意図
「シェイラ、久しぶりだね」
サイラスがそう言って穏やかに微笑む。いつの間にか式典は終わり、皆が会場の外へ向かっていた。残っているのはシェイラとサイラスだけだ。そんなことにはお構いなく、懐かしそうに目を細める彼に、シェイラはゴクリと唾を呑む。
「ご無沙汰しております」
「良かった。ずっとシェイラと話がしたかったんだ。ここに来たら叶うだろうって、そう思ってた」
先程の立派すぎる挨拶とは裏腹に、サイラスの口調はかなり砕けている。まるでお互い、十歳の頃のまま、時が止まっているかのようにシェイラには思えた。
「ねぇ、どうして急に城に来なくなったんだい? 俺、何度も手紙を出したんだよ?」
「そ、れは……」
サイラスからの手紙は全て、封をしたままシェイラの部屋に眠っている。どうしても読む気になれなかったからだ。
それから、シェイラが妃候補を辞した理由は、父親を通じて当り障りなく伝えられている。体調が優れないとか、実力が伴わないとか、そんな所だ。少なくとも、サイラスの言葉が理由であることを、彼は知らないはずである。
「わたくしには土台、無理なお話でしたから」
「無理?」
サイラスはキョトンと瞳を丸くし、シェイラのことを見つめている。彼は自分の発言が幼いシェイラを傷つけたことを知りはしない。だから、こんな反応も想定内と言えば想定内だ。とはいえ、シェイラとしては、サイラスと関わるつもりは微塵も無かったのだけれど。
「今日、久しぶりに城に来てよ。話したいことが山ほどあるんだ」
そう言ってサイラスは楽し気に笑う。幼い頃、お茶に誘ってくれたあの時のように、優しくて温かい声音だった。本当にシェイラと話すことを望んでいると、そう錯覚してしまう。
『シェイラじゃダメだ』
けれど、彼が内心そう思っていることを、シェイラは知っていた。シェイラが言葉を紡ぐ度に、何なら息を吸う度に、そんな風に思われているのではないか。そう思うと、怖くて堪らなくなる。足が竦んで、この場から逃げ出したくなるのだ。
「おいでよ。俺、ずっとずっと、シェイラに伝えたかったことが――――」
「申し訳、ございません。気分が優れないので」
失礼します、と断りを入れシェイラが席を立つ。サイラスはそんなシェイラを、いつまでも見つめていた。
初めての登校を終えてシェイラが家に帰ると、父親達がちょうど来客を出迎えている所だった。父親と同じぐらいの壮年男性と、シェイラと同じか少し上といった年頃の男性だ。
(もしかして、軍人さんかしら?)
その年齢に似合わず、壮年男性の身体は凛々しく引き締まっている。ピンと張り詰めたどこか近づきがたい空気を身に纏い、服装もキチッとしていて一分の隙も無い。彼とよく似た若い方の男性もまた、似たような空気を醸し出していた。
「シェイラ。ちょうど良かった」
客を前にいささか砕けた口調で、シェイラの父親はシェイラを手招きする。シェイラにとっては初めて見る顔だが、父親は懇意にしているらしい。誘われるままに父親の元へ向かうと、彼はシェイラをそっと抱き寄せた。
「紹介しましょう、娘のシェイラです。シェイラ、こちらはフィッツハーバード侯爵とその御子息、アルヴィン様だよ。シェイラはアルヴィン様の二つ年下で、今日から同じ学園に通っているんです」
事態がよく呑み込めないまま、シェイラは二人に向けて挨拶をする。
「初めまして」
そう言ってアルヴィンが微笑んだ。懐の深そうな穏やかな笑顔だ。シェイラも微笑み返しつつ、父親を覗き見る。
「同じ学園に通う者同士、今後お世話になることもあるだろう。挨拶をさせたいと思っていたんだ」
父親の言葉に、シェイラは「そうでしたか」と相槌を打つ。けれど、シェイラには父親の真の意図が分かっていた。
「これから、よろしくお願いいたします」
アルヴィンがそっと手を差し出す。彼は今日、シェイラの婚約者となるためにここに来た。実際に婚約へ至るまでは時間が掛かるだろうが、わざわざ慌ただしいシェイラの初登校日に合わせて彼等を迎え入れた。その意図は明白だ。
シェイラの父親は、シェイラが幼い頃、サイラスの言葉に傷ついたことをよく知っている。娘を王太子妃に――――そんな親のエゴで、シェイラを深く苦しませたことを、彼女の父親は深く後悔していた。
だからこそ、彼は水面下でずっとシェイラの結婚相手を探していた。アルヴィンならば、シェイラを任せられる。そう判断したから紹介に至ったのである。
「よろしくお願いいたします」
そう言ってシェイラは、アルヴィンの手を握り返した。