11. ここが私のハイライト
キリンの体が飛ばされ、地面に叩きつけられるのを、着地を終えたばかりの真知は見ていた。
なくなった棒付きキャンディの棒を一本吐き出してから、心海さんは乱暴だなあ、と思う。
そして素早い。
自分はまだ、体勢を整えたばかりなのに。
負けてられないな、と真知は考える。
別に競っているわけではないけれど。
だけどここに来て、存分にIRAを使うことでしか、得られないものがある。
だからこそ自分はここにいるのだ。
とりあえず、距離を取ろう。
真知は倒れているキリンに背を向けて走り出す。
IRAを使うかどうかは、少し迷った。
だが、温存しておくことにする。
キャンディは、今は口の中に一本だけ。
何か想定外のことがあったら、残弾なしでは対応できない。
走りながら、もう二本補充しておく。
口の中に三本。
それで真知の口はいっぱいだ。
話すのだって、モゴモゴとしか言葉を発せない。
ここらでいいだろう。
そう考えて真知が振り返ったちょうどそのとき、心海の体が宙に浮かんでいた。
といっても、自ら跳んだ感じではない。
キリンは体を起こそうと、足をバタつかせている。
見たところ、倒れたキリンに追撃をかけようとして、蹴とばされた、というところか。
だけど大したダメージはなさそうだ。
向上した身体能力に比例するように、IRAを使っているときの心海の体は頑丈になっているらしい。
心海はくるくると身を丸めて回転すると、先ほどまで真知たちが立っていた鉄骨の一つに、しなやかに着地をする。
そうしてホコリでもはらうように、右手の前腕あたりをポンポンと左手で叩いている。
ガードも間に合っていたようだ。
それから心海は、月明かりの下で、普段はしない動作を見せた。
真知は、自分でも気づかないうちに、その行動に見とれていた。
鉄骨の上に立ったまま、心海は不意に、ポケットに手を入れると、そこから何かを取り出した。
その棒は、折り畳み傘よりも短く見えた。
だが、心海が軽く手を振ると、その棒は六十センチほどの長さにまで伸びた。
武器だ。
なに、あれ。
かっこいい。
伸ばすモーションもサマになっている。
あんなによさげなモノを、自分に黙っているなんて。
悔しいな、と思う。
動画的にも、二人が活躍してナンボだが、今の姿はさすがによかった。
よすぎた。
宗助がちゃんと撮ってさえいれば、今のシーンは動画のハイライトになるだろう。
となれば、こっちだって、黙っているわけにはいかない。
「私は、頭。ですよね、心海さん」
キャンディでいっぱいの口の中で、モゴモゴとつぶやき、真知はキリンの頭部に狙いをつける。
起き上がったキリンは、距離の近い心海をターゲットにしたらしい。
心海の立つ高さまでは、キリンの頭は届かない。
頭を左右に揺らしながら、心海の様子をうかがうように、あたりをゆらゆら歩きはじめる。
攻撃のタイミングを探っているようだ。
あるいは、その方法を考えている。
そして武器を手に下げたまま、鉄骨の上に立っている心海を見たとき、真知は直感的に感じた。
それは、心海の方でも同じだ。
自分の攻撃を待っている。
以心伝心ですね、心海さん、いや、ネコミミさん、と心の中でつぶやき、それから真知は目を細めて、右手をまっすぐキリンの頭部へ伸ばす。
まさに今こそ存分に、自分の力を使うときだ。
真知の自慢の、そして秘密の力。
そのIRAは、子どもの頃に偶然、発見した。
そのときは驚いて泣き、それから母に少しのウソと、ほとんどすべての真実を交えて話し、そして今後二度と力を使わないよう約束させられた。
お菓子はしばらく、一切食べさせてもらえなかった。
その力の細かなところはわかっていない。
だけど、大枠はもう、把握している。
自分のIRAは、いわゆる、念動力らしい。
離れたものにさえ運動エネルギーを与える、正体不明の物理的な力。
そしてその力には、もちろん制限があった。
それは心海のように、何かを身につければいい、というものでもない。
代償を必要とするのだ。
その代償、力の発揮にささげる対象として適切なのは、真知が普段から食べている、棒付きキャンディだった。
その理由は、わからない。
もしかしたら、真知の大好物だからなのかもしれない。
あるいは、はじめて力を使ったときに、そのお菓子を食べていたせいかもしれない。
他のお菓子ではまったく力は使えない。
他の種類のキャンディでも、やっぱりダメだ。
なぜだか、その棒付きキャンディだけが、真知に大きな力を与えてくれる。
IRAを使うと、口の中からキャンディが消える。
甘い味を残して。
その存在の消失が、真知の意識に応じた不可思議な力を、何もないところから生み出す。
そして、その力はピーキーだった。
真知自身の体に使うときだけは、その力がマイルドになる代わりに、操作性がマシになる。
自在に空を飛ぶとまではいかないが、しばらく体を宙に浮かせたりするぐらいはできる。
自分の背中を押すようにIRAを使えば、走るのだって少しは早くなる。
たぶん、自分の体をバラバラにしたりしないよう、心の奥底にある自己保存本能なんかが働いているのだろう、と真知は思っていた。
一方、自分以外のモノに対して使うのは、制御がひどく難しかった。
何かを少しだけ浮かす、なんてことは、かなりの集中を要さなければ困難だ。
体外的なモノへの真知のIRAのつまみは、0か100かしかないらしい。
十円玉なんかを宙に浮かせようとすると、途中まではまったく動かないし、そこから少し力を加えた途端、ものすごい勢いで天井にぶち当たったりする。
でも、だからこそ、攻撃に使うのには向いている。
いったん右手の拳を握り、そこから親指と人差し指を軽く伸ばし、銃のような形を作る。
そして人差し指の先で、キリンの頭部に狙いをつける。
キリンは今も、心海の隙を狙ってか、彼女を見上げて頭をゆらゆら揺らしている。
持てる力を、一点集中。
銃の引き金を引き絞るように、人差し指の付け根にぎゅっと、力を込める。
指先で、見えない強力な爆薬を炸裂させるイメージ。
銃弾のように、鋭く尖らせた念動力で、撃ち抜く。
口の中にあるキャンディーは三本。
つまり三発。
そして真知は、頭の中でつぶやく。
バン、バン、バン。
その一発ごとに、それまで舌先に触れていた、口内にある丸いキャンディーが消えていく。
そして後にはプラスチック製の、短い白い棒だけが残る。
その消失が生み出した力は、銃弾のように、キリンの頭部を瞬時に捉える。
乾いた破裂音。
ついさっき見た光景に似ている、と真知は思っていた。
キリンがその頭部で、地面のコンクリートを強打したときのような。
ああいう風に、闇で作られたキリンの肉体の表面が、細かな破片に変わって舞い上がる。
だけど、固い。
そう考えながら、真知は口に残った三本の棒を、ぷっと吐き出す。
かっこいいかな、と思ってはじめたその動作だけど、実際に動画で見てみると、どことなくみっともなかった。
口につけた感染防止用マスクを、顎までずり下げているのもダサかった。
だけど背に腹は代えられない。
次弾を装填するのには、その動作の方が、都合がいい。
そして口元のマスクが消えた今は、まだマシに見えているかもしれない。
腰につけたボディバッグのチャックは空いている。
すでにそこには左手を差し入れて、次に口へ運ぶキャンディーをつかんでいる。
また、三発。
真知はキャンディーを口に含む。
キリンの頭部はさすがに固い。
そりゃ、そうだろう。
遠心力をつけて振り回し、武器として使っている代物だ。
ついさっきは、鉄骨を強打して、大きな『く』の字を作っていた。
だけど、私のIRAを受けて、削れた。
前回のゾウと異なり、攻撃がまるで通らなかったわけじゃない。
そしてキャンディーの残弾はまだまだある。
ここが私のハイライトだな、と真知は考えていた。
手数で押し切ることにする。




