働き過ぎた会社員と麺
ラーメンだ。もうラーメンしかない。
飲み屋街のど真ん中で、私は決意した。
■
今の会社に転職してからの3年、毎日14時間以上働き続けてきた。そんなしがない会社員の私が、ついに体調を崩してドクターストップを食らった。1か月間の休職を言い渡されたのだ。しかも回復状況によっては期間延長もあり得るという。
休めと言われたとき、口をついて出た言葉は「休みって何をしたらいいんですか」。
今の会社は前に勤めた会社と違って、土日は『基本的に』休みだ。だが平日は睡眠時間を除けばそのすべてがほぼ勤務時間のため、仕事のために学ぶべきこと、読むべき資料、身に着けるべきスキルに充てる時間は休日しかなかった。
そのため、休んだ気がしない休日を過ごすうちに、無趣味になった。学生時代は図書館の棚を端から順に読むような本の虫だったが、年間の読書数は右肩下がりに。絵を描いたり、音楽を聴いたりといった他のインドア趣味もすっかりご無沙汰だった。結果、休日にやることが何もなくなっていたのだ。強いて言えば、平日疲れた分の睡眠を取るぐらいか。
だが、1か月も休みがあれば、何かしようという気にもなる。最初はひたすら寝たり、日向ぼっこしたりと猫のような暮らしをしていたが、徐々に気持ちも変わってきた。無限にあるように錯覚する時間の中で、自分が好きだったことを思い出し、少しずつ仕事に侵されて消えていた自分を取り戻してきた。そして、『仕事こそ人生のすべて』という今の会社の価値観への疑問も持ち始めた頃、休職期間は終わりを迎えた。
医師には職場復帰の希望を出した。もはや休職前のように仕事へ人生のパラメーターを全振りする気にはなれないが、自分で自分を養うためにも仕事は欠かせない。それに、自分は働ける、という自信を取り戻してからでないと、転職活動もできないと思った。
そんな心中を医師に語って、応援されつつクリニックを後にする。時刻は18時過ぎ。休職前ならここからが本番とばかりに仕事をしていた時間帯だ。そして、腹が減る時間でもある。
働きすぎて心身のバランスを崩す人が通うそのクリニックは、オフィス街の近くに位置した。そして、オフィス街の近くといえば飲み屋街も当然ある。オフィスから脱出し、駅へと歩く会社員を捕まえ、お金を落とさせようという魂胆に違いない。数ある飲食店の前を通り過ぎながら、ぼんやりそんなことを考える。
あいにく今の私は一応会社員だが、働いてはいない。だが、もうすぐまた働くのだと思うと、いまさら怖くなった。不思議と呼吸まで浅くなり、苦しくなってくる。ほんの数分前、医師に復職希望を語ったことすら後悔し始めた。
休んだ1か月の間に、自分の価値観や大切にしたいものを見直した私は、きっと前のように無茶な働き方はしないだろう。だが、いつまた元のように仕事をし過ぎて体を壊すかと思うと恐ろしかった。本当に、私に働くなんてことができるだろうかと思うと足元も覚束ない。
そんな落ち込む気持ちとは裏腹に、前後左右を取り囲むように立ち並ぶ飲食店の看板はまばゆい光を放っていた。黄色い看板の居酒屋チェーン。様々な色のネオンサイン。蛍光ピンクの上着を着た呼び込みスタッフ。「個室ありますよ」と声をかけられている若い女性3人組は、全員が全身いかにもというリクルートスーツに身を包んでいた。入学式を終えた大学生か、それとも入社式を終えた新社会人か。
毎日が日曜日状態だった私だが、気づけば世間は新年度を迎えていたのだ。今日は4月1日。日本の多くの人が期待や希望に胸を膨らませて、新生活に飛び込む日。そう思うと、鬱々としていた気持ちも、前向きに立て直すきっかけを与えられた気がする。
本格的な職場復帰の手続きは来週から。だが、仄暗い気持ちに片足を突っ込んだまま、誰もいない家に帰る気にもなれなかった。なにか景気づけをしていきたい。いや、なにかと理由をつけて周囲の飲食店の誘惑に流されたいだけかもしれないが。
ここは飲み屋街。「軽く一杯ひっかけて」なんて言ってみたい気もするが、残念ながら酒には強くない。どちらかというと、私は飲み会でひたすら唐揚げを貪るタイプだった。酒より食。アルコールより肉。ほろ酔いより満腹を好む。
オフィスに誰もいなくなるまで働いていた頃は、同じように残っているメンバーと、オフィスを施錠して飲み屋街に繰り出したものだ。といっても、そんな私の性分や、翌日も仕事であるという悲しい事実から、飲むのではなく、ラーメンを啜ることが大半だったが。
―――ラーメン。
家に引きこもっていた休職期間にはほとんど口にすることもなかったその響き。働いていた時は週3くらいで体が欲していた、誘惑の塊。休むようになってストレスが減ったからなのか、最近はまるで食べたいと思わなかったそれが、今急に欲しくてたまらなくなった。
明日も死なないで頑張ろう、と祈るように食べたラーメン。すぐ提供されるそれは、1分でも早く腹を満たし、帰路につき、睡眠を確保したい労働者によく馴染む一品だった。それでいて、作る側はかなりの重労働。熱い、重い、臭いなどの苦難をものともせず、一杯を饗してくれるその心意気。スタッフが着用するTシャツの背中には、結構な確率で主張強めのメッセージが書かれていることすら愛しい。
―――あぁラーメン。
色々と頭に言葉を並べたが、やっぱりラーメンが食べたいだけのような気もしてきた。言い訳を連ねる愚かな私。だが、仕事以外の時間をいかに短縮して、死なないように生きるかを考えて病んでしまったことを思えば、ラーメンの誘惑に負けるくらいが人間らしいじゃないかとさえ思われた。まぁ、結局はこれもラーメンを食べる口実だ。
幸いなことにここはまだ飲み屋街。オフィス街の近くに飲み屋街があるように、居酒屋の近くには締めの一杯を狙うラーメン屋が絶対にある。共生しているといっても過言ではない。あたりを見渡せば、すぐに数軒のラーメン屋が確認できた。
新生活の門出に、せっかくなら食べたことのないラーメンへチャレンジしたい。一番近くにあった、安定感のあるつけ麺チェーンは別日に改めよう。となると、次に近いのは博多とんこつラーメン店だ。こちらもチェーン店だが、恥ずかしながらまだ訪れたことがなかった。あれだけ御託を並べるほどにはラーメンへの思い入れもあるのに、それなりに知名度のある店舗へ行ったことがない自分を勝手に恥じる。
だが足を運ばなかった理由もある。私はとんこつラーメンが、嫌いとは言わないが、そこまで好きじゃない。魚介の濃厚なスープや、スープのない油そばを選びがちな私にとって、とんこつラーメンチェーンはいつだって訪問候補の下位だった。なお、油そばはラーメンじゃないのでは、という声は今もこれからも聞きたくない。
これはいい機会かもしれない。入ってみよう、博多とんこつ。
■
気が付いたら、あれだけ考えて入った博多とんこつラーメン店で、魚介とんこつつけ麺を注文していた。しかも「これは景気づけだから」と半チャーハンに餃子までつけて。
到着を待つ間、王道の博多とんこつラーメンを食べる男性が替え玉を注文しているのを見て、ちょっと後悔した。つけ麺の太い麺と、博多とんこつラーメン特有の細麺は全くの別物。替え玉ができるのも、オーソドックスなとんこつラーメンだけだ。替え玉、やってみたかった。
一人悶々とするうちに、スープ、熱盛りの麺、チャーハン、餃子と4つの皿が目の前に並んだ。働きすぎてラーメンを欲する病気になるまで「熱盛り」の意味を知らなかったが、つけ麺の麺が温かいものをそう呼ぶと、今は知っている。冷たい麺も引き締まっておいしいが、麺をつけるスープも冷めやすいので、個人的には熱盛りが好みだった。
まずスープを一口。ちょっとした泥水のように濁り、重みのあるそれは、当然ながら味は泥水とは大違いだ。濃い。とにかく濃い。あれだけラーメンを食べておきながら、繊細な食レポをするような舌を持ち合わせない自分が恨めしいが、どろりと濃いこのスープに期待通りだと満足する。
メンマやチャーシューをかき分けて太麺を持ち上げ、スープにつける。しっかり絡んだスープごと麺を再び持ち上げ、口へ運ぶ。これこれ。不健康の化身のような食べ物かもしれないが、やっぱり懐かしい誘惑に負けてよかった。
口が濃厚さに溺れてきたところで、冷める前にと餃子へ手を付ける。麺が伸びてしまう前につけ麺を食べたい気持ちもあるが、餃子を冷めるまで放置するのも餃子に失礼だ。だが、丸ごと口に入れた餃子からはあまり味がしなかった。スープが濃すぎて舌が馬鹿になったのかもしれない。
ではこちらはどうだと、餃子を食べた箸をれんげに持ち替える。ラードで炒め、専用の醬油で仕上げたと店内に説明がある、黒光りするチャーハン。いや黒光りは言い過ぎか。だが、チャーハンと聞いて多くの人が頭に浮かべるであろう、黄色いイメージとは異なるのだ。その専用の醤油とやらが色濃く出ているのかもしれない。食べてみると、その仮説は正しかったと一人納得した。ラーメン屋のチャーハンの王道とは少し違うが、アリだ。
そしてつけ麵に戻り、餃子に帰り、えいやとつけ麵の濃厚スープに餃子をつける暴挙に出る。水で一呼吸入れて、チャーハンへ。その繰り返しで、気づけば完食していた。あとはひたすら卓上に置かれたピッチャーから水を注ぎ、がぶ飲みする。ラーメン屋に来ると毎回異常に水を欲するのは、血中のラーメン濃度を薄めるための本能なんじゃないかと、くだらない考えが頭を過った。
■
炭水化物ばかりで重い腹を抱えて、店を出た。
ふと新社会人だった頃を思い出す。理不尽な先輩への不満を募らせ、帰宅前に寄ったラーメン屋で『ラー・ギョウ・チャー』定食を頼んだ。店員さんから「ラーメンと餃子とチャーハンのセットですよ?」となぜか聞き返され、返す言葉で杏仁豆腐も追加した。今思えば、当時もストレスで頬がこけるほど痩せていた若い女が食べきれるのか心配されたのかもしれないが、食べる前から追加注文するあたり察してほしい。
当時はそれを食べきっても、まだ体が軽かった。だが、あの勤め先から転職し、そして休職し、もうすぐ復職しようという年月が経った体には、少々食べ過ぎた感が否めない。それでも、食べなきゃよかったとは思わなかった。
復職するのはやっぱり怖い。仕事のことを考えると、熱盛りを食べた後なのに、指先が凍える気がしてくる。でも、今はまだ休みだ。仕事が怖いかどうかなんて、復帰してから考えればいい。起きていない未来に怯えることに、今この時間を使わなくてもいいのだ。
「ごちそうさまでした」
一人小さめにこぼして、会社員の波に紛れ、ラーメン屋を後にした。
お読みいただきありがとうございました。なお、この話はフィクションです。