39. あたし、見たの
心海は、慌ててカエルから両手を離し、その背中から降りる。
小走りで駆けながら、女の子に向けて笑顔を浮かべる。
女の子は駐車場に出る扉を抜けたばかりのようだった。
その扉はすりガラスがはめ込まれた大きなもので、長いドアハンドルをつかみ、スライドして開くタイプのものだった。
そのすりガラスの向こうにも、大人らしき二つの影が動いている。
ちらりと振り返ると、カエルはまだこちらに向き直っている最中だった。
説明している時間はない。
こちらに何か言いかけている女の子の腰に左腕を回し、その体を持ち上げる。
女の子を抱えたまま、ドアハンドルをスライドさせる。
そして扉を抜けた先には、心海からすればかなり年上の、三十代前半の男女がいた。
二人は、突然現れた心海に対して、目を丸くしていた。
後ろ手にすりガラスの扉を閉めながら、心海は考える。
これもヤバい。
腕に抱えた女の子。
マスクにサングラス。
そして猫耳カチューシャ。
どうみても不審者だ。
そのとき、女の子が言った。
「パパ。あのね、さっき、あたし、見たの」
二人はこの子の両親らしい。
よかった。
いや、どうなんだろう。
わからないぞ、と思いながら、心海は膝をついて素早く女の子を地面に下ろす。
「しーちゃん」
女性の方が、そう子どもの名前を呼ぶ。
女の子はすぐに母親の足元へと駆け寄る。
父も母も、そんな我が子の無事を確認した後、やはりというべきか、心海へと不審の目を向けた。
やがて母親が言った。
「あの、あなた……誰なんです?」
心海は答えに窮した。
わたしはこういうときに応用がきかないんだよな、とつい考えてしまう。
戦いについては、いくらでもアイデアが出るのに。
そして宗助なら、今みたいな状況をごまかすウソは得意なのに。
それでもなんとかひねり出したアイデアを、可能な限り堂々と、心海は言った。
「実はですね……わたしたち、自主映画の製作をしてまして」
「自主……なんですって?」
「自主映画です。この格好も、その衣装の一部で」
「それで?」
少しいらだったような声をあげる父親に、心海はうなずきかけ、なるべく明るい声で答えた。
「いま、この駐車場で撮影をしてまして。ちょうどいいところで、お嬢さんが入ってきてしまって、それで外までご案内してたんですよ」
「……そう。まあ、いいけど」
夫婦は明らかに納得はいっていない。
だがそれ以上、追及する気もなさそうだ。
そうして心海の脇をすり抜けようと歩きはじめた彼らを、心海は両手を広げて止める。
いま、この駐車場に入れるわけにはいかない。
「なんですか。ぼくら、車を出したいんですけど」
「それがですね、その、いま撮影中なんですよ。入れるわけにはいかない」
苦しいぞ、心海。
自分でもそう思いながら口にした言葉に、父親は明らかに苦い顔をみせる。
「なんなんです、それ。あり得ない」
「でも、入られると困るんです。……その、撮影が出来ない」
「そんなの、ぼくらには関係ないだろう。大体、そんな予定があったなんて、聞いてもいないし、どこにも書いてなかった」
かなり強い口調でそう言われたのと、近くのエレベーターがチンと音を立てて開いたのは、ほとんど同時だった。
また別の人が来た。
どうしたらいい?
ほとんど諦めかけながらも心海はそう自問する。
そして、父親が言う。
「そもそもあなた方、許可を取ってるんですか」
心海が肩を落とそうとしたそのとき、エレベーターから現れた人影が、言葉を発した。
「小峰さん、正式に許可が下りたよ。少しの間なら、構わないってさ。構内放送もしてくれるそうだ」
目を向けると、そこに立っていたのは宗助だ。
そして彼は、傍らに立つ夫婦に目を向けて、それから心海にたずねてきた。
「小峰さん、こちらは?」
「ああ、ちょうど駐車場を利用したいっていうご夫婦。今は撮影中で、申し訳ないが入れない、と説明をしてたところだったのよ、鈴木さん」
弟にならい、彼を適当な偽名で呼ぶ。
そうして説明した状況は、何とか理解してくれたようで、宗助は何度かうなずいてみせた。
それから宗助が二人に何かを説明しかけたタイミングで、先ほど心海が連れ出した女の子が言った。
「あたし、見たよ。でっかいカエルがいたの。すごくでっかいやつ」
そう言うと両手を広げて、大きな丸を描くように体を動かす。
その言葉で、漂っていた不穏な空気が、何となく解消されるのがわかる。
「真っ黒で、真ん中に、ぺたって座ってたの」
「着ぐるみ、すぐにはどかせないんですよ。十分で済みますから、少し待っていただけませんか?」
宗助にそう言われた父親は、その後で真知に目を向けた。
心海と同じ、マスクにサングラス姿だ。
そして宗助の手にあるアクションカメラにも目を向ける。
「それに、許可はもう、もらいましたから。ぼくらの高校からバックアップだって受けている話です。もしどうしても今、あなた方が入りたいというのなら、ぼくらの撮影は遅れてしまう。だとすると、申し訳ないですが、あなた方こそ、いま入っていい、という許可をもらってきてはくれませんか」
宗助の言葉を聞いて、父親はまた渋い顔をする。
そこに宗助は、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「十分だけですから」
父親は肩をすくめ、そうして母親にうなずきかける。
「すぐ済むそうだから、時間を潰してこよう。十分だけなんですよね」
念を押すように父親は言い、エレベーターの下りボタンを押した。
先ほど宗助たちが乗ってこともあり、その扉はすぐに開いた。
三人は扉の向こうに消えた。
心海はほっと息をつく。
とりあえず、危機は去った。
それから宗助が、ニヤニヤしながら心海にたずねた。
「それで、何やってたの? ぼくは誰に何の許可をもらったわけ?」
「……あのねえ、すごく大変だったんだから」




