8. 今日も、撮るんでしょ?
その頃、宗助は撮影の準備をしていた。
敵が現れる場所は、すでにわかっている。
そして今日は、思ったよりも早めに現地に到着していた。
時刻は午後九時三十分。
時間にはかなり余裕がある。
背負っていたリュックから、アクションカメラと、前回も使った照明を取り出す。
照明は、家庭用の蛍光灯のような丸いタイプのLED灯で、三脚で固定をする。
その照明を向ける先は、建設途中で放棄されたビルに向けて、だ。
一通り設置を終えてから、宗助は周囲を見渡す。
場所は開けており、人気もない。
そして照明こそ設置したものの、素の状態でも十分、辺りは明るい。
戦うには最適な場所だ。
そして時折、ふと気になることを、また考える。
なぜ、こんな場所に敵が現れるのか。
この場所に敵が現れることを察知しているのは宗助だ。
ただ、さすがに敵が現れる理由まではわからない。
そしてその場所を、なぜ自分が、知ることができるのかもわからない。
心海はそれがIRAだという。
なんだかわからないが、それができる。
特定の条件を満たせば、説明不能な事象を引き起こす。
宗助の場合、それは、自分の身体的な犠牲だった。
それが起こりはじめたのは、高校生になり、この謎の敵と遭遇しはじめてからのこと。
だいたい、一ヶ月に一度ぐらい、熱が出る。
夜が近づくと、咳も鼻水も出ないのに、唐突に全身が火照る。
だるさを感じ、もうろうとした頭でベッドに横たわっていると、やがて奇妙な夢を見る。
その夢で宗助は、自宅の玄関からすぐ出た場所に立っている。
そしていつも、そこに少女がやってくる。
白いワンピースを着た、自分よりも年下らしい少女。
たぶん、中学生になったばかりぐらいの。
その顔はいつもわからない。
少女だとはわかっているのに、髪が長いのか短いのもかも、まったく思い出せない。
起きたときに忘れてしまうのか、あるいは、夢特有の、見ていないのにわかる、という状態なのか。
ともあれ、他の部分ははっきりと覚えているのに、その少女の顔だけは常に、記憶から脱落してしまう。
そして、宗助は夢の中で少女から導かれる。
見慣れた場所から、どんどんと見知らぬ場所へと歩いていく。
その世界には、二人の他には誰もいない。
そしてそのスピードは、徒歩なのに、車よりもずっと速い。
まるで新幹線の車窓の向こうのように、どんどんと景色が流れていく。
その流れた景色の細かなところまで、宗助の記憶にはしっかりと刻まれる。
夢の中だから、時間の流れは定かではない。
ただ、どんな場所でも、体感では十分もかかっていない。
その場所にたどり着くと、少女は言う。
その声もまた覚えていない。
ただ、言葉の中身を覚えているだけで。
『次は、ここ。次はここよ。よく覚えていて……』
少女の指さす場所を、宗助はじっと見る。
そして少女に聞かずとも、彼女の示す出来事がいつ起こるものなのか、宗助は直感的に理解する。
そこで、目が覚める。
目を覚ますと、すでに熱は下がっている。
全身は、大抵、汗でびっしょりだ。
敵はいつも、その、夢が示す場所に現れる。
そしてその日時は、夢を見てから、おおよそ半月ほど先のことになる。
なぜ、そんなことがわかるのか、宗助にはわからない。
二時間ほど前に、心海に言った言葉は、本音だった。
自分の力を知りたい。
動画撮影も、もちろん趣味で、最初は喜んではじめたことではあったけれど、今ではもう手段の一つでもある。
心海から、危険だ、足手まといだ、と言われながらも、宗助にはそれをやめる気はなかった。
なぜなら、インターネットにありのままをアップロードしておけば、いま自分が直面している事態が何なのかを、知っている人間がいるかもしれない。
実際、真知はそうやって現れた。
真知は謎の敵について何も知らなかったものの、ネットで見つけた動画から、姉の姿を探し出し、話しかけてきた。
そうして自分もIRAが使えるのだと言い、仲間に加わった。
そのほかに、今のところ、動画に対して目立った反応はない。
ただ、それを楽しんでくれる人たちがいるだけだ。
編集などほとんどしていないが、アップロードをするモチベーションはなっている。
そして姉の心海とは違い、動画撮影そのものを、楽しんでくれる真知もいる……。
「今日も、撮るんでしょ?」
ふと気づくと、真知がそばに立っていた。
同級生で、学年イチの美人の彼女は、高校で顔を合わせるとドキリとする。
だけど今は違う。
向こうから気安く話しかけてくるし、秘密を共有する仲間である。
何よりも、姉という共通の敵がいて、動画撮影という共通の目的がある。
宗助は笑顔を浮かべ、そんな真知に応える。
「もちろん」
「照明なしでも、結構明るいけど。ちゃんと映ってる?」
宗助はカメラを構えながら、うなずく。
暗くはあるが、姿を捉えられないほどではない。
実際のところ、少し迷う。
照明があるために、影も生まれるからだ。
だけどまあ、動画の見栄えからしても、光と闇があった方がいいだろう。
全体的にぼんやりと暗い映像よりも、その方がメリハリも出る。
宗助がカメラを真知に向けると、彼女はボクシングの試合前のように、ファイティングポーズを決める。
こういうあたり、真知のどこかには幼い部分がある。
高校ではどこか澄まして、おしとやかにしているが、こうして普段は見せない部分を見てみると、彼女はいわゆる『中二病』に該当するんだろうな、と宗助は思っている。
わからないでもない。
実際に、彼女には不思議な力があるわけだし。
「しっかり、映ってるよ」
そう答えると、真知は両手でピースを作り、こちらに向けて笑いかけてくる。
「イエーイ」
中学生どころか、まるで小学生だ、なんて宗助が考え、苦笑していると、突然背後で物音がする。
振り返ると、いつの間にかそこに、心海が立っていた。
「鉄骨、大丈夫だった。足場としても使えそう。宗助も、イザというときは、あの影に隠れられる」
姉はどうやら鉄骨の強度を調べていたらしい。
そのあたり、気が回る。
やっぱり、オカンみたいだ。
決して本人には、二度と言いはしないけれど。
「……あんたら、何やってるの?」
そして心海は、ダブルピースのポーズを続ける真知を見つけ、そんなことを言う。
真知は平然と微笑み、そのポーズを解く。
心海は一つ、ため息をつくと、やがて宗助に言った。
「いま、何時? ……マスクとサングラス、そろそろしないとね」
宗助はポケットに入れていたスマートフォンを見て、時間を確認する。
午後十時の、ニ十分前だ。
まだ時間に余裕はある、と言おうとしたあたりで、先に真知が言った。
「ああ、心海さん。実は、そのことについて提案があるんです」