにいじめられていたところを、聖女のマリア様は神格化され城に監禁されていたところを、魔女のサーリャさんは里が焼かれ一人ぼっちになったところを。
そして僕は──魔力量が高いからと、言われなき罪で処刑されかけたところを。
勇者様は力でワルドくんに及ばないし、魔力量はサーリャさんに全然勝てないし、ヒールでじんわり体力を回復するしかできないし。
けれどただ、希望を胸に剣技を磨いてきた人だった。
そんなあなたは僕たちを守り、いつもしなくていい怪我をする。
「タチバナさま……あなたは、わたしたちのパーティに欠かせない人です。それだけは間違わないで」
大きな瞳の端に涙を湛えた聖女様が僕に一歩近づく。昔ゴーレムで削って作ってあげた杖が、彼女のお気に入りだった。
みんな必死で、善良なまま、神を信じて生きてきた。魔物に追われながら、魔物を追いながら、どうか平和が訪れる事を信じて。
なのに。
「けれど──今日の午後。ここは焼き払われます」
「…………は…………?」
ねぇ、どうして神様、あなたはいつも意地悪なのですか?
「な……ん、で。なんで、そんな、こと」
「国からの命令だ。本来口外されないんだが──サーリャの千里眼でわかった」
「国……?」
どうして。だって、国の命令通り戦って、僕たちはこの国に平和を取り戻したじゃないか。
勇者様が自嘲気にはっ、と笑った。そんな笑顔。そんな、僕はあなたに助けられた時から、あなたの屈託のない、明るい笑顔が見たくて──
「魔王を倒すような強大な力は、魔王がいない今脅威でしかない、ってな──。
気付けなかった俺の落ち度だ。本当はお前以外も逃してやりたかったんだが、俺たちは名前が売れすぎた」
「ずっとサポートに徹していたタチバナは、あんまり顔が知られてないのよ。よくフードかぶってるしね」
「俺たちが逃げちまうと、追手がかかる。追手がかかれば俺の村も、お前の村も無事じゃ済まないだろうな」
サーリャさんが勇者様の言葉を補足するように何か言っているけれど、僕はもうほとんど何も聞こえていなかった。
「どうして…………」
「うん」
「どうして……あなたたちなんですか……」
どしゃ、と崩れ落ちる。勇者様はきっと、自分の村を見捨てられない。元々だって、村の人達を守りたくて手に取った剣だ。だから、みんなで逃げよう、なんて口が裂けても言えなくて。
「なんでだろうなぁ」
途方に暮れた迷子みたいな声だった。
「なんで……俺たちだったのかなぁ……」
すっかり俯いてしまった勇者様の背を、そっと聖女様が撫でる。何でなんてわかってる、退魔の力が勇者様の血にあったからだ。聖女様が神に選ばれて、サーリャさんの頭脳が人一倍高くて、ワルドくんは人一倍優しかったからだ。
だから世界を救わなきゃいけなくなった。
救った世界に殺されてでも。
「嫌……いやです、いやです勇者様! 僕も、僕も一緒に──」
「タチバナ」
いつのまにか近づいてきていた勇者様に、ぎゅうっと抱き締められた。
迷子の子のような頼りない力と、温かい体。今から死を覚悟している人間とは思えないほど落ち着いた声。
「俺は、勇者だよ。
だから最期まできっと、みんなの希望でいたいんだ。世界の希望で居ようと、決めたんだ」
そんなの。
そんなの、だって。どうして。
「僕の命は……あなたに救われたのに……」
「うん」
「あなたのいない世界で……僕は、生きなきゃいけないんですか…………?」
「──うん」
ごめんな。
足元に魔法陣が描かれる。目に映る自分の手のひらがどんどん透けていく。サーリャさんの魔法でどこかに飛ばされるのだ、と気づいた時には遅かった。
「ゼッタイ、ゼッタイ安全なとこに飛ばすから! それだけは守ったげるから、もう二度と、戻ってこないでよね!」
「い、嫌だ! 待ってよサーリャさん、僕、僕!!」
身体から力が抜けていく。魔力やスキルごと、どこかへ身体が飛ばされる。勇者様の温もりが失われていく。
ジタジタと暴れる僕を勇者様は取り押さえて離さなかった。勇者様の体は透けなかった。みんなの体は透けなかった。僕の体だけ。
僕だけ助けられている。
「──ごめんな、マリア」
「うふふ、知っていましたよ、ずっと」
勇者様が何事かつぶやいて、マリア様がええ、と頷く。それが何が理解する前に、唇へ湿った何かが押し当てられた。
それが目の前の人の唇であると、理解するのに時間がかかり。
「え──」
薄れていく視界。朝陽が部屋全体を照らす。きらきらと鱗粉のように薄金の光が飛び散って、柔らかく笑んだ瞳は、日に透けた若葉のような明るい翠。
少しだけ頬を染めて、こんな時に、はにかむように笑って。
ひとしずくだけ、綺麗な綺麗な涙をこぼした。
「おまえのことを、あいしていたよ」
あ。
声が、出た。
その頃には、周りに誰もいなくて。
こつり、と靴の音が鳴る。女神に守られた廃教会。国の手も魔物の手も届かないそこは少しだけ荒れていて、それでも静謐に美しかった。
ステンドグラスが降り注ぐ。振り返って仰ぎ見れば静かに微笑む女神像。
ああ神よ、神よ、神よ!
いるのならば答えてくれ!
なぜ──なぜ……。
「……何故あのひとに……返事ひとつしてあげられないのですか……?」
僕も、愛していましたと。
「あ、ああ、ああああああ……!!!!」
最後の純情を捧げてくれた聖女様。
助けるための魔術を使ったサーリャさん。
僕を止めないでいてくれたワルドくん。
最後までただ、希望でいた勇者様。
「あああああああああああああああああ!!!!」
慌てて元の国に忍び込んだ日には、もう数ヶ月が経っていて。
新聞にて、魔王を退治した化物を倒したことが華々しく書かれていた。
そうして僕は世界を滅ぼしたのだ。