早春:水仙
三寒四温と言うが、今年の 『温』 は来るのが早い。
1月半ばで既に春の陽気、その後ドカン、と寒い空気がやってきて、またドン、と暖かさが戻る。派手に決めてるぜ。
こちらとしては2月、凍るような空気が少しずつ緩んで忍び寄るように春がやってくる、その感じが好きなのだが、今年はそうはいかないようだ。
『水温む』 ではなく、『暖かい日は水も冷たくなくて米研ぎラクなんだけどねー』 という感想しかでてこない。うむ。
そんな中で、水仙も、とっくの昔に満開である。
立春も過ぎたし水仙は咲くし、もう冬とも言えまい。
しかし、もしかしたらまだ雪がちらつく日もあるかもしれない。北国ならなおのこと、 『暦の上でだけ』 春な感覚だろうと思う。
そういう意味で印象深い童話が宮沢賢治の 『水仙月の四日』 。
家に帰る途中の子供が吹雪に見舞われる話である。
吹雪をもたらすのは 『雪婆んご』 なる妖怪と、その手下の 『雪童子』、そして 『雪狼』 。
印象的なのは雪婆が繰り返し言う 『水仙月の四日だもの』 という台詞である。
どうやら、『水仙月の四日』 は、雪婆にとっては冬最後のお祭り、ハメを外してはしゃぎまくり、人の命のひとつやふたつ取っても構わない…… そんな日であるらしい。
子供の命を 『取っておしまい』 と命令する雪婆に従うふりをしながら、雪童子は子供を助けてやる。
『僕のやった宿り木の枝を持っていた』 そんな理由からであるが、雪童子の声は子供には聞こえず、助けようという意図はなかなか伝わらない。
(雪の中は意外と温かいので、吹雪に遭ったら無理に進もうとするよりは、雪に埋もれて救助を待つべし、ということらしいのだが…… 温暖な地域育ちの私にも、全くわからない感覚。
子供の頃は、何度読んでも 『それ本当に助けてる? 実は凍死してないよね?』 と確認したくなった)
『水仙月の四日』 に、そうして一晩荒れ狂った後、雪婆と雪童子はそれぞれ、旅立っていく。
北国の早春の峻厳さと春に向けての希望がビシビシ伝わってくる作品。
宮沢賢治の童話の中でも、頭抜けて美しいと思う。
さて、長くなるが水仙というと、もう1つ、思い入れがある。
『岬に咲く一面の水仙』
子供の頃にとある本を読んで以降、ずっと憧れ続けている。
そこで、貧しいが踊りの好きな女の子が、ひとり舞うのだ。
普段は働きづめで、舞などやってたら怒られるから、隠している。
海の上に咲く水仙の野の中でだけ、束の間、本来の自分を取り戻す。
一面の水仙の中で軽やかに楽しげに舞う少女はきっと、精霊のように見えたことだろう。
その話では彼女はそこで、女猿楽の一座にスカウトされて旅して云々…… となるはずだが、そこは余り覚えていない。
本のタイトルも著者も綺麗サッパリ抜け落ちている。
ただ、文字でしか見たことのない、その景色だけが、水仙の季節になると鮮やかに脳裏に蘇る。
はるかなる野に
一面の水仙
白い波 寄せる
藍色の海
青い空
一面の水仙
自由。




