シェイラじゃなきゃ、ダメだよ
それは、カラリと晴れた夏空のある日のこと。王城にて、サイラスとシェイラの婚約が結ばれようとしていた。
「長かった……!」
サイラスがそう漏らすのには理由がある。シェイラの父親の説得に相当な労力を要したからだ。
シェイラの父親は、二人の結婚に最後まで反対していた。勘違いだったとはいえ、シェイラが深く傷ついたことを知っているからだ。
想いの強い相手との結婚は、諸刃の剣だ。愛は身を助けるが滅ぼしもする。ただの政略結婚の方が、シェイラのためになるのではないかと、そう考えたらしい。
けれど、意外な人物がサイラスたちに味方をしてくれた。フィッツハーバード侯爵と、その息子であるアルヴィンだ。
アルヴィン達は、サイラスのシェイラに対する一途な想いに胸を打たれたこと、彼等を応援したいと思っていること、また他の臣下も同様の想いでいること等を懇々と説いた。
『シェイラ様たちは、一度大きなすれ違いを経験していらっしゃいます。そこからどう歩み寄っていけば良いのかも既にご存じです。伯爵の危惧している道は辿られないでしょう」
娘の夫にと望んでいたアルヴィンにそう諭され、シェイラの父親はようやく観念した。サイラスにこれまでの非礼を深く詫びた上で、シェイラを託すことを決めたのだ。
「元を辿ればわたくしが全て悪いというのに、本当に申し訳ございません」
シェイラはそう言って頭を下げた。けれど、これまでのような己を卑下する色はない。凛とした自信と、情熱を取り戻したシェイラの姿がそこにあった。
サイラスが小さく首を横に振る。彼はシェイラの手を握ると、柔らかな笑みを浮かべた。
「誤解が解けたのだからそれで良い。これからは互いに言葉を尽くそう。嫌なことが有ったら包み隠さず、全て俺にぶつけてほしい」
サイラスの笑みが、シェイラの気持ちを一気に高く浮上させる。とても手の届かない、雲の上の人物だと思っていたサイラスが、シェイラのすぐ隣にいた。
「けれど、アルヴィン様たちが味方してくださるとは、思いませんでしたわ」
シェイラはそう言って小さく首を傾げる。本来ならば『婚約を反故にされた』と腹を立てて然るべき所だ。
(わたくしは、アルヴィン様との婚約がどこまで進んでいたかは存じ上げませんが)
少なくとも、シェイラの父親はアルヴィンをシェイラの夫にと、本気で望んでいたはずである。
「それについては――――――心当たりがないわけではない」
サイラスが唸り声を上げながら苦笑する。シェイラが目を丸くすると、二人の側に居た年若い男性がクスリと笑った。オリバーだ。
「本当に、サイラス様は世話の焼ける御方です」
涼やかに響く彼の声に、シェイラは聞き覚えがあった。あの日、サイラスと会話を交わしていた、彼の教育係である。
「私がどんなに『シェイラ様は戻らない』と諭しても、幼い殿下は『シェイラじゃなきゃダメだ』と頑なでございました。……いえ、もう幼くありませんが、仰っていることは今もちっとも変わりませんね。本当にヤキモキさせられました」
オリバーは無表情の中に優しさを滲ませていた。シェイラが瞳を潤ませる。オリバーはシェイラの前に跪くと、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「シェイラ様……私が生き証人です。あの日サイラス様は、私に未来の妃をご指名なさいました。『この方で良いのですか?』と問う私に、そうではないと――――あなたでなければならないと、そう告げました。シェイラ様、あなただけをお望みになられたのです」
真一文字に引き結ばれた彼の唇が、ほんのりと弧を描く。シェイラは満面の笑みを浮かべつつ、コクリと大きく頷いた。
「……あぁ、そうだ。もしもまた不安になられたときは、どうぞサイラス様のお手紙をお読みください。あの手紙には読んでいる者が砂を吐きそうな程に、甘い言葉が羅列されております故」
「⁉ おい、オリバー。おまえがどうして、俺の手紙の内容を……」
「没になった手紙の回収作業を、一体誰がしていたとお思いですか? いつか歴史的価値が出るかもしれませんし、全て私の部屋に大事に保管してあります。なんなら今から、幾つか暗唱して差し上げましょう」
すぅ、と大きく息を吸ったオリバーの口を、サイラスが思い切り塞ぐ。シェイラが思わず吹き出すと、サイラスはバツの悪そうな表情を浮かべた。
「信じられるか? こんなのが未来の宰相なんだぞ?」
シェイラの耳元に、サイラスがそっと囁きかける。呆れたようなその顔が、寧ろ彼の愛情を物語っている。シェイラは声を上げて笑った。
「わたくしも、こんなのが未来の妃だと言っていただけるよう、頑張ります」
『だって少しだけ……妬けてしまいますもの』
サイラスだけに聞こえる声でそう囁くシェイラに、サイラスは顔をクシャクシャにして笑う。
「シェイラじゃなきゃ、ダメだよ」
二人は顔を見合わせると、初めての口付けを交わすのだった。
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