勘違い令嬢の契約結婚 前編
アメリア・スターは15歳の伯爵令嬢である。
アメリアは今日も窓の外を見ながら物思いにふけっていた。予定の社交は全部休んだ。ずる休みなんて初めてだった。
今のアメリアは社交をこなす気力がなかった。
アメリアはスター伯爵家の唯一の跡取りである。
将来は婿を貰ってスター伯爵家を継がなくてはいけない。
「お嬢様、世を儚んで窓から飛び降りないでくださいね」
「そんなことしません。」
気分が優れないと言うアメリアのズル休みを侍女のラーニャは知っていた。
憂いをおびたアメリアを冷たくあしらえるのはラーニャだけである。
「どうして、私は伯爵家に産まれたのかな。兄弟がいれば。」
スター伯爵は婿養子である。
スター伯爵夫人が病で亡くなり、スター家の血筋を継ぐのはアメリアだけである。
「ラスティ様と結婚したいのに。」
アメリアはソル伯爵嫡男のラスティが好きだった。
2つ上の物腰柔らかなラスティにずっと恋い焦がれてきた。夜会で顔を見られれば、胸が高鳴り、ダンスすればいつも見惚れてしまった。自分の初恋が周りに知られないように必死に取り繕って隠してきた。
「欲しくない縁談はたくさんくるのに…。」
机の上に置いてある縁談の釣書を見てため息をついた。スター伯爵は婚姻は娘の好きにさせる気だったのでアメリアに釣書を渡した。アメリアが伯爵家当主にふさわしくない相手を選ばないと信頼していた。
ラスティは先日婚約を発表した。
相手は男爵令嬢。アメリアにはどこがいいのかわからない平凡な令嬢を選んだ。
「私の方が美人だし、社交もダンスもできるのに。なんで」
「跡取りだからだろ」
「いつ来たの?」
「初めての失恋を祝おうと」
突然聞こえる声に目を向けるとネガー伯爵次男のクリスがいた。
アメリアと同じ年でラスティの従兄弟である。
アメリアはクリスを睨みつけた。ラーニャは泣き崩れた顔で人を睨んで効果はないことを黙っていた。
「あなたはラスティ様が結婚しても側にいられるじゃない。私なんて夫人と一緒の時しか会えないのよ!!全然立場が一緒じゃないわ。私は二人で稽古することもお茶を飲むこともできないのよ!!ダンスだってもう踊ってもらえない。」
「アメリア、泣くなよ。伯爵令嬢だろ?」
「だって、ラスティ様が選んだ方が…。全然敵わない方なら諦めがついたのに。なんで私しか跡取りいないのよ。伯爵家は継ぐけどラスティ様と結婚したかった」
アメリアのハンカチがびしょびしょに濡れていたので、見かねたクリスが自分のハンカチを渡した。
「もう、くじ引きで決めようかな。ラスティ様に嫁げないなら誰でもいいわ」
「じゃあ俺でいいじゃん」
「ありえない。私、跡継ぎが必要なの。男が好きなクリスは論外よ。クリスなんてこれからもラスティ様と一緒に過ごして勝手に妄想して興奮してるんでしょ。」
「いや、さすがにそれは…」
「時々抱き合ってるじゃない。ハイタッチもしてるし、私はダンスしか踊ったことないのに」
男同士のふざけ合いである。
二人にやましいことはない。
クリスはアメリアが好きだった。ただアメリアはクリスがラスティを好きと勘違いしているので、利用することにした。
アメリアは自分に好意のある男は側にはおかない。
アメリアの中ではクリスは幼馴染であり恋敵である。
ラスティに恋い焦がれるアメリアを近くで見られるのはクリスにとって美味しい立場だった。
アメリアの唯一の男友達はクリスだけだった。
「俺と婚約すればラスティの側にいられるだろ?」
クリスと婚姻すればラスティと親戚だ。ダンスくらいなら踊っても許されるようになるだろう。
クリスの言葉にアメリアは泣きながら答えた。アメリアはスター伯爵家令嬢である。私情で大事な役目を放棄することなどできないことを知っていた。何が一番必要かも。
「私は跡取りが必要のよ。婚約者探しが面倒でも、しっかりしてよ。クリスは子供がいなくても平気な令嬢を選ぶべきよ。うちは論外。お断りよ」
「俺、別に男が好きなわけじゃないんだけど」
儚げに微笑んだアメリアにクリスは目を奪われた。クリスの赤面した顔を見てアメリアは同じ失恋仲間である幼馴染に優しく微笑んだ。
「クリスの気持ちはよくわかるわ。ラスティ様以外想えないもの」
「いや、それは」
赤面して慌てるクリスの態度が肯定しているように見えていた。ラスティを想うクリスが自分と婚約したい理由を考えた。クリスは伯爵家次男である。跡取りにはなれない。
「もしかして、当主になりたいの?確かに私と結婚すればスター伯爵。お父様もクリスのことは気に入ってるけど」
クリスはアメリアがくじ引きで婚約を決めるのを止めたかった。アメリアの机には作り掛けのクジが置いてあった。それに突然ラスティに恋したアメリアだ。またいつ同じことは起きるかわからない。
頬を赤く染めてラスティとダンスをしていた幼き日のアメリアの様子は今でも忘れない。いつの間にか知り合った二人の出会いを邪魔できなかったことをクリスは後悔していた。
「そう。それ!!知らない家に婿にいくより楽だろ」
「まさか、権力に興味があるとは思わなかった。お金があれば男も買えるからか。」
「アメリア?」
「でもできれば世間にわからないようにやってほしい。婿が男色家なんて外聞最悪よ。うちは天下のスター伯爵家なのに」
自分をじっと見つめて悩むアメリアにクリスは戸惑った。いつの間にかアメリアの涙は止まっていたことにラーニャだけが気付いていた。
「お前、何言ってるの?」
「仮面夫婦もありかなぁ。子供はクリスに似た人と作ればいいんだし、下町で探せばいいか。うん。クリスの髪も瞳も珍しくないから簡単よね。クリスも子供はできないだろうし…」
「アメリア、俺の声は聞こえてる?」
目の前で手を振ってもアメリアは全く反応しなかった。
「そうね。契約結婚。今更、お見合いするより楽よね。クリスなら愚かなことはしないもの。素行調査もいらないわ。うちの家人は口が固いから、家でこっそり飼うくらいならいいわ。お父様には、どう話そうかな。契約結婚なんて許してくれるかなぁ…」
クリスはアメリアに声が届かないことは諦めた。
思考がまとまれば自分の世界から勝手に帰ってくることを知っていた。
恐ろしいことを呟くアメリアを見守りながら、とりあえず婚約ができればいいかと気楽に考えていた。
アメリアの父親は二人が恋仲と勘違いしていることをクリスだけが知っていた。
侍女のラーニャは主の迷言を聞き流すクリスに、訂正しないから助長するのに。社交界の貴公子がこんなにヘタレと知ってる人間はどれだけいるのだろうかと静かに見守っていた。