第四十九話 魔神憑依
シルヴィア――、出自は貧乏商人の末娘で9歳の頃、娼館に売られようとしていたところを偶々先王の目に留まり、テンベルクサンドリア王城へ奉公に出ることとなった。
その理由も当時は定かでなかったが、今になってみればシルヴィアにも分かることだった。
先王は売りに出される幼子を憐れんだり、国内での身売りが行われていることを儚んで引き取ったわけでは無い。
王妃は娘を――つまるところユフィンを産んでも、王妃でも、母でも無く、王だけを愛し、王のことしか意識していない女だった。
ユフィンは先王が斃れ、土蜘蛛に憑りつかれたから王妃が変わってしまったのだと思っているが違う。
『王妃殿下は変わっていない。元からああだったから誰も気付かなかった』
だから先王が憐み、儚んだのはシルヴィアの境遇では無く、母の愛情を得られないユフィンの方だ。
権力に取り入るという発想を持たず、また持てない少女ならば誰でも良かったのだ。
偶々条件を満たしたシルヴィアの存在が、偶然先王の目に留まり、ユフィン付きのメイドとなることが出来た。
『姫様も同じ。私である必要性が無い。私でなくてはならない理由が無い。必要がある彼とは違う。理由がある彼とは違う。イスルギ・ランセツ殿とは違う』
嵐雪はユフィンに笑顔と活力を取り戻した。シルヴィアには出来なかったし、そんな風に笑うことすら知らなかった。
嵐雪は王妃に憑りつく怪異の正体を見破り打倒した。シルヴィアには出来ないし、そもそも気付きもしなかった。
嵐雪は貴族が集めた腕自慢たちを相手に一騎当千の活躍をした。シルヴィアには不可能以前に、まず戦いの場に呼ばれることすらない。
嵐雪はユフィンに国内安堵の供を命じられた。シルヴィアが命じられることはないし、第一にメイドの出る幕ではない。
『私が常に姫様の傍にいられたのは、姫様がこの城に囚われていたから。女王陛下となった今、私に出来ることなど何一つとしてない』
退魔士という男が現れて以来、シルヴィアはユフィンの唯一の存在ではなくなった。
拒絶されたわけでも無ければ、疎んじられているわけでも無い。
シルヴィアの立場は以前と変わらず、ユフィンの傍仕えだ。
メイド長から配置転換を提案されたが、ユフィン本人がそれを蹴った。
――妾が権力を得た途端に掌返しとは貴様も欲豚か。妾にはシルヴィアだけがおればよい。
『そう仰っていたのに……』
大手を振って政務に励むことが出来るようになって以来、シルヴィアはユフィンと共有する時間が格段に減った。
それにも関わらず、嵐雪は常にユフィンの傍にて、寝所を共にすることさえ許されている。
『居場所を奪われた。私ですら許されなかったことまで許されている』
シルヴィアが従順なメイドとは言え、感情を持った人間だ。
主の立場や環境が好転して歓びと安堵を感じても、何となく自分が蔑ろにされている気がしてならない。
ユフィンの従者であると共に、友であり、姉であり、母であるという自負が憤りの矛先を主から逸らせた。
逸れた矛先は、同じ主を戴く者同士でありながら、特に何の接点も無い嵐雪に向かった。
接点が無いからこそ悪し様な感情を抱くことに躊躇や罪悪を覚えずに済んだ。体のいい八つ当たりの対象だ。
だが、それも心の中だけにとどめておくだけの分別がある。
シルヴィアが大人だから、と言うよりは、嵐雪のことを妬ましく思いながらも、自分には出来ないことをやり遂げ、主を助けてくれていることには強い感謝の念を抱いているからだ。
何なら同志だと言っても過言ではない。
だと言うのに、妬ましくて仕方が無い。そこをレヴィアタンに付け込まれた。
別に憑りつく相手は誰でも良かったのだ。
偶然目の前に条件を満たす人間の女がいた。
たったそれだけ。先王の時と同じだ。
その事実が憑りつかれて変貌していく恐怖よりもそれを遥かに上回る怒りへ昇華する。
身体の制御を完全に奪い取られ、尋常ならざる身体能力を発揮する不気味さ、見慣れない恰好をした見覚えのない少女に暴威を振るう不快感など既にどうでも良くなっていた。
「極東のみすぼらしい島国の貧相な精霊如きが、このレヴィアタンを止められると思ったか!! 思い上がりもいい加減にせよ!!」
自分の口から自分のものではない声が発せられる。
目の前の少女が座敷わらしであることに気付いた。
――白の座敷わらしなど初めて見た
――邪悪な気配はしないと言っていたから心配はしていなかったが、察するに人間に益をもたらす類の怪異か
――御明察だ。家人や見た者に幸運を運ぶ福の神、家を栄えさせる精霊。特に白の座敷わらしは吉事の前触れと言われている
――幸運のフルコースみたいな怪異だな
――正しくその通りだ
――あまり良い状況では無いと思っていたが、嵐雪のお墨付きなら間違いはあるまい
ユフィンと嵐雪のやり取りを思い出し、シルヴィアの嫉妬心が更に増幅される。
シルヴィアに憑りついたレヴィアタンがそうなるように心を操っているからだ。
黙したまま何も語らぬ座敷わらしと、哄笑と共に嘲弄するレヴィアタンの攻防が繰り広げられる。
しかし、シルヴィアには何の興味関心も生まれず、只管に嵐雪を妬む以外の思考と感情が失せつつあった。
「各地に放った我が分身も集結しつつある。この女に宿るあの男への嫉妬心。もう遅れは取らぬ」
交戦の最中、シルヴィアが足を止めて王座を見上げる。
猛然と迫る座敷わらしを見向きもせずに無造作に突き飛ばす。
たったそれだけで神格を得た筈の座敷わらしの身体にノイズのような歪みが生じる。
最強の生物と記されたレヴィアタンの一撃が、座敷わらしに存在の維持が困難になるほどの霊的なダメージを与えたのだ。
それでもレヴィアタンは勝ち誇らない。既に座敷わらしの存在は意識にない。
ステンドグラス風のガラス細工で出来た天井の向こう側――
「来るか、極東の退魔士!」
ガラスをたたき割って降下する嵐雪を迎撃するかのように、シルヴィアの掌から龍を想起させる水柱が大きなうねりを伴い放たれる。
「無論、貴様を殺し尽くすまで何度でもな」
斬撃の結界を展開し、水龍を瞬時に霧散させて着地する。
嵐雪にとって取るに足らない挙動がシルヴィアの心を苛立たせ、レヴィアタンに力を与える。
突き破られた屋根の隙間から空飛ぶ絨毯に乗ったユフィンが、後に続くように箒に乗った魔法少女が現れる。
「こうも易々と侵入を許すとは、決着がついたら作り変えなくてはならんな……で?」
空飛ぶ絨毯から飛び降り、嵐雪の横に並んで目付きを鋭くする。
嵐雪への嫉妬以外の思考と感情が失われた筈のシルヴィアが怖気付いた。
「これは一体、どういうことだ? 何故、妾の従僕の中に入り込んでおるのだ。薄汚い蛇如きが!!」
鋭く声を張り上げるユフィンの形相にシルヴィアの身体が一瞬、一瞬にすら満たない時間だけ硬直する。
ユフィンの憤怒を真正面からぶつけられたことで、嫉妬一色だったシルヴィアの胸中が感動に満ち溢れた。
それが深い憎悪であろうとも、シルヴィアの眼前には未知が広がっている。
シルヴィアは知らない。ユフィンの強烈な怒りを――、激情に満ちた表情を。
それが全てシルヴィアに向けられている。
厳密にはシルヴィアの中に潜むレヴィアタンに向けられているのだが、憑りつかれ心を惑わされている彼女にはそんな当たり前の思考力が残っていない。
相性が良過ぎたが故の失策だ。
『成る程、な』
しかし、一番の失策はほんの僅かとは言え、憑依が抜ける瞬間を、この男に、石動嵐雪に見られてしまったことに気付けなかった事だ。




