休養
サイラスもまた、抜け殻のように日々を過ごしていた。彼の心を繋ぎとめていた細い糸がプツリと断ち切れてしまった。シェイラへの想いは、サイラスを支える大きな核だったのだ。彼自身、そのことに気づいていたが、シェイラの代わりになるものはなく、三か月が経つ今でも、その穴を埋められずにいる。
公務だけが、サイラスの悲しみを紛らわせてくれた。目の前にすることが山積みになっていれば、思考の渦に呑み込まれることは無い。忙しければ忙しいほど、今のサイラスにはありがたかった。
「少々……いえ、かなり働きすぎです。サイラス様には強制的に、お休みを取っていただきましょう」
けれど、そんな彼の希望は、無情にも断たれることになった。オリバーの差し金だ。彼はサイラスから仕事を取り上げると、他の目ぼしい人間に下げ渡してしまった。
「おまえ――――俺が仕事で気を紛らわせていると、知っている癖に!」
「知っているからこそ、ですよ」
オリバーはそう言って、サイラスをソファへと座らせる。彼が手を叩くと、どこからともなく侍女たちが現れ、あっという間にお茶の準備を始めた。
「今日は休んで、きちんとご自分の気持ちと向き合われてください。カラ元気のままでは、いつか必ず、エネルギーが尽きます。一度エネルギーがゼロになってしまうと、取り戻すまでにかなり時間が掛かりますよ」
テキパキとサイラスが休むための采配を振るいつつ、オリバーは言う。彼がサイラスのお目付け役を辞してから数年が経つというのに、未だに過保護な癖が直らない。そんなオリバーに対して、サイラスは極稀に鬱陶しさを感じることもあるが、ありがたいと感じていた。彼のような人間がいるから、自分は安心してやりたいことができる。自分以上に自分のことを気遣ってくれる人間がいるのは稀有なことだ。彼もまた、サイラスという人間を作る核の一つなのである。
「――――――俺、今度こそ振られたんだよな」
侍女たちが居なくなった後、サイラスはポツリと胸の内を吐き出す。
「そうですね。ハッキリ、キッパリと、振られました」
「おまえ……そこは少しぐらいフォローする所だろう?」
サイラスは腹立たし気に言いながら、はぁとため息を吐いた。
「なぁ。妃がいないと王様って成り立たないものか?」
「成り立ちませんね。サイラス様にはご兄弟もいらっしゃいませんし、お世継ぎは必要です。あなたが即位するまでの間に革命でも起これば別ですが、この国の民は王家を殊の外慕っていますし」
オリバーはサラリと事実のみを言ってのける。サイラスの心情などお構いなしだ。けれど、今はかえって、そちらの方がありがたかった。これからどうすべきか、考えを整理する必要があるからだ。
「そうか。だったら妃は必要だな」
「そうですね」
サイラスはそう言って大きなため息を吐く。正直、サイラスにとっては相手がシェイラでなければ、誰が妃でも同じだった。それが他の女性に対して酷く失礼であることも、妃という位を軽んじていると批判されても仕方がない。それでもサイラスは、シェイラ以上に妃に相応しい女性はいないと、学園に通ってから改めて実感していた。
「――――どうやったらシェイラの誤解が解けるんだろうな?」
「……おや、まだ諦めていなかったのですか?」
言葉とは裏腹に、オリバーは全く驚いていなかった。淡々と、無表情のままにサイラスのことを見つめる。
「だって今は自分の気持ちを見つめ直すとき、なんだろう? だから俺も正直になってみた。この間からずっと、真剣に思い出そうとしているけど『シェイラじゃダメ』だなんて、口にした覚えはない。シェイラを妃に望むのに、そんなこと言えるはずがない。俺の方がシェイラに相応しくない、と思ったことはあったけど」
シェイラを妃に、と決心した時のサイラスは、幸福感と将来への希望で満ち溢れていた。どんな言葉で以て、シェイラに想いを告白しよう。そんなマセたことを、当時十歳の子供が真剣に考えていたのだから、その浮かれ具合は察するに余るだろう。
「――――仮に、シェイラ様が勘違いをしていただけだとしても、サイラス様は許されるのですか?」
オリバーが尋ねる。言った、言わない問題の厄介な所は、事実を確かめようがないことだ。オリバーはサイラス側の人間だから、彼のことを信じる、ということだろう。サイラスは小さく笑った。
「愚問だな。シェイラが勘違いをしていたとしても、俺の気持ちは一向に変わらない」
例えばサイラスに落ち度がなかったとしても、そんなことはどうでも良い。サイラスはただ、シェイラの誤解を解きたいだけだ。
「ところで、サイラス様はご存じでしょうか?」
「……? 一体、何をだ?」
「シェイラ様の婚約が、どうやら本格的に纏まりそうなようです」
「何だって⁉」
サイラスは今にも自室から飛び出しそうな勢いで立ち上がる。そんな彼を、オリバーが淡々とソファに押しとどめた。
「まぁ、話は最後まで聞いてください。お相手が侯爵家の跡取り息子ということは、サイラス様もご存じですよね?」
「あぁ。あの男は将来良い部下になりそうだ。卒業後はすぐに、配下として取り立てたい――――――と、今はそんな話じゃなかったな」
サイラスは腹立たし気に、己の眉間を人差し指でとんとんと叩く。下手をすれば常に眉間に皺の寄った、不機嫌な男になってしまう。それじゃ、彼の求める理想の王様にはなれっこない。ふぅ、と息を吐きつつ、彼は前へ向き直った。
「シェイラの父親は、この結婚に乗り気なのか?」
「ええ。シェイラ様が安心して嫁げるように、かなり前から慎重に婚家を探していらっしゃいましたから。フィッツハーバード侯爵は堅実かつ誠実な御方ですし、そのご令息も同様のため、前向きに話を進めていると」
シェイラを無理やりお茶に誘ったあの日、シェイラの側に彼がいたことをサイラスは覚えている。親密な空気に腹立たしさも覚えたが。
(あれはしかし――――)
「因みに、サイラス様の結婚話も、水面下で進んでいますよ」
「は⁉」
サイラスは身体が底冷えするような感覚を抱えながら、声を捻りだした。
「陛下もこのままでは埒が明かないと思われたのでしょう。サイラス様が拒否できぬよう、根回しを進めています。逆に、今まで温情が過ぎたのだと、そう仰っているぐらいで」
サイラスは目を見開き、己の指先を見つめていた。全ての希望がポロポロと零れ落ちていくようだった。
(ダメなんだろうか……)
絶望的な気持ちで、サイラスが頭を抱える。
(俺では、シェイラを幸せにできないのだろうか――――?)
けれどその時、サイラスの脳裏に幼い日のシェイラとのやり取りが浮かび上がった。
(諦めるわけにはいかない)
サイラスが再び、静かに立ち上がる。それから大きく息を吸い、オリバーを覗き見た。
「オリバー」
「はい――――お出掛けの準備でしたら整っています」
まだ何も命じていないのに、オリバーがサッと腕を一振りする。すると、遠くから馬の嘶きが聞こえ、部屋の外に護衛騎士が控えたのが分かった。
今は幼い頃とは違う。誰も彼がシェイラの元に行くことを止めはしないし、サイラス自身、止まる気はない。
「行ってくる」
「はい。御武運をお祈りしています」
そう言ってオリバーは恭しく頭を垂れた。