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万象森羅公式小説  作者: 真柴 亮
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ぼくは天才の弟

お名前が決まりました!

ナンシー・ノームライトちゃんの弟君に焦点を当てた短編小説です。

ひかるさん発案の謎の商人さんにもご登場いただきました。

 ぼくは天才の弟 真柴 亮


「出て行けって言ってるでしょうがッ! いいッ加減しつこいってのーッ!」

 適材適所を絵に描いたように、軽快で口達者な羽の生えた新聞記者を名乗る少年は、ずうずうしく姉さんの部屋まで押しかけていってあれこれ甲高い声を上げた後、むっつりと黙っていた姉さんの怒号が響き渡るや否や、家の外に摘み出された。

 とはいえ、僕たちノームは大人になっても小さいから、実際に彼を表に放り投げたのは、姉さんが作ったアイアンロボット「木偶の坊6号改」である。

 重たいものを運ばせるためにと作ったはいいものの、それ以外のことはできず、負荷に耐えうるために大きく作ったもので、普段は図体だけでかい置物が奥の廊下を占拠している、という僕としてはあまりうれしくない状態だ。それでも、こういった時にはたちまち役に立つものだから、解体するにしきれない、という事情もある。

 彼がうちに来るのはこれで四度目。短気な姉さんにしては、まだよく持った方だと思うけど、これでもう来なくなるだろうね。

 家に入れる僕も僕だけど、今回ばかりは姉さんを部屋から引きずり出す戦略のうちでもあった。

「姉さん、また変なモノ作ったんじゃないだろうね?」

 木偶の坊6号改の隣で、腕を組み仁王立ちになっている姉さんに、僕は台所からひょいと顔を出して声をかけた。

「うるさいな! 発明に口出すなって言ってるじゃん!」

 ぐわっと怒りのままに振り返った姉さんが、そのままの勢いで怒鳴ってくる。けど、そんなのは想定内のことだ。僕は努めて何でもないような、何も気にしていないよという風を装って、台所から体を出し、腰に手を当てた。

「発明には口を出さないけど、姉さんの生活には口を出してもいいって約束だったよね?」

 途端に姉さんの目が泳ぐ。今の自分の状況を、ちょっとは自覚していたらしい。どうせ、ほんのちょっとだけなんだろうけど。

「最後にシャワー浴びたのはいつ? 二日に一回は浴びるって約束じゃなかったっけ? 着替えだってしてないよね? 昨日の晩御飯、何食べたか覚えてるの?」

 勢いが失せたところを見計らって、一気に畳みかける。ここで温情なんかかけたらだめだ。また部屋にこもって出てこなくなるに決まってるんだから。

「ええっと……昨日は、ほらぁ……なんか、サンドイッチ? みたいな……」

「覚えていてくれてありがとう」

 僕のセリフにホッとした顔をした姉さんに、ため息をついて、僕は姉さんが知らない事実を教えてあげた。

「姉さんが晩御飯だと思ってたものは、おとといのお昼に僕が作ったアズーラハムとピコピコトマトのパニーニで、朝ごはんだと思ってるだろうフズリナコーンとレイザーチーズのリゾットが昨日の晩に差し入れた夜食なんだけど?」

「うっ……!」

「いまどき、スラムの奴らだってもっとまともなもん食って、まともな身なりしてるってもんだよ」

「分かった、分かったよ、もう! ごーめんなさーいー! いまからシャワー行きますー!」

「服だけじゃないよ! 白衣も全部洗濯に出しておいてよ! それから、きちんと頭も洗うこと! そのあと僕が作ったごはん全部食べてからじゃないと、発明部屋に戻っちゃだめだからね!」

「はいはいはい! わかったってのー!」

 足早にシャワールームに逃げ込む姉さんを見送って、僕は大きなため息をついた。年の割に苦労してんなって友達に言われるけど、そのほとんどが姉さんのせいだと思う。とはいえ、姉さんの収入なしに、年の離れた弟妹を育てることは不可能で、僕は今日も今日とて年に合わないため息を吐きながら、発明以外はポンコツの姉さんの、久方ぶりのまともな食事を用意するべくキッチンに戻ったのだった。



 手先が器用で、知性が高く、優れた細工品を作り上げる。

 それが僕らの種族であるノームの特性だ。姉はその中でも天才と謡われるほどの腕前を持っていた。対して、すぐ下の弟である僕はといえば、何をやっても失敗ばかりの落ちこぼれ。

 せめて、他の弟妹みたいに、年が離れていれば、そう比べられることもなく、おねえちゃんすごーいと呑気に手を叩いていればよかったのだと思うんだけど、いるのかいないのかも分からないカミサマってやつは、そこのところをどうにもうまく作ってくれなかったみたいだった。

 代わりに、開発に打ち込んでは寝食どころか着替えやお風呂も忘れる姉さんと対をなすかのように、炊事に始まり掃除洗濯、おつかいの値段交渉なんかは専業主婦の母さん顔負けにやってのけたけど、ノームとして生まれたからにはそんな才能なくったって問題ないっていうのが正直なところなのだ。

「お前たちは本当に、足して二で割ったらちょうどよかったんだけどねえ」

 小さいころ、動かなくなった洗濯機を、なんとか動かそうとして爆発させた僕のけがを手当てしながら、呆れたように母さんがそう言ったセリフは、すでに聞き飽きたセリフだった。母さんの後ろでは、爆発した洗濯機を姉さんが作り直していたから、後から騒ぎを聞きつけてやってきた父さんも同じような顔をして、同じセリフを口にしたっけ。

 何も作り出せないノームに、天才すぎるノーム。この組み合わせが年の近い姉弟であるという運命のいたずらは、そりゃあ最初こそ拗ねたし、劣等感まみれで姉さんが大っ嫌いな時期もあった。グレてみようと家に帰らず、勝手に友達の家を泊まり歩く、なんてこともやって親父に大目玉を食らったこともある。

 それでも、見てくれはどうあれ大人と呼べる年齢になってしばらくするころには、発明に集中するあまり、生活をおろそかにする姉さんに、最低限まともな暮らしをさせるのが僕の役目なんだと諦めがついた。

 なにしろ、姉さんときたら、放っておけば何日だって発明部屋を出てこない頑固者で、子どものころから姉さんのことを知っていて、なんでも言い合いをしてきた僕でないと、まず口で負けるんだからね。今は引退して田舎に引っ込んだ両親も、天才の姉さんに遠慮して発明部屋にいるときは声をかけないんだから、そういう意味で甘やかされて育った姉さんを、部屋から引きずり出してまともな食生活とかろうじて及第点の身だしなみを整えるなんて偉業をやってのけるのは僕しかいないんだ。

 天才となんとかは紙一重というけど、姉さんのためにある言葉だとつくづく思うな。

 なんてことを考えていると、シャワーを浴びて、髪を整えて、洗い立ての服を着た姉さんが、鼻を動かしながらやってきた。

「なんか、いい匂いするね?」

「そりゃあね。姉さんの好きな僕特製のヒラメカレイのホワイトソースパイが、もうすぐ焼きあがるところだからね」

「えっ、あれ作ったの!?」

 いつも不機嫌そうな姉さんの顔がパッと笑顔になる。まあ、これを笑顔だと思えるのも、長年の付き合いのたまものなんだろうけど。

「そのかわり、これを食べてからじゃないと姉さんの分はないよ」

 大好物の前にと差し出したのは、昨日の朝からコトコト煮込んだ野菜スープだ。鶏ガラで旨味を凝縮させた野菜たっぷりのスープは僕の得意料理のひとつなんだけど、野菜嫌いの姉さんは野菜が入っているっていうだけで嫌な顔をする。それでもしぶしぶスプーンを取るくらいには、姉さんも僕の譲らない性格を分かっているし、姉さんが好きな味付けで食べやすくなっている僕の料理を信頼してくれている。

 案の定、一口スープを啜ってしまえば、空腹を思い出したように匙を運ぶ手は早くなり、あっという間に木の椀が空になった。

「おかわりいる?」

「うん、もらう」

「パイはもう少しだよ。先にこれ食べてて」

「へーい」

 姉さんがスープを飲んでいる間に、後は食卓に出すだけにしておいた料理でテーブルを埋め尽くしておいたから、食べるものには困らない。目の前に所狭しと並んだ料理の中から、焼きたての丸パンを選んでかぶりついた姉さんを後目に、スープのお代わりをよそい、僕もテーブルについた。

 レンズ豆と半熟のゆで卵が乗ったコールスロー サラダ。姉さんが作った自動燻製機で作った自家製ベーコンをカリカリになるまでじっくり焼いて。ハーブを効かせたウインナーは、焼いたのとゆでたのとを両方。付け合わせにマッシュポテトは外せない。姉さんは苦手だというけれど、ちょっとした苦みが癖になる花蕾ブロッコリーも彩りに添えてある。僕は好きなんだけどな。

 薄いタルト生地には、ちぢれほうれん草と真っ赤なサントマトのキッシュ。練生地で作った合鴨のミートパイは、刻んだ虹色パプリカをたっぷりと混ぜ込んで。三種類の豆のトマト煮込みに、青紫ラディッシュのホワイトシチュー。

 マフィンは、セイボリーが卵とベーコン、トマトとバジルの二種類。スイーツがバナナとチョコチャンク、ナッツとベリー、ココア味のオレンジピール入りの三種。忘れちゃいけないスコーンも、母さん直伝のプレーンとチーズの二種類がいつだってたっぷりと常備してある。

 パンに合わせるバターにハチミツ。それにカトラリーまで、準備は万端だ。これであと数分もすれば、今日のメインディッシュ、ヒラメカレイのパイが出来上がる。

 我ながら完璧。

 僕は自分で用意した食卓の出来に満足しながら、まずはサラダを皿いっぱいに盛り込んだ。

「ほかの奴らは?」

 いつも食事をしていれば、わらわらと寄ってきて我も我もと何かしらをつまんでいく腹ペコどもがいないことに気が付いた姉さんは、きれいに掃除されて塵ひとつない周囲を見回した。手にはナッツとベリーのマフィンがあり、頬を丸くしてもきゅもきゅとほおばっている。まあ、椅子に座って食事するのも久しぶりだし、と多少の行儀の悪さは目をつぶることにして、僕はやっぱりため息をついた。

「何言ってるの。みんな学校だよ。大丈夫。姉さんが食べきれなくても、あいつらが帰ってきたらあっという間になくなるんだから、食べられるだけ食べちゃって!」

 育ち盛り食べ盛り。どれだけ作ってもなくなるというのは、作り手として喜ばしいことでもあり、大変なことでもある。ふぅん、と何の気なしに相槌を打つ姉さんは、それを分かっているのかいないのか、そういえば、と僕を見た。

「オーブンの調子は? ちゃんと使えてる?」

「うん、調子いいよ。弱の設定だけ、ちょっと弱すぎるかな、と思わなくもないんだけど、温め直すのにちょうどいいから、このままでいいかな」

「もう一つ火力高い設定つけて、四段階にしてもいいけど」

「うーん、じゃあ、今度頼もうかな。来週あたりに、オーブンの掃除をしようと思ってるんだよね。その後に頼むよ」

「りょーかい」

 料理ひとつ、掃除ひとつできない姉さんだけど、家のことで不便なことがあればどれだけ忙しそうにしてても嫌がることなくすぐにやってくれるところは素直に尊敬できるところだと思う。このオーブンだって、前にこうして食事を作っていたときに「最近ボロくなってきて、火加減が難しい」とぼやいたら、次の日には設計図を完成させて、ダイヤルを合わせるだけで火力が強・中・弱の三段階で調整できるものを作ってくれたんだ。

 姉さんは天才だ。

 マフィンにうまくかぶりつけなくてトッピングのナッツを零していても、野菜が嫌いで僕が盛り付けた分だけしかサラダを食べなくても、きっとその才能だけで生きていけるのだろう。

 それでも、姉さん好みの食事を作ったり、聞く耳持ちそうな時を見計らって声をかけたり、そんな生きるために当然の生活を送ることはできない。

 焼きたてのヒラメカレイのパイにかぶりついて、あちっあちっと騒いでいる姉さんは、僕にとってはただの生活不適合で厄介な姉でしかなくて、きっと姉さんにもそういう存在が必要なのだろう。

 それが僕の役目で、そういうのを適材適所というのだろうと思えるくらいには、僕も大人になったのだと思う。

 一心不乱に焼きたてのヒラメカレイのパイを食べている姉さんを眺めながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。

 やがて、食事の手が遅くなり、ヒラメカレイのパイは三切れ分、他の好物も十分な量が姉さんの胃袋に収まった頃合いを見計らって、少し冷ましたココアを差し出した。何も言わずに両手でマグカップを持ち、こくこくと飲んでいるけれど、半分閉じかけた目が眠気でとろんとしている。

「仮眠して、おやつになったら起きといでよ。姉さんが好きなスターアップルのパイを焼いておくから」

「わかった、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 それを食べたら、もう発明部屋に戻っていいよ、というと、満腹になって生あくびをかみ殺していた姉さんは何度か頷きながらよたよたと寝室に向かって歩いて行った。部屋の隅に置かれた木偶の坊6号が、首だけを回して姉さんを見送っている。やがて、コマンドが飛んでこないことを理解したのか、プスッという音を立てて自動的に電源が切れ、わずかに聞こえていたモーター音も聞こえなくなったのだった。



「………ふぅ、こんなもんかな」

 オーブンをのぞき込むために曲げていた腰を伸ばして一息。アップルパイはオーブンに任せることにして、一休みのためのお茶を淹れる。

 今日の茶葉は、前にもらったとっておきのものにした。朝から仕込んだ料理といい、姉さんを発明部屋から出せたことといい、今日の僕がとても頑張っているからね。ちょっとしたご褒美に贅沢したっていいだろう。

 やっぱり、緑の国から輸入されてきた茶葉は香りが違う。上流階級の一部の人たちが独占して買い占めてしまうから、一般に出回ることはめったにないか偽物だけど、これは姉さんに依頼に来たお偉いさんがお土産にってくれた奴だから本物だ。

と、そこへ、窓ガラスの外に小さな黒い影を見つけた。顔を上げるのと同時に、拳程度の影がコツコツとガラスを突く。

 どうやら、招いていない客が来たらしい。招きたくないわけではないけれど、いつやってくるかも分からない馴染みの客だ。そんな相手のために、せっかくの茶葉のゴールデンドロップを逃すのは惜しい。

 僕は、ティーポットからお茶を注ぎ切るのを待ってから、マグカップを片手に外に出た。

 もう片方の手につまんだ大きなチョコチャンククッキーは僕のお茶菓子だ。決して、裏口を出た先にいる怪しい男にあげるためのものではない。姉さんと似た顔の不機嫌を隠す理由はどこにもなく、扉を開けた僕を見下ろして、待っていた男は口の端を片方だけ歪ませた。

「優雅にティータイムとは、良い生活をしているじゃないか」

「邪魔しに来たなら帰ってくれていいんですよ、商人さん。せっかくいい茶葉で淹れたところだったのに……」

「まあ、そう言うな」

 くっと喉の奥で音を立てて笑う男は、いつもと同じ怪しい恰好をしていた。肩を過ぎる白髪に厚手のロングコート。昼日中だというのに肌が見えているところと言えば、手と顔だけ。それなのに涼しい顔をして汗一つ見せない。そして、なんといっても鉄でできた犬を連れている。

 これを怪しいと言わずして、何を怪しいと言えるだろうか。

 ちなみに、この鉄の犬が前に壊れかけていたところを、姉さんが直したのが付き合いの始まりだ。廃棄寸前だったはずなのに、修理した後は恐ろしく高性能になっていて、それまで眉ひとつ動かさなかった彼がくつくつと笑って、それから修理費用の上乗せを申し出た。姉さんは渋い顔をしていたけれど、技術に対する対価としては正当な評価だと言って、僕らの予想の倍の額を払って行った謎の多い男だ。

 僕が彼について知っていることと言えば、アングラな世界で商人をしているということだけ。名前も知らなければ、年も知らない。姉さんとはまた違った意味で気安い間柄ではあるが、互いに本心を見せたことはない。

「失敗作なら、いつも通り裏の倉庫に入れてあるよ。僕のおすすめは小型化に成功したコマネズミ偵察3号かな。姉さんは小型化しすぎて耐久性が落ちたって言って没にしたけど、燃料満タンで最大稼働時間が二時間弱なら、そこそこ使えるんじゃない?」

「君の姉君はいつもながら規格外だな」

「何をいまさら。その規格外が欲しくて、こんなとこまで仕入れに来てるくせに」

 機械類は対象外だと言いながら、たまにやってきては姉さんが「失敗作」として僕に処分を頼んだものの中から、気に入ったものを買っていくのは商人さんの方だ。

 僕がそう言うと、商人さんはまたくっと喉の奥で音を立てた。

「それは確かに」

 僕の先導で、裏庭の倉庫に向かう。別に入りくんだ道でもないから倉庫にたどり着くことは簡単だが、倉庫の鍵を持っているのは僕だ。いつものように倉庫の鍵を開け、後ろの鉄犬に放り投げる。飛び上がってぱくりと鍵を咥えたのを見てから、僕は倉庫に背を向けた。

 ここで何を探そうとも、何を持っていこうとも、彼の自由だ。それに値をつけるのは僕ではなく、彼の方。彼が価値があると思ったものを、価値があると思った値段の分だけの額が書かれた小切手と引き換えに持っていく。

 どうせ、このまま半年に一回の産業用金属ごみの日を待って廃棄するだけの塵の山だ。塵に価値を見出す珍客が、勝手に持っていくだけ。それに少し後ろめたさを覚えるのは、僕がきっと「失敗作」としておかれた百分の一でさえも何かを作る能力がないせいだろう。

「ああ、そうだ」

 去っていく僕の背中に向けて、男が薄汚れた銀貨を一枚放り投げた。クッキーを食べ終わって空いたばかりの手でそれを受け取り、半眼を作る。

「また、いくらか見繕っておいてくれ。君の作る菓子も、俺は案外楽しみにしているんでね」

「…………あんなもの、表通りに行ったらもっといいもの売ってるだろうに」

 男はまた、喉を鳴らした。

「君も、正当な評価を受け取るべきだな」

「そりゃどうも」

 銀貨を握った手を振り、僕は家の中に戻る。せっかくのおひとり様ティータイムが台無しだ。僕はやっぱりため息を吐いて、それから家にある一番大きな紙袋に、日持ちがしそうなマフィンやスコーンを詰め込んだ。

「本当に、いつもあの人いったいどこで何をしてるんだろ?」

 机の上に置いた銀貨は、水の国の中でも珍しいデザインのコインだったはずだ。こんなもので取引をする商売なんて、聞いたことがない。要は体のいい両替場所だとでも思われているんだろう。確かに、姉さんはあちこちから依頼を受けているから、その中にちょっと珍しい銀貨が混ざっていたとしても、紙幣に換金するときに見とがめられたりしないしな。

 そんなことを考えながら、ジンジャークッキーも追加する。弟たちが型抜きしたひよこ型やハート形、チェリーでかわいくデコレーションしたブレッドマンを多めに入れたのはちょっとした意趣返しだ。あの仏頂面でこんな女の子が喜ぶようなかわいいクッキーを食べているところなんて、想像するだけで笑えてくる。

 最後に、たっぷりのブランデーで漬け込んだドライフルーツで作ったパウンドケーキを一塊放り込んで、紙袋のふちを折り曲げた。

 時計の針が九〇度傾いたころ、僕はチョコチャンククッキーを四枚食べ終わり、少し冷めた紅茶が空になったのを見計らったように、裏口の扉が四回ノックされた。

「はいはーい」

 ノームの僕では一抱えある紙袋を持って外へ出る。いつも通りに数字が書かれた小切手と倉庫の鍵を受け取り、紙袋を渡せば取引は成立だ。

 全ての荷物はトランクに収納してあるから、彼が何をどれだけ選んだのかは分からない。商人さんが持っているトランクは、魔道具の中でも制限が多くてそういいものではないと前に聞いたけれど、小さな家一個分の容量はあると言っていたから、倉庫の中の物くらいならほとんど収納してしまえるらしい。

 今日は気に入った「失敗作」が結構あったらしく、いつもよりも多めの金額が書かれていた。これで、みんなの服を新しくしてやることができる。姉さんの収入はできるだけ将来のためにとっておきたいから、ちょっとした出費に心置きなく使うことができて、この臨時収入はありがたい。それを気づかれるのはなんとなく嫌で、なるべくそっけない態度を取ることにしてるけど。

「じゃ、僕はこれで」

「俺が何を選んだのか、君はいつも聞かないな」

 このまま扉を閉めればいつも通りだったのに、商人さんはそんなことを聞いてきた。思わず胡乱げに睨んでしまったのは仕方がないことだと思いたい。見上げた男の顔はいつも通りの仏頂面で、愛想のかけらもない無表情だった。

「それを言うのが流行ってるの? ここ最近でそういうセリフ、聞き飽きてるんだけど」

「いや、なに。俺が持って行った道具が、何に使われるのか、気にならないのかと思ってな」

 僕は思わずムッとしたが、彼の声は淡々としていた。お人よしよろしく忠告する気配はない。僕は、いつも発明をしている姉さんの後ろ姿を思い浮かべ、がりがりと頭を掻いた。

 さてなんと言ったものか。

「僕、いつも愛用してる包丁があるんだけどさ」

 ちらりと奥のキッチンに視線を向けて、商人さんに向き直る。

「切れ味抜群で、使いやすいやつ。スラムで買ったんだ。あそこ、今、結構な無法地帯だろ? 地方で追いやられた腕利きの職人が集まってて、掘り出し物が多かったりするんだよね」

 僕の手はヒトに比べて少し小さい。それに合わせた細身の柄。それでいて重厚感を損なわず、刃を入れやすい重さの相棒だ。いきなり包丁自慢を始めた僕を、最初こそ不思議そうに見下ろしていたけれど、

「僕がその包丁で、料理じゃなくてあんたを殺したとして、それは鍛冶師の責任になるの?」

 ここまで言えば納得したようだった。

「なるほど」

「道具は道具でしかないよ。ノームはそれを一番よく分かってる。それに善悪の結果をつけるのは、いつだって使った者の責任だ。あれこれ言われることじゃない」

 「木偶の坊6号」だって、うちじゃ大きなものを運ぶ時にしか役に立たないやつだけど、あれが軍備に使われたらどうなるか、僕にだって想像がつかないわけじゃない。人間だったら十人がかりでやっと運べるような重い荷物を、石炭一抱えで、運び続けることができるんだから、兵站の常識は覆るだろう。それでも、僕らはあれを、うるさい客を摘み出したり、部屋の模様替えをするときにしか使っていない。要はそういうことなんだ。

 忘れてもらっては困るが、僕らはノームだ。人よりも道具に寄り添う。しかしその境界線を間違えたりはしない。そして、間違えた者に対して、責任があるわけじゃない。

 商人さんは、もう一度、そうか、とだけ言うと、今度こそ鉄の犬と一緒に帰っていった。あの格好で目立つんじゃないかと思うけれど、なかなかどうして、雑踏に紛れ込んでしまえば案外目立たないものだ。

 僕は裏口の扉を閉めて、僕しか開けない鍵付きの引き出しの中に小切手をしまった。倉庫の鍵も元の位置に戻して、オーブンをのぞき込む。

 オーブンの中には、大きなパイがふっくらとおいしそうに焼けていた。後ちょっと、焦げ目をつけたら完成だ。

 冷蔵庫にホイップクリームとアイスクリームがあったから、最後にそれも添えよう。子どもたちが帰ってくる前に、お皿を出しておかなけりゃ……なんて考えているうちに、玄関の方が子どもの声で騒がしくなった。

「ただいまー!」

「あっ、待ってよ、あたしも入るぅ!」

「おにいちゃーん! 帰ってきたよ~!」

「お腹空いたー! 今日のおやつなあに~!」

「はいはい、おかえり」

 出迎えないと余計にうるさい。玄関まで早足で出ていくと、我先にと中に入ってきた。

「おにいちゃん、あのね、今日ね、学校でね!」

「はいはい、後で聞くよ。中に入って、手洗いとうがいをしておいで。それが済んだら、姉さんを起こして、おやつにしよう?」

 学校の荷物を持ったままだとさらにかさばる。子どもでぎゅうぎゅう詰めになった廊下の端に避けつつ声をかけると、小さな顔が一斉にこっちを向いた。

「わ! 今日はお姉ちゃんも一緒なの!?」

「わぁい! お姉ちゃんも一緒~!」

「ねえねえ、今日のおやつは~?」

「いいにおいする!」

「甘いにおい!」 

「おやつは、スターアップルパイだよ」

 きらきら期待に満ちたまなざしを向けられれば、悪い気はしない。奥にと促しながら答えれば、小さな腹ペコどもは嬉しそうに飛び跳ねた。

「スコーンは?」

「クッキーもまだ残ってる?」

「あるある、大丈夫。ほら、鞄を置いて、手洗いうがいしておいでって」

「はーい!」

 元気のいい返事をして、皆が奥に入っていく。これでようやく肩の荷が下りた。小さな後ろ姿を見送りながらキッチンに戻れば、オーブンの中のパイがいい感じにこんがりと焼けていた。

 お皿を出して、フォークを出して、十二等分に切り分けて。それでも一切れが大きいから、僕と姉さんは一切れずつで十分だろう。スコーンとクッキーに、さっきの残りのマフィンを食卓に並べる。アイスクリームは最後のお楽しみにして、準備が整う頃に、子どもたちが姉さんを引っ張ってやってくる声が聞こえた。

 発明部屋からなかなか出てこない姉さんは、弟妹たちの憧れだ。起きてくる時間もまちまちで、一緒に食事を摂ることも稀だから、こういうときにはみんなが張り切る。あのね、それでね、と学校であったことを口々に話しかけては嬉しそうにしているけれど、生返事の姉さんはあくびをしながら半分も聞いちゃいないに違いない。

「さあ、焼きたてだよ! 早く座って! 座った順番にパイを配るよ!」

 僕がそういうと、わっとみんながテーブルに集まる。椅子に座る順番なんて、ほとんど同着だ。眠そうにのそのそ歩いてくる姉さんが最後なのは、小さな子たちに先を譲っているのだろう。そういうところは、やっぱり姉さんも姉さんなんだなと思う。

 子どもたちから順番に、次に僕、最後に姉さん。家にある一番大きな取り皿からはみ出そうなくらいに大きなパイを乗せて、ホイップクリームを絞り出し、最後にアイスを乗っけたら、たちまち大きな歓声が上がる。

「さあ、どうぞ。召し上がれ!」

 僕の声にフォークを掴んだ子どもたちは、一斉に声を上げた。

「「「「いっただっきまーす!」」」」

 小さな手でフォークを掴み、熱々のアップルパイをおいしそうに食べる子どもたちを眺めていると、細かいことはどうでもよくなる。

 あったかくて甘酸っぱいスターアップルと、サクッとしたバターの香りのパイ生地に、とろりと溶けたアイスクリームを絡めて一口。幸せなマリアージュが口いっぱいに広がるんだ。

 ああ、僕、料理ができてよかったなぁ……。

「おいしーい!」

「あま~い!」

「ぼく、おかわり!」

「あー! ずるい、あたしもー!」

 うれしそうな顔を見られるのも、作った者の醍醐味だよね。いつもむすっとした顔の姉さんも、僕から見れば上機嫌でパイを食べてる。

 机の上に用意したお菓子も、あっという間になくなっていく。みんなは思い思いに、今日あった出来事を僕と姉さんに喋っているから、騒がしい。

 騒がしくって、でもあったかい。こんな時間が、僕は一番好きなんだ。

 だから。

 この子たちが大きくなって、独り立ちしていったあと、僕と姉さんがどうなっているのかは分からないけれど、せめてそれまでは、こうしてなんでもないおいしい日常を続けていられたらと思うのだ。


天才の弟の作る美味しい日常(終)



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